[4826] いつ読むかは大切なこと◇絵心と表現技術

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《3DCGでやるようになって理屈が不要になった》

■日々の泡[013]
 いつ読むかは大切なこと
 【孤独な青年/アルベルト・モラヴィア】
 十河 進

■グラフィック薄氷大魔王[617]
 絵心と表現技術
 吉井 宏




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■日々の泡[013]
いつ読むかは大切なこと
【孤独な青年/アルベルト・モラヴィア】

十河 進
https://bn.dgcr.com/archives/20190710110200.html

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先日、久しぶりに高田馬場駅から早稲田通りを早稲田に向かって歩く機会があり、懐かしくなって、飯田橋ギンレイホールと共に現在も健在な名画座である早稲田松竹の前で上映作品の看板を眺めた。

スチール写真などを貼ってあるウインドウの横にパンフレットを差し込んだスタンドがあったので、上映予定のパンフレットをもらって三月の上映作品を確認すると、まるで45年前の大学時代へタイムスリップした気分になった。

パンフレットには「まぼろしの市街戦」(1966年)「追想」(1975年)「勝手にしやがれ」(1960年)「気狂いピエロ」(1965年)「暗殺の森」(1970年)「水で書かれた物語」(1965年)「手をつなぐ子ら」(1964年)といったタイトルが並んでいた。

49年前、僕は早稲田大学近くの予備校に通っていたので、毎日、高田馬場駅から早稲田まで歩いていた。駅前の芳林堂(今も変わっていない)や早稲田松竹にはよく入ったものだった。たまには沿道のパチンコ屋にも入ったけれど、古本屋と書店と名画座が僕のテリトリーだった。

それにしても、早稲田松竹では時間が止まっているのではないか。ただし、入場料金は大人が1300円、学生が1100円になっていた。記憶が確かではないのだが、僕が通っていた頃は100円か150円で二本立てが見られたと思う。池袋の文芸坐や文芸地下、銀座並木座も同じくらいだった。

当時、150円あればラーメンが食べられた。だから僕は昼食を抜いて、名画座の椅子に身を沈める日々を送っていたのだ。高田馬場から早稲田の予備校まで歩いていたのも、バス代を節約するためだった。

僕は高田馬場から二つ目の池袋で赤羽線に乗り換え、一つ目の板橋駅を降りて五分ほどの滝野川の四畳半一間の安アパートで暮らしていた。僕は貧しく、痩せていて、そして若かった。

そんな思い出が甦ってきたその日、早稲田松竹のパンフレットを見て連想した作家がいた。アルベルト・モラヴィアである。「ベルトルッチ監督の『暗殺の森』は、たしかモラヴィアの『孤独な青年』が原作だったな」と、僕はつぶやいた。

アルベルト・モラヴィアを連想したのは、ゴダール特集として「勝手にしやがれ」と「気狂いピエロ」もパンフレットに載っていたからだ。ゴダールがブリジット・バルドー主演で撮った「軽蔑」(1963年)もモラヴィアの原作なのである。

僕がアルベルト・モラヴィアの名前を知ったのは、中学生のときだった。当時、定期購読していた早川書房発行の「エラリィ・クィーンズ・ミステリマガジン(後にハヤカワズ・ミステリマガジン)」の社告ページでモラヴィアの小説(「無関心な人々」だったと思う)が広告されていた。

その本が、なぜ僕の興味を引いたかというと、「ローマ法王によって発禁になった」というようなキャッチコピーがついていたからだった。当時、イタリアはカトリックの戒律が厳しくて何かというと官能的な小説が発禁になったり、エロチックな映画が上映禁止になっていた気がする。

ピエトロ・ジェルミ監督「イタリア式離婚狂奏曲」(1961年)という映画が上映された時代である。当時、イタリアでは離婚が認められていなかったし、避妊もダメだったから(検温で排卵日を避けるだけのオギノ式はいいんじゃないかという論議があったらしい)イタリア人は子沢山というイメージがあった。

ということから、イタリアで発禁になった小説は、きっと「イヤラシイ」(まだ猥褻という言葉を知らなかった)ものに違いないという短絡的な受け取り方を13歳の僕はしたのである。まあ、幼かったわけですね。その結果、アルベルト・モラヴィアという名前が僕の記憶に深く刻み込まれることになった

しかし、大学生になった頃、モラヴィアが文学的評価の高い作家だと知ることになる。当時、イタリアの作家というと自殺したチェーザレ・パヴェーゼの方が人気があったけれど、モラヴィアはイタリアの重要な現代作家だと教えられたのだ。

そして、アルベルト・モラヴィアの作品が多く映画化されていることにも気付いたのだった。「軽蔑」や「暗殺の森」は評判になったが、その他にも話題作があった。「ローマの女」(1954年)はジーナ・ロロブリジーダ主演だし、「河の女」(1955年)はソフィア・ローレンが日本で注目され、スターになるきっかけになった作品だった。

モラヴィアは、政治的な立場を鮮明にしていた作家だったらしい。そのためか、第二次大戦中はムッソリーニ政権から作品を禁書に指定され、新聞への執筆も禁じられていたという。戦後、ずいぶん経った1984年にイタリア共産党から欧州議会の選挙に立候補して当選した。

「暗殺の森」(原作は「孤独な青年」)はファシストの青年(ジャン=ルイ・トランティニャン)が主人公で、ある人物の暗殺を命じられ、その妻(ドミニク・サンダ)に惹かれていく物語だったが、第二次大戦前の複雑なイタリアの政治状況を背景にしていた。

また「軽蔑」では、女好きの映画プロデューサー(ジャック・パランス)と自分の妻(ブリジット・バルドー)を二人きりにしてしまうシナリオライター(ミッシェル・ピッコリ)は、共産党の党員証をポケットから落とすシーンがある。

政治的(コミュニスト)であり、官能的な物語を書いたから、モラヴィアの作品は厳格なローマ・カトリックによって発禁指定に遭ったのかもしれない。中学生の頃、下賤な目的で手に取らなくてよかったと思う。読んでも理解できなかったろうし、つまらなく思ったに違いない。

大学生になって初めて読んだから、それなりの理解ができたのだろう。いつ読むか、というのは大事なことだと思う。僕は、早くに読み過ぎたと思う本もけっこうあるので、もう一度読み返してみたいと思っているのだけれど、感銘を受けた本がまるで違った印象になったらどうしょうと、少し迷っている。

【そごう・すすむ】

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■グラフィック薄氷大魔王[617]
絵心と表現技術

吉井 宏
https://bn.dgcr.com/archives/20190710110100.html

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先日話題になってた「絵心がある、無い」の件。
(ネタ元がTwitterばかりですいません……)
https://togetter.com/li/1371326


「物を立体的に描けているかどうかが有無の境目」というこの説が正しいとすれば、僕は少なくとも小学校4年までは完全に「絵心がない」ほうだった。

マジンガーZなんかも正面以外から描く発想自体まったくなかった。流行ってたウォーターラインシリーズの影響で、戦艦とか空母とかゼロ戦描くんでも、真横しか描いたことなかった。

で、5年生のときか、友達のS君が「僕も描いてるよ」ってノートを見せてくれたのが、俯瞰というか斜め上からの空母の絵。ものすごい衝撃だったなあ! 天地がひっくり返るような。今まで平面的な捉え方しかしてなかったことがショックだった。

かといって、そこから立体的に捉えた絵をがんばって描くようになったかというと、そうでもなかった。立体的に描いても、楽しくなければ「遊び/娯楽」にならないから。

黒板やノートにマンガのキャラクターをめちゃ上手く描くヤツとか、純粋にうらやましいとは思った。そういえば、マンガの模写ってほとんどしたことがない。小学校時代には友達の家で見せてもらってた少年ジャンプの「トイレット博士」、メタクソ団の気に入ったコマをノート1ページに拡大して描いたくらいか。

誰かの絵そっくりに描いても、あんまり楽しくなかった。自分で考えた絵でないと。中学3年頃にマンガを描くことに興味出てから、ポーズを描く参考に、のび太やルパン三世をちょっと描いてみたことはあるけど。

マンガを描き始めてから、「表現技術」の一つとして立体的に描くことを意識し始めた感じ。「こうすればこうなる」というか、「こう描くとこう見える」っていう技術。

高校2〜3年ときにデッサンなどちょっとだけかじったけど、それもやはりあくまで「こう描いたらこう見えるはずという汎用の理屈を習得」のつもりだったもんね。

デザイン学校前後は、スーパーリアルブームもあって写真みたいに克明に描くと確実に「ウケた」。頑張って時間かけて描くのが楽しかったから、リアル傾向の絵はいっぱい描いた。

ただ、塗りは好きだけど、形を取るのはプロになってからもずっと不得意なまま。でも、「こうすればこうなる」というような理屈でずっと描いてきた。

3DCGでやるようになって理屈が不要になった。思い浮かべたそのまんまの立体を作れば、絵になるんだもん。ZBrushやModoで水を得た魚状態になったのは、そういうわけなのでしたw

いや、小5で立体的な視点にショックを受ける前から「吉井くんは絵が得意」って言われてたんだよ……。学校の絵画展とか工作なんかでも、いつも特選とか金賞とかもらってたし、小4ときには花壇を描くコンクールで県知事賞もらったことあるし。

ひょっとして「子供らしい無邪気で元気な絵」として評価されてた?w 子供が立体的だったり技法を駆使した絵を描いたら、小学校の先生に嫌われそうだな。

あと、手がちゃんと細かく適切に動かせる能力はあこがれ。細かいイラストマップを、シャーペンでどんどん描いていくような。そこは理屈で埋め合わせできない。

絵の上達って、「手が覚える(手癖に取り込む)」部分が大きいけど、不器用すぎて手癖になってくれないorz それでますます「理屈で描く」方面へ。

ところで、「絵心とは」で検索するとちょっと違って、単に絵が好きだったり得意な人(プロは含まないっぽい)かな? 僕が考える天然の素質としては「あやふやな記憶や先入観にとらわれず、ちゃんと観察できたり、適切な形をとれるように手が素直に動く」だと思う。


【吉井 宏/イラストレーター】
http://www.yoshii.com

http://yoshii-blog.blogspot.com/


全国で「クナイが落ちていた」のネタに便乗して、「マキビシ」にまで広げようとしてるツイートがあった。そういえば、近所の池にはヒシ(菱)がいっぱい生えてた。鋭い棘のついた黒くて硬いヒシの実がいくつもついてて、なるほど忍者はこれをマキビシとして使うのねと思った。

どんな形だっけ? と調べてたら、ヒシの実って食べれるんだって! クックパッドにもレシピがw クワイとか生のサツマイモのような食感で、めちゃ美味しいわけではないらしい。台湾では普通に食べられてるそう。
https://bit.ly/322pQIS


○吉井宏デザインのスワロフスキー、新製品がいくつか出ました。

・見ざる聞かざる言わざるの「三猿」
https://bit.ly/2UF4LzF


・フクロウHOOT、踊りたい気分! 「HOOT LET’S DANCE」
https://bit.ly/2Dc6p4Z


・恋に落ちたフクロウHOOTたち「HOOT WE ARE IN LOVE」
https://bit.ly/2BlyBC4



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編集後記(07/10)

●偏屈読書案内:黄文雄「なぜ韓国は未来永劫幸せになれないのか」

この本は日本人には理解できない、大中華に事大(力の弱い者が力の強い者にうまくつかえる)する小中華こと韓国及び韓国人のビヘイビア(行動・態度)を、朝鮮半島の不幸な歴史から読み説くものである。すごい断定タイトルだが、本文を読めば確かにこれしかない。カバーだけにある副題は「中韓を自滅させる準備を始めよ」で、日韓関係が戦後最悪の事態を迎えた今、必読の一冊だ。

小中華のいう「孝」とは中国を「親」として奉る一方で、「弟」である日本は道徳的(ただし韓国から見た一方的な徳)に劣っているので、「兄」である韓国は何をしても許される、と勝手に思いこんでいる。日本人から見てどんな不合理でも不条理でも「反日無罪」になる。差別問題、世代断絶、経済崩壊、倫理喪失など絶望的な国内問題を抱えながら、ある意味幸せな国かもしれない。

大中華と小中華の最大の違いは、大中華は「計算的」なのに対して、小中華は「病的」であり、中国の動きを見て連動する「パクリ」である。中国人は「歴史」よりフィクション(小説)が好きで、小中華はフィクションよりもファンタジーが好きである。いずれにせよ、大小中華のメンタリティは「嘘つき、ホラ吹き、裏切り」であると総括できる。理由は「歴史」を見ればすぐ分かる。

大中華の「反日」は日本の反応を見て損得勘定しながら、得にならないことは絶対しない。小中華の「反日」は感情的というより「病的」である。さらに国策でもある。大統領が代わる度に以前の約束や条約を反故にして、反省と謝罪とカネを要求する。それはもはや行事化して、いつも新しいゆすりたかりのお題目を探し続けている。要するに日本はお人好しの「カモネギ」なのである。

反日のアイデアがないときは、中国史か自国史をモデルにしている。「日帝36年の七奪」「強制連行」「性奴隷」などが、韓国の自国史をモデルに創作したものであると筆者が気付いたのは、話が両班と奴隷の小中華の歴史とそっくりだからである。これはけっして邪推ではない。「小中華の歴史の歩みと文化風土を理解すれば、そのやり口を知ることも決してむずかしいことではなかろう」

小中華の「反日」国策に対し日本の歴代政権は「反省と謝罪」という事なかれ主義の対処を繰り返してきた。外交というより、国内の反日メディアや「進歩的」知識人による「日日問題」だと見る向きもある。「反日日本人に踊らされて、反日狂想曲の大オーケストラに熱狂する人びともまた多いのである」

中韓とも自国内の問題を解決するための常套手段は、日本に目を向けさせることである。まんまと日本が「反省と謝罪」をするから「反日」が止むことはない。ルサンチマン(憎悪)にまみれ、「反日」でなければ民族の誇りを語れない韓国は、道徳的に優位に立つしか方法がない。じつに悲しい宿命を背負う。

では日本はこれからどう進めばよいか。「中韓とどうつきあうか」と考える前に、はたして「つきあうべきかどうか」の再考を促したい、という筆者である。「『どうつきあうべきか』ということは『つきあいたい』と決めた後で考えればよいと思うのである」……「つきあいたくない」という日本人のほうが多いと思う今日この頃。「韓日」が「兄弟」なんて、んなバカな(笑)。(柴田)

黄文雄「なぜ韓国は未来永劫幸せになれないのか」2019 ビジネス社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4828420835/dgcrcom-22/



●タッチペン使ったら、指よりはマシに書けた。初代iPadが出てすぐのタッチペンなので性能は今のものに叶わない。ということで、カタカナでサインすることにした。

/「兄弟関係」は、体育会系なのでちょっとわかる。師範や兄弟子(幹部)の言うことに対して、弟弟子は間違っていると思っていても、「それ俺が言ったんとちゃう。どころか指摘したやん。」と思いつつも、「押忍、すみません」と頭を下げる。

弟子から師範に意見(口答え)はできない。遠回しに話して悟ってもらうか、師範より上の人にお願いするか。でもそんなの面倒だし、仕事じゃないので、皆辞めるか独立するよね。うまくすり寄る人もいるけど、ストレスなしにできるなら、それは才能だと思う。

例外はある。A兄弟子とB兄弟子とで違うやり方を良しとするから、「どっちかに統一して」と言ったことがあるが、弟弟子らにびびられた。男社会なので、女は多少口答えしても大丈夫(笑)。出世街道から外れているので甘いのだ。あ、師範の奥さんに相談するのはアリ。賢い奥さんなら、うまくやってくれる。

会社員もわかると思う。たまに上下ルールを破ったら、閑職に飛ばされたり、パワハラ受けたり。しばらく我慢した上で、後先考えずに爆発するのが常。爆発しないように、慰安旅行や飲み会で意見させてもらえたりするのだけど、最近はそれがないもんなぁ。

で、爆発すると「なんだいきなり」「生意気」ということで、もっとパワハラが酷くなるので辞める羽目になるのだが、裸の王様に長く付き合うのはしんどい。あ、爆発できない人は苦しいよね。

たまにパワフルな人が訴えたりするのだが、訴えられた方はめちゃくちゃうろたえると思うなぁ。理詰めだと、自分が正しいことばかりじゃない。誤解で済んだらいいけど。上の人って、言ったこと覚えてないのよね。

「体育会系」は、グローバル化で消えつつある。体育会系の方が組織は回りやすいので、残るのは中間を極力減らしたトップダウンだろうなぁ。「ルール」は細かく作るのは大変。守らせるのも大変。「理」は、立場で違ってくるから、とことん話し合うのは面倒くさい。

日本は理に叶ってなくても、ずっと謝罪しまくってるから、日本がどう思おうと、歴史がどうであろうと、弟扱いになるんじゃない? 戦後生まれた人にとっては謝罪している姿しか知らないわけだし、再認識させるためか、しょっちゅう謝罪ネタが出てくるし。

謝ってるから水に流そうなんて感覚は日本のものだし、伝わらないと思うなぁ。師範は弟子にたからないしね。あー、大名は守る代わりに下から年貢もらってたか。いや、農民も戦いに出さされてるわ。

中途半端に「兄」なのが面倒なのよねぇ。兄は所属が早かったかどうかだけで、弟の方が強くても意見できなくて、師範が弟を抜擢すると嫉妬して……。「のび太のくせに生意気だぞ」って。あー、まとまらないわ〜。(hammer.mule)