日々の泡[018]ノンフィクションの魅力【パリは燃えているか/ラリー・コリンズ&ドミニク・ラピエール】
── 十河 進 ──

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このところ白水社から翻訳出版されている、ジャーナリストやノンフィクション作家が書いた現代史の本を読んでいる。ベルリンの壁ができる頃の冷戦状況を描いた「ベルリン危機1961」、ベルリンの壁が崩れて始まったソ連崩壊を描く「東欧革命1989」、真珠湾攻撃後の日系人強制収容を取材した「アメリカの汚名」などだ。

どの本もそれぞれ興味深いのだけれど、すべて重厚長大なハードカバーで重いのが難点だ。寝転んでは読めない。先日読んだ「ヒトラーの絞首人ハイドリヒ」も本文は500ページを越え、資料リストや索引などが60ページ以上ある分厚さだった。筆者ロベルト・ゲルヴァルトは、ドイツ人の歴史家で現代史の教授である。

ラインハルト・ハイドリヒは、1942年5月27日にドイツ軍の占領下プラハで暗殺されたナチ高官だ。まだ38歳だったが、ハインリヒ・ヒムラーに次ぐSS(ナチス親衛隊)の有力者だった。また、「ユダヤ人絶滅政策」と呼ばれたホロコーストを急進的に推進した責任者でもあった。生きていれば、戦後、厳しく罪を問われただろう。





ハイドリヒが「死刑執行人」と呼ばれていたのは、フリッツ・ラング監督の「死刑執行人もまた死す」(1943年)を見たときに知った。フリッツ・ラング監督はサイレント時代からドイツ映画界で名作を作ってきたが、ユダヤ人であったことからナチスが政権を取った後の1934年にフランスに亡命し、その後ハリウッドに移った。

ハリウッドでは多くのフィルム・ノワール作品を手がけたけれど、特に劇作家ブレヒトの協力で制作した「死刑執行人もまた死す」は、ハイドリヒ暗殺事件の翌年に早々と公開した作品でありながら、その完成度の高さには目を見張るものがある。全編、緊迫感に充ちた傑作だ。

僕が初めて「死刑執行人もまた死す」を見たのは、アメリカ公開から四十年以上経ったときだった。それまで日本公開がなかったからだが、その圧倒的な迫力に圧倒された。この映画が制作された頃、ナチス政権はまだ盤石でヒトラーは意気軒昂だった。ヨーロッパはドイツ軍に席巻されていた。

映画は、プラハの街角から始まる。ヒロインのマーシャが買い物をしていると、ナチ親衛隊員たちがバラバラと現れる。ハイドリヒが暗殺されたというのだ。マーシャはひとりの男と知り合い彼を助ける。しかし、周囲を封鎖され脱出できなくなった男は、マーシャの家にかくまわれる。

彼は医師でありレジスタンスのメンバーであり、ハイドリヒの暗殺犯だった。一方、ゲシュタポは犯人が逮捕されるまで市民を無差別に逮捕して銃殺すると宣言し、マーシャの父親も逮捕される。マーシャは男を探し出し、自首してくれるように懇願するが----。

この映画から74年後、「ハイドリヒを撃て!『ナチの野獣』暗殺作戦」(2016年)が日本公開された。これは歴史的事実を踏まえた作品で、イギリスの戦闘機からふたりの男が落下傘でプラハ近くの森林地帯の雪原に降下するところから始まった。

ふたりは、ロンドンのチェコスロヴァキア亡命政府から派遣された暗殺チームである。ハイドリヒ暗殺作戦のコードネームは「類人猿作戦」だった。ふたりはプラハのレジスタンス組織と接触するが、彼らはハイドリヒ暗殺に反対する。

ハイドリヒ暗殺に成功したとしても、報復として大勢のプラハ市民が殺されるだろうとレジスタンスのリーダーは言う。しかし、レジスタンスにかくまわれながら、ふたりは準備を進め、ハイドリヒを襲撃する。そのときの傷によって6月4日にハイドリヒは死に、暗殺者たちはレジスタンスにかくまわれる。

予想通り、ナチスの報復はすさまじく、さっそく犯人たちをかくまった村の数百人が銃殺される。暗殺者に対する追及は苛烈を極め、通報者には莫大な報償が約束される。その金に目がくらみ、家族の安全を保証させ、密告したのはカレル・チャルダだ。イギリス仕込みのチェコ工作員でありながら、ゲシュタポ本部に出頭し仲間を売る。

映画は、実在の彼らを描いた。ふたりの暗殺者は、ガプチークとクビシュである。彼らをかくまっていた主婦マリエ・モラヴェッツはゲシュタポに踏み込まれ、青酸カリのカプセルを飲んで自殺する。夫はレジスタンスと無関係だったが、息子と共にゲシュタポに逮捕され拷問される。

「ヒトラーの絞首人ハイドリヒ」によると、そのときの描写がすさまじい。息子は「二十四時間近くの残酷な尋問に耐えたあと、水槽に入った母親の生首を見せられ、おやじの首も並べるぞと脅されて、口を割った」という。暗殺者たちは隠れていた教会を包囲され、壮絶な銃撃戦の果てに自決する。拷問されるより死を選んだのだ。

ナチの報復は続く。彼らをかくまっていた数人の司祭は死刑になり、数千人が逮捕され千人以上が処刑された。さらに四千人ほどの人が強制収容所あるいは一般刑務所に収容されたという。ひとりの暗殺に対して、ナチの報復は信じられない執拗さだった。また、ハイドリヒ暗殺以降、ユダヤ人のホロコーストはさらに加速した。

ところで、僕が海外のノンフィクション作家やジャーナリストの、重厚長大なノンフィクション作品を好んで読むようになったきっかけは、やはり中学生の頃に常盤新平編集長時代の「ミステリマガジン」を定期購読していたからだと思う。

初めて買った「エラリィ・クィーンズ・ミステリマガジン」の真ん中あたりにあった早川書房の新刊を告知するページでは、「パリは燃えているか」というタイトルが目立っていた。ラリー・コリンズとドミニク・ラピエールが書いたパリ解放のノンフィクションだった。

そのタイトルに興味が湧いた僕は書店で実物を手にしたが、中学生には手が届かない値段だった。結局、原作を読んだのは数年後だったが、それより前にルネ・クレマン監督によって映画化された「パリは燃えているか」(1966年)を見た。ただ、多くの人が登場するものの明確な主人公のいない物語は感情移入できず、中学生にはよく理解できなかった。

「パリは燃えているか」の数年前、コーネリアス・ライアンが書いた「ザ・ロンゲスト・デイ」がアメリカでベストセラーになっている。ただし、日本では映画化された「史上最大の作戦」(1962年)が公開されて一般的に有名になり、主題歌もヒットしたが、原作はあまり売れなかった。

「ザ・ロンゲスト・デイ」は様々な人物に取材してノルマンディー上陸作戦を描いたものだから、日本が悲惨な敗戦を経験してからまだ十数年の時期では、連合軍の勝利の物語を読む気にはならなかったのかもしれない。それに、翻訳ものがそれほど売れる時代ではなかった。

コーネリアス・ライアンは第二次大戦時にヨーロッパ戦線や太平洋戦線を従軍記者として取材した人物だが、それから半世紀以上を経て戦後生まれのアニトニー・ビーヴァーが書いた「ノルマンディー上陸作戦1944」が白水社から上下二巻で出ている。こちらも、近々、読んでみようかと思っている。


【そごう・すすむ】
ブログ「映画がなければ----」
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●記事内で紹介された書籍・映画 

ベルリン危機1961
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4560083711/dgcrcom-22/


東欧革命1989
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4560095523/dgcrcom-22/


アメリカの汚名
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4560095833/dgcrcom-22/


ヒトラーの絞首人ハイドリヒ
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4560095213/dgcrcom-22/


死刑執行人もまた死す
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00U7C7JP0/dgcrcom-22/


ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0777R797P/dgcrcom-22/


パリは燃えているか
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150504555/dgcrcom-22/


パリは燃えているか(映画)
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B073XF7377/dgcrcom-22/


ザ・ロンゲスト・デイ(邦題:史上最大の作戦)
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150501874/dgcrcom-22/


史上最大の作戦
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002PHBINO/dgcrcom-22/


ノルマンディー上陸作戦1944
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4560081549/dgcrcom-22/