わが逃走[240]沼を継ぐもの の巻/齋藤 浩

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カメラがほしい、レンズがほしいと念仏のように唱えていると、「使ってくれるなら」と、年の離れた(≒60歳以上の)友達が下さったりする。私が生涯使い続けるであろう、あのカメラもこのレンズも、その多くが、いただきものなのである。

音楽プロデューサーのU1さん(仮名)とは、近所の超ハイクオリティ居酒屋で初めて会った。15年くらい前のことだ。

U1さん(仮名)はギョーカイのこともウラの世界のことも、なんでも知ってる。話も行動も、とにかくおしゃれでセンスがイイ。流行り物は知識として得るにとどまり、傾倒はしない。

メインストリームから外した価値観、主流になれなかったものにまつわる歴史的背景などに詳しく、カウンターで隣の席になったりすると、もう、面白くてついつい長話してしまう。

ちょうどレンジファインダーカメラの魅力にハマった頃で、いつかはツァイスやライカのレンズを使ってみたい、といった話をしていたんだと思う。





で、そのときU1さん(仮名)との会話が、
「齋藤さんはライカよりもコピーライカに興味がいくように思うよ」
「ロシアの? ゾルキーとかフェドとか?」
「うん、そう」
といったものだった。

しかしその頃は、新生フォクトレンダーのカタログやカメラ雑誌を見ながら、ツァイスやライカが引っ張ってきた歴史を、後追いすることで手一杯だったので、ロシアレンズの魅力に到達するにはまだ時間を要したのである。

U1さん(仮名)は数年後、向島へ引っ越してしまい、さらに数年後、超ハイクオリティ居酒屋も閉店した。その後U1さん(仮名)とは一回だけ神保町で飲んだ。穏やかな笑顔が印象に残っている。

昨年11月にU1さん(仮名)は亡くなった。闘病のことは知っていたが、まさかこんなに早いとは、と思った。もっと会っておけばよかった。私の中で“遠慮”のような思考がはたらき、会えたのにもかかわらず、会わなかったのだ。

人間関係にはそれぞれ距離感というものがあって、距離感とは絶対ではなく、適度な振り幅があるように思う。その振り幅のいちばん短いところを思い浮かべて、その人が笑って迎えてくれる姿が想像できれば、これはもう、会いに行くべきなのである。

会いたいと思った人には、会いたいと思ったときに会わないと、次に会える保証などないのだ。たとえその人がいま健康でも。


先月、弁護士さんから連絡があった。U1さん(仮名)の相続人が不在のため、親しい友人に入札してもらい、遺品を引き継いでほしいという。そういった経緯で、これらの機材がやってきた。


さて、マニアが最後に行き着く場所。それがロシアレンズ沼だという。人は誰しも、敗戦後のドイツ光学メーカーの興亡を知るにつれ、旧共産圏のオールド・レンズに興味を持つようになるそうな。

それらを活用できるボディは、いずれも前世紀のフィルムカメラだったが、近年、ソニーα7をはじめとするフルフレーム・ミラーレスデジタルカメラが登場。

これらとマウントアダプターを組み合わせれば、メーカーも国境も越えて、あらゆるレンズがオリジナルの焦点距離で使うことが可能になる。そのための機材や情報も急速に充実してきた。で、ますます沼は深く、広くなっているようだ。

大きなカメラバッグを開き、中身を並べる。それにしても、なんとマニアックな! 趣味としての偏りっぷり、さすがU1さん(仮名)! としか言いようがない。キヤノンでもニコンでもなし。α7を核とした完全なるオールドレンズシステム。

大量のマウントアダプターとロシアレンズ、コンタックス用ツァイスレンズ、数本のライカレンズ。そして長らく使ってなかったであろう“コピーライカ”フェド2。しばし眺め、ぼーっとする。オレなんかが受け継いじゃってよかったのかな。せめて、もっとU1さん(仮名)とカメラの話をしたかった。

α7で試し撮りしてみた。

CONTAX プラナー85mm f1.4
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INDUSTAR-22 50mm f3.5
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ミラーレスシステムはカメラのあるべき姿だとは思っていたが、やはり光学ファインダーで構図を決めないと、どうも気持ちが悪い。

理屈では理解しているはずなのに、感覚が受け入れを拒否している。電子ファインダーをのぞいたその先に、現実を感じられないからだ。

しかし、このカメラがU1さん(仮名)の形見だと思うと、墓参りでもしたかのように肩の力が抜けてきて、自然にシャッターを切ることができた。

まあ食わず嫌いせずに、試してごらんよ。と、いうことだね、U1さん(仮名)。


【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。