[4842] 孔子先生は、ただただ実直に学び、学んだことを教える◇平成最後の猫騒動

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《猫ワールドの崩壊と再生と》

■まにまにころころ[163]
 ふんわり中国の古典(論語・その26)
 孔子先生は、ただただ実直に学び、学んだことを教える
 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito

■クリエイター手抜きプロジェクト[589]雑談編
 平成最後の猫騒動
 古籏一浩




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■まにまにころころ[163]
ふんわり中国の古典(論語・その26)
孔子先生は、ただただ実直に学び、学んだことを教える

川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito
https://bn.dgcr.com/archives/20190819110200.html

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コロこと川合です。暑いですねえ……他に言葉が出てきません。昔の人はよくこの夏の暑さに耐えられたものですね。

温暖化だなんだとは言っても、冷蔵庫も扇風機もエアコンもある二十一世紀。昔よりもはるかに過ごしやすいはずなんですが、気温を聞くだけで汗が出ます。

暑さで体温調節がままならず、体の芯に熱がこもってしまうと熱中症に。これ、いったん熱がこもるとなかなか回復しないそうで、炎天下から帰ってきた後に、涼しい部屋で亡くなってしまうようなこともあるそうです。

なお、熱中症になってしまった場合、ともかく体を冷やすことが大事。よく、太い血管が通っている首筋や脇の下を冷やすといいって言われますが、それで解決するほどには効果は高くないそうです。水をかけてあおぐなど、あれこれ合わせ技で臨みましょう。

氷風呂に浸けるのが一番いいらしいですけど、準備してる間にアウトですね。素人には加減も分からず、冷やし過ぎ、なんてこともありそうですし。

長々と書いてしまいましたが、「熱中症」でググってもらったほうが早いです。倒れる前に情報を得て、なんとか回避してください。

・熱中症について — 公益社団法人全日本病院協会
https://www.ajha.or.jp/guide/23.html


・『はたらく細胞』緊急掲載! 熱中症の体内がホラーすぎてヤバい話
http://news.kodansha.co.jp/6486


・ポカリスエットweb movie|はたらく細胞第11.5話
熱中症〜もしもポカリスエットがあったら〜


では、本題に移ります。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」二十六

・だいたいの意味

孔子先生は、釣りはされても、はえなわ漁のような仕掛けは使われなかった。糸のついた矢で鳥を絡め取られても、巣の鳥を射られはしなかった。

──巻第四「述而第七」二十六について

要は、狩猟をされる際も節度ある方法を選ばれていたという話。

はえなわ漁というのは、縄を張ってそこからいくつもの釣り糸がさがっているような仕掛けを用いる方法です。糸のついた矢で、というのは、いぐるみ、と呼ばれる方法で、糸で絡め取ることを目的としたものです。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」二十七

・だいたいの意味

十分な知識がないのに勝手に話を作る者がいるらしい。私はそのようなことはしない。多くのことを聞いて、その中からいいものを選んで従い、多くを見て、その中からいいものを選んで記憶する。物知りに次ぐあり方だ。

──巻第四「述而第七」二十七について

ろくに知りもしないで想像で勝手な講釈をたれる輩……私です。(笑)

前々々回、「述而(じゅつじ)第七」一には、

子曰わく、述べて作らず。信じていにしえを好む。

とありました。

「古い教えを述べ伝えるが、自ら作りはしない。古い教えを信じて好む」と。

前回の「述而第七」十九には、

子曰わく、我は生まれながらにして之を知る者に非ず。
古を好み、敏にしてもって之を求めし者なり。

とありました。

孔子先生は、まず十分な知識を求めるんですね。なんでも知ってるような人が最上とすれば、それに次ぐ、次善のことなんだよと。ここでの「知識」の対象は、礼や聖王の業績などです。

孔子先生の知識量は、実際は自他共に認めるところでしょうけど、そこは軽く謙遜する孔子先生。でも知識を探求する態度には、いくらか自負を感じます。

何かを学び向上しようとする時、知りたいと思う気持ち、好奇心、探究心って、最強の武器ですよね。最強というか、思いの強さがそのまま成果にあらわれる。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」二十八

・だいたいの意味

互郷(地名)の人とは語り合うことが難しいものだが、そこで子供が孔子先生に面会した。門人は怪訝に思った。
孔子先生は仰った。

その子の進もうとする気持ちに力を貸したのだ。退く気持ちには力を貸さない。怪訝に思うのはひどい話だ。人が、真っ直ぐな姿勢で進もうとするなら、その姿勢に力を貸す。帰ってからのことは保証しかねるが。

──巻第四「述而第七」二十八について

柄のよくない地域というか、ちょっと困った住人が多いことで知られている、互郷という地域があったようです。

そこの子供が孔子先生の話を聴きにやってきて、孔子先生がそれを受け入れたことに、門人は「え? いいの? ヤバくね?」って思ったんですね。

孔子先生はそれを知って、諭したと。

いくらか異説はありますが、概ねそんな話です。

前にも出てきましたが、孔子先生は、最低限の礼をつくして学びたいとやって来る人は、誰でもオープンに受け入れます。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」二十九

・読み下し文

子曰わく、仁遠からんや。我れ仁を欲っすれば、ここに仁至る。

・だいたいの意味

仁とはそんなに遠いものだろうか。自分が仁を欲すれば、仁はすぐやってくる。

──巻第四「述而第七」二十九について

最高の徳目とされる仁。でも、遙か遠くにあって到達できないようなものではないんだよ、と。求めればすぐに、仁のほうからやってくるんだよと。

なんだか、孔子先生がにこにこしながら話してる姿が目に浮かびます。(笑)


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」三十

・だいたいの意味

陳国の司法官が孔子先生に、
「(孔子のいた魯国の)昭公は礼を知っていたでしょうか」と尋ねた。

孔子先生は「知っていたでしょう」と答えられた。

孔子先生が退室されると、司法官は(孔子の門人である)巫馬期(ふばき)に会釈し、前に進ませてから伝えた。

「私は、君子は身びいきしないと聞いていたが、君子も身びいきするのだな。昭公は呉国から夫人を娶られたが、同姓であったため呉孟子と呼ばれた。その昭公が礼を知っているというのなら、礼を知らない者はいないだろう」と。

巫馬期は孔子先生にこのことを伝えた。孔子先生は仰った。
「私は幸せだな。もし過ちがあれば、人が必ず気づいてくれる」と。


◎──巻第四「述而第七」三十について

長いし、何人も出てくるし、話もちょっと分かりにくいですね。

当時、同姓の結婚は礼に反することだったんです。昭公はそれを破って同姓の夫人を娶られ、呼び名に姓を含めないことでごまかすことにしたんです。

魯国の王室と呉国の王室は、元をたどれば同じで、姓は「姫(き)」です。

陳国の司法官はそのことを知っていたので、意地悪い質問をしたんですね。

あとはまあ書いてあるとおりの話なんですが、孔子先生は素直に過ちを認めた、という説と、孔子先生もそんなことは百も承知で、相手の意図も分かった上でさらっと流そうとした、という説があります。

孔子先生が百も承知なのは当たり前ですが、元々自分の君主ですし、身びいきはしないまでも、非難するのもはばかられる。ようするに、面倒くさい話題というわけです。で、相手にしないでおこう、と。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」三十一

・だいたいの意味

孔子先生は、人と歌って、上手だったら必ずもう一度繰り返させ、合唱した。

──巻第四「述而第七」三十一について

現代のカラオケを想像すると、こんな面倒くさいおっさんは嫌です。(笑)

でもここは当時の歌会。漢詩を朗々と歌い上げる様子を想像するとしましょう。「いいねえ、今の歌、いいねえ。もう一回、やってよ」って言いながら自身も声を合わせて一緒に歌い上げる。

……楽しそうですよね。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」三十二

・だいたいの意味

学問については私は人並みにできるが、君子のあり方を実践するのは私は未だ十分にはできないでいる。

──巻第四「述而第七」三十二について

人並みに学べてはいるんだけど、実践はまだまだ不十分でねえ、という謙虚な自己分析ですね。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」三十三

・だいたいの意味

孔子先生が、聖人や仁者のごときに私はとてもおよばないが、学びを嫌がらず、人に教えて飽きることも無い人間だとは言ってもらっていいだろうと仰った。

公西華は、まさにそれこそ弟子には真似できないことですよと言った。

──巻第四「述而第七」三十三について

そのままですが、前々々回の「述而(じゅつじ)第七」二にも、

子曰わく、黙して之をしり、学びて厭わず、人をおしえて倦まず。
何か我にあらんや。

とありました。

黙って記憶し、学びを嫌がらず、人に教えて飽きることも無い。私にとっては何でもないことだ、と。

孔子先生は、ただただ実直に学び、学んだことを教える。

本当にそれが好きなんですね。そして、おそらく弟子が最も尊敬する点がそこなんでしょう。なんといってもこの『論語』の冒頭が、

学びて時に之を習う。またよろこばしからずや。

ですから。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」三十四

・だいたいの意味

孔子先生が重い病気になられた。子路は、祈祷したいと願い出た。

孔子先生は仰った。そんな祈祷の例があるのか、と。

子路は、古いルイという文章には「なんじを上下の神祇に祈る」という言葉があります、と答えた。

孔子先生は、そんな祈りなら私はずっと昔から祈っているよ、と仰った。

──巻第四「述而第七」三十四について

前回、「述而第七」二十で、

子、怪力乱神を語らず。
(孔子先生は、怪異・暴力・乱心乱行・鬼神については語らなかった)

とありましたよね。孔子先生は、超常的な力、オカルトは否定派です。否定派というか、積極的に関わらない、「敬して之を遠ざく」というスタンスです。

だから、せっかくの子路の申し出ですが、祈祷なんて望まないんです。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」三十五

・書き下し文

子曰わく、奢ればすなわち不孫、倹なればすなわち固し。
その不孫ならんよりはむしろ固しかれ。

・だいたいの意味

贅沢をすれば不遜になり、倹約すれば頑固になる。
不遜になるよりは頑固であれ。

──巻第四「述而第七」三十五について

ようするに、頑固でもいいから慎ましく生きる方がいい、ということです。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」三十六

・書き下し文

子曰わく、君子は坦として蕩蕩たり。
小人はとこしなえに戚戚たり。

・だいたいの意味

君子はゆったりとおだやかでいる。
小人はいつまでもくよくよしている。

──巻第四「述而第七」三十六について

君子は小さなことに思い煩うことなく、小人は何かをいつまでも憂いていると。

蕩蕩(とうとう)、戚戚(せきせき)は、日本語でも使われます。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」三十七

・書き下し文

子は温にしてはげし。威にして猛ならず。恭にして安し。

・だいたいの意味

孔子先生は、温厚でいて激しい厳しさもある。威厳はあるが猛々しくはない。
慎み深いが堅苦しくはない。


──巻第四「述而第七」三十七について

孔子先生の人となりを語ったものですが、孔子先生が君子を語ったものとする説もあります。

いずれにしても、孔子先生がこんな人だったと考えて差し支えないでしょう。


◎──今回はここまで。

今回少し長くなってしまいましたが、これで巻第四「述而第七」は終了です。
次回からは、巻第四「泰伯第八」に入ります。

述而は三十七章ありましたが、泰伯は二十一章。さくさく行きましょう。


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
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■クリエイター手抜きプロジェクト[589]雑談編
平成最後の猫騒動

古籏一浩
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最近のM5 Stackの記事が難解だと言われる柴田編集長のために(?)たまには分かりやすいネタを書くことにしました。農業編というのもあるのですが、それよりももっと分かりやすい、動物ネタにしました。

それは、ずばり、猫(ねこ)です。
♪ねこねこGoGo(55) ♪ねこねこGoGo(55) ←Eテレ
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人間が飼うペットとして、猫派と犬派に分かれるみたいですが、うちの近所ではほとんどが猫です。というのも、理由があります。うちの周辺はとにかくネズミが多いのです。

中学生の頃には、寝ている枕元をネズミが走っていくなんてことは日常茶飯事。道路ではネズミが車にひかれて、潰れていることもありました。ただ、最近はネズミが車にひかれているのをあまり見ません。

道路(県道)を渡らなくても、ネズミの住処(活動範囲)となるエリアが広くなったからかもしれません。空き家が増えたというのは理由のひとつでしょう。うちのとなりも、そのとなりも、その近くの家も空き家です。

とにかくネズミが多いので、お米を収穫してちょっと積んでおくだけで、すぐに袋がかじられてしまいます。けっこう腹が立つのは、猫を飼っているにもかかわらず、かじられてしまうことです。

猫がいない場合には、殺鼠剤(さっそざい)をネズミの出そうなところに置いておくという方法もあります。一昨年は、殺鼠剤は一袋かじられただけでした。はたして効果があったのか、なかったのか不明なままです。殺鼠剤はあまり使いたくないので、箱にいれたままです(ラットホンという名前だったかな)。

そんなこんなで、子供の頃から40年近く猫を飼っていました。しかし、猫が一匹ではネズミに対抗できませんでした。それで、25年くらい前に、もう一匹追加しようと子猫を連れてきました。

ところが、すでに飼っている猫とにらみ合って動かず、即日断念しました。多頭飼いは、最初から一緒に暮らすようにしないと駄目なのかもしれません。知り合いのところは、野良猫も含めて猫がたくさん寄ってきて、多頭飼いになっています。猫同士の相性なのかもしれませんが、うちで飼う猫、やってくる猫はいずれも気性が荒く、仲良くなるということがありません。

直近で飼っていた猫は3年前に死んでしまいました。希に見る賢い猫でした。小さい頃に喧嘩で負けて瀕死の状態から、生還をとげた猫です。

死にそうな時、コタツの中をみたら痩せてペラペラな薄い猫になってました。前足、後ろ足とも不自由(実質走れない)になりましたが、その分大変賢くなりました。こんな状態でも、子ネズミを捕まえたりするわけですから、たいしたものです。

でも、やはりたくさんいるネズミには勝てません。結局のところ、猫がいなくなってからは米(籾)があるだけで、そこに糞尿をまかれてしまいました。脱穀機はそれで何度もやられました。少しでも籾があると駄目なので、一昨年からは念入りにエアーで吹き飛ばすようにしています。

しかし、猫がいないといつネズミにやられるかわかりません。そこで、近所の野良猫や飼い猫たちに、定期的に見回ってもらおうと考えました。ちなみに、近所の家も猫を飼うのは大変だから、玄関先に餌をやって見回ってもらってるようです。考えることは同じようで。

うちに定期的に来る猫が何匹いるのかわかりませんでしたが、昨年の5月17日から猫見回り隊をスタートさせました。その際、どういう猫が来ているのかを把握するため、ラズベリーパイとカメラを組み合わせて、猫が来ると撮影するようにしました。以前、デジクリでも書いた猫カメラです。

最初は野良猫の茶トラの1匹だけでしたが、定期的にやってくるのは、茶トラ、件(くだん)猫、黒猫の3匹でした。件(くだん)猫は、最初にやってきた時に、伝説の半人半牛の予言獣に似ていたからです。顔つきや体の柄がそっくりでした。

この3匹は、やってくる時間帯が異なっています。午前中、お昼、夜中と、うまい感じで見回りをしてくれていました。そこには素晴らしい秩序を保った猫ワールドがありました。

ところが、2018年12月30日。その秩序は突如として破られました。突然、一匹の猫が現れたのです。カメラで見ると、かなりのイケメン猫。顔つきもよく、毛並みも、毛の色もなかなかいい。

「いい猫がきた」と思っていました。しかし、このイケメン猫、猫ワールドの秩序を崩壊させてしまうほどの、ひどい猫だったのです。まず、他の3匹の猫は必ず餌を少し残していきます。普通の猫の習性です。

しかし、イケメン猫は違いました。すべてを食べ尽くしていくのです。餌鉢だけでなく、そこからこぼれ落ちたり、風で飛んでいった餌まですべてを。ハイエナなんて目じゃないほど。この行動にはびっくりです。

しかし、イケメン猫の問題はそれだけではありませんでした。他の猫が餌をとらないように、ずっと固定された位置で見張っているのです。これは困ります。巡回してもらわないとネズミがやってきてしまいます。

時間になるとやってくる他の猫たちを、イケメン猫はことごとく追い払いました。猫ワールドが崩壊しました。

でも、それだけではありませんでした。1月2日に雪が降りました。外は寒かった。寒いので、このイケメン猫がとった行動がひどかったのです。以後、猫語を日本語に翻訳してお送りいたします。

「餌よこせよ!」
「足らねぇよ!」

餌を食べた後には
「おらぁ、寒いんだよ! 家の中に入れろよ! コタツだ! コタツ!」

と鳴くやいなや、窓の網戸を駆け上り全部破く始末。これを何度も繰り返し、網戸が完全に駄目になるまでやられました。さらに。

ドンドンドン! ドンドンドン!
ドンドンドン! ギャー!
ドンドンドン! ニャー
ドンドンドン! ギャー!
ドンドンドン! ニャー
ドンドンドン! ギャー!

と、玄関のドアから恐ろしい音が。消費者金融というかサラ金の取り立ても真っ青な、音と鳴き声です。実はイケメン猫が玄関ドアに突進して、体当たりであけようとしていました。さすがに金属なので猫の力ではドアはあきませんし、壊れません。でも、そんなことおかまいなし!

猫恐ろしや……。

今まで20匹以上の猫を飼って、それ以外の何十匹の猫とも遭遇しましたが、こんな気性の強い猫は初めてでした。

「おらぁ、いつまで待たせんのや! はよ、あけろや!」

という強い口調(?)で玄関ドアに何度も体当たり。これが午前1時から午前4時頃まで続きました。明るくなってからようやく、イケメン猫はいなくなりました。網戸は完全に破れて下に垂れ、玄関ドアには猫の肉球跡が大量についていました。

一般的に猫の肉球は普通は可愛いアイテムとして使われますが、消費者金融よろしくドアをバンバン叩いた大量の肉球の跡というのは、何とも言えないものがあります。

さすがに一晩中粘って駄目だったので、翌日イケメン猫は来なくなりました。しかし、他の猫も来ませんでした。一匹のとんでもない自己中心的な猫によって、猫ワールドが崩壊したのです。

と、終わらせたいところですが、猫の世界はそんなにヤワではありません。翌々日には早速、茶トラ猫がやってきました。そして、その翌日には件(くだん)猫がやってきました。

件猫は人が一緒にいると他の猫が来ないことを知っているのか、すり寄ってきて、食べている間、人間に監視するように促します。なるほど……。

こうして、無事に猫ワールドの秩序が戻ってきました。イケメン猫は他の家に移動したのでしょう。ようやく平和になりました。

めでたし、めでしたし!

と思ったら、何ということでしょう……
イケメン猫が戻ってきました……
この後、一体どうなるんでしょう……


【古籏一浩】openspc@alpha.ocn.ne.jp
http://www.openspc2.org/


ということで続きは、またいつか。近所では最大10匹(か11匹)もの猫を飼ってる家があります。が、その猫はうちの方まで見回りにこないので、役に立たないんですよねぇ。

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・創って学ぼうプログラミング
https://news.mynavi.jp/series/makeprogram


・みんなのIchigoLatte入門 JavaScriptで楽しむゲーム作りと電子工作
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[正誤表]
http://www.openspc2.org/book/error/ichigoLatte/


・After Effects自動化サンプルプログラム 上巻、下巻
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https://www.amazon.co.jp/dp/4844397605


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・みんなのIchigoJam入門 BASICで楽しむゲーム作りと電子工作
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・Illustrator自動化基本編
http://www.amazon.co.jp/dp/B00R5MZ1PA/


・4K/ハイビジョン映像素材集
http://www.openspc2.org/HDTV/


・クリエイター手抜きプロジェクト
http://www.openspc2.org/projectX/



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編集後記(08/19)

●偏屈読書案内:松原タニシ「異界探訪記 恐い旅」二見書房 2019

「事故物件住みます芸人」を名乗る筆者が、異界(と称する場所)に行って体験した不思議な話、なんでもない話を200本以上並べた厚めの本で、小口まで黒いから不吉この上ない。筆者は決して霊感の鋭い人ではない。こわがりだが、恐怖を乗り越え、必ず真夜中に、次々と心霊スポットを訪れる“根性”のある芸人。仲間と一緒のときもある。その模様をスマホから生配信しているらしい。

一人で行った高知県の星神社。「なんておぞましい光景だ。これは、きっと祟られる。すぐさま後悔が押し寄せ、その場から動けなくなった。僕は何をしているんだろう。僕はいつだって目の前の恐怖を肯定して乗り越えてきた。そうだ、祟られたっていいじゃないか。この絶望感を経験すれば、この先これ以上の恐怖や後悔はないのだから。瞬間、不思議と本当に何も怖く感じなくなった」

そこから“無双”モードに入った筆者は、何を見ても怖くない。数分前まで自分のではない足音に恐れ戦いていたはずの階段を、スイスイ上がる。境内に着いた。簡易トイレに駆け込み、思い切り放出した熱い尿。「僕は生きている」と感激する。初めての単独行の体験が、筆者に大きな勇気を与えてくれた。

岡山県の東山斎場。レンタサイクルで着いたのは、地元で有名な心霊スポット。そんな所に午前4時に行き、「骨上げ待機所」と書いてある部屋の前で煙草を吸う。背後からドンドン! と叩く音がする。筆者は反射的にその場から逃走。斎場は墓地で囲まれている。ここには下半身のない老婆の霊が、ものすごいスピードの匍匐前進で追ってくる「ひじかけばばあ」の噂が。会えなかった。

1月4日に京都の伏見稲荷大社へ。広大な霊山・稲荷山を真夜中に一人で登る。鳥居のトンネルが延々と続く。真夜中のお狐様(こわいな〜)の前にろうそくの火が常に燃え続けている熊鷹社〜三ツ辻〜四ツ辻〜一ノ峰までの長い急勾配。途中で数メートル先に青い服の男が歩いていたが、目の前でスッと鳥居と鳥居の隙間に入った。そこまで行って見ると石灯籠しかない。幽霊だったらしい。午前4時に稲荷山頂上の一ノ宮到着。所要2時間。正月早々何してんだか。

筆者は噂の危険ゾーンへ、霊を挑発して呪われるために赴くわけではない。敬意を払ってお邪魔させてもらい、それで目の前に幽霊が現れてくれたらうれしい、呪われてしまったらそれはそれでいい、という人である。怪異とされるものの謎を自分の目で確かめないと気がすまないというだけだが、興味や信念のために故人や誰かの思いを踏みにじってはいけないという自覚は持っている。

1ページの物件もある。数ページを要するのもある。必ず写真があるが、まあアリバイという程度だ。一方、生配信の視聴者が「今すぐ逃げないと危ない!」「霊が怒っている!」と必死に警告するが、筆者にはそれが分からないのでその場に留まり様子見している。自分で感じたものを、自分で見たものを信じたい、なにか現象を起こして欲しい、危険だと思ったら逃げるだけだという。

「亡くなったはずの人が現れた場所に自分が行くことで、僕は不思議な現象を現実の延長戦上につなげたいと思っている。あの世とこの世がつながれば、過剰な不安や恐れで閉塞したこの世界が、もっと広がるのではないか、そんな希望を持っている」って、本気で言ってるのかね。祟られたっていいじゃないかなんて嘯く筆者は相当に鈍感だが、きっとそのうち本当の痛い目に。(柴田)

松原タニシ「異界探訪記 恐い旅」二見書房 2019
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●みなさま、夏休みはどうお過ごしでしたでしょうか? 家人の同僚の奥様が、熱中症で亡くなられたとのことで、熱中症を身近に感じています。

/気性が強い猫は、最後は関西弁なんや……。

/伏見稲荷に幽霊が? お昼しか行ったことないからわからないけれど、地元の人たちはジョギングやトレイルランニングしてたりするのに〜。

/キングダム。秦の始皇帝の話だったのか〜。てっきり完全なフィクションだと。ベルばらみたいに、実在の人物と架空の人物を混ぜて、話を膨らませているのね。まだ途中。面白いわ〜。(hammer.mule)