[4816] 何でも書ける作家がいた◇3DCGイラストレーターは絶滅危惧種?

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《限りなく透明に近いブルーオーシャンww》

■日々の泡[012]
 何でも書ける作家がいた
 【秋津温泉/藤原審爾】
 十河 進

■グラフィック薄氷大魔王[615]
 3DCGイラストレーターは絶滅危惧種?
 吉井 宏




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■日々の泡[012]
何でも書ける作家がいた
【秋津温泉/藤原審爾】

十河 進
https://bn.dgcr.com/archives/20190626110200.html

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先日、ユーチューブでいろいろ見ていたら「地獄の曲り角」という古い日活映画が出てきた。昭和34年(1959年)のモノクロ作品だ。主演は葉山良二で、恋人役は稲垣美穂子だった。南田洋子が事件の裏を知る悪女役で出ていた。

葉山良二は三流ホテルのボーイだが、犯罪じみたことにも手を染める小悪党である。ある夜、汚職事件に関係しているらしい男がホテルの部屋で殺し屋に殺される。ボーイはその部屋であるものを見つけ、強請りを企てたために政治的陰謀に巻き込まれるという話だ。その原作者が藤原審爾だった。

藤原審爾原作の最も早い時期の映画化作品は、黒澤明が脚本を書いた「獣の宿」(1951年)である。昭和26年、藤原審爾は新進作家だった。同人雑誌で注目され純文学から出発した藤原審爾は、病気や結婚などもあって読み物作家として様々なエンターテインメント作品を手掛けていた。

藤原審爾の作品を振り返ってみると、初期には恋愛小説の傑作「秋津温泉」があり、その後、やくざを主人公にした作品、殺し屋小説、脱獄囚の物語、警察小説のハシリのような「新宿警察」シリーズ、スパイ小説、任侠小説、時代小説、動物小説などがあり、そのジャンルの広さに驚いてしまう。

1950年代から70年代にかけての30年ほどの間に、藤原審爾は映画に60本近くの原作を提供した。中でも、1959年に5本、1961年に7本、1963年に6本、1964年に5本、1967年に4本、1971年に4本、1972年も4本と集中しているし、その他の年にも1、2本の映画化作品がある。

それらの作品群は「地獄の曲がり角」のように時間と共に忘れ去られた作品もあるが、多くは映画ファンに知られている。「恐喝こそわが人生」は二度映画化されたし、「よるべなき男の仕事・殺し」は市川雷蔵の「ある殺し屋」「ある殺し屋の鍵」(1967年)になり、村川透監督によって「よるべなき男の仕事・殺し」(1991年)としてリメイクされた。

カルト的人気のある作品としては、新東宝の「地平線がぎらぎらっ」(1961年)や日活の「拳銃(コルト)は俺のパスポート」(1967年)などがある。前者は黒澤明監督の「用心棒」(1961年)の冒頭、桑畑三十郎に片腕を斬られるジェリー藤尾が同じ年に主演した脱獄ものだ。後者でも、ジェリー藤尾はスナイパー宍戸錠の弟分を演じた。

僕は石井輝男が新東宝から東映に移って監督した「花と嵐とギャング」(1961年)「恋と太陽とギャング」(1962年)が大好きだ。若き高倉健がよく喋るトッポいチンピラ(「スマイリー健」という通り名)を演じているのが楽しい。ガンブームの頃に作られた映画だから、ガンアクションに凝っている。もちろん、原作は藤原審爾だ。

藤原審爾はチンピラ小説も書いており、チンピラと良家のお嬢様の純愛を描いた「泥だらけの純情」は1963年に18歳の吉永小百合と浜田光男が映画化し、14年後の1977年に山口百恵と三浦友和でリメイクされた。「秋津温泉」でわかるように、元々、藤原審爾は純愛小説の名手だったのだ。

意外なことに山田洋次監督の「馬鹿まるだし」(1964年)も原作は藤原審爾だし、森崎東監督の「喜劇 女生きてます」シリーズの原作も藤原審爾である。かと思うと、江波杏子主演で加藤泰が監督した「昭和おんな博徒」(1972年)や高倉健主演「日本やくざ伝 総長への道」(1971年)なんてのもある。

日本映画史上の名作として残っているのは、今村昌平が監督した作品だ。「果てしなき欲望」(1958年)は、今村監督の三作めである。終戦時に軍医が埋めた大量のモルヒネを掘り出そうとする、五人の男女の欲望に駆られた姿を描き出す。今村作品独特の、人間のエネルギー(欲望)にあふれた力強い画面が印象に残る。

今村昌平監督の「赤い殺意」(1964年)も名作の誉れ高い作品だ。夫(西村晃)に虐げられ、いつもおどおどしている妻(春川ますみ)が、ある日、強盗に犯される。妻は首を吊ろうとするがロープが切れて(春川ますみの小太り体型に説得力があった)死ねず、その後、しぶとく強い女に変貌していく姿を生々しく描いている。

しかし、僕が昔から日本映画ベスト3の1本としているのは、岡田茉莉子の100本記念として制作された吉田喜重監督の「秋津温泉」(1962年)である。他の2本は成瀬巳喜男監督の「浮雲」(1955年)と川島雄三監督の「幕末太陽傳」(1957年)だ。「浮雲」と「秋津温泉」には人生の真実を教わり、「幕末太陽傳」からはしぶとく生きることを学んだ。

「秋津温泉」は18歳の時に見て、生涯忘れられない一本になった。結核で岡山の叔母の家を頼った主人公の河本(長門裕之)には、藤原審爾自身の姿が重なる。秋津温泉の秋津荘の娘・新子(岡田茉莉子)の看病で病気から回復した河本は、戦後、岡山で塾を開きながら小説を書いている。

ある日、妻の兄(宇野重吉)が文学新人賞を受賞したと知らせがあり、地元の新聞記者たちが取材にやってくる。帰宅した河本は妻に「私が働きますから、あなたもいい作品を書いてください」と言われ、「俺はどんなに堕落しても、あんな大衆小説は書かん」と怒鳴りつける。

それから十数年後、東京の出版社の立派なビルのロビーで、河本はショップの店員をしつこく口説く中年になっている。流行作家になった義兄の紹介で出版社に入り、長い年月が過ぎたのだ。そこへエレベーターから編集長と義兄が降りてくる。編集長は、「わが故郷」というエッセイの取材で義兄と岡山に同行しろと言う。

「故郷でいいことなんて何もなかった」と答える河本だが、同人誌に純文学作品を書いていた頃、安酒で酔いどれては「おめおめと、また秋津か」と言いながら新子に救いを求めて秋津温泉へいっていた。河本は十年ぶりに新子を訪ねるが、今の彼は新子の肉体だけを求める、つまらない男になっている。

原作が発表されたのは戦後すぐの1946年だったが、映画版「秋津温泉」は原作を大胆に脚色していた。ファーストシーンは、岡山空襲の直後である。山陰に疎開した叔母の下へ向かう途中、結核で動けなくなり秋津温泉の宿に泊まり、女学生姿の新子と出会う。そこから終戦、戦後を経て、映画制作時の現在までを描いている。十数年に及ぶ男女の変遷が僕に「人生の真実」を教えたのだ。

「秋津温泉」を見てから数年後、僕は薄い文庫本を入手した。「秋津温泉」は、美しい文章で綴られた恋愛小説だった。「鮮烈」という言葉が浮かんだ。映画とは違った感動があった。しかし、その後の藤原審爾の作品群は、完全なエンターテインメントばかりだった。それを知ったとき、河本が義兄の作品に向かって放った言葉が浮かんできた。

しかし、純文学をエンターテインメントより上位に置いていた若き日の僕と違い、今は藤原審爾という作家の凄さがわかる。「小説の名人」と異名をとったそうだが、それも納得する。何でも書いた(書けた)作家だった。現在、作品が入手しにくいのは残念だ。ちなみに、娘は藤真利子という名で女優になった。

「秋津温泉」を見て以来、僕は己に忸怩たる想いが湧くと「おめおめと、また秋津か」と口にするようになった。大学時代も、勤めているときも、何度「おめおめと、また秋津か」とつぶやいたことだろう。今でも、深夜ひとりもの思いに沈むとき、思わず口を衝いて出ることがある。

----おめおめと、また秋津か!!

【そごう・すすむ】
ブログ「映画がなければ----」
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■グラフィック薄氷大魔王[615]
3DCGイラストレーターは絶滅危惧種?

吉井 宏
https://bn.dgcr.com/archives/20190626110100.html

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ふと気になって、玄光社「イラストレーションファイル2019(上下巻)」の886人のイラストレーターのうち、3DCGで制作してる人はどのくらいいるのか? ざっと数えてみた。僕を入れてたった5人!! ええええ!!!

(数え方は厳密じゃないです。3DCGに見えるけどPhotoshopな人とかは除く。あと、「ファイル2019」には3DCGイラストを代表する人がたまたま載せてない。他にも何人もいる模様)

0.5%だよ。こりゃびっくり!と思って、他の号も5年おきに数えてみた。

2014年……916人中、5人
2009年……879人中、10人
2004年……774人中、12人
1999年……416人中、10人

……少ないねえ。ピーク時でも1.5%なのは意外。2Dを含めてもデジタル制作が明らかに少数派なのをあらためて認識。

じゃあ、同じ玄光社の「キャラクターファイル」のほうはどうだろう?

キャラクターファイル2018-19……215人中、3人
キャラクターファイル2014-15……307人中、2人
キャラクターファイル2010-11……361人中、7人
キャラクターファイル06-07………313人中、7人

……似たようなもんかw

まあ、若い人たちにとってマンガ風イラストが主流の現在では、「イラストレーションファイル」に載るような「出版や広告などの旧来の正統派(?)イラスト」はマイナーな存在かもしれんし、以前のような影響力は無いだろう。

少なくとも、そんな旧来のイラスト世界において、3DCGは明らかに超少数派なのがよくわかった。

では、誠文堂新光社の「イラストノート」ではどうか? 2017年No.43の「209人の仕事」では0人。他、4冊持ってる「〜人の仕事」特集のある号すべて0人だった。
……明快だなあwwww

念のため、翔泳社「ILLUSTRATION 2019」も購入して調べてみた。どちらかというと若い人向けのマンガ風というかコンテンツ系のイラストレーター150名中、0人だった。

イラストレーターの技法としての3DCGってのは、「河原で拾った石ころの組み合わせだけで表現」とか、「バーナーの焦げ目だけで描く」とか、数の上ではそういった超マイナーな表現に近くなってる?w

3DCGはモデリングも設定もめんどくさいからねえ。

僕的にはPainterやPhotoshopで隅々まで描くよりはラクだし、一つ作ればいろいろ展開できるのが利点と思ってやってる。また、立体として思い浮かべたモノを2Dに置き換えるより3Dでそのまま作るほうが自然だし。

でも、エディトリアルの小さなカットを30点というような注文は3DCGじゃ無理。一つのキャラを表情やポーズ替えで30点って注文なら、3DCGの特色を生かせる得意分野なんだけど。

3DCGはラフからフィニッシュまでの流れに大きな断絶があって、乗り越えるのに相当な気合いが必要だし、修正が大変だったり小回りが効かないのは弱点ではあるものの。

広告やCM等で、キャラクターなどの3DCGやアニメーションが使われることは多いけど、元はほとんどの場合2Dイラスト。3DCGは各種媒体やコンテンツに展開する必要から、CGプロダクションに発注されるのが普通。元イラストから3DCGで作られることは滅多になさそう。

ゲームや映像など3DCGやってる人はめちゃくちゃ多くなってるはずなのに、イラスト方面に流れてくる人が少ないのか。イラストレーターのくくりで3DCGの人がここまで少ないとはホント驚き。

……こんなんチャンスに決まっとる。

2Dイラストを復活してみようかとも思ってたけど、こんな希少な立場を活かさない手はないわw

◯おまけ。最近載せてもらった作品集「Art Book of Selected Illustration Monster 2019」では115人中、僕1人w モンスターのイラストなんて3DCG、特にZBrushの独擅場のはずなのだが……。
https://amzn.to/2WOqcnK



【吉井 宏/イラストレーター】
http://www.yoshii.com

http://yoshii-blog.blogspot.com/


「スター・ウォーズ エピソード9」の邦題が「スカイウォーカーの夜明け」に決まった。いいタイトル! 41年も続いてきた9本の映画シリーズの最終話にふさわしい! タイトルだけでウルウルしそう。その次の三部作の製作が2022年公開に向けて始動してるってニュースを知らなければ、もっと感動的だったけどなw

○吉井宏デザインのスワロフスキー、新製品がいくつか出ました。

・見ざる聞かざる言わざるの「三猿」
https://bit.ly/2UF4LzF


・フクロウHOOT、踊りたい気分! 「HOOT LET’S DANCE」
https://bit.ly/2Dc6p4Z


・恋に落ちたフクロウHOOTたち「HOOT WE ARE IN LOVE」
https://bit.ly/2BlyBC4



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編集後記(06/26)

●偏屈BOOK案内:「偽善者の見破り方 リベラル・メディアの『おかしな論議』を斬る」岩田温

この本は「リベラル」を騙る偽善者の正体を白日の下にさらけ出す。理論的に暴露する。口先で「多様性」とか「少数者の擁護」とか叫びながら、意見の合わない他者を徹底的に弾圧するのが「リベラル」とやらの特徴である。彼らの正体は、自らとは異なる意見を否定する極めて全体主義的人間だと断ずる。

「日本や日本国民を攻撃できると思った瞬間にマイノリティーを擁護するポーズを取ってみせたり、多様性を守る芝居をしてみせたりしているだけの話に過ぎない。彼らは煎じ詰めれば日本を呪詛する人々であり、『リベラル』の仮面を被った偽善者にすぎないのである」という定義はじつに分かりやすい。

さらに「その本質は信念なき機会便乗主義者(オポチュニスト)に過ぎない。風の流れるままに漂うボウウラのような存在なのだ」とまで言うのだからたまりません。筆者が「リベラル」と括弧つきで表現しているのは、日本の「リベラル」を自称する者は、本来のリベラリズムとは無関係の「偽善者」だからだ。

ネットで情報を収集する脱テレビ世代が「ネット右翼」ならば、テレビで「リベラル」なコメンテーターの煽動を鵜呑みにする人たちは、それを常識だと思いこむ「テレビ左翼」略して「テレサヨ」だ。「テレビを見ると馬鹿になる」とは真実だった。いわゆる団塊の世代で、すぐデモに立ち上がるヒマで元気な年寄りたちは、ほとんど「テレサヨ」だ。生き甲斐を感じているんだろうな。

家族、郷土、そして日本が好きだ。我が国の歴史を誇りに思う。諸外国の不当な非難には反論すべきだ。日の丸、君が代は国旗、国歌として尊重すべきだ。憲法を改正すべきだ……こうした価値観の持ち主を「右派」とするのではなく、「ネット右翼」と呼ぶのはなぜか。ネットの存在さえなければ、こうした価値観は生まれなかった、と考える「リベラル」の焦りがネット敵視に繋がるのか。

「徴兵制がやってくる」「立憲主義が破壊される」「戦争が始まる」と絶叫する、安保法案に反対した本物の左翼とテレサヨたちがいた。それにしても、あまりに極端な的外れ、事実に反する言葉であった。法案が成立したが、あのヘイトスピーチというべき、醜悪で滑稽な「空理空論」の絶叫の内容は、当然ながらなにひとつ到来していない。それなのに恥じ入ることさえしない。

戦後日本の平和と繁栄を守ってきたのは、自衛隊と日米同盟の存在があったからである。その現実を直視せず、戦後日本の平和を「憲法第九条」のおかげであると信じ込もうとする、思考停止した人々がいまだに存在する。自衛隊の存在を憲法に明記せよという自民党に対し、野党は絶対に認められないと対決姿勢を強めるが、なぜ反対するのか。その論拠を明かにすべきだが、できまい。

「憲法第九条を守ることはリベラリズムとは何の関係もない。第九条を守っていれば平和が訪れるというのは、政治思想というよりも一種の信仰に近い。なぜなら、それは信者以外には理解不能な非論理的な教え、すなわち教義にほかならないからだ」。偽善者の正体を暴くこの本、軽率を絵に描いたような、誑かされやすいわたしには、ものすごく参考になった。また紹介したい。(柴田)

「偽善者の見破り方 リベラル・メディアの『おかしな論議』を斬る」
岩田温 イースト・プレス 2019
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4781617824/dgcrcom-22/



●iPhoneを路上で拾った、の続き。大阪府警察に「落とし物公開情報」というサイトがある。落とした物が届けられているのか検索できるのだ。

数日後、持ち主は現れたかな〜と、「iPhone」で検索したら、「検索件数が300件を超えています。条件を変更して検索してみてください。」と出てきて結果が出ず。え、そんなに落とす人がいて、拾われ、ちゃんと届けられているのね。

紛失日で絞り込んだが、それでも数十件。場所は、路上・公園・店舗・飲食店・官公署・銀行・鉄道・タクシーなど。不明、その他というのもあるんだけど、どこなのよ……。

拾得場所や問い合わせ番号を照らし合わせると、まだ持ち主は現れていないようだった。私なら速攻連絡するけどなぁ。続く。(hammer.mule)