まにまにころころ[163]ふんわり中国の古典(論語・その26)孔子先生は、ただただ実直に学び、学んだことを教える
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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コロこと川合です。暑いですねえ……他に言葉が出てきません。昔の人はよくこの夏の暑さに耐えられたものですね。

温暖化だなんだとは言っても、冷蔵庫も扇風機もエアコンもある二十一世紀。昔よりもはるかに過ごしやすいはずなんですが、気温を聞くだけで汗が出ます。

暑さで体温調節がままならず、体の芯に熱がこもってしまうと熱中症に。これ、いったん熱がこもるとなかなか回復しないそうで、炎天下から帰ってきた後に、涼しい部屋で亡くなってしまうようなこともあるそうです。

なお、熱中症になってしまった場合、ともかく体を冷やすことが大事。よく、太い血管が通っている首筋や脇の下を冷やすといいって言われますが、それで解決するほどには効果は高くないそうです。水をかけてあおぐなど、あれこれ合わせ技で臨みましょう。

氷風呂に浸けるのが一番いいらしいですけど、準備してる間にアウトですね。素人には加減も分からず、冷やし過ぎ、なんてこともありそうですし。

長々と書いてしまいましたが、「熱中症」でググってもらったほうが早いです。倒れる前に情報を得て、なんとか回避してください。

・熱中症について — 公益社団法人全日本病院協会
https://www.ajha.or.jp/guide/23.html


・『はたらく細胞』緊急掲載! 熱中症の体内がホラーすぎてヤバい話
http://news.kodansha.co.jp/6486


・ポカリスエットweb movie|はたらく細胞第11.5話
熱中症〜もしもポカリスエットがあったら〜


では、本題に移ります。






◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」二十六

・だいたいの意味

孔子先生は、釣りはされても、はえなわ漁のような仕掛けは使われなかった。糸のついた矢で鳥を絡め取られても、巣の鳥を射られはしなかった。

──巻第四「述而第七」二十六について

要は、狩猟をされる際も節度ある方法を選ばれていたという話。

はえなわ漁というのは、縄を張ってそこからいくつもの釣り糸がさがっているような仕掛けを用いる方法です。糸のついた矢で、というのは、いぐるみ、と呼ばれる方法で、糸で絡め取ることを目的としたものです。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」二十七

・だいたいの意味

十分な知識がないのに勝手に話を作る者がいるらしい。私はそのようなことはしない。多くのことを聞いて、その中からいいものを選んで従い、多くを見て、その中からいいものを選んで記憶する。物知りに次ぐあり方だ。

──巻第四「述而第七」二十七について

ろくに知りもしないで想像で勝手な講釈をたれる輩……私です。(笑)

前々々回、「述而(じゅつじ)第七」一には、

子曰わく、述べて作らず。信じていにしえを好む。

とありました。

「古い教えを述べ伝えるが、自ら作りはしない。古い教えを信じて好む」と。

前回の「述而第七」十九には、

子曰わく、我は生まれながらにして之を知る者に非ず。
古を好み、敏にしてもって之を求めし者なり。

とありました。

孔子先生は、まず十分な知識を求めるんですね。なんでも知ってるような人が最上とすれば、それに次ぐ、次善のことなんだよと。ここでの「知識」の対象は、礼や聖王の業績などです。

孔子先生の知識量は、実際は自他共に認めるところでしょうけど、そこは軽く謙遜する孔子先生。でも知識を探求する態度には、いくらか自負を感じます。

何かを学び向上しようとする時、知りたいと思う気持ち、好奇心、探究心って、最強の武器ですよね。最強というか、思いの強さがそのまま成果にあらわれる。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」二十八

・だいたいの意味

互郷(地名)の人とは語り合うことが難しいものだが、そこで子供が孔子先生に面会した。門人は怪訝に思った。
孔子先生は仰った。

その子の進もうとする気持ちに力を貸したのだ。退く気持ちには力を貸さない。怪訝に思うのはひどい話だ。人が、真っ直ぐな姿勢で進もうとするなら、その姿勢に力を貸す。帰ってからのことは保証しかねるが。

──巻第四「述而第七」二十八について

柄のよくない地域というか、ちょっと困った住人が多いことで知られている、互郷という地域があったようです。

そこの子供が孔子先生の話を聴きにやってきて、孔子先生がそれを受け入れたことに、門人は「え? いいの? ヤバくね?」って思ったんですね。

孔子先生はそれを知って、諭したと。

いくらか異説はありますが、概ねそんな話です。

前にも出てきましたが、孔子先生は、最低限の礼をつくして学びたいとやって来る人は、誰でもオープンに受け入れます。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」二十九

・読み下し文

子曰わく、仁遠からんや。我れ仁を欲っすれば、ここに仁至る。

・だいたいの意味

仁とはそんなに遠いものだろうか。自分が仁を欲すれば、仁はすぐやってくる。

──巻第四「述而第七」二十九について

最高の徳目とされる仁。でも、遙か遠くにあって到達できないようなものではないんだよ、と。求めればすぐに、仁のほうからやってくるんだよと。

なんだか、孔子先生がにこにこしながら話してる姿が目に浮かびます。(笑)


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」三十

・だいたいの意味

陳国の司法官が孔子先生に、
「(孔子のいた魯国の)昭公は礼を知っていたでしょうか」と尋ねた。

孔子先生は「知っていたでしょう」と答えられた。

孔子先生が退室されると、司法官は(孔子の門人である)巫馬期(ふばき)に会釈し、前に進ませてから伝えた。

「私は、君子は身びいきしないと聞いていたが、君子も身びいきするのだな。昭公は呉国から夫人を娶られたが、同姓であったため呉孟子と呼ばれた。その昭公が礼を知っているというのなら、礼を知らない者はいないだろう」と。

巫馬期は孔子先生にこのことを伝えた。孔子先生は仰った。
「私は幸せだな。もし過ちがあれば、人が必ず気づいてくれる」と。


◎──巻第四「述而第七」三十について

長いし、何人も出てくるし、話もちょっと分かりにくいですね。

当時、同姓の結婚は礼に反することだったんです。昭公はそれを破って同姓の夫人を娶られ、呼び名に姓を含めないことでごまかすことにしたんです。

魯国の王室と呉国の王室は、元をたどれば同じで、姓は「姫(き)」です。

陳国の司法官はそのことを知っていたので、意地悪い質問をしたんですね。

あとはまあ書いてあるとおりの話なんですが、孔子先生は素直に過ちを認めた、という説と、孔子先生もそんなことは百も承知で、相手の意図も分かった上でさらっと流そうとした、という説があります。

孔子先生が百も承知なのは当たり前ですが、元々自分の君主ですし、身びいきはしないまでも、非難するのもはばかられる。ようするに、面倒くさい話題というわけです。で、相手にしないでおこう、と。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」三十一

・だいたいの意味

孔子先生は、人と歌って、上手だったら必ずもう一度繰り返させ、合唱した。

──巻第四「述而第七」三十一について

現代のカラオケを想像すると、こんな面倒くさいおっさんは嫌です。(笑)

でもここは当時の歌会。漢詩を朗々と歌い上げる様子を想像するとしましょう。「いいねえ、今の歌、いいねえ。もう一回、やってよ」って言いながら自身も声を合わせて一緒に歌い上げる。

……楽しそうですよね。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」三十二

・だいたいの意味

学問については私は人並みにできるが、君子のあり方を実践するのは私は未だ十分にはできないでいる。

──巻第四「述而第七」三十二について

人並みに学べてはいるんだけど、実践はまだまだ不十分でねえ、という謙虚な自己分析ですね。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」三十三

・だいたいの意味

孔子先生が、聖人や仁者のごときに私はとてもおよばないが、学びを嫌がらず、人に教えて飽きることも無い人間だとは言ってもらっていいだろうと仰った。

公西華は、まさにそれこそ弟子には真似できないことですよと言った。

──巻第四「述而第七」三十三について

そのままですが、前々々回の「述而(じゅつじ)第七」二にも、

子曰わく、黙して之をしり、学びて厭わず、人をおしえて倦まず。
何か我にあらんや。

とありました。

黙って記憶し、学びを嫌がらず、人に教えて飽きることも無い。私にとっては何でもないことだ、と。

孔子先生は、ただただ実直に学び、学んだことを教える。

本当にそれが好きなんですね。そして、おそらく弟子が最も尊敬する点がそこなんでしょう。なんといってもこの『論語』の冒頭が、

学びて時に之を習う。またよろこばしからずや。

ですから。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」三十四

・だいたいの意味

孔子先生が重い病気になられた。子路は、祈祷したいと願い出た。

孔子先生は仰った。そんな祈祷の例があるのか、と。

子路は、古いルイという文章には「なんじを上下の神祇に祈る」という言葉があります、と答えた。

孔子先生は、そんな祈りなら私はずっと昔から祈っているよ、と仰った。

──巻第四「述而第七」三十四について

前回、「述而第七」二十で、

子、怪力乱神を語らず。
(孔子先生は、怪異・暴力・乱心乱行・鬼神については語らなかった)

とありましたよね。孔子先生は、超常的な力、オカルトは否定派です。否定派というか、積極的に関わらない、「敬して之を遠ざく」というスタンスです。

だから、せっかくの子路の申し出ですが、祈祷なんて望まないんです。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」三十五

・書き下し文

子曰わく、奢ればすなわち不孫、倹なればすなわち固し。
その不孫ならんよりはむしろ固しかれ。

・だいたいの意味

贅沢をすれば不遜になり、倹約すれば頑固になる。
不遜になるよりは頑固であれ。

──巻第四「述而第七」三十五について

ようするに、頑固でもいいから慎ましく生きる方がいい、ということです。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」三十六

・書き下し文

子曰わく、君子は坦として蕩蕩たり。
小人はとこしなえに戚戚たり。

・だいたいの意味

君子はゆったりとおだやかでいる。
小人はいつまでもくよくよしている。

──巻第四「述而第七」三十六について

君子は小さなことに思い煩うことなく、小人は何かをいつまでも憂いていると。

蕩蕩(とうとう)、戚戚(せきせき)は、日本語でも使われます。


◎──巻第四「述而(じゅつじ)第七」三十七

・書き下し文

子は温にしてはげし。威にして猛ならず。恭にして安し。

・だいたいの意味

孔子先生は、温厚でいて激しい厳しさもある。威厳はあるが猛々しくはない。
慎み深いが堅苦しくはない。


──巻第四「述而第七」三十七について

孔子先生の人となりを語ったものですが、孔子先生が君子を語ったものとする説もあります。

いずれにしても、孔子先生がこんな人だったと考えて差し支えないでしょう。


◎──今回はここまで。

今回少し長くなってしまいましたが、これで巻第四「述而第七」は終了です。
次回からは、巻第四「泰伯第八」に入ります。

述而は三十七章ありましたが、泰伯は二十一章。さくさく行きましょう。


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
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