[4839] 複数コミュニティ◇1998年のオブスキュア界隈◇紙の本の良さを知る

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《教科書のデジタル化は必要?》

■装飾山イバラ道[250]
 今日はあなたはどっちのあなた? 〈複数コミュニティ〉
 武田瑛夢

■Scenes Around Me[55]
 1998年に撮影されたオブスキュア界隈の写真
 関根正幸

■crossroads[69]
 出版のプロセスで紙の本の良さを知る
 若林健一




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■装飾山イバラ道[250]
今日はあなたはどっちのあなた? 〈複数コミュニティ〉

武田瑛夢
https://bn.dgcr.com/archives/20190730110300.html

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職場、家庭、習い事、スポーツジム、親戚、幼馴染、SNS。自分が存在する色々なコミュニティには、それぞれの自分がいる。

いつも思うのは、それぞれ付き合う人間によって、まったく違う自分の側面が見えてくることだ。例えば、職場では真面目すぎるような人も、趣味仲間たちの飲み会では面白い人として知られているなどは、よくあることではないだろうか。

●親しい人間の複数の側面

子供の頃うちの母が故郷の新潟の弟と電話で話した時、いきなり飛び出す方言に驚いたものだ。普段の母からは決して出てこない、ネイティブ新潟弁がスラスラと出てくる。相手と自分をオレやオメと言いながら話すのにはショックを感じた。

私たち姉妹は夏休みになれば新潟に預けられていたので、新潟の言葉もそれなりに聞いていたはずだ。だから言葉そのものに驚いていた訳ではない。電話がかかってきて、いきなり新潟弁にチェンジする、その切り替えの早さに驚いていたのだと思う。

人は、幾つもの場所で人生を生きながら、その場その場に馴染むように自分を変えていくのだ。

自分にも親の知らない世界が広がり始めるのは、小学校へ行ってからだろうか。

小学校の授業参観。何やら緊張して居心地の悪いものだった。学校という場で、先生や友達の前でだけ存在していた自分の場所に、親が突然現れるのだ。

だからこそ貴重な機会なのだろうけれど、二つの場所で存在していた自分が、初めて一緒になることに困惑する。

先生のいる黒板の方へ顔を向けている「学校の自分」と、振り返れば教室の後ろに来ている母と目が合う「家の自分」。今日はどっちの自分でいればいいのだろう。

内弁慶なのがバレるとか、案外優等生なのがバレるとか、どっちの場合でも気恥ずかしいのだ。

私は経験がないけれど、親たちも身綺麗にして先生たちに会うのだから、その緊張は大変なものだろう。自分の子の前で真面目モードを見せるのは、なかなか照れ臭いのではないだろうか。いやそんなことより、成績やその他諸々のことが重要か。

●コミュニティごとに自分を調整する

パソコン通信を始めた頃の昔の自分は、不慣れなパソコンのことを何でも聞けるように、教えてくれる人を求めていた。ニフティのフォーラムでは様々な質問をした。

今思えば、自分が求めていることが聞きやすいように、自分の側面をコントロールしていたのかもしれない。教えてくれる人が、話しかけやすい人であろうとしていたのだ。

そもそも、文字だけのコミュニケーションなら、見せたい自分の側面だけを相手に向けて、やりとりすることも可能かもしれない。期待されているキャラクターでいつづけることもできそうだ。

最近のSNSでは、趣味や用途ごとに複数アカウントを持っている人も多い。文字のコミュニケーションでも何通りもの顔を持つのだ。管理が大変ではないかなと思うけれど、自由に存在の仕方を決められるなら、それも良いのかもしれない。

そうやって、複数のコミュニティで存在する自分。どこが居心地が良いかで、自分に向いている環境とはどんなものなのかに気がついていくと思う。

●繋がりの維持

コミュニティが大切なものに思えてくると、繋がりを維持したいと思うようになる。これが、リアルにも会う人たちのコミュニティの場合は、維持は難しくないだろう。

しかし、匿名性のある会ったことのないコミュニティの友人の場合、相手がSNSをやめてしまったり、自分のアカウントに障害が出て繋がらなくなってしまうと、関係が切れてしまうかもしれなくて不安になる。

大事な関係なら、連絡先を交換しておけば済むのかもしれない。ただ、名前や連絡先を交換したら、そこからはリアルな関係へと移動をしてしまうわけだ。当たり前だけれど、ここは重要な点だと思う。

匿名で気楽に何でも話し合えていた関係とは、違うことにならないだろうか。これはなかなかすぐに答えが出せないことかもしれない。匿名のアカウントネームで仲良くなり、そのまま仲良くい続けられるものか?

以前、アカウントネームだけのオフ会もテレビで見たけれど、帰るまでずっと実名を明かさなかったのだろうか? まぁ、その時の流れだろうけれど、あらゆるパターンが考えられるなぁ。

●コミュニティの可能性

多くの異なるコミュニティで存在すると、自分を変えてくれる、良い方へ導いてくれると感じられる場所を見つけることがある。

力強くて尊敬できる人が多く集まり、素晴らしい人たちなのに不思議と劣等感を感じることなく居心地も良い。そこへ参加できるだけで嬉しくなってくるような、大切な場所だと考えるようになる。

自分が尊敬できる人たちなのに場違いとも感じさせないのは、そこが本当に自分に合っている場だからだと思う。得るものが多いだけでなく、楽しいと感じられることが大切だと思う。

この時代、無理に我慢し続けなければならない場所などあるだろうか。もし、一時期的にそういうつらい状況になっていたとしたら、別のコミュニティを増やすことで改善するように思う。

幾つもの場所と繋がりながら、新しい場所を求めることは悪いことではない。自分が変わるのだから、コミュニティ内での立ち位置も変わってゆくのだ。

私は本名とペンネームが既にある訳だし、どの自分が一番本来の自分に近いのかなんてなかなかわからない。まだ自分も知らぬ、新しい自分も掘り出せるかもしれないのだ。

それは私と出会ってくれる人によって、引き出されるような気がしている。


【武田瑛夢/たけだえいむ】
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/


Kindleを買ってから、本はよく買うけれど思ったよりもマンガを読まない。
Kindle Unlimitedのお試しに入ってみたのでマンガ読んでみようかな。


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■Scenes Around Me[55]
1998年に撮影されたオブスキュア界隈の写真

関根正幸
https://bn.dgcr.com/archives/20190730110200.html

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豪徳寺時代のオブスキュアで撮った写真は、それほど多くはないのですが、そのためかえって印象に残っているものがあります。今回は短い記事になりますが、当時の写真に簡単な説明を付けて紹介します。

https://live.staticflickr.com/65535/47964980492_6979bdaf2a_c
△1999年1月23日
この日は壁に何かの映像を投影していました。その様子を棚の上にカメラを置いてタイマー撮影しました。写真の右側にひさとし君が写っています。

https://live.staticflickr.com/65535/47965004943_a0b8602fa8_c
△1999年1月27日頃
打ち合わせをする武盾一郎さんとコーキくん。

https://live.staticflickr.com/65535/47964946802_ec63d2a5d8_c
△1999年2月11日
この日はオブスキュアのパーティーでした。パーティーの様子は何枚か撮影していますが、後日スキャンしたのは、床の間のポプリを撮ったこの写真だけでした。

https://live.staticflickr.com/65535/48383907181_403455866b_c
△1999年5月7日
駒場寮からの引越しで運んだテレビモニターは、庭の片隅に積まれていました。

https://live.staticflickr.com/65535/48384049187_df91a992a2_c
△1999年8月12日
テーブルの上にチュンジくんを型取りしたものが置かれていました。カメラをテーブルの上にじかに置いて撮影したところ、ライトやモニターも写り込んでスペーシーな写真になりました。写真は縦位置になるようにトリミングしています。

https://live.staticflickr.com/65535/48383906851_26cb7d9d4e_c
△1999年8月25日

この頃、コーキくんは駒場寮時代に撮り集めた映像を編集して、映画「W/O」の製作を行なっていました。

この日は、映画のオープニングに使うため、ルドルフのパフォーマンス映像の撮影を代々木八幡のスタジオで行い、私も録音の手伝いをしました。

ただし、私はガンマイクを使ったことがなかったため、ケーブルを床に垂らしたまま移動してしまい、ケーブルが床に擦れる音も録音されていた、という話を藤乃屋舞さんから聞きました。

ルドルフは全裸で下腹部に三本目の脚を付けてパフォーマンスを行いましたが、写真はルドルフの足元を撮ったものです。

https://live.staticflickr.com/65535/48383904236_3d208e68a7_c
△1999年9月5日
前の年にオブスキュアギャラリーで写真展が開催された浜田蜂朗さんの写真が、同じくオブスキュアギャラリーで使われた額縁に収められていました。

https://live.staticflickr.com/65535/48383906661_768888ab5f_c
△1999年9月20日
柱に壊れたタイプライターが掛けられています。背後に安彦幸枝さんの写真がぼんやりと写っています。

https://live.staticflickr.com/65535/48383907436_6910176361_c
△1999年11月10日
ソファの上にイトヒサくんの絵が置かれているのを撮影しました。

https://live.staticflickr.com/65535/48384046422_668b04005d_c
△1999年12月22日
コーキくんの机。机の左にOBSCURE5号の表紙に使われた浅野忠信さんの絵が写っています。


【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://sekinema.com/photos


1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔


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■crossroads[69]
出版のプロセスで紙の本の良さを知る

若林健一
https://bn.dgcr.com/archives/20190730110100.html

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こんにちは、若林です。

前回お知らせしました「mBotでものづくりをはじめよう」が、無事に発売日を迎えました。

一足先にお届けできたみなさんには、私たちがこの本の出版で意図した通りの感想を持っていただけことを、とてもうれしく思っています。

意外だったのは、こちらの記事が私の周りでかなりシェアされていたこと。

crossroads[68]「mBotでものづくりをはじめよう」発刊!/若林健一
https://bn.dgcr.com/archives/20190716110100.html


期せずしてデジクリの宣伝にも一役かったかもしれません(笑)。

■本は紙が断然読みやすい

執筆、校正の過程で何度も読んだ原稿も、デジタルではそのボリュームの実感がつかめませんでした。製本されたものを手に取ってみて、自分が関わった仕事量にあらためて気づかされます。ようやく自分が本に関わったという実感がわきました。

同じ本でも、やはり紙の本の方が読んだという実感を感じることができます。

今はデジタルでなんでも発信できる時代ですし、デジタル媒体で発信したものから収入を得る方法も多数あります。リファレンスとしては、検索が使えるデジタルの方が圧倒的に便利です。

それでもやはり、紙の本というのはいいものです。

校正を進める上でも、PDFを画面で読むのと印刷したものを読むのでは、頭に入ってくる感じがまったく異なっていました。

PDFを画面で読んでいるだけだと、あまり頭に入ってこないのですが、紙で読むとしっかり消化できている感じがあります。

初校は紙に書きこんだものをお渡ししました。これを全部デジタルでやってたら、多分今頃まだ世の中に出てなかったでしょう。

私の個人的な感覚かもしれませんが、同じように感じている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

■教科書のデジタル化は必要?

そんなことを考えていたら、学校ICT化のテーマのひとつ「教科書の電子化」というのも、良し悪しかもしれないと思えてきました。

デジタルでしかできない表現(動画での説明や写真の拡大など)を積極的に取り入れれば、また違ってくるでしょう。でも、今紙で提供しているものをただデジタル化しただけでは、メリットがないように思います。

そんなことないのかな、今の子どもたちはデジタル機器に慣れているから大丈夫なのかな?

紙の教科書だとメモを書き込んだり(タブレットでもできるかもしれないけど、紙の方が書きやすい!)、読み返したいところをパラパラっと探すのも紙の本の方がやりやすい!

落書きをしたり、端っこを使ってパラパラ漫画を描けるのも、紙の教科書だからできる。

プログラミングのワークショップで、キャラクターをアニメーション化する時のひとつの例として、パラパラ漫画を持ち出すことがよくあります。

少しずつ異なる絵を連続して表示させると、キャラクターが動いて見える。これを説明する上で良い例がパラパラ漫画なんです。

今でも教科書にパラパラ漫画を描いてる子は結構います、もうパラパラ漫画とか通じないかなと思っていたけど、そんなことありません。

教科書が全部タブレットになってしまい、パラパラ漫画が描けないようになってしまったら、何をモチーフにアニメーションの仕組みを説明すればよいのだろう?

これこそ、私の個人的な事情かもしれないけれど(笑)。

■紙の本の良さを知ってください

今回、出版というプロセスでデジタルと紙の両方に触れてみて(そして、その分量に驚いて)あらためて紙の本の良さを実感しました。

というわけで、紙の本の良さを実感できるちょうど良い本、絶賛発売中ですのでよかったら読んでみてください。

mBotでものづくりをはじめよう
https://www.amazon.co.jp/dp/4873118794/


2~3冊ぐらいあると、枕としても使いやすい高さになりますので、夏のお昼寝にもピッタリですよ!


【若林健一 / kwaka1208】
https://croads.jp/aboutme/

子供のためのプログラミングコミュニティ「CoderDojo」
https://croads.jp/CoderDojo/



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編集後記(07/30)

●偏屈読書案内:藤原正彦「管見妄語 失われた美風」

週刊新潮で丸10年続いた連載「管見妄語」の最後のまとめ本である。この10年間は辛かった。とりわけ2011の東北大震災後は連載を書き続けるのが苦痛だったという。わたしは起承転結がしっかりした筆者の文体(&うぬぼれ)が好きで、このシリーズも読み続けたが、最後の巻はやや精彩を欠く。タイトルとなった「失われた美風」も最後の数行「グローバリズムからの穏やかな離脱こそが、かつての道徳的美風を取り戻すための道筋となろう」だけに納得した。

PC(ポリティカリー・コレクト)とは「弱者優遇こそ正義」という教義で、大多数の弱者の不満をかわすため、グローバリズムの利得者(各国の支配層)が導入したアメである。狡猾な目眩ましに過ぎないが、一見当然中の当然に見えるから一気に世界中に広まった。ところが弱者とは誰かが明確に定義できない。

筆者が大学にいた頃、ある女性教授が「教官数を男女同数にすべき」と発言した。PCを意識して誰もが口をつぐんだ。筆者は「日本の博士課程在籍者は男性が圧倒的だから教官数の不均衡は仕方ない。このままで教官を男女同数にすれば研究レベルが著しく低下する」と言った。正論! おそらく恨みを買った。

ここ20年ほどのEUへの移民急増についても、各国の治安や国柄を保つための許容量をとっくに超えていたのに、PCのため誰も反対を唱えられなかった。「差別主義者」の烙印を押されるからだ。もうとりかえしのつかないほどヨーロッパは荒廃した。各国でナショナリズムが活発化している。日本はこれを学ばず、同じ轍を踏みつつある。ああ、いやだいやだ。和製トランプ出現してほしい。

わたしは紳士ではないから野卑なトランプがけっこう好きだ。トランプは演説中に騒いだ人々に対し、「ゲレムアウタヒア(Get them out here:あの連中をつまみ出せ)と卑俗な発声と表現で叫んだ。英国紳士がトランプを嫌うのは、最も大切な「ユーモア」がない、状況に呑み込まれず、いったん自らを外に置き俯瞰するという「バランス感覚」がないところだと筆者は分析する。

そういう筆者も散々イギリス人からバカにされてきた。イギリスに移り住んで間もなくのころ、大学での食事中に同僚に「それはアメリカ流だ」とフォークの持ち方を笑われた。外国人登録で警察に行くと「アメリカに住んでいただろう」と言われ、タクシーの運転手には「アメリカ人でしょ」と言われた。ようやく見下されていることに気付く。彼らの表情にいつも含み笑いがあった。

八百屋で「トメイト」と言ったら、「それはアメリカ方言で、ここではトマト」と直された。いやな国民だな。階級社会で、中上流とそれ以外とは、考え方も好みも全然違う。前者が好むのはワインやナッツ、後者はビールやフライドポテト。前者の贔屓は保守党やラグビー、後者は労働党やサッカー。ところが、アメリカ的なものを見下す、という点では完全一致する。やな国だね〜。

週刊新潮で筆者が「管見妄語」を連載したのは、山本夏彦が23年間「夏彦の写真コラム」を連載した場所だ。「三人寄れば文殊の知恵は嘘だ。バカが三人寄れば、三倍バカになる」と誰も言えない真理が書かれたところだ。山本翁のように言い切る度胸も能力もないと、一度断ったが7年後、定年退職後に再度依頼されて引き受けた。3枚半の原稿で毎週締切。おつかれさまでした。(柴田)

藤原正彦「管見妄語 失われた美風」2019 新潮社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4103274158/dgcrcom-22/



●ある時期のイギリスの音楽が好きで、二度行ったよ〜。イングランドと言うと、グレートブリテンに訂正させられたなぁ。日本人の私には、皆優しかったよ。ロンドンではお財布を盗まれそうになったけど!

/武田さんのを読みながら頷く。そうなの、そうなの。

/かの有名なコストコに連れて行ってもらった。初体験。IKEAに行った時みたいに、自分が小人になった気がした(笑)。

天井は何メートルあるんだろう。普段行くスーパーの数倍はあって、どうしてもその天井の高さやお店の大きさが基準になってしまい、商品の大きさを見誤ってしまう。

たとえばドレッシング。普段使っているのと同じ商品ではあるものの、容量の数値を覚えていないため、大きいサイズだとは認識しつつ、ひとまわり大きいぐらいの感覚しかない。

帰宅してテーブルに並べて、初めて大きすぎることに気づいた。5倍はある。賞味期限内に使い切れるんだろうかと不安になった(笑)。(hammer.mule)