海浜通信[004]自然の猛威と恵みは裏表だ
── 池田芳弘 ──

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海が好き、ただそれだけの理由で、大阪市内から和歌山の漁港に移住した。

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台風、こちらは木々が家を囲んでいるため、夜通し雨音と共に風音が激しく聞こえる程度で収まったが、みなさんの周囲はいかがでしたか。

私の家は自分の年と同じ築年数の木造のため、冬は風通しが良すぎるくらいだが、一家族を受け入れる用意は充分にある。

布団も食器も、以前住んでいたご家族の物を少々残している。漁村とはいえ、トイレは水洗で小さいが風呂もあるから、良い方たちなら一年くらいは過ごして頂ければこちらも功徳を積める。

JRと南海、双方の和歌山駅までのバスは一時間に一本で、スーパーまでは徒歩三十分と遠いが、近くの路上に車やバイクを停めておくことは可能だし、風光明媚なことは言うまでもない。

ちょっと小腹が空いたから、歩いてコンビニに行ってアイスでも、という訳にはいかないが、家の前にはワイルドストロベリーを数株植えているので、実を付けなくなる真夏と真冬以外はそんなに困らない。

直接面識がない方でも、連絡を下されば相談に乗らせていただきたい。





●トンネルを抜けると被災地だった

十年ほど前に熊野から大阪に帰る国道を、我々からほんの一時間後に通ったご夫妻が、山崩れの下敷きになって亡くなった。また、偶然見ていた番組では、陳情のため上京された北山村の村長さんが、通学路で中学生が転落する事故があるため、路肩を整備して頂きたいと訴えておられた。

こちらで暮らしていると、自然の猛威と恵みは裏表だと痛感させられる。

八年前の台風では、日高川町の美山温泉愛徳荘がかなり長い期間、近隣住民の避難場所となり、より山奥にある美山療養温泉館は閉鎖された。気になった私は二週間後、寸断された道路が開通した日曜日に菓子を少々携えて、湯浅でセーリングした後で時折泊まっていた温泉館へと向かった。

潮にまみれて過ごした後、御坊のオークワで大好物の海鮮巻と鯖寿司、唐揚に果物、もちろん酒と朝食用のドーナツを買って、日高川沿いの道を遡る。

日は暮れたものの薄明かりが残る頃、小さいが極上の温泉に入り、山奥でしか聞けない種類の鳥や虫の声を聞きながら眠るのが好きだった。

今回は有田川から修理川へと遡り、道中から見る水量は多いものの、比較的平穏な様子で私は少し拍子抜けした。しかし、トンネルを抜けると景色も空気も一変。そこは紛れもない被災地だった。

美山の役場や学校が集まっているあたりに着いたのだが、溢れた土砂で道路の舗装は見えず、空気中には日差しに照らされ乾いた土ぼこりが舞っている。

私は温泉館へ行くため日高川沿いを上流に向かったが、数人のボランティアであろう真っ黒に日焼けした方達が自転車で走っていたり、もう七十歳は優に超えているようなご婦人がご自宅の横だろうか、土砂をシャベルで掘っている。

温泉館に着くと数人の方達が集まっていて、聞けばソフトバンクから電波測定のため赴いたとのこと。

この近辺ではつい数年前までは携帯の電波が届かなく、私はドコモだがその時はもちろん遊びに来ていたため、しばらく外界から隔絶されるのが喜びでもあった。しかし、非常時には電波通信が生死を分けることになるのだ。

彼らから、落石のために温泉館は閉鎖されているということと、当該地域の区長さんの連絡先を聞き、さっそく会いに向かった。

苦みばしった風貌の区長さんに携えた菓子を託し、話を聞かせていただいた。温泉館で働くお二人も、朝、掃除に来られていたお婆さんも無事であること。

つい数日前まで、国道から寸断されていたので工事の車が入れず、やっと電気が復旧したが、水道は集落近くのポンプが破損しているため、近くの谷川から水を汲んでいるとのこと。

六十年前にも同じような出来事があり、その時の方が状況はより深刻で、私が通ってきたトンネルの近辺には、死体がいくつも流れ着いていたという。皆さんによろしくと伝え、少し安心して帰途についた。

●マリーナの災難

日高川を下り、川辺あたりに差し掛かるともう影響は軽微で、御坊などまったく平穏だった。せっかくなので海岸線を走り、広川町にある知人が経営するマリーナに寄ろうと道路から見下ろすと、四十人以上のJET乗りの集団が集まっているのが見えた。しかも、大声が聞こえ、パトカーも見える。

現場に着くとグループ同士で乱闘寸前なのを、当の知人が必死に仲裁している真っ最中だった。警官は見ているが積極的に関わる様子はなく、周囲では小学生くらいの女の子が「お父さんが、お父さんが、」と母親と一緒に泣いている。しかも何組も。そう、暴れる彼らは三十代から四十代の家族を抱える男達。

少し収まってきた様子なので私は知人に簡単に挨拶を済ませたが、彼が不憫でならなかった。以前は本当のマリーナとして運営されていたため、抜群の環境と設備を持っている。防波堤を隔てた浜に船を下ろすクレーンもあり、シャワーもトイレも芝生まで完備している。

しかしここ数年は、JETの連中が集まる傾向にあり、彼も経済上受け入れざるを得ないのには同情する。しかしながら、JETの連中は粗暴な者も多く見受けられ、各地で締め出されている。そのため、規制が比較的緩い和歌山に高速を飛ばして、流入する傾向にある。

私はヨットスクール時代に、他のマリンスポーツをも手がけていたため、各地でイベントやリゾートホテルのスタッフを教育していた。

もちろん、JETはスピードが出るので走らせると爽快だし、スクリューが露出していないため要救助者を傷つける可能性が少なく、海水浴場に張られたロープも乗り越えられるため、レスキュー活動にはこれしかない、と思えるくらい素晴らしい乗り物だと思う。

しかし、なぜ粗暴な連中に好まれるのか、残念でならない。広川町でも推察するに、海上でのトラブルではなく、トイレが長いとか、カップラーメンに使うポットの湯が、自分の前の客でなくなったとかの理由ではないだろうか。

そもそも、家族の前で大声で罵り合うのは常軌を逸している。和歌山県は来シーズンに向けて早急に規制しないと、一度入り込まれた地域から締め出すのは難しい。

話が脱線したが、図らずも同じ日にボランティアに励む方達と、暴れる者達を同時に見たため、あまりにも対比が鮮やかで書かずにいられなかった。

●若き日の自転車一人旅

私は中学生時代から自転車で紀伊半島を周り、当時は「一人旅でしかも野宿」が男らしいスタイルと思っていたので、駅の待合室で寝たり、漁師の道具小屋に侵入して寝たりしていた。

今でも、座布団が敷かれているなど快適そうなバス停を見ると、ちょっと入って寝転んでみたいなと思う。

もちろん自分では冒険を楽しんでいるのだが、色んな方達と出会い、話を聞いたり、食べ物をもらったり、なかにはご自宅に泊めて頂いたりしたのが、今ではかけがえのない経験だと思っている。

そのため、もう番組は終わってしまったが「田舎に泊まろう」を見ながら、泣いてしまうことも多々あった。本当に他人事とは思えない、田舎の夜は真夏でも冷えるのだ。

この番組でも、和歌山や三重ではあっけないほど簡単に泊めてもらっている。恐竜ランドのあるかつらぎ町の家など、驚くほど質素な寝床であるにもかかわらず。特に内陸部では当たり前のように断る家も多いのに、なんて暖かい人達なんだろう。

数年後、温泉館は日帰り入浴のみではあるが営業を開始した。その直前に偶然、当時ヘルプデスクとして勤務していた、国保日高総合病院で温泉館の方と再会した。すぐに診察が始まったので、あまり話せなかったが本当にうれしい。

願わくは、温泉館の宿泊が再開して、私が美山に通うきっかけとなった「やまびこ花火大会」も復活すると最高だ。

台風通過後も地盤はゆるみ、日本列島は長いのでまだ数日は心配の種が尽きない。もっとも自分のヨットが数年後、台風による高潮で流されるとは想像できなかったが。


【Ikeda Yoshihiro】
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