Scenes Around Me[61]オブスキュアのメンバー、チュンジくん失踪のこと
── 関根正幸 ──

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私は、2008年頃からオブスキュアに行かなくなりました。

というのは、コーキくんと安彦さん以外の初期メンバー(鷹野くん、ハッチ、チュンジ)は、この頃までにオブスキュアを去っていたからでした。

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写真は、2001年の元日、山梨県に日帰りで温泉旅行をした際の集合写真。後列中央に写っているテニスコーツの2人が住んでいた家の庭で撮影しました。後列右から二番目に後述するチュンジくんが写っています。







特に、鷹野くんがいなくなってからは、オブスキュアに出向くことはなくなりました。

とはいえ、後からオブスキュアに参加したエルエムさんたちとは交流があったため、鷹野くんがいなくなってからも、私はしばらくオブスキュアに出入りしていました。

しかし、知らないメンバーが増えていくにつれ、私はオブスキュアに遊びに行くのに気を使うようになったのだと思います。

オブスキュアに顔を出す回数は次第に少なくなっていきました。



豪徳寺の時もそうでしたが、都立大学(目黒区中根)の時も、オブスキュアは二階建ての一軒家を借りて共同生活を送っていました。

一階は共有スペース兼応接間、二階は住人の個室になっていました。また、2004年1月にフレハブ小屋が離れとして庭に設置されました。

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写真はプレハブ小屋の基礎を作っているところで、青いツナギを着ているシンヤくんが、不要になったプレハブ小屋をもらい受けた、と記憶しています。後に、離れにも人が住むようになりました。



オブスキュアは、しばらく顔を出さない間にメンバーが入れ替わっているという印象があり、私は、鷹野くんやハッチがいつオブスキュアを出たのか覚えていません。

しかし、チュンジくんがいなくなったことは、私も当事者になってしまったこともあり、よく覚えています。

チュンジくんがオブスキュアから居なくなったのは、2001年2月でした。同じ日に知人の結婚披露宴を兼ねたライブイベントがありました。

私は前の日の晩、オブスキュアで行われたパーティーに顔を出し、そのままオブスキュアに泊まりました。

翌日の昼頃、散歩に付き合うことになり、コーキくん、安彦さん、鷹野くん、チュンジくんと出かけました。

その時どういう道を歩いたか詳しくは思い出せませんが、環七から三間通りに入り、荏原駅近くの寺にお詣りし、そこから立会道路を円融寺方面まで歩いたようです。

円融寺から環七に出た時、チュンジくんは沿道にあるトイレに入りました。

その時、チュンジくんは少し思い悩んでいる様子でしたが、コーキくんは気にせず、「こういう時のチュンジはすぐに出てこないから」と言って、そのままオブスキュアに戻ろうとしました。

私は、ライブイベントの会場に直接行っても良い時間だったので、コーキくんたちとそのまま別れました。

チュンジくんを見たのはその時が最後でした。



ライブイベントは、江古田のライブハウスで行われました。会場は地下だったのですが、当時の私の唯一の連絡手段だったポケベルの電波は、地下には届きませんでした。

翌朝になって、ポケベルにオブスキュアの電話番号が入っていることに気付いて、オブスキュアに電話しました。

電話には鷹野くんが出ましたが、鷹野くんから、その時間にはポケベルに電話していないこと、そしてチュンジくんがオブスキュアからいなくなっていることを聞きました。

おそらく、ポケベルに連絡したのはチュンジくんで、私にお金の相談をしようとしたとのことでした。

チュンジくんはオブスキュアにほとんど居候状態で、払っている家賃も僅かだったと聞いています。

しかし、下北沢で看板持ちのバイトをする以外、仕事らしい仕事をいていなかったため、チュンジくんはお金に困っていたようでした。

最後に相談した私に連絡がつかなかったため、絶望してオブスキュアからいなくなったのかもしれません。



オブスキュアでは、チュンジくんは自分の命を絶った、と思われていました。

遺体らしきものはありませんでしたが、チュンジくんは自分の遺体が絶対に発見されないような方法を知っていて、それを実行した、という話でした。

チュンジくんには、それができてもおかしくないと思われるくらい、ミステリアスな部分がありました。

以前に書いたかもしれませんが、1998年9月に駒場寮でアリテンの更新が認められなかった際、面接で寮委員から「チュンジって何者?」と質問があったことを覚えています。

私の印象では、チュンジくんは飄々としていましたが、やる時はやりそうだと他人に思わせるところがあったのかもしれません。



そんな訳だったので、10年くらい後に、チュンジくんが沖縄で元気に暮らしているとわかり、個人的にはホッとしました。

あの時、もし私に連絡が付けられたとしても、貸せるお金はわずかだったと思うし、チュンジくんがいなくなるのは時間の問題だったかもしれません。

しかし、自分のせいでチュンジくんがいなくなったとなると、あまりに後味が悪いからでした。


【せきね・まさゆき】
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1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔