羽化の作法[87]現在編 好きになるのに理由はいらない
── 武 盾一郎 ──

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●受動と能動の転換

よく「好きになるのに理由はいらない」と言いますよね。

例えば、恋愛においてよく使われたります。なぜその人を好きになったのか? という質問をされても、なんだかよく分からないですよね。

好きになった人の好きなところをあげるとして、例えば、姿勢が良いとか、音楽に詳しいとか、動物好きであるとか、家が近いとか、優しいとか、いくつもあるでしょうが、そういう条件が揃ったことを確認してから好きになるわけではありません。

「好きになる」のは理屈が先にあるわけではないのです。理由が先にあるわけではないのです。「好きになってしまっている」のです。

ということは「好きになる」ことは受動的な感情になるわけです。ロマンチックな恋として物語られる「一目惚れ」ですが、それこそ受動的な感情の最たるものになるわけです。





一方で、お見合いのようなかたちで結婚し、暮らす過程で相手を好きになっていく場合もあります。少し前まではこのような形が主流だったと聞きます。この場合、結婚生活を成り立たせるために、自力で相手を好きになる必要があります。なので「好きになる」感情は能動的に作ることになるわけです。

恋愛結婚は個人の自由意志に基づくので能動的である。お見合い結婚は個人の自由意志には基づかないので受動的である。誰もがそう思ってますよね? だから現在では恋愛結婚が主流になってるわけです。

ところが、「好きになる」ことを基準にして見ると、恋愛結婚は「受動的に好きになった」を出発点にし、お見合い結婚は「能動的に好きになる」を土台とします。「好きになる」という内面の動きから見ると、受動性と能動性がひっくり返るのです。

もちろん恋愛結婚だって「好き」を育む能動性が必要ですし、お見合い結婚だって受動的な一目惚れ要素があるだろうから、スパッと二分はできませんが。

また、「好きになるのに理由はいらない」といった場合、生殖にまつわる本能的直感であるだろうとも言われていますよね。

女性は男性の声から免疫機能の状態を、匂いから自分と似すぎないDNAを無意識で判別し、それが理由のない「好き」になっているとか。

女性の腰のくびれと出産する赤ちゃんの状態に相関があり、それを男性は無意識に魅力として感じているとか。好きな人とキスをしたくなるのに理由はないのですが、ディープ・キスは相手の保有する細菌の情報を交換するためらしいとか。

そうするともう一目惚れにロマンもヘチマもないですよね。生殖や免疫システムの本能に従ってるだけなのが「好きになるのに理由はいらない」の正体となってしまうのですから。

ということは、恋愛結婚って実は生殖本能を補完しようとした形式なのか? って一瞬思いましたが、だとしたら少子化なんかになってないので、そんな単純ではないのでしょう。

しかし、「好きになるのに理由はいらない」の説得力の強さは、「好き」が「あらかじめ私にある」ことに、とても依拠してる気がします。

では、「好きなこと」の場合はどうなのでしょう?

●文化芸術における「好き」とは?

例えば、音楽の好みってありますよね。クラシック音楽が好き、J-POPが好き、シューゲイザーが好き、などなど。

この「文化芸術」の場合は、なかなか本能を根拠にして「好き」を説明するのは難しいのではないでしょうかね。

私の身体の共鳴振動の特徴が、デスメタルにぴったりフィットしたので理由なく好きになったとか、エンヤは純正律なので理由を問わず心地良いとか、ジョン・レノンの声を聴くと免疫機能が高まるとか。ないとは言い切れないでしょうけど、それが好きの根幹だとは思えませんよね。

ただ、ここらへん科学的に分かるといいですね。ちなみに、こんな情報があります。

「[重要]音楽が人体に与える健康的な影響に関する画期的な実験が行われる。それにより、『音楽はヒトの血液中の赤血球を再生させる』ことが判明。しかし、その率は音楽ジャンルにより大きな差異が」
https://indeep.jp/test-of-2500-year-old-music-hypothesis-of-pythagoras/


自分の体験から言うと、例えばクラシック音楽については、幼い頃あまり好きではなかった記憶があります。百科事典みたいなクラシックレコード全集があって、母がよくクラシックをかけていたのですが、「違うのがいい!」とせがんだことを、微かな記憶ですが覚えています。クラシック音楽は「怖かった」のです。

それでも、母は毎週のようにクラシック音楽をかけていたので、知らない間になんとなく曲を覚えてしまい、好きになっていくのです。クラシックだけでなく、ロシア民謡、シャンソン、アメリカのフォークなんかもかけていました。これらは子供からすると「聴いてて悲しくなる」ような音楽でした。

それでも母がしょっちゅうレコードをかけていたので、そこから好みを自分で判断できるようになるのです。小学低学年あたりだったと思いますが、「リリー・マルレーン」のシングルレコードがかかっていた時に、なんかぐっと来る感じがしたのを覚えています。

小学校中学年くらいの頃になると、家にあるレコードからお気に入りを引っ張り出して、自分で聴くようになります。ビートルズのベスト盤とか、「みんなの歌」のLPとか。

ところが、中学生くらいになると家にあるレコードよりも、テレビ番組「ベストヒットUSA」と、友達が聴かせてくれる「知らない音楽」に興奮し始めます。

そうして外の世界に飛び出すのですが、それでも曲を好きになっていくプロセスは同じです。最初はよく分からなかったり、嫌いに感じた曲も聴いてるうちに好きになってゆくのです。

中学一年生の時、友達の家に行って初めてドアーズを聴いた時の、「つまらなさ」は衝撃的でした。兄がいるその友達は、嬉しそうに自慢げにドアーズのレコードをかけてくれたのです。

「こういうのが大人なんだぜ」と、レコードに針を落とし、ボリュームを上げて二人でソファに座ったのです。

しかし、私はつまらなくて眠くなってしまうのでした。内心「こんなつまらない音楽は一生好きにならないだろう!」と誓いを立てられるほどでした。

ところがですよ、それから何年も経つと、私はジム・モリソンのシャウトに痺れているのです。

思春期から私はどんどん音楽に夢中になります。洋楽がメインですけど。眠たい目をこすりながら「ベストヒットUSA」を観て、カセットテープを貸し借りし、高校になると先輩から教えてもらったり、バンドを組んだらメンバーから教えてもらったり、そうやって曲を聴き漁るうちに再びドアーズに出会い、「なんだこれ中学の時に聴いたではないか!」と喜んだりしたのでした。

文化芸術としての「好きになる」とは、家庭環境を起点としますが、そこから先は自力です。自力ですが、まあほとんどが「縁」です。運とタイミングです。

そうやって粘菌が広がって行くように関心を増殖させて行くと、ターミナルとなるような曲(作品)・アーティストと出会うのです。そこからまた様々に発展して行きます。なので、「生殖本能のように元からある動かし難いもの」よりも任意性に富んでいると言えるのです。

このようにして「好き」は成長し、ネットワーク構造を形成します。粘菌のように、鉄道網のように、そして宇宙の銀河のように。

●「好き」は作れる

私たちは「好きなことをやる」ことが、何よりも尊ばれている時代に生きていると言えるでしょう。強制されて生きなければならない国や時代に生きてたら、「私は画家です」なんて呑気なことは言ってられなかったでしょう。この時代に生まれた私は本当に幸運です。

しかしです。だからこそ「好きなことが見つからない、分からない」という苦しみも生まれます。

それは「好きになるのに理由はいらない」が「好き」の基準になり過ぎてしまっているからではないでしょうか。

「好きになるのに理屈は要らない、それは直感なんだ。そしてその直感は誰でも持っているのだ。好きになるとは本能的なものなのだ」と。

しかし、「好きになること」が元から備わってるものだとしたら、好きなことがない場合は、何かが欠けてることになってしまい、逆に「好き」のハードルを上げてしまいます。

例えば、魚が大好きな「さなかクン」っていますよね。幼い頃、心奪われることに出会い、ピタッとハマって、好奇心に導かれるままにその専門分野のプロとなる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%82%AF%E3%83%B3


確かにそれは理想ですが、この天才的な「好き」を基準にすると、ちょっとキツいですよね。

「好きなこと」って、あっち行ったりこっち行ったりして、そしてしょっちゅう消えてなくなったりもして、なんだかフラフラしているのだと思うのです。

なので「好きになる気持ちはデフォルトでインストールされていません」。そう考えた方がいいと思うのです。

だから「好き」は作るのです。作れるのです。

「好き」とは何か? 大きくふたつあります。
「本能」と「直感」ではありません。

1・接触回数
2・思考回数

これだけです。これが好きを作るためのふたつの要素(仮説)です。名付けて「好きは作れる武メソッド」(笑)。

「接触回数」とは身体的な回数です。「体験」や「行動」といってもよいでしょう。例えば、絵を描く回数です。ちなみに、描く時の集中度も回数に置き換えられます。集中度が高いほど、描く行為にアクセスしてるので。

私は「ペンを持って線を描いてみたら『ビビッ!』と衝撃が走って一気に好きになり、私は絵を描く運命だったんだ!」と閃いた、のではありません。

地味にシコシコ描き続けることによって接触回数を上げ、描くことが好きな自分を任意的に作ったのです。理想は毎日何でも良いから描くことです。

そして二番目の「思考回数」。例えば、好きな人がいると、会ってない時もしょっちゅうその人のことを考えてますよね? これは猛烈に思考回数を上げている状態です。

会ってない時に相手を想うことによって、「好きな気持ち」がますます増幅するのです。「恋患う」とは、思考回数がレッドゾーンに突入してる状態でしょうね。

それから、好きな人は漠然と思い浮かべるよりも、例えば「今週末に六本木ヒルズの最上階のバーに誘おう」とか、具体的にイメージする方がよりワクワクしますよね。なので、思考は具体的なほど良いと思います。

私は、脳内で具体的内容をイメージすることにまだ慣れていません。描かないと思考できないのです。なので「現場での行き当たりばったり脳」だけでなく「思考空間でシミュレーション可能な脳」も稼働させたい。

理想は、無意識で、寝てる時も絵を具体的にイメージしてることです。そうするともっと描くことが好きになるでしょう。

もし、好きなことが分からなくなったら、とりあえず接触回数と思考回数が多いものを思い出せばいいのです。そしてその回数を徐々に上げて行くと、それが「好きなこと」に成っていくのです。

最後にこの曲をお届けします。
『好きにならずにいられない/エルヴィス・プレスリー』


(つづく)

【武盾一郎(たけじゅんいちろう)/買ったベッドが部屋に入らなかった】

◎24回 国際公募アート未来展
http://www.artmirai.jp/

会期:2019年6月26日(水)~7月8日(月)10:00~18:00
入場は30分前まで・最終日12:00まで 7月2日(火)休館
会場:国立新美術館「1階A室」・野外展示場

線譜を取扱って頂いている参宮橋ピカレスクのお誘いで参加しました。
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