羽化の作法[86]現在編:政治観の今昔/武 盾一郎

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《現在の政治観》

最近「投票ってどうなの?」と思っています。もちろん民主主義を否定してるのではありません。「投票行為」について疑問を抱いているのです。

投票は自分の意思で一票を投じます。ところがこの意思が曲者です。私の脳はちゃんと的確に議員や政党を選択しているのでしょうか?

支持者または支持政党がないとか、投票したところで何も変わらないとか、爺さんの代から決まった政党にしか投票しない家族の掟があるとか、確かにいろいろあるでしょう。熟考するにせよ、しないにせよ、投票は果たして最適解を選択しているだろうか? そんな疑問があるのです。

なんでこんなことを書いてるのかというと、私は意識について関心があって、なんとなくずっと調べたり考えたりしてきました。そこでこの「投票」という意識的な行為は、どうもあんまり良くないのかも、と思ってきたのです。





●投票所はトイレ

ところで「政治」って何でしょうか? 候補者が選挙で競い合うことでしょうか? 選挙になるとメディアが騒ぎ、そのすったもんだを「政治」だと印象付けてますが、それは「政局」であって「政治」ではありません。

「誰もが幸福に生きられるエコシステムを作る」

これって政治ですよね? どうでしょうかね? 異存はないと仮定して進みますね。

幸福に生きるためにはまず健康である必要がありますよね。その人が健康であるかどうかを最も正確に調べるには、本人に健康かどうかを喋ってもらうよりも、その人の体温を測るとか、血液や糞尿を調べたりした方がいいですよね?

言葉は嘘をつけますし、伝え方の上手下手もあります。しかし、糞尿は嘘をつきません。表現の上手下手もありません。小便、大便はまさにその人の状態の的確な「お便り」なのです。

糞尿からその人の健康状態が正確に分かるなら、それを投票とすれば良いのではないのでしょうかね? 投票が排泄になるのです。てことは、投票場はトイレです。すべてのトイレを糞尿検査ができるようにして、健康状態をモニタして、ネットに繋いでデータを集計するのです。

例えば、とある地域で何か特徴的な傾向があれば、それに基づいて具体的な対策が立てられます。政策立案は誰がやっても良いでしょう。AIでもいいし。

ほとんどの人が毎日排泄をするので、データの精度も高くなります。すべてのトイレから健康な便が検出されるように、政策実行するプログラムを組むのです。例えばこういった感じで、意識されない生体的なところをベースに加えた民主制を組み立てるのはどうなんでしょうかね。

●政治家と官僚

それでもやっぱり政治家は必要でしょう。結局のところそれは選挙しかないでしょうが、投票はネットでもOKにするべきです。

候補者に「いいね」ボタンが付いていて、タップすれば投票完了です。その頃はスマホがなくなって、メガネになってるかもしれないので、タップではなくてウインクかも知れませんが。

せっかくなので、「ヤダね」ボタンも付けましょう。プラス・マイナスの計算結果で当落を決めるのです。人気者はアンチも多いので、芸能人がいとも簡単に当選することはなくなるかもしれません。

泡沫候補が漁夫の利で、ちゃっかり当選するなどの番狂わせが起きて、面白くなったりするのではないでしょうか。

それから、政治家はなにも人間でなくてもいいでしょう。猫をアバターにしたチームが被選挙権を持ってもいいと思うのです。

ちなみに官僚は、ほとんどAIに交代してもらうことになるでしょうが、やっぱり多少は必要です。国民からランダムに選択するのがいいと思います。

「あなたのことは調べさせて貰いました。ぜひ我が国の力になって頂きたい。」とメッセージを送るのです。どうです? 国家に尽くしたくなりませんか。拒否権はあります。もちろん志願も受け付けます。

●生命体をモデルにした政治システム

そして、票田に利潤をもたらす役割でしかない政党制は廃止です。「パーティ」はもう終わりにしましょう。与党VS野党という構造も解体するのです。これらは「近代」の融通の利かない機械のようですから。

政策ごとにプロジェクトチームを結成し、それを単位にしてネットワークする政権システムにするのはいかがでしょう。モデルにする政治システムは「ヨーロッパ」ではなくて「生物」です。政治システムも生物のように変化してきました。なので、これからも変わっていくことだけは確かです。

人間が作るものは、最終的には生命体に似ていきます。コンピュータがそうですし、建築物や車も生物に寄っていくと思うのです。さらには都市も。そして、概念である国家も。それは、エントロピー増大の法則から逃れているのが「生命体」だからだと思うのです。

かなり雑ですが、以上が現在の政治観でした。

《かつての政治観》

●政治と芸術の未分化状態

私は新宿西口地下道段ボールハウス絵画(95〜98)・東京大学駒場寮「オブスキュア」「蟻天国」(98)・被災地テント村「しんげんち」(98〜99)・246表現者会議(2007〜2012)までのアーティスト活動は、アクティビスト的でもありました。それを「アーティビスト」と言ったりもします。

「アーティビスト(Artivist)」とは、社会を変えようと運動を起こす活動家(アクティビスト)と芸術家(アーティスト)を合わせた言葉です。

現在ではフランスのJR、そしてネズミの絵で話題になったバンクシーも、アーティビストといっていいかもしれません。日本では「チン↑ポム」がそれに該当すると思ってます。思い付きですが。

JR
https://sniffingeurope.com/2017/02/17/streetartist9/

Banksy
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC

Chim↑Pom
https://ja.wikipedia.org/wiki/Chim%E2%86%91Pom

かつての私は、それこそ「資本主義なんてなくなってしまえばいいんだ!」とか、「政府もなくていいんだ!」とか、「スクワット(不法占拠)上等!」とか、かなり雑に、そして本気で思っていました。

「持たざる者たちがスクワット(不法占拠)し、そこで自律運動(アウトノミア)を展開して生きていく革命」を夢見ていたのです。

そう書くと左翼のように聞こえます。ところが、例えば、共産党とかその他日本の野党には、まるで関心はありませんでした。それら現行の政治システムに古くからある「左派」と呼ばれてる政党に対しては、与党と一緒にまるっとまとめて「古臭くて要らないもの」として捉えていました。

デモにしても、ハプニングのように無許可でイリーガルにやらないと意味がないと思っていました。なので、ちゃんと届けてやってる普通のデモに対してすら、「なんか体制側だよな〜」って内心思っていたのです。

「革命」と言っても、マルクス主義の「世界共産主義革命」ではありませんでした。もっと全然違うイメージだったのです。というか、革命とは「イメージ」だったのです。

自分としては「アナーキスト」気取りでした。アーティストは必然的にアナーキストである。そう思っていましたから。

とはいうものの、新宿西口地下道段ボールハウス絵画〜246表現者会議まで、私がしてきた一連のアーティビスト的活動は、偶然に支えられていた観も強いのです。

自分がやってることは、政治的であるとか社会派であるとかは思ってなく、むしろ「芸術とはこういうものである」と思っていたのです。直感と偶然を頼りに、政治と芸術が分化されてない状態で、アーティスト活動をしていたのです。

●政治と芸術の分化

ところで「運動」には明確な目的があります。段ボールハウス強制撤去反対とか、駒場寮廃寮反対とか、テント村強制撤去反対とか、宮下公園ナイキ化反対とか(運動とはおおよそ反対運動のことで、それがちょっと残念ではあります)。

ところがです。例えば画家の目的とは何かと問われると、本質的に「絵を描くこと」だったりします。

「絵を描くことによって世界平和に貢献したい」とか、目的があるふうなことを言ったりするのも確かですが、それは結果としてそうなったら理想的という、外側から見た意味付けです。それとは別に、内部世界的には描き続けることそのものが目的だったりするのです。

それは生命体の目的が、「生きることそのもの」であるのと少し似ています。生きて何かをするのが目的なのではなくて、生きる・命を繋くことそのものが目的である、ということと。

なので、芸術には本質的に「閉じてる系」なところがあって、それが芸術の特徴だと考えていました。

「入力に対してナイスな出力を返す」つまり「期待に応える」「課題をこなす」などといったこととは、まるで違う何かが内部で蠢めいて、自己増殖しているです。それが芸術の源泉です。

最初は「問題を解決したい合目的な運動」と、「合目的ではない芸術」のミックスが面白かったのです。ところが、徐々にそれが葛藤となっていったのです。

運動のツールとしてのアートにならずに、アートの自律性を保ちながら運動と共存し続けること、それがとても自分には難しかったのです。特に人と関わりながら続けることの難しさでした。

なので、視覚芸術だけを抽出して、家に籠って制作したくなってきたのです。

●運動からの離脱

私はファンタジーを描きたくなりました。

実は昔からファンタジーを描きたかったのです。ところが、それをなぜか隠していたのでした。どこか恥ずかしかったし、ファンタジーを描くなんて、自分には無理だと思っていたからでしょう。

目的がファンタジーになると、絵を描く行為は手段になります。

「描くことそのものが目的の自己増殖する閉じてる系」から、徐々に「設計をしてから描く」がミックスされて行くのと同時に、運動からは離れたのでした。

アーティビスト的な活動をしなくなって、気が付いたことがあります。それは体制に対して批判的な考え方を持ってる人は、結構多くいるということでした。

まずは、自分が幸福であること。
それが、現在の私の政治性なんだと思います。(つづく)


【武盾一郎(たけじゅんいちろう)/三日かかってます】

◎24回 国際公募アート未来展
http://www.artmirai.jp/
会期:2019年6月26日(水)~7月8日(月)
10:00~18:00(入場は30分前まで・最終日12:00まで 7月2日(火)休館
会場:国立新美術館「1階A室」・野外展示場
新作線譜を出展します!


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