[4869] その「得体の知れないもの」を絵にしろと言われて〈その3〉

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《「まず描け」という強迫概念に負けた》

■はぐれDEATH[85]
 その「得体の知れないもの」を絵にしろと言われて〈その3〉
 藤原ヨウコウ




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■はぐれDEATH[85]
その「得体の知れないもの」を絵にしろと言われて〈その3〉

藤原ヨウコウ
https://bn.dgcr.com/archives/20190927110100.html

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既出の「はぐれの『怠け者原論』みたいなもの」を読んで驚愕した。普段とくにチェックしているわけではないし、できれば過去のものからは目を背けたい人が、「たまたま」見てしまったのだから驚き倍増である。

完全に頭がいかれた人が、思いつきだけをただただ吐き出しただけで、作文としての体すらなしていないではないか。そりゃ編集長も為す術ないはずだわ。あまりに酷すぎる。

調べていないのだが、恐らく6〜7月に書いたものだと思う。つまり、この段階でボクの精神状態はすでに、末期的な症状を呈していたと言わざるを得ない。ちなみに当時はまったく気がついていなかった。

                ◇                 

7月末から本格作業に突入した。もちろん、上記したように狂った状態のままである。にもかかわらず、一か月ほどで200葉弱を一気に描き上げるという、大暴挙をしでかした。

あくまでもアガリが200弱であり、ここにぶっ込んだ諸々の下絵やら何やらは数に入っていない。1枚あたり最低4枚は別途描いていると仮定すれば(かなり控え目な見積もりです)ゆうに1000枚は描き倒したことになる。途中から鉛筆作業が相当量増えたのだが、これは2〜3週間で40枚ほど描いている。

この鉛筆作業で「これは相当ヤバい精神状態になってるんちゃうか?」とも思ったのだが、放置して描いていたことは言うまでもあるまい。とにかく、早く終わらせたかったからだ。運悪く台風まで来てしまったおかげで「台風ハイ」(なぜか無駄に興奮するのだ)になってしまい、もうじゃかじゃか描くコトしか頭に無かったしな。

精神的な異常は筆圧に出ていた。気がついていたのだが無視である。

普段ならだいたいHBだけで片付くのだが、メインはいつの間にか2Bになっていて、しかもアタリのつもりで描いた線が、練り消しで消えないという事態に至った。もう「描く」と言うよりは「彫る」に等しい筆圧になっていたのだ。

もちろん、支持体であるケント紙だってただでは済まない。ボクの筆圧に耐えられるかどうか、ギリギリのところまで行ってたのだ。ちなみに、ケント紙は135kgのKMKケント。普段なら余裕のはずで(実際ボクがケントを使うときのでふぉ)2Bで耐えられるかどうかヤバい、という事態は完全に想定外だった。

普段のクロッキー帳からケント紙に移行したのは、この筆圧問題が顕在化したからである。スキャニングしたときに、鉛筆で彫られた陰が作業を著しく阻害するようになっていたからだ。

もちろん、クロッキー用紙なんてのはチャラ描き専用みたいなところはあるが、なにも下敷きをしなければ、余裕で続く10枚ぐらいまで跡が残る。下手をすれば破れる(実際この作業中、途中で破れてダメになった絵は多数あった)。

下敷きだってすぐにダメになる。貧乏なので立派な下敷きを買おうなどということは考えもしない。こうなると頼みの綱はケント紙である。もちろん、手持ちのモノを使い出したのだが、これが残り少なくなっていたので、同じケント紙のA4・40枚セット(135kg)を投入した。

ところが、上述したようなペースで描いていた上に、筆圧問題まで出てきてヤバくなったので(ケント紙はほぼ尽きかけてた)更に追加したのは185kg。これは未使用だ。

到達する前に心身共に完全に崩壊したので、現在は作業そのものが全面中断状態である。というか、描けないのだ。身体を動かすことすら辛い。絵を描くしか能がない人間が、絵を描けなくなったら終わりである。今は主に神経の回復を待つしかない。

「どこかで廃人状態になるだろうな」と予測はしていたのだが、まさかここまで早いとは思ってもいなかったので、ショックは倍増である。

悪い予兆は既に6〜7月に顕著に出ていたようだが、ボク自身がさほど気にしていなかったのが、初歩的なミスと言えばそれまでなのだが、とにかくこの創作もどきが、ボクの脆弱な神経を予想以上に蝕んでいたのが明白になったのは、8月末日である。動けなくなった日ね(遅すぎるわ!)。

鉛筆で描くこと自体は差して苦ではなかったし、新たな発見もあって楽しかったのだが(筆圧問題は置いておく)、とにかく陰惨極まりない絵を、自発的に(!)ひたすら描き続けるというのは、拷問以外のなにものでもない。

露骨な描写を避けているだけに、始末に負えない。素直にスプラッターな絵を描いている方がよほど気楽である。植物を描いているのに、求めているのはただただひたすらに「陰惨」で「陰鬱」な空気なのだ。

ここで大きく転換した「創作もどき」について白状しておく。

作文が苦手なことはボク自身が百も承知しているので、可能な限り「絵に語らせる」というベクトルへ本格的に軌道修正した。作文も説明的な要素はごっそり削って、絵で描写できないことを補足するに留めている。

嗅覚に関する表現などはその典型だが(実はこれだって、その気になれば絵でどうにかなる)、結果、極めて抽象的且つ曖昧な表現になっている。要は「見てる方で勝手に解釈してくれ」というスタンスである。これが絵の枚数を大幅に増やす、直接的な原因になったのは言うまでもあるまい。

作業を進めていて「このままだとさすがにワケ分からなすぎる」ということに気がついたのだが、もう遅い。遅すぎる。描くべきイメージはダダ漏れで、とにかくこっちを手当てしないと、どうにもこうにもならない状態になっていたのだ。

「まず描け」という、強迫概念に負けたと言ってもイイ。身体も神経もボロ負けしてるんだけどね。

動けなくなる直前、最後の3日間はこのダダ漏れ状態がピークに達していて、しかも枚数は増えるばかりで、なかなか先に進まない。日産4〜5枚でも追いつかないのである。

表題にあるように、「得体のしれないもの」のオンパレードなのだが「堰を切るとこういうコトになるらしい」と気づいたときはもう遅い。とにかく後手後手に回っている。

結果、17枚を描いた段階で身体が動かなくなった。しかも未完である。いつもなら無理矢理にでも身体を動かすところだが、身体が動くことを頑なに拒否している。ちなみにダダ漏れのイメージはそのまんまなので、焦りまで加わる。

描けば済むだけの話なのに描けない。これがどれほどの苦痛なのかを、第三者に理解してもらおうとは思わないが、個人的には完全に「終わった」と思った。

これで済めばボクの情けない顛末記で終わるのだが、実は作業を完全に放棄する気はまったくないところが恐ろしい。まだ挽回策を密かに練っている。終わってるんだけどさ。

終わってる原因について、素直に印刷コストのことから始めよう。これが一番分かりやすい。

現状は見開きB3強。もっと正確に言えば、いわゆる「商業用漫画原稿用紙の見開き状態」(作業解像度は300dpi)で、実際の印刷が正味200枚で済むはずがない。単純に2で割れば100Pだがここには扉もなければ見返しすらない。

更に言えば、文章だって今は絵の中に入れていないので、単純に分断したとしても増量間違いなし。おまけに、章扉を前提に作っているので、これがまた加わる。

これだけで完結してくれれば御の字なのだが、ボクは恐ろしいことに、読者に「察してくれ」を前提に描いている。が、いくら何でも今のままでは商品化は不可能である。要は商品として成立するように再構築しないといけないワケだ。

こうなると、一枚あたりにぶち込んでいるネタに、順序なり大きさなりで、レイアウトをし直していかないと、どうにもならない。

怖くてまだ再予測値を出していないのだが、大雑把且つ楽観的な見通しをもって推測しても、最低で現在の4倍、最悪なら10倍に膨らむ。いわゆる、本文ページだけで400〜1000Pに達する勢いである。

まぁ、モノクロならまだ良かろう。悲しいことにフルカラーである。しかも、ちょー印刷屋泣かせ。これは元印刷屋のボクが言うのだから間違いない。まともな再現を放棄したとしても、色校だけで相当な額になる。

サイズを縮小して、紙取りで誤魔化すという作戦ももちろんある。

紙取りについてざっくり説明すると、現状見開きでB3ということは、全紙に刷ると紙1枚で32頁(もちろん両面刷ります)。

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まずこれが基本と思っていただきたい。片面16頁で両面で32頁。この基本形のサイズ(一番外側の太いラインで囲ったところ)が、大きくなるか小さくなるかで1枚で刷れる頁数が決定する。

全体の頁数が64頁だとすると、B3だと2枚全紙が必要で、B4なら1枚で済む勘定だ。仮に見開きB5にすれば、全紙1枚で2部作れる。

印刷屋は全紙をベースに計算するので(判型は色々あります)、ものすごいアバウトな言い方をしてしまえば、こんな感じだ。同じ1000部でも、B3なら紙は1000枚いるが、B4なら500枚で済む。単純計算だけどね。

ちなみに紙の値段はピンからキリまで、ものすごい幅がありすぎて、正直説明するのが邪魔くさいのだが、基本はkgで計算する。ケント紙の件で何の説明もなくこの単位を使っているが、重くなれば紙の厚みが増すと考えていい。本当は厚さだけの問題じゃないから、更に厄介なのだ。

薄くても腰のある紙(決して硬すぎず、しなやかさを持っているタイプ。もちろんイイのはべらぼうに高い)から、敢えて新聞紙のようなざらつきを持っているのに破けずらい紙とか(最近は見ないな)、とにかく色々ありすぎて、紙の選定一つでコストはおろか、印刷の質まで左右するケースはザラにある。

ネット上のオンデマンドプリントの用紙選択なんてのは、ボクに言わせれば「一番大量生産されている紙の中から5種類ぐらいこっちで選んだよ」の話であり、良心的なところならともかく、業者によってはぼったくりに等しいことまでやっているのが現状である。

「早い・安い」にはそれなりのリスクがあるのは、読者の皆様もご承知だろうが、印刷現場に今でも浮き浮きと遊びに行けてしまうボクは、「ど底辺から、スーパーハイエンドまで」の作業現場も成果品も見てるし、ボク自身の原稿で印刷もしてもらったりしているので、いわゆる一般的な「イラストレーター」さんとか「作家さん」とは、もう基準が明らかに違う。

見ればちゃんと仕事してるかどうかなんかすぐに分かるし、理由まで分かるから始末に負えないのだ。色味がどうのとか言う問題ではない。「印刷物としてきちんと出来上がっているか」「作家の意図はきちんと反映されているのか」が重要になってしまう。

このへん、挿絵画家という立場だと、逆に気楽になるのだ。どうあがるか読めるから、そこに落ちるようにこっちでデータは細工してる。

だからボクは「色校見なくていい」と言い放ってるし、実際これで「あいたた」となったことなど一度もない。むしろ「ををっ! きれいやんけ」の方が多いくらいだ。

それくらい最初からハードルを目一杯下げて、それでも大丈夫なようにしているのだ。基礎も現在進行形のものも、現場を見て、作業をしている姿に触れて会話をして、実際に刷ってもらって得た知見なので、外しようがないのですよ。

もっともこんなことできるのは、かなり特殊な部類だ。一般的には版画家さん(特にシルク印刷を使う人)の方が慣れてるんちゃうか?

ちなみにデザイナーさんとなると正直相当怪しい。知らんからなぁ……

データをネットで送って、気がついたらもう色校が手元に届いてんねんもん。「間を知れ」というのが、そもそもの間違いなのだ。

デザインついでに、見開きサイズが変わると文字の扱いが一気に厄介になる。単純な拡大縮小では済まなくなって来る上に(文字サイズは最低でも触る必要がある)、白地じゃないと一手間が加速度的に増えるのだ。

特にボクの絵の場合は、ベースの情報量が半端ないので、それなりにレイアウトなりトリミングなりで手を加えないと、まともに読めるわけがない。こういう作業は「SFマガジン」を始めとして、いくつかの雑誌でやらせていただいた経験があるのだが、とにかく相当厄介なのだ。

馬鹿の一つ憶えのように、文字陰で誤魔化すのも飽きているし(散々やったからなぁ)、ボク自身が老眼になったことで、可読性の意識は若い頃に比べると相当ハードルが上がっている。

文字をでかくすればいい話で済まさないところが、ボクの根性曲がりを雄弁に物語っているが、文字陰以上に文字サイズを単純に大きくするのは抵抗がある。

https://bn.dgcr.com/archives/2019/09/27/images/002

これなんて一目瞭然だが、文字陰なんて馬鹿みたいなことしかしていない。もちろん、こんなことはお仕事で間違ってもしません。ってか、このサンプル作っててものすごい気持ち悪かったしね。おまけにサンプルとして適当かどうかかなり怪しい。ただ、背景は最低でもこれくらい普通にあったりする。

縮小印刷されれば、当然このハードルは更に上がる。老眼でも読みやすい文字の入れ方はある。が、それには恐ろしくスペースが必要になってくる。サンプルでは強引に縮小したがもう読めないやん。

単純に文字のサイズを大きくした時と比較しても、それなりの入れ方をした方が、ページ数は飛躍的に増えるだろう。汚い絵面を我慢すれば解決できるのだが、ここは譲れない。少なくともボクが見て「まぁこの辺なら仕方ないか」と思うところまで持っていくだろう。じゃなきゃ多分やらないと思う。

恥ずかしいことは他の人よりも大概やらかしているが、ここは完全に主観による美意識の世界である。そうそう簡単に譲れるもんではない。

それでなくても無理矢理封印を外し、心身共に大ダメージを被っているのだ。ここに来て美意識の放棄はあり得ない。いくら陰惨で陰鬱な絵でも、ボクなりの美意識は叩き込んでいるのだ。それが崩壊するのを、指をくわえて見ているなどボクには到底できない話である。

結論。現状での出版は不可能である。

印刷コストだけで、もう既に終わっているのは明白だろう。コマーシャル・ベースの出版物としての評価は、完全に横に置いていてこの態である。

紙だけを例に挙げたが、色校だって1部あたりの頁数が増えれば、当然コストは跳ね上がるし(まぁ誤魔化し方はあるけどさ)、いちいち修正なんてしだしたら、その度に再校を出してもらって確認して……、酷い話、納得できるまで延々続くと、もうクラクラするような値段になるのは容易に推察できるだろう。もうこんなコトする人はいないけど(!)

もどきであっても作品らしきものを作るなら、当然この程度のことは想定の中に入っていないと話にならない。実際、グループ展に出してた頃は、すごい自腹の切り方してたからなぁ。それでも元印刷屋としては気になってしまうのだ。

あかんに決まってるやんか。こんなんで輪転(!)回したら、刷版の連中に殺されるぞ。その前に校正の連中に殺されると思うけど。

言っておくが多少盛ってはいるが、本当に殺気立つから危険なのだ。みんな知らないから無茶ばっかり押しつけようとするけど、印刷現場の連中が本気で武装蜂起なんかしたらエラい目に遭うよ。今はどうか知らんけど。

感情もちゃんとあるからね、現場の人達だって。好きで無茶をきいてる訳じゃない。もう腹の中煮えくりかえってるような人が集団でいたりするから、マジでヤバいのだ。

そういう人達と上手い具合にやれるかどうかは、もう単純に、直接会って生み出す信頼関係しかない。メールは愚か、電話だってダメ。こっちから現場に行かないと、まともなものなんて作れない。そもそも話にもならん。

だからボクは、会社員時代にずかずか現場に乗り込んで、大騒ぎを起こしているのだが、納得してくれれば何も言わんでもちゃんとしてくれるし、ちゃんとしてくれるのが分かっている以上、変な入校の仕方はボクが許さない。営業相手にこれで何度大喧嘩したことか……。

営業がクライアント相手にエエ格好しようとして、無茶なことをよく約束しちゃう上に、全部現場(ボクも当然含まれる)に押しつけるのだ。

更に単純にネタ出しの作業の成果として見ても、情報量が半端ない。映画「ブレード・ランナー」(リドリー・スコット監督)ではないが、再編集版まで最低4バージョンを作ることだってできる。

ちなみにクオリティーは、ボクの方が圧倒的に下だ。もうどう考えても、出版する側としてはメリットがないではないか。むしろリスクが跳ね上がる一方だし、仮に完成型まで持っていこうとしても、ボクが生きていられるかマジで怪しい。

まぁ、未完のイメージ・ボード集という手がないワケではないが、そうなるとボクのブランド力の低さが足を引っ張る。

少し頭も身体も落ち着いてきたので、こうして久しぶりに怪しい作文でリハビリをしているのだが(大変申し訳ない)、ここまで悪い条件を目の前にして、「まだ何か手があるのではないか」と考えているボクがいたりする。

ちなみに自費出版の線はまったく頭にな、い。そもそもこの創作もどきで自腹を切りまくっているのだ。もう切れる場所すらない。

もちろん、無条件降伏をしてもいいのだ。というか、むしろそうするのが普通だと思う。そもそも「満州からどうにか何かひっぱってこよう」という、一部政治家や旧帝国陸海軍よりも情勢は不利なのである(ちなみに満州事変など論外であり、日中戦争・太平洋戦争にいたってはキチガイ沙汰)。

歴史に学ぶとすれば、とっとと全面的に撤兵して、外交手段で友好条約なり平和条約を、こちらからの賠償金付きで結んでもいいぐらいの勢いである。面子にこだわっているようなゆとりは皆無なのだ。恐らく、最も平和な妥結方法だと思う。

ボクが封印を外してまで出した得体のしれないなんやかんやは、このまま人目にさらすことなく、闇に葬り去るのがベターだとも思う。怖すぎるし。

もちろん、身体が動かなくなった段階で、無条件降伏はもちろん考えたし、上述したような印刷レベルでのコスト・シミュレーションは、作業中にももちろんやっている。ほぼ無意識なのが自分でも怖いのだが、これはもう仕方がない。どう考えても不可能なはずなのだ。

だが「何か肝心要なことを見落としている」と、アホな経験値の塊が警告を発しているのも事実である。見落としはやりがちやしな。恐らくとんでもなく初歩的なところで、何か重要なことを見落としているような気がして仕方がない。

ただ、当初スケジュールで収めるのはまず無理。アシストは到底のぞめないし、人数頼みとなると話は更にややこしくなる。そもそもボクの基準に再教育しないといけなのだ。

それがその人のキャリアアップに繋がるかと言えば、「悪いもん見てもうた」で終わる可能性の方が遥かに高い。時間も費用もかかりすぎる。こうなるとボクが一人でどうにかするのが、一番手っ取り早いし安上がりである。

9月第一週の終わりには、まだ完全に回復していないのに、また作業に復帰しようとしている。もちろん、作業そのものはボク一人ですることを前提としている。

さすがにこれ以上の暴走は避けたいので(!)、まだ冷え切ってはいないものの、取り敢えず出来上がったものを総覧しながら、まず「どこで混乱に拍車を掛けているのか」を把握することから始めている。

こんなもんは、作業する前に(というか企画が立ち上がった段階)片付けておかないと本来はダメなのだ。不可能だった理由は「頭の中のイメージを言語化できない」であり、そもそもこの創作もどきについてだけだが、ボクのイメージには時系列も空間認識も存在していないのである。

とにかく、それなりに意図があるとは言え(あくまでもイメージの設定だけだ)、これがまったく整理できない。もちろん、「切り取りながら小出しにしていく」という方法論も存在するし、これができれば恐らくここまで苦労しなかっただろう。

だが、あるテーマに沿ったシームレスなイメージしかないのである。絵巻物みたいなもんを想像してもらえれば、分かりやすいかもしれない。

まず、頭の中で整理するのはさっさとやめた。そこまで賢くないし。ボクに残った手段は、「とにかく一度全部出し切る」だけであったことを素直に白状しておく。

更に全体を貫くコンセプトとの整合性だけを主体にやっていたので、「ボクは分かるけど読者には『なんじゃこれは?』」という、支離滅裂な状態にすらなっている。「担当さんに見せること自体が、もう既に無理な状態」と断言しておこう。

となると、最低でも担当さんと打ち合わせが出来る状態にまで持っていかないと、打ち合わせにすらならないのだ。学生以下である。

更に全体を通して明確な弱点をほぼ完全に把握出来た。あとはこの致命的とも言える弱点をどう処理するかである。

ここまで来ると、もう「ただのエカキだから」じゃ済まない。広義のアート・ディレクションの領域である。もっと分かりやすく言えば、「より明確で具体的なコンセプト」に基づく「編集」「デザイン」「スケジュール管理」という作業が必要と言うこと。

会社員時代はこの手の作業しかやっていないので(!)「だったらお茶の子さいさいだろう」と思われるかもしれないが、これはもうクライアントがいるから出来ていたようなもんで(容赦もなかったしな)、目的そのものがあまりに明解すぎるので、「より明確で具体的なコンセプト」も「編集」も「具体的な表現」の判断も余裕でやっていた。

最終的なクライアントはこの創作もどきでももちろんいるが、漠然と「アートブックを作りたい」なので、こちらで相当コントロールしないと、ボク自身が恐らく納得しないだろう。

頭脳労働が極端に苦手なボクは、常に実際目に見える形で総覧をしないと、こんな初歩的なことすらできないのだ。そういう意味では、適当な人材とは到底言えない。が、ここをクリアしない限り、最終形のバリエーションすら作れないのだ。「見た人任せ」だって程度はあるしね。

「一人で」というのは、もう一つ大きな問題がある。ボクがやろうとしていることを言語化して、第三者に説明ができないのだ。「具体的に視覚化してなんぼ」という価値観云々よりも、ボク自身のコミュニケーション能力が著しく低いためだ。

……が、作業を再開して間もなく、とんでもない事件が起きて、この創作もどきは急展開することになる。


■はぐれDEATH[81]その「得体の知れないもの」を絵にしろと言われて〈その2〉
https://bn.dgcr.com/archives/20190705110000.html


■はぐれDEATH[79]その「得体の知れないもの」を絵にしろと言われて
https://bn.dgcr.com/archives/20190621110000.html



【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
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編集後記(09/27)

●偏屈読書案内:乾正人「令和をダメにする18人の亡国政治家」

産経新聞論説委員長が書いた「永田町取材30年の記者が断罪! 令和をダメにする18人の亡国政治家」という、多少辛口な人物評。素敵なタイトルであるがその18人とは誰? というとどこにも一覧がない。カバーには小池百合子、小泉伸次郎、玉木雄一郎、小沢一郎の顔がある。小沢は間違いなく亡国政治家だが、他は小者だ。冤罪w だ。ほんと、18人が誰なのか読み込んでも分からない。

この本のタイトルは詐欺に近い。「カネまみれの昭和の政治」をひきずってきた小沢一郎が最大の戦犯、「権力の二重構造」という田中角栄の手法を踏襲し、次々と傀儡政権をつくった竹下登、日本の「強制連行」を認める談話を出したことで後世にまで累を及ぼす河野洋平の三人を、平成敗北の「A級戦犯」とする。もちろん、異論はない。あと15人を並べて斬り捨てて……いないんだよ。

人数には入らないが、朝日新聞をはじめとする亡国メディアこそ最大の戦犯だろう。産経を除くほとんどすべてのメディアは、鳩山由紀夫政権がスタートする前後、「政権交代が実現すれば、なにもかもバラ色になる」式の手放し礼賛ぶりだったではないか。筆者は断言する。「平成19年のあの時点で、政権交代をメディアが煽った罪は万死に値する」そのとーり! 読売でさえアホだった。

「当時、民主党に政権運営能力がなかったのは、当事者だった小沢一郎でさえ分かっていたことであり、福田康夫政権のときには、自民と民主の大連立政権樹立寸前までいった。民主党政権でなかったら東日本大震災の対応も少しはましだったはずである。民主党政権3年間の記憶が有権者から消え去るまで、政治改革が目指したはずの2大政党制によるスムーズな政権交代の実現なぞ夢のまた夢になったのである」。メディアも平成衰退の「大戦犯」だったのだ。

平成日本が敗れた理由を筆者は3つ挙げる。1)焼け跡からの奇跡の経済復興に慢心してしまった 2)30年間に首相の座に就いた政治家がのべ18人を数えるほど政治が混迷を極めた 3)中国の共産党独裁体制を支援した とくに3番目は取り返しのつかない失策である。天安門事件で国際的に孤立し、苦境に立っていた中国共産党を助けたのが日本だった。海部は円借款をいち早く再開した。

宮沢は天皇訪中を実現させた。中国は難なく国際社会に復帰した。一党独裁を維持したまま、世界第2位の経済大国にのし上がった出発点はまさにここにある。この失敗に「意味があるとすれば、誤った歴史認識に引きずられることなく、冷徹に自国の利益を何よりも優先した決断をしなければ将来に大きな禍根を残す、という教訓を歴史からくみ取ることしかない」……残念無念である。

トランプが大統領選を勝ったとき、筆者は「トランプでいいんじゃないか」という記事を書いた。その思いは「トランプで良かったじゃないか」との確信に変わった。いまやトランプのツイートで、米国のむき出しの本音を知ることができる。トランプはいずれ(もしかしたらもうすぐ)「俺をとるのか、習近平をとるのか」と安倍首相に迫るはずだ。間髪を入れず you が正解。(柴田)

乾正人「令和をダメにする18人の亡国政治家」2019 ビジネス社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4828421130/dgcrcom-22/



●雑誌LDKに影響されて、食器用洗剤、ハンドクリームのほかに、歯磨き粉や泡ハンドソープも買った。

ハンドソープは、洗浄力の強い商品を使って手が荒れ、CMをやっている他の商品に変えた。LDKを読んでみて気になったのは、西友プライベートブランド「きほんのき」だった。

2017年のベストバイで、2018年は8位。洗浄力は常用商品よりは高いとのこと。

行動範囲内に西友はなく、ネットスーパーを試してみようとまで思った。いいものは試してみたい。妹の住む街に西友のあることを知り、遊びに行ったついでに寄ってみた。初西友。安いし、西友にしかない商品がたくさんあって、妹が羨ましくなったよ〜。

手には常用商品よりは優しいと思った。香りも好き。これを使い切ったら、2位のカウブランド・無印・コープ・メソッドも使ってみたい。コープのは詰め替え用が1リットルで398円だった。安い〜。(hammer.mule)

「きほんのき」薬用泡ハンドソープ
https://www.seiyu.co.jp/pb/kihon/#health_beauty

1リットルで461円

カウブランド
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002HMBV0M/dgcrcom-22/

♪牛乳石けん、いい石けん

無印良品
https://www.muji.net/store/cmdty/detail/4547315821860?searchno=1

無鉱物油・パラベンフリー・アルコールフリー

コープ 薬用泡で出てくるハンドソープ
https://www.co-op.ne.jp/cosmetics/stuff/detail.html?JAN=4902220552153


メソッド
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00O3SEE02/dgcrcom-22/

色がきれい。詰め替えるのもったいないなぁ