まにまにころころ[160]ふんわり中国の古典(論語・その23)孔子先生の指導スタイル
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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コロこと川合です。いつものように大河ドラマの話からいきたいところですが、私の住む大阪では今、ドラマどころではない騒ぎが起きていまして……

いや大阪に限った話ではないですね。警官を刺して拳銃を奪い逃走というアレです。防犯カメラの映像を公開したところ、東京の男性から、自分の息子かもしれないとの通報があり、どうやら都内に住む33歳の男に対して逮捕状が請求されるとのことです。

そうこうしている今も捜査は進んでいると思いますので、最新情報が知りたい方は、Yahoo! 開くなりテレビつけるなりしてみてください。

みなさんがこれを読まれている時点では、既に逮捕されているといいなあ。

事件があった吹田市というのは、大阪のやや北のほう。大阪万博があった市、といえば通じる方もいらっしゃいますかね。「太陽の塔」がある市です。

現場の千里山駅は、万博記念公園より少し南西。関西大学から、ひと駅北です。ちょうど半月前に電車で通りました。万博記念公園にあるスタジアムにサッカーを見に行く際に。梅田から千里山は、阪急電車で20分くらいです。

大阪は今、G20に向けて街中いたるところが警官だらけなんですけど、大阪市内だけなのでしょうか。いきなり刺されて拳銃を奪われるなんてことは避けられないとしても、24時間経っても逮捕できないなんて。今の大阪以上に、防犯体制が整えられている都道府県なんてないだろうに。

今はただ、不要の外出を避け、犯人逮捕と刺された警官の無事を祈るのみです。

論語読んでるうちに逮捕されるといいなあ。

世の中みんなが仁者だったら、どれだけ生きやすい世界か……






◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」一

・だいたいの意味

私は、古い教えを述べ伝えるが、自ら作りはしない。古い教えを信じて好む。そんな自分をひそかに老彭(ろうほう)になぞらえているのだよ。

──巻第四「述而第七」一について

老彭(ろうほう)とは、殷の時代の賢者で仙人みたいなものと思ってください。

ここは孔子先生の指導スタイルというかポリシーというか、姿勢を示したものですね。古典などから学んで解釈し、そのエッセンスを伝えることはするけど、オリジナルの教えを作って語りはしない、と。そしてそのことに誇りも感じているようです。

儒家集団を作り上げた儒教の祖、なんて思われたら憤慨しそうですね。

「一緒に古典を学ぼう、仁について学んでみんなで立派な人になろうよ」と、孔子先生としてはそんな感じだったんでしょう。

請われたらわけへだてなく手を取って教えた結果、教え子は膨れあがり、結果、大きな教団のようになり、後には政治利用されたりと、本来の思いとはかなりかけはなれていった感じです。

でも、今これを読まれている方は、孔子先生の「古典に学ぼう」という思いをそのまま受け止めているようなものですよね。孔子先生も喜ばれるでしょう。


◎──巻第四「述而第七」二

・だいたいの意味

黙って記憶し、学びを嫌がらず、人に教えて飽きることも無い。私にとっては何でもないことだ。

──巻第四「述而第七」二について

黙して之をしるし、学びていとわず、人をおしえて倦まず。

自身はこつこつと研鑽を深め、学んで得たものを人に教えることも苦にしない。これを当たり前のようにできるのが孔子先生の才能ですね。

先生の鑑だ。


◎──巻第四「述而第七」三

・だいたいの意味

徳を修めない、学問を講じない、義を聞いても行動できない、不善を改められない、これが私の憂いだ。

──巻第四「述而第七」三について

「どうにもこれができなくってねー」と謙遜しているとの解釈もありますが、だとしてもまあせいぜい「まだまだ十分にはできていないんだよ」ってところでしょうか。

どちらかといえば、そうならないように気をつけている、ということかなと。

道徳が身につかないでいるのではないか、学問が進んでいないのではないか、正しいことを知りながらも行動できずにいないか、悪いことだと知りながらも改められないでいないか、と、自問し自省する言葉じゃないかと思います。

こんな風に日々自問し自省する人、弟子にもいましたよね。

「三省」の曾子です。

曾子曰わく、吾日に三たび吾が身を省みる。
人の為に謀りて忠ならざるか。
朋友と交りて信ならざるか。
習わざるを伝うるか。
(巻第一「学而第一」四)

人のために考えてあげる際に真心から考えられただろうか。友人との交友では誠実であれただろうか。身についてもいないことを知ったかぶって教えたりしなかっただろうか。

凡人の私なんかは、孔子先生や曾子の言葉を書いて、目につくところあちこちに貼っておいたほうがいいかも……と思いつつ、何もしない。孔子先生の憂いをそのまま体現しているような存在ですね。(苦笑)


◎──巻第四「述而第七」四

・だいたいの意味

孔子先生のくつろがれている様子は、のびのびとされ、にこやかでいきいきとされている。

──巻第四「述而第七」四について

オフの孔子先生はそんな感じらしいです。

知らんがな、と思いつつも、想像すると和みます。(笑)


◎──巻第四「述而第七」五

・だいたいの意味

ひどいもんだね、私の衰えときたら。久しいものだよ、私が夢に周公を見なくなってから。

──巻第四「述而第七」五について

若い頃はしょっちゅう、あこがれの周公旦の夢を見てたんですね。

周公旦を知りたい方は、とりあえず酒見賢一の小説『周公旦』(文春文庫)を。そこそこファンタジー入ってますけど、それも込みで楽しんでください。


◎──巻第四「述而第七」六

・読み下し文

子曰わく、道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に游ぶ。

・だいたいの意味

正しい道を志して、徳に拠り所を得て、仁に寄り添って、教養を楽しむ。

──巻第四「述而第七」六について

そのままですが、孔子先生の思い描く理想の姿ですね。

芸、というのは当時「六芸」とされた、礼・楽・射・御・書・数のことです。儀礼・音楽・弓・馬術(馬車)・書道・算術、つまり君子に求められる教養のことです。

徳と仁を両輪に正しい道を目指して進みながら、教養の世界を楽しむ。なんて理想的なんでしょう。あれ? 生活のための仕事はどうすれば……

ああそうか、教養を教える先生になればいいんだ!


◎──巻第四「述而第七」七

・読み下し文

子曰わく、束脩を行うより以上は、吾未だかつておしうること無くんばあらず。

・だいたいの意味

束脩(そくしゅう)の謝礼を持参した者には、私はいまだかつて教えなかったということはない。

──巻第四「述而第七」七について

束脩というのはひと束の干し肉で、教えを請う際のマナーとして、最も簡易な謝礼だそうです。簡易なものでも儀礼に則って教えを請うてきたものに対して、つまりは誰にでも、教えることを避けない。人をおしえて倦まず。

ちょっと後に出てきますが、ガラの悪い地域の子供が会いに来た時も、門人はとまどいを見せますが、孔子先生は受け入れます。

門戸は広く開かれています。


◎──今回はここまで。

今回から「述而」に入りましたが、孔子先生の人柄が垣間見える話が多いです。時に厳しく、時に優しく。いい先生だと思います。

「儒教」となると、後世にあれこれ付加されてちょっとねじ曲がった感じさえありますが、その儒教が祖とする孔子先生の言行録『論語』は、素直に読めば、優しさいっぱいの書です。

まあその『論語』も、弟子がまとめ、あとから付け足したりもしているので、どこまでが孔子先生のリアルな言葉かは分かりませんけどね。

それでも『論語』を読んで孔子先生を師と仰ぎ実践を心がけていれば、昨今の胸が痛くなるような事件を起こすことも少ないと思います。昨今の、というか、古今東西の。

『論語』は『聖書』に並ぶ大ベストセラー&ロングセラーだと思いますけど、世の中はご覧の通り。孔子先生が生まれた国でさえあの通りなので、やっぱり実践となると難しいんでしょうねえ。徳によって治まった国なんて伝説でしか聞いたことないですしね……なんとかならないものでしょうか。


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
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