[4885] 尊敬が心に刻むもの◇駒場寮強制執行のこと◇高校生と宇宙

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《缶サット(CanSat)とは》
 
■装飾山イバラ道[255]
 尊敬が心に刻むもの
 武田瑛夢

■Scenes Around Me[60]
 駒場寮強制執行のこと/2001年8月
 関根正幸

■crossroads[74]
 高校生と宇宙
 若林健一




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■装飾山イバラ道[255]
尊敬が心に刻むもの

武田瑛夢
https://bn.dgcr.com/archives/20191022110300.html

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人の考えを知るなんて、基本的にはできないけれど、部分的には可能なことがある。日常的に一緒にいれば、思考習慣のベースの理解があるからだ。私も夫が今飲みたいものや、かけたい調味料がわかったり、買ってきて欲しいモノを言われなくとも買ってきたりはできる。

気になる人が何を考えているのか、受け手の自分側で真剣にフォーカスするからだ。人の考えは、目の動きや動作や言葉選びに浮かび上がる。あなたも気になる人の心理を読み取ることに、神経を集中させた覚えはないだろうか。

それはおそらく恋愛でも使うような、相手の心を読む力。こういった他者の考えにピントを合わせる努力は、仕事で使っている人もいるだろう。案内所や受付、教師、警察官、医者。様々な場面で、人の心を察しながら仕事をしている人は多いのだ。

しかし時には、相手の側から瞬時に伝わってくる感情もある。読もうとせずとも、伝わってくる感情。それはお互い相手に関心がある時にだけ、可能になるような気がする。今回は、思いを相互に受け取ることについて考えてみたい。

●教育実習での強烈な体験

私は美大の時に、教員免許取得のための教育実習の経験がある。数週間出身中学校へと戻って、他の教科の先生たちと共に頑張った。

その時の美術の授業の課題は風景画だった。自己紹介の挨拶をして、初めての授業の始まりだ。校庭で絵を描いている生徒の側へ近寄っていくと、最初はなかなか会話が上手くいかなかった。私も生徒もお互いに緊張しているからだ。

皆の作品を見ながら気になったのが、校庭の木々を描く時に揃いも揃って「ビリジアン」を葉っぱに塗っていることだ。そんなキツイ発色のミドリ色、この風景の一体どこにあるのだろうか。

描画材料は小学校の時既にクレヨンから絵の具へと移っているはずなのに、手に持った1色をそのまま塗るクセが抜けていないのだ。

葉っぱのミドリは、ビリジアンじゃないと思わない? チューブを持って木々に重ねてみればよくわかる。

私は思い切って「ビリジアン」は一切使わないで描くことを勧めようと思った。赤、青、黄色の3色を混ぜたり重ねて、葉っぱの色を作ってみようというものだ。ビリジアンに他の色を少し混ぜるという方法もあるけれど、いっそ使わない方が色の仕組みが理解できると思ったのだ。

葉っぱを描くのに、ミドリ色の絵の具は使うの禁止というショック療法のようなもの。

言うだけではわからないだろうと、放課後の時間を使って、皆が使っているものと同じ画用紙と絵の具で、校庭の木々を水彩画として描いた。久しぶりで楽しかったし、描いている途中に他の科目の先生も見に来たりして、コミュニケーションツールにもなった。

次の日に担当の授業が始まった。今日は教室で説明を始めよう。

「皆は木々の葉っぱを描く時に、なぜかビリジヤンを使うよね。でも実際の風景には、そんなにキツいミドリ色はないように私には見える。色というのは赤、青、黄色の3色を混ぜたり、乾いた色の上に重ねることで、いくらでも作れるものなんです」。不透明水彩絵の具と透明水彩絵の具の両方の効果だ。

「私も実際にビリジヤンは一切使わないで、赤、青、黄色の3色だけで木々を描いてみました。使った道具はみんなと一緒だよ。それがこちらの絵です」と自分が描いた風景画を、皆の側に掲げて見せた。

すると、「うぉー!」「えー!」「うまー!!!」と、中学生の皆のどよめきと感歎の声が教室に響いたのだ。

想定をはるかに超えた反応に、私自身が「え、えー?!」っと驚いてしまった程である(笑)。

「こんな上手い絵見たことない!」というような反応だった。いやいや、教科書にはピカソだって日本の巨匠だって、色々載っているじゃない。上手い絵なんて今までたくさん見ているはずだ。

どうやら、彼らが目にする「知っている人が描いた絵」のてっぺんを突き抜けてしまったらしいのだ。当時私は美大の油絵科の学生だったわけだけれど、そんなにすごいの? そうなの? という感じだった。

照れるけれど、とにかく絵の具の可能性について語り、校庭に出て風景画の続きを描いてもらった。

すると、状況が変わった。皆の私に対する反応が、自分で描いた絵を見せる前とは明らかに変わったのだ。私が近づいていくと、ドキドキと緊張しているようだ。いくつかアドバイスをしてもうなずきに力が入っているし、話しかけられて嬉しそう。それは誰のところへ行っても同じだった。

前回初めて回った時の緊張感とも違う感覚。私にとってそれは想定外だった。どうやら私はなんと、尊敬されたのである(笑)。

その後は授業のやりやすさが格段に変わったし、皆ともコミュニケーションが上手くいったと思う。

高校や美大では認めてくれる仲間はいても、尊敬とまではいかなかった気がする。それが、相手が中学生ということの実力差があるおかげなのか、すごいと思われてしまった。ちょっとズルかったですね。

別のクラスの美術の授業が始まる時には、私は嬉しくてしょうがなかった。作品を見せる効果をすでに知っていたので、皆の反応が楽しみだったのだ。

実際に皆の絵にも少なからず良い影響が与えられたようで、黄色味のある葉っぱや茶色がかった葉っぱなど、自分で見つけた自然の色合いが感じられるようになった。

もちろんビリジアンだって、色の純度が高いので絵の具のラインナップには必要な色だ。ビリジアンに少し違う色を混ぜる方法も補足しながら指導した。

●心の伝達法則

教育実習というのは授業計画の提出や直し、結果の反省などでストレスが多いものだ。そんな中での大きなご褒美を頂いたような感じだった。この経験は、後で非常に役に立った。

そして、尊敬の念というのが人に伝わる想いだということも、この後気づいて確信していく。

あなたが尊敬している人は、あなたの尊敬にきっと気づいている。

これは、とても大切な心の伝達法則なのではないだろうか。人生の中で、仕事や人との関わりで人を尊敬したこと、尊敬されたことは、思い返してみてもそんなにはない。それぐらい貴重な体験なのだ。

貴重だからこそ、いつでも思い出せるはず。私は上で挙げたエピソード以外にもいくつかあるけれど、それはとても少ない。しかしずっと残り続ける、宝物のような感情だ。感謝。

そしてただ単に尊敬されて嬉しい止まりでは、もったいない。尊敬というのは、人と人との間に起こる、最高峰のポジティブな感情だと思う。

それは愛情と双璧をなすものだ。尊敬してもらったら、それを人にどう返すことができるのか。もしかして、人によって返し方は変わるかもしれない。私の場合は、先生業が長かったので相手の良いところを褒めることで返してきたと思う。

どうでもいい相手からの言葉とは違うものとして、真剣に聞いてくれるはずだからだ。どうでもいい存在でなくなることは、人に影響を与える。

実は本当にすごいのは、人が持っているものに気づくことのできる能力なのだ。普通にすごいという程度をはるかに超えて、心の芯で驚いた時にだけ、尊敬の念は起きる。人を尊敬できる心の状態は、きっと素直じゃないと無理なのだ。心の芯まで届くように、扉が開いている必要がある。

私もスポーツを見て選手を尊敬したり、ニュースで取り上げられた人物に感動することがある。どんなに若かろうが、他者が驚くような言動で周囲の人間を惹きつける人はいるのだ。

周囲に尊敬できる人が見つからない? いやいや、本や映画や歴史の中でも過去の素晴らしい人物に触れることができる。人の考えの結晶は、あらゆる形で私たちの身の回りにあり、それにアクセスする手段も簡単にお手ごろに存在している時代なのだから。

ちなみに、私は夫を尊敬している。夫もそれに気づいている(笑)。検証として、自分の尊敬している人に、それに気づいているか聞いてみるのをお勧めする。「知らなかった」と言われたとしても、きっとその相手は天にも昇る嬉しさのはずだ。

尊敬は自然に伝わるのが一番かもしれないけれど、「尊敬のカミングアウト」というのも新しい刺激になるような気がする。

既に亡くなってしまった人に尊敬を伝え損ねた人は、尊敬していると伝えられれば良かったと思うかもしれない。おそらくその瞬間に、きっと天国で照れて喜んでいるはずだと思う。


【武田瑛夢/たけだえいむ】
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/


近所にタピオカ屋さんがいくつか出来た。私もタピオカは好きだけれど。お墓参りで実家のそばにも店が出来ているのに気がついたりして、店の増え方がすごい。タピオカの飽和状態って感じで、カップにびっしりのタピオカを想像して怖い。吸えないよね。


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■Scenes Around Me[60]
駒場寮強制執行のこと/2001年8月

関根正幸
https://bn.dgcr.com/archives/20191022110200.html

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この数回、私は、以前にネガからスキャンしていたオブスキュアに関する写真を紹介してきました。それも一通り終えたので、今回は駒場寮強制執行直後に撮影した写真を紹介します。

1998年の年末にオブスキュアが駒場寮を立ち退いた後、私は東京大学駒場寮に立ち入ることはほとんどありませんでした。

そして、駒場寮の廃寮裁判の情報も、こちらからは積極的に知ろうとしませんでした。

そのため、私が駒場寮がなくなるという話を事前に知ることができたのは、幸運というよりほかにありませんでした。

私は2001年7月末から8月初旬にかけて、数学の研究集会のため京都に滞在しました。

そして、京都大学吉田寮に宿泊を申し込む際、東京大学の所属と記帳していたため、寮生に私が以前駒場寮に出入りしていたことを話したのだと思います。その寮生から2001年8月15日頃、駒場寮に強制執行があるという話を聞いたのでした。

私自身、駒場寮委員が学外生を追い出してまで争った裁判に、結局勝てなかったということに複雑な思いがありました。

ですが、駒場寮の最後を見届けたいという気持ちもあり、東京に戻った後、駒場の様子を見に行ったのだと思います。

■駒場寮がなくなることを事前に知る

ある晩、駒場寮の入口に大量の木枠を積み上げた、バリケードが出来ているのを見かけました。木枠は真っ黒に塗られていた、という記憶があります。

私はバリケードの写真を撮りたいと思いましたが、三脚を持っていなかったため、次の日に出直して撮影することにしました。今思うと、その場で何らかの写真を撮っておくべきでした。

私は翌日の昼過ぎ、仕事先に行くついでに駒場に立ち寄ることにしました。(後述する日付に間違いなければ、その日は曇りだったので、午前中は埼玉県内で中山道の撮影をしたようです)

渋谷から山手通りに出ると、警察の輸送車が何台も止まっているのを目にしました。強制執行でした。

駒場キャンパスは立ち入りができなくなっているばかりか、山手通りの歩道も通行規制が行われていて裏門方面に行けなかったため、私は脇道に入り、通用門側に回りました。

そして、通用門から学内の職員や関係者が入構できることを知り、私は数学(数理科学)科に用事があることを口実にして構内に入りました。

通用門から入って道なりに進むとT字路の突き当たりになるのですが、左に曲がると数理科学科、右に曲がると駒場寮前の道になっていました。

私はT字路から駒場寮方面を見ましたが、寮の大分手前で封鎖されていて、近づくことができませんでした。

そして封鎖された向こう側、駒場寮前で警察や機動隊に混じって、過激派と思われる人たちがアジテーションを行なっているのが見えました。

私は、あちこちに警備がいるためカメラを出すのをためらい、そのまま数理科学科の建物に向かいましたが、私と入れ違いに警備員が隊列を組んで建物から出てきました。

どうやら、数理科学科が警備員の詰所として使われていたようです。私は一階の教室の中で大勢の警備員が弁当を食べているのを目にしました。

結局、その場では一枚も写真を撮らずに駒場を後にしました。

■駒場寮の強制執行は8月8日

私は長い間、駒場寮の強制執行は8月8日に行われたと思っていました。

というのも、8月15日の予定を1週間前倒ししたため、個人的には不意をつかれて写真を撮る準備ができなかったことを残念に思っていたからです。

ところが、駒場寮についての記事を書くにあたり、日付を調べたところ、ウィキペディアや「東大駒場寮物語」では、強制執行によって学生が退去させられたのは、8月22日となっていました。

私は、当事者が日付を間違える訳がないので、自分が勘違いしたと考えました。しかし、今回当時のネガを見返したところ、強制執行は8月8日で間違いないという結論を得ました。

https://live.staticflickr.com/65535/48913579291_2647b6832c_c

これは強制執行の翌日に撮影した写真です。駒場キャンパス内は普段と変わらないように見えますが、写真の奥の方には駒場寮の周りに作られたフェンスが写っています。

私はフェンスの写真を撮ろうとしましたが、多くの警備員がいたため、少し離れた学生会館のあたりから撮影したのです。

この写真と同じネガシートの後に、8月11日に行われた東京湾花火大会の写真があるので、この写真はそれ以前に撮影されたものです。

https://live.staticflickr.com/65535/48913578831_20ea2ebe96_c

フェンスで囲まれた駒場寮。フェンスの内側に幟が立てられています。

この写真と同じネガシートの前のコマに、寿町フリーコンサートの写真があります。2001年の寿町フリーコンサートは8月12日に行われたこと、そして8月18日に私は中山道の撮影に出かけていることから、写真は8月13日から17日の間に撮影されたようです。

https://live.staticflickr.com/65535/48913576181_4575089d72_c

ネガの前後に写っている写真から判断すると、8月23日頃に撮影したようです。フェンスの前に入寮募集の立て看板を設置して、駒場寮を追い出されたことに抵抗を試みています。

https://live.staticflickr.com/65535/48913782177_a1ccab7db7_c

同日の夜に撮影。駒場寮を追い出された寮生は、明寮跡の空き地にテントを立てて、しばらく暮らしていたようです。

駒場寮の周りにフェンスができた後も、寮生は寮内に残された荷物を運び出すために、しばらくは寮に出入りできたと聞いているので、8月22日というのは寮内に立ち入ることができる期限だったのかもしれません。


【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://sekinema.com/photos


1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔


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■crossroads[74]
高校生と宇宙

若林健一
https://bn.dgcr.com/archives/20191022110100.html

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こんにちは、若林です。最近、友人に教えてもらった「シェフィ」というカードゲーム(のアプリ版)
にハマっています。

色々なイベントカードを使って、1匹の羊を1,000匹に増やしたら勝ちという単純なゲームですが、戦略的な要素がありなかなか難しい。

最初は1,000どころか100までも増やせなかったものの、少しずつ性質がわかってきて、5回に1回ぐらいは1,000を達成できるようになりました。

くせになる面白さなので、未体験の方はぜひ一度やってみてください。

1人用ひつじ増やしカードゲームシェフィ-Shephy-
https://www.arcsystemworks.jp/shephy/


■今年も「NASA Space Apps Challenge」に参加しました

昨年、一昨年に続いて、今年もNASA主催のハッカソンにスタッフとして参加してきました。NASA Space Apps Challengeとは、NASAが公開するオープンデータを使って、あらかじめ設定された「Challenge」と呼ばれるテーマに沿って、アプリやプロダクト、製品を作る短期集中型の開発イベントです。

今年は、和歌山県の串本町ではじめて開催するということで、遠路串本町へ。本州最南端の串本町は、大阪から和歌山市まで電車で1時間、そこからさらに2時間以上かかるという、大阪から見て東京よりも遠いところ。

ここで、高校生6チーム(うち小学生1名含む)と一緒に、NASAのオープンデータを使ったアプリの開発を楽しんできました。

NASA Space Apps Challenge 2019
https://2019.spaceappschallenge.org/


NASA Space Apps Challenge Kushimoto 2019
https://space-apps-kushimoto.github.io/


今回参加してくれた6チームのうち、4チームが「缶サット」という競技をやっているチームで、それがとても興味深いものだったので紹介してみたいと思います。

■缶サット(CanSat)とは

缶サットとは、飲料缶サイズの模擬人工衛星をロケットで打ち上げ、ロケットから射出された模擬人工衛星が、パラシュートや気球などを使ってゆっくり落下する過程でミッションをこなすという競技です。

ミッションとしては、模擬人工衛星に取り付けられたセンサーやカメラを使って、空気中の情報や地上の画像を撮影するといったものがあります。

模擬人工衛星は、打ち上げ時に直径66mm、高さ115mmの大きさに収まっていることが必要で、打ち上げ用のロケットから射出するまでは、これよりも大きくてはいけません。

逆にいうと、ロケットから射出されてしまえば、規定サイズより大きくなっても構わないので、射出されるとセンサーやカメラを露出するなど、必要なサイズに伸びる機構を組み込むチームもあります。

実物を見せていただきましたが、打ち上げ用のロケットは紙でできたもので、厚さも工作用紙のようなしっかりしたものから、コピー用紙よりちょっと厚いぐらいのものまでさまざま。

これにロケットエンジン(太い打ち上げ花火のようなもの)をつけて、約200m上空へ打ち上げ、そこで射出するのですが、ロケットも模擬人工衛星も壊れることなく再利用できる状態で地上に戻ってくるのだそうです。

これだけのものを作ってミッションをクリアするには、機構、電子回路、ソフトウェア制御といった技術が必要になりますから、本物のロケットや人工衛星に必要な技術を実践を通して学ぶことができるという競技です。

競技に参加している学生さんたちは、センサーやカメラを制御ようなソフトウェア技術には詳しい人が多いものの、取得したデータを可視化するようなソフトウェア技術には明るくないようでしたので、webの技術に詳しい学生さんと一緒に活動すればもっと高度な取り組みができそう。

缶サットで求められるのは、技術的スキルだけではありません。自分たちのプロジェクトの内容を伝える、プレゼンテーションスキルも必要になります。

実際、今回参加してくださった学生さんたちのプレゼンテーション(缶サットではなく今回のハッカソンのもの)を聴きましたが、目的、取り組んだこと、結果、課題、今後の取り組みなどを、ポイントをおさえて分かりやすく伝えていました。

彼・彼女らのような学生さんを見ていると、これから社会に出ていくのに必要なのは単一のスキルではなく多様なスキルであり、そのためにはPBL(Project Based Learning)が有効であることをあらためて感じさせられました。

■中高生のための宇宙フリーマガジン「TELSTAR」

高校生と宇宙ということで、もうひとつ。中高生に向けて、宇宙に関心を持ってもらおうという目的で刊行されているフリーマガジン「TELSTAR」というのがあります。

2013年に発刊されたこのフリーマガジン、現在はスポンサーの支援を受けて、希望される中高生に郵送費のみの負担で送ってくれるそうです。

webサイト上で電子版も読めますので、宇宙に関心がある人はもちろん、宇宙と言われてもピンとこない方も一度読んでみてください。これが宇宙につながるきっかけとなるかもしれません。

http://spacemgz-telstar.com/



【若林健一 / kwaka1208】
https://crssrds.jp/aboutme/

子供のためのプログラミングコミュニティ「CoderDojo」
https://crssrds.jp/CoderDojo/


mBotをただの車型ロボットで終わらせない本
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編集後記(10/22)

●偏屈BOOK案内:岩本宣明「科学者が消える ノーベル賞が取れなくなる日本」

2019年のノーベル化学賞は、リチウムイオン電池を開発した吉野彰さんら。よかった。こういっては失礼だが、まだ過去の遺産があったのだ。今の大学制度や研究環境では、若手研究者に将来のノーベル賞につながるような独創的な研究はできない。筆者はまえがきで「本当に酷い。無茶苦茶です。このままでは、ノーベル賞受賞はおろか、日本から科学者はいなくなってしまう」と嘆く。

ノーベル賞は基礎研究を重視している。発明より発見、応用より基礎である。その象徴が、発明の父と称されるエジソンが受賞を逸していることだ。そして、授賞理由の大半は若手時代の研究である。最も若いのは2002年に化学賞を受賞した田中耕一と、2014年に物理学賞を受賞した天野浩で、いずれも26歳時の研究が評価された。天野と同時受賞した赤崎勇(名大)は天野の指導教官だ。

ノーベル賞日本人初受賞の湯川秀樹の授賞対象となった研究は27歳で、2008年に物理学賞を受賞した小林誠が「小林・益川理論」を発表したのは28歳、同時受賞の益川敏俊は同じ京大の研究室の先輩助手。30歳代の研究が授賞対象となったのは、江崎、福井、利根川、益川、下村、南部、中村、梶田の8人。この傾向は世界的にも同様で、受賞者の高齢化が進んでいるのは、授賞候補者の数が多くなりすぎて、順番待ちの期間が長くなっているからだと言われる。

2016年に生理学・医学賞を受賞した大隅良典・東工大栄誉教授が、「このままでは将来、日本からノーベル賞学者がいなくなる」と警鐘を鳴らしているのは、若手の研究者が自由に基礎研究に没頭できる環境がなくなっている、というのがその理由だ。さらに、ノーベル賞を目指すトッププレイヤーが年々減少しているという大問題がある。学者を目指す若者の数が減少という深刻な事態。

科学技術白書2018では「若手研究者を巡る状況は危機的」と書く。大学院博士課程の学生は、将来、ノーベル賞を受賞する可能性を秘めた「博士の卵」である。日本では、近年その数が減少の一途を辿る。日本の基礎研究の危機である。理工系博士課程入学者はピーク時の2/3と、理工系博士の卵は激減した。

なぜそうなったのか。修士課程学生にとって、博士課程に進学するのは経済的負担が大きい上に、博士になっても努力や投資に見合った高収入を得られる安定した就職先が保障されるわけではないからだ。それどころか、博士課程修了者の9割以上が安定した研究職に就けず、6割が非正規雇用かポスト待ちだ。

博士課程への進学者が減っているだけでなく、優秀な人材ほど企業に行ってしまう。これまでのノーベル賞受賞者はみな若くして定職を得て、研究に打ち込むことができた。若手研究者の安定的ポストの確保が最も重要なのだ。優秀な人材は博士課程に進学しない。大学院の博士課程は空洞化している。

論文数、研究費、研究者数、大学ランキングのすべての指標が、日本の科学技術の「基盤的な力」の低下を示している。研究現場は研究予算の削減で疲弊しきり、「忙しくて研究できない」状況が蔓延している。とくに基礎研究の分野のそれは激しく、大学で「基礎研究ができない」状況が生まれている。30年後には、日本人ノーベル賞受賞者は5年に1人になってしまう……かも。(柴田)

岩本宣明「科学者が消える ノーベル賞が取れなくなる日本」
2019 東洋経済新報社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4492223908/dgcrcom-22/



●祝日になったことを忘れていた……。

/「知っている人が描いた絵」/タピオカミルクティーを飲んだ時、タピオカが邪魔だなぁと思ってしまい、友人に打ち明けたら同意された。ミルクティーが美味しかったの。/「シェフィ」やってみようっと。/「缶サット」。今の子らは凄いなぁ。

/昨日の続きのような続きじゃないような。南アフリカといえば、「インビクタス 負けざる者たち」という映画を以前見たよ。監督はクリント・イーストウッド、出演はモーガン・フリーマン、マット・デイモン。

マンデラさんの話という認識で見始めた。ラグビーと絡めてあって、ラグビーは黒人と白人の対立の象徴で、映画では南アフリカは低迷しているチームとして描かれていた。

Wikipediaから抜粋。「白人の観客は南アフリカを応援しているが黒人は敵のチーム(イングランド代表)を応援しているシーンが描かれているほか、フェンスを一つ隔ててラグビーを練習中の白人の若者と、裸足でサッカーに興じている黒人の子供、といった描写で対比させている。」

この手の映画にありがちな暗い・重いだけの話ではなく、ユーモアや爽快感があった。ボディーガードたちのところが好きだったなぁ。また見たくなったわ。 (hammer.mule)

春水堂
https://www.chunshuitang.jp/

ここのタピオカミルクティー

https://ja.wikipedia.org/wiki/インビクタス/負けざる者たち


インビクタス 予告篇


インビクタス 負けざる者たち
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00FIWEJ2U/dgcrcom-22/