Otaku ワールドへようこそ![314]日本は破滅へ向かってまっしぐらなのか
── GrowHair ──

投稿:  著者:



●あまり明るい未来が開けているとは思えない

時代の進んでいくさまを歴史の大潮流のレベルで巨視的にみるとき、日本がこの先どうなっていくのだろうかと、たいへん気がかりである。

もし、明るい見通しをもっているならば、ものごとがなっていくさまをなるに任せて眺めていれば、悪いようにはなっていくまいとでんと構えていればよい。気がかりであるということは、つまり、あまり明るい未来が開けているとはみていないということである。

これがもし、私の勉強不足から来る根底からの思い違いに由来するものであれば、笑い飛ばして捨て置いていただいても、先々に何ら深刻な禍根を残すことはあるまい。それならそれでよろしい。

実際問題、私は社会の方面にはあまり明るくなく、いや、それどころか、一般の人々の平均レベルからしても、だいぶ劣っているほうだと自覚している。

そんなド素人の妄想を聞かされるほうは、ある種、被害に遭うようなもんだとも言える。たいへん申し訳ない。

しかし、例えば数学など、一般の人々の平均レベルよりはだいぶ理解が進んでいるはずだと自負する方面においては、もし、素人レベルの質問が投げかけられたら、相手のレベルに応じてなるべくよく分かっていただけるよう、平易にお答えしようと心がけている。

また逆に、私からみれば雲の上におわしましまするような偉い先生をつかまえて、素人質問をぶつけちゃうことがよくある。お答えいただけることが意外に多くて、もう、感謝感激雨あられである。

このような助け合いの精神に共感していただけるのなら、私のあまり得意でない方面については、ご教示いただけるとたいへんありがたい。実際、このトピックについて、一般的にはどのような見方がなされているのだろうか、という点は、けっこう気になっている。

まずは、論拠をいったん脇へ置いて、私からはものごとがこんなふうに見えているんですけど、というのを述べ立てておきたい。

しつこいようだが、皆様も同じように考えてくださいと要求したいのではなく、皆様はいかがお考えですか、と問いかけたいのである。そこんとこ、ひとつよろしく。





●世界に旋風を巻き起こしていたモーレツ日本

2000年以降にこの世にやってきて、今の生活水準をだいたいこんなもんだろうと肯定している若い世代は、知らないままでいるほうが精神衛生によいのかもしれないけど。

短期間ながら、かつて日本は、飛ぶ鳥も落とす勢いで経済的繁栄を謳歌していたことがある。まっしぐらに高度経済成長を続けていた、1960年代から1980年代にかけてのことである(※)。

※高度経済成長の定義を、好景気時の実質経済成長率が約10%以上であることとするならば、その期間は1954年から1973年までの19年間だが、私の感覚だと1980年代まではお祭りのような好景気感があった。1990年にバブル経済が崩壊して、一気に悪化した。

まあ、ひとつには、アメリカが自国にも利益が還元されることを見込んで、日本が急速に経済成長することを許したから、というのはあるだろう。1949年から1971年まで、1ドル=360円の固定相場制を敷いていた。今からみればスーパー円安。舶来品は超お高くなるけど、輸出にはめちゃくちゃ有利。

日本は産業の主軸をものづくり系の工業に置き、これで成功した。広大な平地に恵まれて大規模農業が営めるわけでなし、地中から価値の高い資源が掘り出せるわけでなし。経済的な繁栄を求めるなら、工業国としてしか道がなかったと言える。

海外から原材料を輸入し、製品の形に加工することで付加価値を上乗せし、高い値段をつけて海外に輸出して利潤を得るというスキーム。バイクを含む自動車製造産業、冷蔵庫や洗濯機といった白物家電、テレビ受像機やビデオ録画・再生装置やステレオやラジカセなどのオーディオ・ビデオ製品などで、日本製品が世界市場で圧倒的に強かった。

1960年代は、為替レートからくる有利さはあっても、技術力が大したことなくて、日本製品は安かろう悪かろうと粗悪製品の代名詞のように言われた。科学技術では、西洋のほうがはるかに進んでいるというのがあたりまえの認識で、「追いつけ、追い越せ」が掛け声だった。西洋は別格だからってことで、「東洋一高いビル」みたいな卑屈な表現がよく使われた。

技術レベルの向上にはよく努力したと思う。まず、英語をしっかり勉強した。と言っても、聞く、話す、書くはどうでもよく、ひたすら読むだけ。情報は出さずに、もっぱら吸収すべし。トップクラスの秀才たちはアメリカに留学した。最新鋭の技術を日本に持ち帰るのが使命。

持ち帰った技術を駆使して製品化する。そうこうするうち、製品のクオリティが向上していった。自前で新技術を開発できるだけの実力をつけてきて、米国製品を凌駕するようになっていった。

まあ、公害の問題もあったし、過労死の問題もあったし、世の中のすべてがバラ色だったとは言わないが、少なくとも経済的には、ブンブンとうなる音が聞こえてきそうなくらい勢いがあった。人々は概して元気で、表情が明るかった。テレビや雑誌が情報流通の中心にあり、芸能やスポーツなどの大衆文化が爛熟した。

海外へ行けば、笑っちゃうぐらい物価が安かったし、日本人だと言えば、「じゃあ金持ちなんだね」と返ってきた。日本の高度経済成長の要因を分析し、日本的経営を高く評価する書籍 "Japan as Number One:Lessons for America" が1979年に出版され、たいへん話題になった。

脳内BGM:岩崎宏美『夏に抱かれて』(1979年)
♪ みんな外国へ行くのね 独身貴族ね

企業はテレビでコマーシャルを打ったりして、宣伝などに派手にお金を使ってみせることで、「あ、あの会社は羽振りがよさそうだ」と信頼を勝ち得て、ますます仕事が入ってくる好循環の波に乗れるようなところがあった。晴海の国際見本市会場で開催される展示イベントは豪勢を極めた。

就職活動は完全に売り手市場。説明会で企業訪問する学生は下にも置かないお客様扱いを受け、おいしいものをごちそうしてもらえた。私は学部4年のとき、修士課程への進学が決まっていたが、周囲の動きに乗っかって、社会勉強ぐらいのつもりで企業説明会に行ったりしていた。

そして、うっかり奨学金に釣られて修士課程を修了した後の就職を決めてしまった。2年半にわたってその会社から月々6万円の奨学金が支給され、約束通り入社したため返済免除となった。

いちおう作文と技術面接と役員面接による入社試験はあったけど、笑っているうちにパスした。プロフィール欄に「日本酒は辛口」と書いたのが役員の目に留まり、「じゃあ、つまみも凝るほうですか」と聞かれ「凝らないけど、川えびの揚げたのは美味いですね」と答えたら大笑いされて、合格。1985年の夏である。その時期だけヒゲはいちおう剃っていた。

あ、殺意はこっちへ向けないでー。オレのせいじゃないんだってばー。

景気がよければ暮らし向きは楽で、たいへんよいことには違いないが、がんばってあの時代の日本を取り戻そう、とまで言いたいわけではない。たぶんもう無理だ。あくまでも、今と対比するためにあの時代を振り返れば、私の目にはこう映っていたと申し述べているにすぎない。

工業国としてナンバーワンの座を維持しつづけるためには、技術レベルにおいて、世界の国々のライバルの追随を許さず、常に先頭を走っていることが絶対条件だった。

他に作れるところがない最先端製品は高く売れるが、技術が陳腐化してどこでも作れるようになれば、値下げ競争になり、うまみがなくなる。

技術の先進性を維持することは、上げた利益のうちのそうとうな部分を研究開発費に割り当てることで、回していけていたと思う。

ただ、だんだん技術が飽和してきたという感覚はあった。白物家電などで、ニューロ・ファジーなど、人工知能を組み込んだことを謳った製品が出てきてよく売れたけど、一時的なもので後が続かなかった。第二次AIブームの頃のこと。

必要性のはっきりしない多彩な機能が、ごてごてと付加されていき、複雑怪奇になっていって、かえって操作が分かりづらくなっていったりしていた。

あと、やりすぎたというのはある。アメリカでテレビ受像機を製造していたすべてのメーカーは、その事業から完全に撤退してしまった。日本に勝ち目がないってことで。自動車製造産業も大幅に縮小された。デトロイトはいまやラストベルト(Rust Belt:錆び錆び地帯)と呼ばれ、製造業不況にあえぐ住民たちの不満がトランプを後押ししている。

アメリカの象徴的な存在だったのかどうかは知らないけど、ニューヨークのロックフェラーセンターが日本人に買われたことがやけに大きく扱われ、まるでアメリカ全体が日本に買われたかのようなイメージを持たれたのだろうか。感情的反発を招き、日本製品の不買運動が起きたりした。

基本技術はアメリカが発明するのに、日本は応用技術の開発が上手いために、利益をかっさらっていくのでフェアでない、などと批判された。日本人は「エコノミック・アニマル」呼ばわりされたりもした。金儲けにしか関心のない、我利我欲の下等動物、みたいなイメージか。

高度経済成長との間に因果性があるのかないのかよく知らないけど、土地の値段がやけに高騰した。男たるものは立身出世を志すべし、ゴールはマイホームを建てること、みたいな価値観が標準的だった。マイホームを建てようにも、土地の値段が高すぎて、2世代ローンなどというものまで出てきていた。

居住目的ではなく投機目的で土地を買い、後で元よりも高い値段で売って差額を儲ける行為は「土地ころがし」と呼ばれた。これで財をなす土地成金がけっこういた。値上がりするのが確実な前提としてあるなら、めいっぱい借金してでも土地を買っておけば、確実に儲かる。ベバレッジは飲み物だが、レバレッジがどうとか言ってたっけな。

投機目的のせいで土地がどんどん値上がりしていったら、肝心の居住目的の人が高くて買えなくなって困るじゃないかと言ったら、ある人は「日本の経済は土地の値上がりを原動力として回っているようなものだから、土地の値段の上昇が止まったら経済全体も止まってしまう。政府は馬鹿じゃないので、そんなことを起こさせるはずがない」と自信満々に断言した。

強い言葉を使って確信的にものを言う人は、かえって信用まかりならんと私は学んだ。原発を安全でないと言うやつは非科学的である、とまで言っているやついたし。

バブル崩壊前に危険を察知している人はあまりいなかった。

●唐突にやってきたバブル経済崩壊

それは前触れなく、突然やってきた。海外における金融不安の煽りを受けて、というようなはっきりした誘因はなかったと思う。

1990年に入って、株価が暴落した。1年ほど遅れて、景気動向指数も低下傾向となった。さらに1年ほど遅れて、地価も下落傾向になっていった。

投機目的でめいっぱい借金して土地を買っていた人は、その土地が元より安くしか売れず、借金は返せずで、ひどい目にあっていたはずだ(ざまあみろ)。また、お金を貸したほうも、担保の土地を巻き上げてみたところで、貸した額に及ばない担保割れを起こしていて、これまたひどい目にあった。

銀行、証券などの金融業がガタガタになった。山一証券が廃業したのは1997年のことである。銀行も再編を繰り返した。私は協和銀行のキャッシュカードをまだ使っているけど、実体のほうは、あさひ銀行を経て、りそな銀行になっている。

景気などというものは、上がったり下がったりするのがそのあたりまえの姿であって、2~3年も辛抱していれば、また上がっていくだろうと多くの人々が楽観していた。が、なかなかそうはならなかった。本来は不良債権の処理を抜本的にやるべきだったのに、小手先の景気対策しかしなかったのがいけなかったのだとも言われている。

天下の愚策とも言われた、「地域振興券」の発行が実施されたのが1999年のことである。二千円札が発行されたのが2000年。不良債権処理の実施が始まったのは2002年のこと、小泉政権の下においてである。

これがひととおり済んだら、いよいよ景気が上向くのかと思いきや、案外、そうでもなかった。失われた10年は、失われた20年になり、そろそろ失われた30年になろうとしている。

景気が沈んでいる間、企業はどうしたって、経費を抑えてしのぐしかない。特に、大手製造業は、研究開発費を削ったり、生産設備の更新を先延ばししたりした。また、人員の新規採用を控えた。これが2~3年間のことであれば、一時的に屈してしのぎ、その後、また伸びていけばよい。しかし景気回復の兆しはいっこうに見えてこなくて、我慢、我慢が延々と続いた。

経費節減でどうにもならなければ、人員を削減し、経営規模を縮小してでも企業として生き延びなくてはならない。いわゆるリストラである。これも大規模に行われ、大手電機メーカーはどこもかしこも、だいぶ小さくなった。

大手電機メーカーが不景気を経費削減や規模縮小でしのいでいる間、技術の進歩にはブレーキがかかり、まったく何もやってなくはないにせよ、大幅に減速したのだと思う。この失われた30年の間に、中国や韓国の技術力がすっかり日本に追いつき、さらには追い越していったのだと私はみている。

私は、2011年4月にイタリアへ行った際、何かの必要が生じて、家電の大きな量販店に連れていってもらった。売り場の面積の大半を韓国製品が占めていた。日本製品の売り場は隅っこのほうに、ほんのちょっとだけ。こんなひどい状態になっていたのかと、ショックを受けた。

日本は基幹産業を失った。地理的な条件からして工業国としてやっていく以外になさそうにみえていたが、その肝心なところで、技術力においてトップの座を明け渡したため、工業国としてのステータスがたいへん危ういことになってきている。かといって、コンテンツ産業などがそれに取って代わりうるかと言えば、規模的にしょぼしょぼだ。

観光産業は伸びてきているのかもしれないが、それって、あまりうれしいことではない。主要な産業が観光ぐらいしかないって、極貧国の特徴だからだ。物価が安いからどんどん来るのだ。かつて、日本人が大挙して海外旅行していたのと、反対の状況が起きている。

飲み屋のお客の入りが目に見えて激減している。平均的なサラリーマンは、懐具合が寒くて寒くて、そうそう飲みに行っていられる状況ではなくなってきているのであろう。居酒屋は、どちらかというと、ランチでなんとかしのいでいるのではないか。

あと、お客さんの減少をかろうじて埋め合わせているのが外国人だ。新宿だと、ゴールデン街に行ってみれば、いったいここは日本じゃろかいな、と思うくらい、外国人がうじゃうじゃいる。アジア系だと見かけ上そんなに違いはないのだが、このところ、西洋の人も多い。この状況が、最近は歌舞伎町のほうまで浸食してきている。

今の日本の経済状態は、ひところに比べれば歴然と失速しているけれど、仮に低空飛行であってもいちおう一定の水準が安定維持できているのであれば、この調子でずっと続けていくという選択肢もありうるのかもしれない。

しかし、私からみると、そんな感じがまるでしない。まだまだ沈んでいく途上にあり、このままだと国として潰れていくのではないかとみている。日本沈没。

多くの人々は現実がどんな状況になっているのかを直視してなく、したがって、対策も的外れであるようにみえるのだ。

●日本は、はっきり、技術力で負けている

第一に、イノベーションがおかしい。日本は技術力で他国に負けるはずがないと、多くの人々がつい最近まで思い込んでいたようにみえる。海外の家電売り場が韓国製品で占められていても、値段が安いから、あるいは宣伝が上手いから、と過小気味に分析していたり。

アップルがiPhoneを出してきて売れ行き好調なのを見ても、やはり、日本は技術力で負けるはずがないのだから、そのような製品を作ろうというアイデアが浮かばなかったという点において、発想力で負けたにすぎないのだという分析が、一般的に受け入れられていたようにみえる。

だったら、日本がそれに対抗できるようになるための有効な対策としては、発想力を鍛えることが肝要である、という方向になる。日本からもスティーブ・ジョブズを輩出したい。それで、イノベーション。飛躍的な発想力をもった人材を発掘したり育てたりしよう。

単に発想力で負けているだけだ、という見方が当たっているならそれでいいけど、私は、そこではなく、はっきりと技術力で負けたのだとみている。

大量の学生をアメリカに留学させ、技術を学んで(かっぱらって)来るというのは、いまや、中国と韓国のお家芸だ。小さい時分から、会話力も含む総合的な英語力をみっちりと叩き込まれている。日本人は留学生の人数からして少ないし、概して英語が下手で発音がカタカナだし、日本人どうしでしかつるまないので、留学経験を自身の成長に生かせてないし、陰でボロカスに嘲笑されている。

中国は、ひところ、他社の技術やデザインを平気で違法コピーしたりして、ズルばかりしているという印象があった。しかし最近では、例えば人工知能のような重点領域において、提出される論文数がアメリカを上回っている。日本は中国の10分の1程度である。中国は、独自に新技術を開発できるだけの実力をつけてきている。

日本は、はっきり、技術力で負けているのだ。発想力を鍛えてどうにかなる問題ではなく、イノベーション、イノベーション言っているのは問題の本質を矮小化しているようにしかみえない。

高度経済成長の初期のころのように、日本は諸外国に対して技術力で敗北したのだと認め、再び「追いつけ、追い越せ」を掛け声に、技術力の基礎固めを一からきっちりやりなおさなくてはならない。そうしなければ、日本の再浮上はありえないと思う。

第二に、「働き方の変革」がおかしい。日本は、労働生産性において、諸外国に著しく劣る。それは、ちゃんとした統計に基づいて言われていることであって、間違っていない。

労働生産性が低い、と聞けば、そこから受けるイメージは、不必要に多くの労働者たちがいて、売り上げに直接的にも間接的にもあまり寄与していない無駄な仕事が多く、仕事をこなす効率が低くて長時間にわたってダラダラとやっているというものであろう。

有効な対策としては、無駄な仕事を省き、必要な仕事はソフトウェアツールなどを活用して効率的に進め、労働時間短縮を推進し、だらだらした働き方を許さないことであろう。論理的に筋が通っていて、どこもおかしくないようにみえる。

いやいやいやいや。労働生産性というのは、GDPを労働者の人数、あるいは労働時間で割った値である。分子と分母がある。この値が低いとしたら、分子が小さすぎるか、分母が大きすぎるか、ふたつの要因がある。

働き方の変革というのは、分母の値を小さくしようとする動きである。確かに、これによって労働生産性の値は向上するであろう。しかし、この取り組みは、分子の値を大きくすることには、あまり寄与しそうもない。

問題の本質は分子にあり、と私はみている。分子はGDPである。技術力で諸外国に追いつかれ、追い越されたということは、高い値段で売れる最先端製品が作れなくなってきていることを意味する。そうしたら、安い値段でしか売れない普及品を作っていくしかなくなる。当然、金額ベースの売り上げも利益も小さくなる。そこなのではあるまいか。

労働を効率化して、仮に生産量を増やすことができたとしても、その製品が魅力的でなければ売れ残るだけ。これではしょうがない。分子を増大させるためには、高付加価値製品が作れるよう、コア技術を培っていくしかない。

本来、分子がとるべき責任を分母に押し付けてやしないか。高付加価値製品が作れなくなっている技術力の低下が問題なのに、まるで労働者がダラダラ仕事しているせいであるかのように言うのは、失礼ではないか。

働き方の変革は、労働生産性を向上させる対策として、的を外しているんじゃなかろうかと思えてしかたがない。

じゃあ、分子のほうはどうなの? って話だが。日本のGDPはどうなっているか。

名目GDPでみると、2019年の予想値において、一位がアメリカで、以下、中国、日本、ドイツ、インド、フランス、イギリス、イタリア、ブラジル、カナダと続く。いちおう日本は世界第3位で、いい位置にいると言えば言える。

日本について推移をみると、1995年をピークに3年連続で減少し、その後は上がったり下がったりしながら、2019年には1995年とほぼ同水準にまで戻している。大きくみれば、ほぼ横ばい。ならば、この調子でずっと行けば、安定が続いて問題ないではないかと思うかもしれない。ところが、そうでもない。

他国との比較でみると、多くの国において上昇傾向にある中で、相対的にみれば、日本はどんどん沈んでいっているのだ。失われた30年が如実に見てとれる。

1995年の時点で、日本は世界第2位であった。1位のアメリカは約1.5倍、差でみれば約2.5兆ドルであった。ところが、2017年まで来ると、アメリカは約4倍、その差は15兆ドルまで開いている。

2010年に日本は中国に追い抜かれた。当時は、あのインチキばかりやってる国のことだから、きっと数字をごまかしているに違いないという声もあった。しかし、2017年時点において、中国は日本の2.5倍、差にして7.5兆ドルである。7.5兆ドルをごまかすのはなかなか難しいと思うぞ。

それに、中国のどの都市でもいいから行ってみれば、勢いが一目で分かる。何もかもがピカピカだ。もともとデカくて派手なものが大好きな中国人だが、金を持ったらやっぱやってくれるね。日本に帰ってくると、悲しくなるくらい、何もかもが煤けてみえる。

グラフを未来にわたって点々々と延長していくと、どこかの時点で、中国がアメリカを抜き去るのは目に見えている。このところ、米中貿易戦争が話題になっているが、追い詰められてあせっているのはアメリカのほうなのだ。

ガンガン伸びてきているのはインド。並みいる大国をごぼう抜きにして破竹の勢い。2019年にはフランスとイギリスを抜いて5位になりそうだと予想されている。

ドイツもフランスイギリスもイタリアもブラジルもカナダも、1995年時点から比較すれば、日本との差を詰めてきている。つまり、日本は世界の潮流から一人だけ取り残されているのだ。

グラフだけ眺めるなら、Yahoo! ニュースのがよい。

  1/5(土)11:35
  Yahoo! ニュース
  上位は米中日の順 … 主要国のGDPの実情を確認する(2019年版)
  不破雷蔵
  https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20190105-00109969/


元データに立ち返るなら、GLOBAL NOTEのウェブサイトで国連統計の数値データがCSV形式でダウンロードできる。また、期間と国を選んでグラフ表示もできる。
https://www.globalnote.jp/p-data-g/?dno=10&post_no=12794


第三に、ものづくり系から情報技術系へのシフトという、世界的なトレンドに乗っかりそこなった。

19世紀、蒸気機関が開発されたことが発端となり、のちに内燃機関が開発されたことが加わり、産業革命が起きた。産業革命のとき、日本はなんとか最後のほうの波に乗っかることができ、経済的な急成長と繁栄にあずかることができた。一方、乗り損ねた中国や韓国や東南アジアなどは、安い労働力を頼みに世界の下請け工場の位置づけに甘んじざるを得なかった。これが100年間続いた。

中国では、大きな企業に就職すると、トップはたいてい外国人だった。これが嫌で嫌でたまらない。100年の屈辱と捉えている。

産業革命は、ものづくり系の工業を飛躍的に発展させた。いま、それに匹敵する規模の、次の革命が起きつつあると私はみている。人工知能の急速な進歩がテコになって、社会構造や産業構造が根底からひっくり返る、革命的な大変化が起きるのではなかろうか、と。AI革命。

今現在は、深層学習(Deep Learning)のもたらした認識能力の飛躍的な向上が注目され、この技術が諸々の一般業務へ適用されつつある。自動車の運転など、高度な認識力と判断力が要求されるタスクを機械が代行できるようになりつつあるというのは驚異的だが、現時点ではAIがどんな業務にも適用できて劇的な効率化が図れるかというと、そうでもなく、若干、がっかり感が広がっているようにもみえるかもしれない。

しかし、今後、こんなものではない、革新的なアルゴリズムがどんどん登場してくるだろうと私は読んでいる。産業革命並みの、AI革命は、ほぼ確実に来るであろうと予想している。その流れは、もう始まっている。

アメリカにおいて近年急成長して、巨大化した企業の代表格としてGAFAがあると言われている。Google、Apple、Facebook、Amazon。中国でそれに相当するのはBATだ。百度(バイドゥ)、阿里巴巴(アリババ)、騰訊(テンセント)。

業態は広告であったり、ハードウェアであったり、ネット通販であったりとバラバラのようにみえるかもしれないが、ビジネスを下から支えているコア技術は、ビッグデータを取り扱う情報処理技術だ。AIを制する者が世界を制する、勝者総取りみたいなことになりつつあるのではなかろうか。

けれども、今度のAI革命においては、日本は乗っかり損ねたようで。大ピンチというよりか、敗色濃厚で、ほぼ絶望的な状況なんじゃないかと。中国がぜーんぶかっさらっていっちゃいそうな気配が濃厚とみている。

中国の政治体制は独裁的な色が濃くて、よく批判の的になりがちだが、賢人政治でさえあれば、独裁体制であったほうがかえって意思決定が早かったり、政策実行の強制力が強かったりと利点がある。中国は、少なくとも、何を重点政策として置き、どこへ予算を重点的につぎ込むべきか、よくみえていると思う。AIの研究開発に莫大な予算を投入している。

その上、新幹線などのインフラもすごい勢いで整備を進めているのだから、たまったものではない。お金が潤沢にあるというのは恐ろしいことだ。

日本は、新幹線とか高速道路とか、インフラ整備をそろそろ一段落させて、一部でもAIの研究開発に回すべきではあるまいか。

地方を活性化することも重要なのかもしれない。空港や新幹線や高速道路が整備されたことによって、アクセスの利便性が良好になってきている。しかし、それに伴って、地方の産業が活性化して経済が回る効果が上がっているのかといえば、疑問だ。

そんなことより、国として保有するAI技術の水準を向上させることに努めたほうが、国全体の活性化につながり、ひいては地方にも恩恵が及ぶのではあるまいか。

AI革命の波に乗りそこなったままずるずると行ってしまうと、ほんとうに全面的な沈没が止まらなくなりそうだ。

●自殺しようというのか、日本

日本が沈みつつあることから目を背けたり、その根本原因の見定めを誤って頓珍漢な対策を打ったりしていると、どうなっていくか。

日本はものづくり系の工業国としての基幹産業をすでに失いかけているが、それに取って代わるIT系の産業がなかなか勃興してこない。観光業以外にろくな産業のない、極貧国へと転落していく。

高度経済成長時代は日本が産業をリードして、中国は人がいっぱいいて安い労働力を提供してくれる下請けという立場の国だった。これが、間もなく逆転する。日本で、一流企業に就職すると、経営陣に君臨するのは外国人だらけ。企業として上げた利益のおいしいところは経営母体に吸い上げられ、日本人労働者はおこぼれにあずかり、薄給に甘んじるしかなくなる。

平均的なサラリーマンであっても、今以上に懐が寒々としてきて、仕事上がりに飲みに行ったりカラオケに行ったりといった、大衆娯楽に興じている余裕がなくなる。その種のお店は、お客の大半が外国人で占められるようになる。

漫画やアニメなど、日本発のポップカルチャーは世界に人気を博してきたが、それもすでに翳りが見え始めている。製品の人気とあいまって、韓国の大衆文化の人気が世界的に高まっている。映画、ドラマ、音楽、アイドルなど。この方面の世界市場は韓国が席巻していくことになるだろう。韓国を嫌っているのは日本人ぐらいのもので、世界的には大人気なのだ。

経済力は軍事力に直結するので、国防の方面も不安が高まる。ドンパチやらなくても、金で実効支配されていきそうな。実際、北海道のリゾート地などがどんどん中国人に買われていっている。この調子でいくと、日本の国土の大半が中国人の所有物になってしまわないか。

あの国は共産主義なもんで、自国の土地は買ってもしょうがない。期間限定の使用権が入手できるだけで、自分の保有財産になるわけではない。したがって、投機対象にはなりえない。

その目的だったら、お隣りに日本があるじゃないか、ってわけである。好き勝手に投機ゲームが繰り広げられて、土地の価格が高騰していき、日本人にはもはや手が出せなくなっていく。

なーんか、いっそのこと、併合されちゃったほうが、われわれの暮らし向きはよくなるのではないか? 私より上の世代だと、そんな屈辱、耐えられるか! と怒りそうだが、若い世代だと、案外すっと受け入れちゃったりして。日本は、国として、自殺しようとしているようにみえる。

割と最悪っぽいシナリオだが、それほど非現実的な話だろうか。

●どうしたらよいか

知らん。

すでに敗色濃厚だ。本来ならば、AIの研究開発に国家も企業もどっかんどっかん予算を投入すべきなんだけど。GDPで中国や米国にこれだけ水をあけられると、どうしたって限度がある。

日本としてめいっぱいがんばったとしても、米中と比較したら、論外レベルのしょぼさにとどまるだろう。まあ、せめて、大規模建設系のインフラ整備に充てている予算の多くの部分をAI研究開発に振り向けるべきだよなぁ。

教育あたりから抜本的に改革しなきゃ、いかんだろうなぁ。すでに英語教育の低年齢化など、取り組んではいるけど、抵抗勢力もあって、なかなか進まない。外国語よりも母国語が先決問題だという彼らの論だって、そこだけ聞けば一理あるのだ。

経済が危機的状況なんだから、どうしてもやらなきゃならないのだ、というのが国民の大半の間で共有する合意事項になっていかないことには、進まないだろうなぁ。

中国の教育のスパルタぶりは、もはや児童虐待のレベルですさまじい。日本もあれをやらんといかんのかなぁ。放課後のクラブ活動をアニメで見るけど、あれってほんとに日本で実践してることなの? って、中国人から聞かれることがある。

中国の生徒は夜まで勉強してるよ。カリキュラムの進行が遅れると、体育の授業なんか、どんどん別科目に変えられちゃうし。体育教師が一番ヒマだ、なんて冗談っぽく言われている。

中国の泥くさいやり方を真似るよりは、シンガポールあたりの洗練されたやり方を参考にしたほうがいいかもしれない。

諸外国と比較して、日本はどういう状況に置かれているのか、それを客観的に把握することがまず大事で、これがないとまっとうな議論が始まりもしない。その上で、把握した現状としっかりかみ合った対策を打ち出していかないとならない。

海外の動向をタイムリーに把握することは、決定的に重要だ。ところが、マスコミがこれまた、お金に困窮しているんだよなぁ。語学と国際情勢に長けた優秀な人材を、長期間海外に送り込んで取材させているような余裕がないのだろう。西側を経由して入ってくる情報のおこぼれのうち、当たり障りのないごくわずかな部分を拾って報道しているだけにみえる。

世界的な情報流通において、日本はほぼ鎖国状態。情報的にまずもってすでに孤立している。日本人の大半は海外のトレンドがどっちを向いているか、そもそも知らないのだ。

マスコミがまずヤバい。海外から情報収集し、国内で素早く情報拡散する仕組みづくりには、国家予算を大胆に充てるべきなんじゃないかなぁ。

                 ●

あくまでも、ものをよく知らない一個人の戯言なので、あんまり気にしないでください。

ところで、いまだにケータイ童貞、スマホ童貞なオレ。世の中の進歩が早すぎてついていけん。なんか、時代に取り残されてるかも?

……すまぬ。ヤバいのはオレだった。


【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
http://www.growhair-jk.com/


《 白内障手術のホラー 》

白内障の手術を9月5日(木)に受けたことを前回書いた。

『数年ぶりの両眼立体視 ─ 白内障を治しました』
https://bn.dgcr.com/archives/20190920110100.html


おかげさまでその後の経過は順調だ。手術から2週間後、9月19日(木)に受けた診察で問題ないことが確認されたので、洗髪、洗顔、飲酒等の制約がすべて取っ払われ、完全にふつうの生活に戻っている。

白内障の手術は、ほぼ確立されており、全身麻酔よりも安全な局所麻酔を使うので、危険はほとんどない。経過がいやおうなく見えてしまうという点でホラーなイメージがあるかもしれないが、実際には、そんなに大変なものではないことを述べた。

この話題を出すと、オレも受けた、って返してくる人が意外と多くいて、割とありふれた経験なんだと判明した。たった一人だけ、意表をつく反応を返してきた人がいて、おお怖っ、ってなった。

中ザワヒデキ氏という美術家がいる。ダダイズムのような、反芸術の系譜に属するらしい。中ザワ氏は、思想の根底に人間機械論のような唯物論的な指向があるようで、アートは行き着くところまで行けば、人工知能が制作し(人間が人工知能を道具として使用して制作するのではなく、人工知能自身が主体的な動機をもって自律的に作品制作する)、人工知能が鑑賞するのが、その究極的な姿であろうという考えを提唱している。

中ザワ氏は30年前、眼科医だった。白内障の手術は、10例ほど執刀したことがあるという。こ、これは怖い。

もちろん資格を得て実施していることであるから、何ら問題はない。けど、あの髪型の反芸術家が白内障手術って、イメージが怖い。

手術室に運ばれてきたら、中ザワ氏が出てきて「私が執刀を担当します」と言ってきたら、悪い夢そのものだ。

9月29日(日)に東京藝術大学で開催された「第26回AI美芸研」の写真
(撮影:岩切 等)
https://photos.app.goo.gl/aA9BxBErgD7dYnAj8


《 大阪からのんびり帰京 》

9月22日(日)に大阪で「シンギュラリティサロン」が開催された。聴講レポートはいずれ書くことにして。

いつもだと弾丸日帰り。いちおう大阪に来たという気分だけは味わっておくべと、帰りがけに新大阪駅新幹線構内にある「大阪新世界元祖串かつだるま大阪のれんめぐり店」に入り、生ビールを飲みながら、どて焼きと串かつを食うのがパターン化していた。大阪と言えば、二度づけ禁止だ。

この日もそのつもりで来ていた。しかし、翌日は祭日で、特に予定が入っていない。梅田にあるインターネットカフェ「アプレシオ大阪梅田店」に行って「旅の窓口」(楽天トラベル)で調べると、6,000円で宿泊できるホテルが見つかった。

すっかり長居してしまった。さあ、ミナミへ繰り出すぞ。
23:09 梅田 - 23:22 動物園前、大阪メトロ御堂筋線なかもず行。

新世界全体が本日は営業終了しました、みたいな雰囲気になってて、大半の店は閉まってるし、暗めだし、人影もまばらだし。24時間営業を掲げる「横綱通天閣店」へ。生ビール中ジョッキ×2杯、串かつ、どて焼き、せせり柚子胡椒ポン酢などを注文。

大阪と言えば、二度づけ禁止以外になんかあったっけ? っていうぐらい、変わり映えしないけど、まあ、駅構内よりは落ち着く。

タクシーでホテルへ。道頓堀の南側、御堂筋の西側。まわりはラブホだらけなんっすけどー。セーラー服着たおじさんがうろつくの、風紀的にアレかなー?

月曜、こんな経路で帰ってみた。

10:00 大阪難波 - 12:09 近鉄名古屋、近鉄名阪特急アーバンライナー、名古屋行。
13:00 名古屋 - 14:52 塩尻、中央本線特急ワイドビューしなの 13号、長野行。
15:24 塩尻 - 18:29 新宿、中央本線特急かいじ 54号新宿行。

時間をかけて帰れば、旅費が安くつく。……ということはなく、かえって高くつく。そこに得を求めてはならない。

このコースが決定的にスペシャルなのは、デルタ線に2度遭遇できるという点にある。

「デルタ線」は「三角線(さんかくせん)」とも言うが、JR九州の「三角線(みすみせん)」と紛らわしいので、ここでは前者で呼ぼう。ギリシア文字のデルタの大文字(Δ)が三角形であることに由来する。

余談だが、「デルタ地帯」で画像検索をかけると、三角州以外に、女性にまつわる画像が引っかかってくる。けど、あれは、デルタ(Δ)というよりはナブラ(∇)ではないだろうか。

デルタ線とは、三角形状に敷設された鉄道線路の配線のことを言う。3方向からの路線が集まる地点をこの配線とした場合、列車の進行方向を変えずにどの方向からどの方向へも直通できる。しかし、進行方向を切り返して3辺を全部通ると、元の位置に戻ってくるが、前後が反転している。JR京葉線からJR武蔵野線がT字に生えている地点が、この構造になっている。

大阪難波からの近鉄大阪線は、そのまま自然に近鉄山田線に接続する。近鉄名古屋からの近鉄名古屋線も、そのまま自然に近鉄山田線に合流する。これだけだと、大阪線から名古屋線に入るためには進行方向を反転しなくてはならない。それを避けるために、デルタ線になっている。

中村川の手前で左手に分岐して、いかにも無理やり作った感じの軌道に入る。本線のほうは川筋にほぼ垂直に橋が架かっているのに対し、渡り線のほうは、橋が斜めに架かっている上に左へと湾曲している。作るにはえらいコストがかかったであろう。こんな橋の架け方、なかなかしないぞ。かっちょええなぁ。

塩尻駅では、中央東線と中央西線と篠ノ井線とが集まる。新宿方面からの中央東線の列車は篠ノ井線に直通し、名古屋方面からの中央西線の列車もまた篠ノ井線に直通する。どちらも方向転換しなくて済むよう、1982年に駅を移転している。

中央東線から中央西線へ直通する定期列車はないのだが、かつての名残として、今の塩尻駅をバイパスする短絡線が残っている。臨時でもいいから、ここを通る列車が運行されるなら、めちゃめちゃ乗りたいぞ。

たいていのデルタ線は、直進する本線から支線がT字に生えている構造になっているが、塩尻駅の場合、3路線がほぼ120°ずつ開いているのが非常に美しい。

中央本線は、他にも、姥捨駅や初狩駅など、鑑賞に値する構造をもった駅があってすばらしい。

《 失くしたレシート 》

買い物したり店で飲食したりして、クレジットカードやSuicaで会計した場合、その控えをしばらく取っておく。正確な時刻が記載されているのがありがたい。ふつうのレシートだと日付はたいてい記載されていても、時刻までは記載されていないことが多い。記載されていたとしても、レジの内蔵時計が狂っていて、大幅に合ってないことが多い。

後でテキストファイル "Diary.txt" に写し取る。自分の足取りが割と正確に再現できる。記録したら、元の控えは捨てる。

9月25日(水)に前日分の行動記録を取っていたら、夜に行ってるはずの飲み屋のレシートと控えが出てこない。失くした。

いつも左のポケットに入れるようにしているが、財布と同居させているので、財布を取り出すときに一緒にすべり出て、落っこちることがたまにある。だけど、このところ、現金払いすることって、めっきり少なくなった。定食屋とか、ラーメン屋とか、パン屋とか、個人経営の飲み屋とか。

前日に飲み屋を出てから財布を取り出したのは一回だけ。昼メシを食ったときだ。居酒屋の昼の営業で、日替り定食の代金として950円を現金払いしたのだった。この日の日替り定食は煮込みハンバーグだった。

そのとき落としたのか。もし落ちているのを後で店の人が見つけたとしても、手帳とか名刺入れとかならともかく、レシートじゃゴミとしか思わなくて、迷わず捨てているだろう。しかたがない。あきらめよう。

翌日、26日(木)も同じ店で昼メシにした。やはり日替り定食を注文し、950円を現金払いしている。この日は鳥ねぎみそ焼き定食だった。

その翌日、27日(金)も同じ店で昼メシにした。やはり日替り定食を注文し、950円を現金払いしている。この日はヒレカツ定食だった。

店を出ると、足許に紙切れが落ちている。レシートと控えを2枚重ねにして、何度も折って、おみくじみたいに細く畳まれている。それ、オレの折り方。表面がこすれて判読できなくなることがあるので、表面積を小さくすべく、たくさん折っておくのだ。

ビンゴ! あったよ、あった。丸々48時間、そこにあったのか。オレって、めちゃめちゃ、運よくね? 天下のラッキー男!

9月25日(水)01:07:14am 落合「養老乃瀧落合店」。3,045円。ANA VISA カードで決済。冷たい緑茶(216円)×3杯、お通し(227円)、刺身6種盛り(1,458円)、塩キャベツ(302円)、ホルモン揚げ(410円)。