日々の泡[019]重厚長大な小説【風と共に去りぬ/マーガレット・ミッチェル】
── 十河 進 ──

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長い小説というと、トルストイの「戦争と平和」とかドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」といったタイトルが浮かぶ。

まあ、吉川英治の「宮本武蔵」も長いし、司馬遼太郎「竜馬がゆく」や「坂の上の雲」も長い。山岡壮八の「徳川家康」なんてのもメチャクチャ長いけど、この際、世界文学の中でと限定しておく。

僕は「戦争と平和」は100ページくらいで投げ出し、「カラマーゾフの兄弟」はずっと気になりながら10年ほど前にようやく読破した。「失われた時を求めて」は何度か挑戦しながら、その都度挫折したままだ。

しかし、大学生の頃、「アンナ・カレーニナ」は夢中で読んだし、ドスト氏の「未青年」「白痴」もおもしろく読んだ。まあ、長いから苦手というものでもないらしい。長くても読めるものは読める。





ちなみに「徳川家康」は読んでいないが、「竜馬がゆく」「坂の上の雲」は読み出したらやめられなかった。短編連作(長編も何作かある)のシリーズものだから長さの比較にはならないけど、池波正太郎の「鬼平犯科帳」は30巻くらい読んだ。

僕が初めて読んだ重厚長大な小説は、「風と共に去りぬ」だった。小学六年生のとき、友だちの家へ遊びにいくと本棚に河出書房版「世界文学全集」が並んでおり、その中に「風と共に去りぬ」上下巻があったのだ。

映画は有名だったから、僕もそのタイトルは知っていたので、つい借りてしまったのだった。重く大きな本だった。その夜から読み始めると、けっこう読みやすくてスイスイ読める。小さな活字で2段組になっている全集2巻を、僕は一週間ほどで読破した。

ただ、ヒロインのスカーレット・オハラは気に入らなかった。嫌な女だと思った。おそらく、多くの男の読者は良妻賢母型で心優しいメラニー(映画ではオリヴィエ・デ・ハヴィランドが演じた)に好意を持つのではないだろうか。12歳の僕もそうだった。

スカーレットが恋する紳士的なアシュレイ、無頼漢の魅力を放つレット・バトラーを比べると、圧倒的にレット・バトラーに感情移入した。奴隷制度を当然とし、それを疑問に感じない南部の紳士たちには批判的な目を向けた。

後年、アン・エドワーズが書いた「タラへの道 マーガレット・ミッチェルの生涯」を読んだとき、僕はマーガレット・ミッチェルは「風と共に去りぬ」だけしか書かなかったことを知った。

「風と共に去りぬ」があまりに評判になり、ピューリッツア賞を受賞し、世界中で大ベストセラーになり、その版権管理で忙しくて次作が書けなかったという説もあるけれど、たぶん他には何も書くものがなかったのだろう。

マーガレット・ミッチェルは南部のインテリの家に生まれ、高等教育を受けて新聞社に入り、コラムを執筆したりする。子供の頃から祖父母に昔の南部の生活や南北戦争についての話を聞き、古きよき南部のイメージを抱き続けていた。

それが長大な小説「風と共に去りぬ」に結実したのだが、その一作ですべてを吐き出したのに違いない。それに、スカーレット・オハラという強烈なキャラクター(作者に似ているらしい)を創造したのも、彼女の手柄であった。

初めて読んだときには、妹の婚約者を奪ったりする(別に愛していたわけではなく、金のためなのだけれど)スカーレット・オハラは「嫌な女」としか思わなかったのだが、長い人生を生きてみるとスカーレット的な女性の生き方に共感する気持ちが湧いてくる。

多くの人が持つスカーレット・オハラのイメージは、映画化された「風と共に去りぬ」(1939年)でヒロインを演じたヴィヴィアン・リーだろう。スカーレット・オハラ=ヴィヴィアン・リーであり、これほど女優と役が離れ難く語られるのも珍しい。

プロデューサーのセルズニックが初めてセットの階段を昇ってくるヴィヴィアン・リーを見たときに、「ついにスカーレット・オハラを見つけた」と叫んだという伝説も本当かもしれない。

インド生まれのイギリス人女優ヴィヴィアン・リーは、「無敵艦隊」(1937年)で共演したローレンス・オリヴィエと恋に墜ち、「嵐が丘」(1939年)に出演するためにハリウッドに滞在していたオリヴィエと一緒にいたのだ。

ある日、アトランタの町が炎で包まれるシーンを撮影(スカーレットとレット・バトラーはスタンドイン)していたセルズニックは、炎に照らし出されたヴィヴィアン・リーを見てそう叫んだと言われている。

ヒロイン探しに難渋し、主演女優が決まらないままアトランタ炎上のハイライトシーンの撮影に入ったときにセルズニックがヒロインを見つけたというのは、まさに伝説として語られるにふさわしいエピソードだ。

映画は原作以上に世界中でヒットし、スカーレット・オハラ=ヴィヴィアン・リーとなった今、彼女以外が演じるヒロインは想像できない(宝塚が舞台化して、何人かの日本人がスカーレットを演じたことがある)。

ちなみに、僕は様々な女優がスカーレット・オハラ役のスクリーン・テストを受ける映像を見たことがある。確か、メラニー役のオリヴィエ・デ・ハヴィランドもスカーレット役のテストを受けた。ベティ・デイヴィスのスクリーン・テストも残っていたはずだ。

「タラへの道 マーガレット・ミッチェルの生涯」を書いたアン・エドワーズは「ヴィヴィアン・リー」(どちらも文春文庫で出ていた)という伝記も書いていて、こちらも僕はおもしろく読んだ。

ヴィヴィアン・リーは「風と共に去りぬ」の後、「哀愁」(1940年)「美女ありき」(1940年)「アンナ・カレニナ」(1948年)「欲望という名の電車」(1951年)と映画史に残る作品に出ているが、ローレンス・オリヴィエとも別れ、精神を病み、55歳で死んだ。

まるで、テネシー・ウィリアムズ原作でエリア・カザン監督の「欲望という名の電車」で演じたブランチ・デュボアみたいな後半生だった。


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