まにまにころころ[162]ふんわり中国の古典(論語・その25)孔子先生の教え 文・行・忠・信/川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito

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コロこと川合です。ちょうど前々回の原稿を書いていた時でしたか、大阪では警官を刺して拳銃を奪うというとんでもない事件が起きていたんですが、今回、京都では、あの衝撃をはるかに上回る大事件が起きてしまいました。

論語だ五常(仁・義・礼・智・信)だといっても、あのような事件の前では、むなしくなるばかりです。孔子先生がいくら人の道を説かれても、あくまでもそれは「人の道」ですので、人の言葉が届く範囲でしか意味を成しません。

道から外れている人にはまだかける言葉もあるでしょうが、同一平面上にさえいないような輩にはなすすべがなく……哀しみを共有する人たちに寄り添って、共に泣くことしかできません。

事件を受けて、火事と選挙がどうのとか、ライターがどうのとか言うような、考えなしの言葉を吐いた輩などには、論語の教えも有効でしょうけども。

大好きな作品をいくつも生み出してこられた方々にふりかかった災厄に、まだ気持ちの整理も追いつかず、この数行を書くだけでも何時間とかかる始末。

このままでは原稿が完成しませんので、この辺で本題に移ろうと思いますが、最後にいくつか、少しは救いのある話をご紹介したいと思います。

・各国大使館が追悼コメント=欧州にも衝撃「心痛めている」
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019071900573

大使館もそうですが、個人含め今回の事件を受けて、世界中から哀悼の言葉が。台湾の蔡英文総統も事件の夜、Twitterに日本語でメッセージを出されました。

Twitterでは事件直後から、特に中国のファンと思われる方々から、哀しみや応援を伝える投稿が多く見られ、また事件の報が広がると共に世界中からコメントが寄せられて、国境や国籍を超えた繋がりを感じました。

・「心は京アニと共に」 海外でクラウドファンディング開始
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1907/18/news115.html

米国のアニメ配給会社がいち早く、支援のためのクラウドファンディングを開始。既に目標額を遙かに上回る金額が寄せられています。

国内では、アニメイトや京都精華大学などが募金活動を始めています。

・京都アニメーション様で発生した事件につきまして
https://www.animate.co.jp/info/278030/

・「京都アニメーション」火災について
http://www.kyoto-seika.ac.jp/info/info/univ/2019/07/19/52586/

こういった動きは、もちろん第一には被害に遭われた方々への支援なのですが、それと同時に、悲嘆に暮れる多くのファンの心も支えてくれます。

つらい、悲しい、でも何もできない、という苦しみは相当なもので。寄付など、ささやかでも「できる何か」の存在は、行き場のない気持ちの受け皿として、集まる金額以上に機能してくれるものです。ありがたいです。

失われたものは元には戻りません。最終的には何とか前を向くしかありません。時間をかけて少しずつ日常を取り戻していきましょう。

では、本題に移ります。






◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」十六

・だいたいの意味

私が数年年齢を重ねて五十になって、易を学べば、大きな過ちもなく過ごせるだろう。

──巻第四「述而第七」十六について

五十じゃなくて七十じゃないかとか、易はこの時代にはなかったのではないかとか、諸説入り乱れるところなんですが、まあいいでしょう。

老いて衰えぬ孔子先生の学習意欲がポイントかな。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」十七

・だいたいの意味

孔子先生が常に語られていたのは、詩経、書経、礼の行い方についてであった。これらについて常に語られていた。

──巻第四「述而第七」十七について

ここも、細かい説があれこれありますが、いずれにしても詩・書・礼の三つを大事にされていたという話です。

詩と礼はなんとなく分かりそうですが、書(書経)は、字面からは内容が想像しにくいですよね。孔子先生が大好きな、古代の聖人である堯・舜についてや、夏・殷・周王朝までの為政者による心構えなどについてまとめられたものです。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」十八

・だいたいの意味

葉公が孔子先生について子路に尋ねたが、子路は上手く答えられなかった。孔子先生は仰った。

どうして答えなかったのか、憤りからは食事も忘れ、楽しみからは憂いも忘れ、老いが迫ることにも気づかないような人であると。

──巻第四「述而第七」十八について

上手く説明できなかった子路への軽口なんじゃないかなと思います。現代なら文末に「(笑)」とつけたくなるような。

ここでは自称ですが、孔子先生は熱く、真っ直ぐな人柄ということです。他の聖人と言われるようなどこか泰然とした仙人みたいな人ではなく、喜怒哀楽のはっきりした、時にはっきりしすぎるくらいの、人間味溢れる先生です。

なお葉公(しょうこう)とは、楚国の重臣で、人望も厚い賢人だったそうです。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」十九

・書き下し文

子曰わく、我は生まれながらにして之を知る者に非ず。古を好み、敏にしてもって之を求めし者なり。

・だいたいの意味

私は生まれながらにして道理を知る者ではない。いにしえの教えを好み、休むことなくこれを追求し続ける者である。

──巻第四「述而第七」十九について

生まれた時から道についてあれこれ知ってたわけじゃないよと。好きなことを追求し続けてきて、今に至るんだよと。

これ、いにしえの教えの部分は差し替えて、何らかの学問に秀でた人が言うと、超かっこいいセリフとして応用できそうなフレーズですね。

孔子先生は、人生のどこかのタイミングでいにしえの教え、古代の聖人の言行などを知って、好きになり、学び続けてきたんですね。

学びて時に之を習う。またよろこばしからずや。とも有り、遠方より来たる。また楽しからずや。(「学而第一」一)

学んだり、復習したり、そういったことを訪ねてきた友だちと語り合ったり。好きから始まって、喜び、楽しみ、なんか孔子先生がにっこにこしながら語る顔が思い浮かびますね。

之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。(「雍也第六」二十)

孔子先生自身のこの言によれば、道を学ぶことにおいて孔子先生は最強ですね。

学問に限らず、何かそこまで打ち込めるものがある人、羨ましいです。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」二十

・書き下し文

子、怪力乱神を語らず。

・だいたいの意味

孔子先生は、怪異・暴力・乱心乱行・鬼神については語らなかった。

──巻第四「述而第七」二十について

オカルトをはじめ、言っても仕方のないこと、理屈じゃないものを話題にすることは避けたと。現代で言えば、政治と宗教の話を避けるようなものですかね。

正解がないような話や、理屈じゃねえんだよってな話は、語ったところで益も結論もまあ見えないですから。肯定するでも否定するでもなく、公には話題にしないのが君子というものってことかなと。危うきに近寄らず。

民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざく。知というべし。(「雍也第六」二十二)

鬼神に限らず、信仰や超常的なもの、また個人の信条や思想などについては、真実は個々の頭の中にしかないし、周囲に迷惑をかけない限りは、尊重すべきですから、「敬して之を遠ざく」という態度がスマートですね。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」二十一

・書き下し文
子曰わく、我れ三人行なえば必ず我が師を得。その善き者を択びて之に従う。その善からざる者にして之を改む。

・だいたいの意味
三人いれば、そこには必ず私の師を見つけられる。その善い者を選んで見習い、善くない者を反面教師とする。


◎──巻第四「述而第七」二十一について

そのままですね。前に出てきた、

賢を見てはひとしからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省りみるなり。
(「里仁第四」十七)

これと同じ話です。

そう思って世の中を見渡せば、学びに溢れていますね。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」二十二

・だいたいの意味

天が私に徳を生じさせられたのだ。桓タイなどに私をどうにかできようか。

──巻第四「述而第七」二十二について

桓タイとは宋国の重臣で、孔子を殺そうとしていました。自信にも強がりにも見えますが、動揺する弟子を落ち着けようとしたんじゃないでしょうかね。

怪力乱神を語らずという孔子先生ですから、信仰的な意味合いで天がどうのと言ったわけではないと思います。

ちなみに孔子先生はこのほかにも命を狙われたことがあります。人違い含めて。それでも孔子先生は天寿をまっとうされているので、天もついているのかも。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」二十三

・だいたいの意味

きみたちは私に何か秘密があると思っていないか。私は何も隠さない。私は、行動する時、きみたちと共に行動しないということはない。それが私だ。

──巻第四「述而第七」二十三について

私はいつもありのままをさらけ出している。

私はいつも君たちと共にある。

出陣前に大将が叫ぶと、士気が爆上がりしそうな言葉ですね。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」二十四

・書き下し文

子、四つをもって教う。文・行・忠・信。

・だいたいの意味

孔子先生は四つのことを教えられた。
文:読書、学問について。
行:行動、実践について。
忠:誠実さ。つとめを果たそうとまごころを尽くす心。
信:信義。友情を大切にし誠実であろうとする心。嘘をつかず人を欺かない心。

──巻第四「述而第七」二十四について

孔子先生の教えを端的にまとめるとこの四つである、と。学びと実践、そしてその裏付けとなる心のあり方。

門下としては、この四つの教えに即しているか、我が身を振り返る指針のようなものでしょう。

曾子曰わく、吾れ日に三たび吾が身を省みる。人のために謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。習わざるを伝うるか。(「学而第一」四)

この曾子の「三省」は、まさにそんな感じですよね。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」二十五

・だいたいの意味

聖人には私は会えないが、君子に会うことができるなら、それでいい。善人には私は会えないが、常に言動に筋の通った者に会うことができるなら、それでいい。

無いものを有るとして、空っぽなのに満ちあふれてるようにみせかけて、貧窮しているのに豊かであるように装う、そんな風では難しいね、常に言動に筋を通すことは。

──巻第四「述而第七」十七について

ここの「善人」は「ぜんじん」と読んで、聖人に準ずる立派な人を指します。

伝説上の偉人たちには会えなくても、その教えを体現している人に会えるならそれでいいんだけど、見栄を張った振る舞いをするようでは、その域に達するのは難しいから、なかなかそういった人に会うのも難しいね、といったところでしょうか。

弟子にとって孔子先生は、ここでいう聖人や善人の代わりになり得る存在かもしれないですが、孔子先生は孔子先生に会えないですしねえ。


◎──今回はここまで。

その善き者を択びて之に従う。その善からざる者にして之を改む。

賢を見てはひとしからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省りみるなり。

大は京都の事件から、小は吉本の闇営業まで、ここ数日はスマホでずっとSNSやニュースを見まくる日々でしたが、孔子先生の教えが身に沁みます。

基本的に孔子先生って、あたりまえのことを言ってるだけなんですけどね。

忠と信の心を持って学び、そして学んだことを実践できるかというと、難しい。毎度習わざるを伝うるばかりの私には、君子への道は遙か遠いです。


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
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