[4820] クリムト展を観て◇アートブック制作2◇プログラミング授業の現場にて

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《日本で見られる時に見ておきましょう》

■装飾山イバラ道[248]
 〜女性の肖像と手紙〜「クリムト展 ウィーンと日本 1900」
 武田瑛夢

■Scenes Around Me[53]
 アートブックOBSCURE(2)OBSCURE付録の音源
 関根正幸

■crossroads[67]
 プログラミング授業の現場にて
 若林健一




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■装飾山イバラ道[248]
〜女性の肖像と手紙〜「クリムト展 ウィーンと日本 1900」

武田瑛夢
http://bn.dgcr.com/archives/20190702110300.html
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クリムト展 ウィーンと日本 1900
2019年4月23日(火)~7月10日(水)

いつも会期ギリギリで申し訳ないですが、東京都美術館のクリムト展に行ったレポートのようなものです。

・クリムト展 ウィーンと日本 1900
https://klimt2019.jp

これだけの規模の作品が集まるのは東京では30年ぶりだそうで、そんな昔だと私は美大生時代かな。確かにあの当時、クリムトやエゴン・シーレの展覧会を見てみんなしびれていましたね。

調べてみると、1989年のセゾン美術館「ウィーン世紀末 クリムト,シーレとその時代」が、30年前の大規模展覧会だった。セゾン美術館開館記念として開催されて、「接吻」が表紙にもなっている図録の展覧会。覚えがある人もいそうだ。

今回の展示は油彩画が25点以上とのことで、国内での展覧会では過去最多とか。クリムト自体が主に受注による制作が多かったため、全作品数の少ない画家であり人気もあるので、日本に集めるのが困難なのだとか。

クリムトの一番有名な「接吻」は、もはや国外持ち出しは不許可らしい。今回は見ることができない。オーストリアの「ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館」に行かないと見ることができないのだ。

クリムトは他の作品で国と作品の持ち主との裁判があったのが有名だ。いずれにせよクリムト作品は、日本で見られる時に見ておくことをおすすめする。この展覧会は東京の後、豊田市美術館でも行われる。

油彩画が25点以上といっても、東京都美術館の規模では何フロアにも分けて作品を展示できるのか? と思うのが普通ではないだろうか。

今回は家族や仲間の写真、同時期に絵画を習得し活躍した画家仲間の作品、影響を与えた外国の美術品などが、数多く一緒に展示されていた。巨大な壁画「ベートーヴェン・フリーズ」の原寸大複製作品もある。

●若き時代のクリムト

ウィーンの工芸美術学校時代の作品からその才能は力強く、写実の腕の確かさが感じられた。グスタフ・クリムトは、工芸美術学校の親友フランツ・マッチュ、弟のエルンスト・クリムトと、芸術カンパニーを学生時代に設立する。

その後20年近く作業を共にするが、大学教授となってアカデミックな制作を続けたマッチュと、分離派を設立したクリムトでは方向性が変わってゆく。

その後、仕事を共にしていた弟の急死というショックな出来事と、同じ年に父をも失い、創作意欲をなくす数年間があったようだ。

クリムトの作品というと、女性がモデルのものをイメージする。芸術目線でも男性目線でも、女性が大好きだったようである。複数のモデルとの間にはたくさんの子供がいたそうだ。

しかし、後に母や妹と共に暮らした女性とは、生涯プラトニックな関係だったという。この女性が「エミーリエ・フレーゲ」だ。この関係がどんなものだったか、絵や手紙の展示で展開されていた。

●最愛のパートナー

この女性は、私が展覧会で印象に残った作品に描かれている女性でもある。「17歳のエミーリエ・フレーゲの肖像」のパステル画だ。生涯を通じて心の通じたパートナーの女性。

厚紙に描かれたパステル画なのに、本当にリアルで美しい肖像画だ。目のまつ毛まで鮮明で肌の質感は滑らか、まとめられたフワフワの髪。

金色に塗られた木製額には、日本美術から影響を受けた花々がクリムトによって手彩色されている。私の個人的感想では、これはもう、好きな女性を描いた絵でしょう。

クリムトの弟エルンストがエミーリエの姉ヘレーネと結婚したことで、親戚付き合いが始まる。しかしエルンストは結婚後一年で亡くなってしまう。

エルンストには誕生して間もないの女の子がいたが、この姪の後見人をクリムトとエミーリエは共同で引き受けたのだ。

これまでは生涯プラトニックな関係だとされてきた二人。

しかし2000年に研究者によって発表された手紙には、クリムトの親密な恋愛感情が書かれており、偽名まで使ってそれを隠そうとしているという。

展示されていたエミーリエ宛ての手紙の中には、ハートを矢で射抜かれたイラストが描かれており、そこに恋愛感情があると見てとることができる。

帰宅してから図録の文章を読んでみると、エミーリエがクリムトからの手紙を洗濯カゴがいっぱいになるほど持っていたが、亡きクリムトへの敬意からすべて破棄したという話もあるそうだ。しかしなぜかいくつか残った手紙。

図録には、展示されていた7通のクリムトからエミーリエへ宛てた手紙の「全訳」が掲載されていた。これが長いけれど、非常に興味深い。

クリムトが、旅行でエミーリエと離れている時の出来事を、事細かに報告しているのだ。ラブレターの全訳を公開されてしまうとは、偉大な人物って辛いものだ。

●印象に残った作品

他に印象に残った作品について書いておく。

「ヘレーネ・クリムトの肖像」

母親と同じ名前をつけられた姪のヘレーネは、クリムトのモデルもつとめ、ボブカットの横顔作品として展覧会に出品されている。

こちらの絵は油彩なので、顔の描写にその後のクリムトの女性画に見られる特徴が表れている。目の辺りに青の絵の具の重なりが感じられ、髪や洋服の描かれ方と全く異なる。女性の肌の、色や質感への興味が強いことがわかるのだ。

「ユディト I」

クリムトの代表作の一つで、今展覧会のポスター、図録の表紙になっている作品だ。クリムトらしさが全部入りの作品。実際にこれは素敵。色っぽくて、綺麗で、怖い。

金箔は装飾的効果が高く、パーンと出て見える強さがある。空間描写には向かないけれど、細かな植物の模様を入れることで、画面に抑え込んでいるように見える。

ゴールドに囲まれた女性のたっぷりの髪の毛の黒。これも力強く、絵の印象を作り出している。その黒髪に囲まれた女性の顔は、口と眼が半開きで、手には男の生首を持っている。

これは旧約聖書外伝の一場面を主題にしたもので、敵陣の司令官を誘惑して酔い潰し、その首を切り落とした女性がモデルになっているという。

生首は右下に暗い色で半顔が描かれているので、一見すると美しい女性像だけに見える。先に述べた女性の髪の毛量で、男の首が目立たない効果もあるかもしれない。絶妙なバランスなのだ。

女性を愛し魅力を描き、その絵が女性から愛されているクリムト。会期は残りわずか、梅雨のお出かけには美術館も良いですよ。


【武田瑛夢/たけだえいむ】
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/

・クリムト展で購入した展覧会グッズたち。
http://eimu.com/dgcol/klim01.jpg

いつも買うクリアファイルと、ガチャポンのピンバッジ。缶バッジよりピンバッジが好き。金入りの袋は、「クリムトの金のゼリー」。金色のお菓子は数種類あって、なんとなくこれにした。

中には小包装の四角い透明イエローのゼリーが入っている。金色の味の正体は、パイン味の寒天飴かな。なかなか美味しくて、執筆中の糖分として有り難い。


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■Scenes Around Me[53]
アートブックOBSCURE(2)
OBSCURE付録の音源

関根正幸
http://bn.dgcr.com/archives/20190702110200.html
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◎アートブックにCD-Rの音源を付録に付けるプロジェクト

アートブックOBSCUREの製作に、私は1号から関わっていました。というのも、私は本誌の付録のCD-Rに音源を提供していたからでした。

鷹野依登久くんが1998年9月に、オブスキュアギャラリーと神宮前のギャラリーの二箇所で同時に個展を開催したことは以前の連載に書きました。

その際、鷹野くんから、神宮前の会場のBGMとして、水の泡のような音を作って欲しいと依頼がありました。

そこで、私は湯呑みに水を張り、コンタクトマイクを突っ込んで、ストローで水に息を吹き込みました。私はその音にディレイをかけて、数パターン録音しました。そして、それらをミックスして音源を作成しました。

その音を鷹野くんは気に入ったようで、後になって鷹野くんから、音源をCD-Rにダビングして、OBSCURE1号の付録に出来ないかと打診がありました。

私は1997年にコンピレーションCD「kids」を制作した関係で、CD-Rレコーダーを持っていたので、ダビングは可能でした。

そこで、私は依頼を受けたのですが、締切までの時間とメディア代の関係で、ダビングできたのは30枚程度だったと思います。

OBSCUREは各号300部を製作したので、1号には、ほんの一部にしかCD-Rを付けられなかったことになります。

とにかく、これをきっかけにOBSCUREにCD-Rの音源が付くことになりました。

OBSCURE1号は私一人の音源だったのですが、2号からtechnical cutの佐藤久順(kujun・ひさとし)くんと白井朋樹くんが参加、さらに、おそらく3号からひさとしくんの紹介で植野隆司くんと藤乃家舞さんが参加しました。

植野くんは、奥さんのさやさんと「テニスコーツ」というユニットをやっていました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%84

筋肉質で寡黙な印象がありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/YAMP_KOLT_(a.k.a_mai_fujinoya)

また、舞さんはUAのバックでベースを弾いていました。毒舌なところはありましたが、それを裏付けるテクニックと、仕事に対する誇りがあったのだと思います。

余談になりますが、東日本大震災の後、たまたま、音楽関係の編集者でUA担当だという人と飲む機会があったので、舞さんのことを知っているか訊いてみました。

すると、彼は、舞さんを知っているどころか、藤乃屋舞は「不治の病」をもじって付けられたいうことを教えてもらいました。

当時舞さんは沖縄に移住していましたが、OBSCURE時代にはそのようなことを舞さんから聞いたことがなかったので、驚くと同時にさすがUA担当だと感心した記憶があります。

さて、CD-Rのダビングは私と鷹野くんで手分けして行いましたが、私のCD-Rレコーダーは等倍速の書き込みしかできなかったため、一日に数枚しかダビングできませんでした。

そのため、割り当てられたCD-Rを焼き終わると、すぐに次の号の音源を編集しなければならず、新作を作る時間が取れなくなりました。

さらに、この頃、曲を作り始めるきっかけとなった、失恋した相手と和解するなど、いくつかの状況が重なって、私は曲を作るモチベーションを失っていくことになります。

それはともかくとして、オブスキュアでは、1999年の4月頃、さらに多くのミュージシャンを集めて、CDを作る計画が持ち上がりました。

https://live.staticflickr.com/65535/48160945346_55f9d58c78_c.jpg

写真はOBSCURE5号の裏表紙の一部ですが、9月にコンピレーションCDを出すという告知とともに、参加したミュージシャンの一覧が載っています。

コンピレーションに参加したのは、これまでCD-Rに参加したミュージシャン以外にSafari、宇川直弘、Rudolf Eb er、そして、亡くなってしまいましたが、WOODMANがいました。

https://togetter.com/li/997738

トラック2の NiederKasseler Kirchberg は小林亮平くんで、私が誘って音源を提供してもらいました。

そして写真の上の方に私のクレジットが部分的に写っています。5号から私もOBSCUREにクレジットが載ることになりました。

最後に、私の部屋から発掘したコンピレーションCDを紹介します。

https://live.staticflickr.com/65535/48160947576_d2972bbf0c_c.jpg

外箱は潰れていますが、上面に各トラックの曲名とミュージシャンが記載されています。

CD製作のことについて覚えていることは多くありませんが、私の曲名を見る限り、1999年5月9日に録音しているので、5月末頃が音源の締切だったようです。CDのマスタリングはひさとしくんが行ったと思います。

パッケージ
https://live.staticflickr.com/65535/48161019822_7e9f921e2a_c.jpg

CDケースは地球儀の北半球になっています。
https://live.staticflickr.com/65535/48161020402_12e0fbce20_c.jpg

また、蓋は鉄板で出来ていて、蓋を止めるためのネジは耳の形をしています。中身を出してみようとしましたが、ネジが固くて開けず、下手に抉って壊すと面倒なので、CDの写真はありません。


【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://sekinema.com/photos

1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔


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■crossroads[67]
プログラミング授業の現場にて

若林健一
http://bn.dgcr.com/archives/20190702110100.html
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こんにちは、若林です。

2019年6月26日、畿央大学教育学部2年生の教育方法・技術論の授業を見学させていただきました。教育学部の授業なので、参加されている学生さんの多くは、将来何らかの「先生」になる学生さんたちです。

この授業では、2020年から小学校で始まるプログラミングの授業を見据え、もっとも使われる可能性が高い「Scratch」を扱ってみるというもので「シューティングゲーム」をテーマに、それぞれがプログラミングに取組んでいました。

当日は、作品はある程度できていて、グループ内で発表しあうという内容でしたので、私も冒頭に自己紹介した後、講義室の中を回って各グループの作品を見させていただきました。

質問や相談をくださる学生さんがいらしたので、どんなプログラムにしたいのかをヒアリングしながら、どう作ったら実現できそうかをアドバイスしながら一緒に楽しんだ感じです。

○大学で勉強するたくさんのことの中のひとつでしかない

授業に参加してみてわかったことは、学生さんにとってプログラミングというのは、大学で勉強するたくさんのことの中の一つでしかないということでした。

考えてみれば当たり前なんですけどね。わたしは熱心にやってる子供たちを普段から見ているので、なんとなくそのイメージでいたのですが、大学の方は全員が全員熱心にやっているわけではありません。

あくまでも学校の授業です。レポートは面倒だし、早く終わって遊びに行きたいわけです。毎日のようにプログラミング教育のニュースに触れている、僕らみたいな人種とは、テンションが違います。

もちろん、楽しんで作っている学生さんもたくさんいらっしゃいますが、教室全体を見渡した時に特別のものはなかった、他の授業と何も変わらないんだということがわかったということです。

学生さんや大学の先生にとっては、何の不思議もないことだと思いますが、私にとっては新しい発見でした。

○女子学生のコミュニケーション能力の高さ

見学させていただいた授業は2コマで、それぞれ100人ずつ、合計200人の授業。その中で、プログラムの作り方について質問・相談をしてくれたのは、ひとりを除いて女子学生さんばかりでした。

元々、女子学生が多い大学なので(約7割が女子だそうです)比率的に考えれば、これも当たり前なのかもしれません。男子学生のみなさんもちゃんと作ってたし、分からないことがなかったわけではないと思いますが、こういうところで自分から質問できる、しようとする力は、女性の方が強いのです。

自分で言うのもなんですが、私は一応ソフトウェアの世界ではプロですし、Scratchも子どもたちとそこそこ使っています。

そういう人間にアドバイスを求めるのはめったにないことでしょうし、そういった機会をちゃんとモノにするというのは重要なことです。今回に限らず、色んなシーンで、女性の方がチャンスをモノにしているんじゃないかな。

女子学生の方がコミュニケーションの能力が高いというのを、何かの記事で読んだことがありますが、コミュニケーション力って、そんなに大げさなものじゃなくて、ちょっとしたことなんじゃないか。でも、それってやっぱり重要だなということを、実感しました。

○アドバイスする上での難しさ

プログラミングというのは、唯一の正解がない世界です。それぞれが作りたいもののイメージや難しさもさまざまで、質問・相談内容の詳細度もじつにさまざまです。

やりたいことが具体的にブレークダウンされていて、質問内容が具体的であれば、こちらも具体的なアドバイスになります。

具体化されていなければ、まずは作りたいもののイメージをブレークダウンするところから入っていきますので、アドバイスの内容もプログラミングという作業レベルからは、やや遠いものになります。

しかし、学生さんたちの中に「サクっとやり方教えてくれよ」と思ってる方もいるでしょうから(実際そう言われたわけではありません)自分と他の人で対応が違うと「えこひいき」していると感じられるかもしれません。

その場でも「この話はどのように受け止められているのかな」ということを感じながら、学生さんたちに説明をしていました。

これは、プログラミング以外の授業でも起こりえることとは思いますが、プログラミングのように奥行の広い取り組みでは、なおさら起こりやすいと思われます。

私はプロの教育者ではありませんので、もしかすると先生方はこういうことについての対応方法を身につけておられるのかもしれませんが、これもまた授業の現場に来たからこそ感じられるものだと思います。

○視野を広く持とう

2020年に向けて「プログラミング教育とは」といった議論がいまだに続いていますが、プログラミングの中身以外にも教育の現場には考えなければならないことがある、ということを感じるいい機会でした。

学校の先生はもちろんですが、対象の学年となるお子さんをお持ちの保護者の方も、もっと視野を広く持つ必要があると思います。

今まではプログラミングの中身について伝えることを中心にやってきましたが、今回私が感じた現場感も、保護者の方に伝えていきたいと思います。


【若林健一 / kwaka1208】
https://croads.jp/aboutme/
子供のためのプログラミングコミュニティ「CoderDojo」
https://croads.jp/CoderDojo/


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編集後記(07/02)

●偏屈映画案内:ペコロスの母に会いに行く 2013

レンタル専用パッケージで「映画 ペコロスの母に会いに行く」というタイトル。なぜか「映画」と頭にある。ドキュメンタリーじゃないよ、という意味? ペコロスの母とやらに誰が会いに行くんだよ。ペコロスとは「小さな玉ねぎ」の意味で、そんなハゲ頭になった男が、養護施設に入れた母を見舞う話らしいが、考えるほど変な日本語だ。「会いにいく」と構えるほどの事でもない。

62歳でペコロス状のハゲ頭でバツイチのゆういちは、岩松了。母みつえは赤木春恵、89歳で初主演。ギネス世界記録に「世界最高齢での映画初主演女優」として認定された。2013年第87回キネマ旬報ベスト・テンで、日本映画ベスト・ワン作品だという。緩やかにボケていく母と、ハゲ息子とその息子という一家の、介護喜劇&ファンタジーで、高齢化の諸問題に斬り込むもの、ではない。

ゆういちはこの歳で落ちこぼれ会社員らしいが、家で漫画を描いたり、酒飲みに行ったり、音楽活動をしたり、ずいぶん気ままな生活をしている。母は元気だが、電話の対応が怪しくなり、外に出ては自動車に轢かれそうになったり、徐々に行動が問題になってくる。あちこちの引き出しに、古い下着を大量に詰め込んで隠しているのを発見したゆういちは、愕然とするがうろたえない。

神経症で酒乱の夫・さとる(病気とはいえ本当にひどすぎる男、加瀬亮が好演)が死んでから、みつえは老いこみ、認知症が徐々に進んできた。ここで深刻なほうに展開すると、普通の介護映画になってしまう。みつえはゆういちのことが分らなくなり「あー、悪者がいる、誰かー」と怯えて叫ぶが、ゆういちはうろたえたりせず、帽子をとれば分かるというコントのような場面が微笑ましい。

しかし、ゆういちは、母は俺のことが分からなくなったと泣く。みつえは、泣かんとって、とハゲ頭を撫でる。親から忘れられたのが、あんなにつらいとは思わなかったとゆういちは言うが、そのうちペコロス頭で行ってもみつえの反応がなくなる。みつえは10人きょうだいの長女で、妹が二人見舞いに来るが、もはや反応しないので、帰る二人は「ボケたわねー」とけっこうあけすけ。

ゆういちを演じる岩松了の軽妙なキャラが救いである。認知症の親に真正面から接し続けるのはつらい。わたしの父母は87歳と89歳で逝った。父は常に穏やかで無口、おかしな言動は現れず寝込んだら無反応になり、入院先の病院で夜中に逝った。その後、母は認知症になり、実家ではかなり大変だったようだ。離れた所に住む次男なんて無責任なもんだ。母も入院先で眠るように逝った。

この映画では怖くなるようなリアル認知症シーンはない。岩松了の軽妙な演技で、むしろほのぼの。みつえが見るのは、亡き夫や、幼くて死んだ妹、幼馴染みのちえこたちである。酒乱の夫に悩み深夜の岸壁に立つ若き日のみつえとゆういち、運命を変える手紙……このエピソードはあざとい。作り過ぎだと思う。

長崎ランタンフェスティバルで、過去と現在の登場人物が邂逅する。リアル介護からファンタジーへ大転換。認知症の人のマイワールドか。そうじゃなくて、ご当地映画のお約束シーンであろう。いや、とてもいいシーンなんですが。エンドロールの終わりの方で、原作者とその母の写真が出る。出す必要はなかったような気もする。89歳主演もすごいが、森崎東監督85歳もすごい。(柴田)

映画 ペコロスの母に会いに行く 2013
「ペコロスの母に会いに行く」制作委員会
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00MEZQFQ2/dgcrcom-22/


●クリムト好き!!

/G20続き。日に日に警官の数や警察車両が増えていった。会場近くには船も。他府県の警官が大勢いるのが不思議。

うちの母が早朝に歩いていると、他府県の警官に挨拶されたと言っていた。探りを入れているのだろうが、次に会った時には認識されていて、「警察官って、人の顔を覚えるの早いのね」と感心していた。

大阪府警の出した交通規制案内には、「要人が宿泊するから、ここに記載している付近は規制するよ」という地図があり、テロするならここってこと? と、一瞬思ったよ(笑)。続く。(hammer.mule)