[4896] あの日に帰りたくない◇和歌山の博物館と美術館へ行った記念すべき日

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《おっちゃんナビ素晴らしい!》

■ショート・ストーリーのKUNI[254]
 【番外編】あの日に帰りたくない
 ヤマシタクニコ

■海浜通信[007]
 和歌山の博物館と美術館へ行った記念すべき日
 池田芳弘




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■ショート・ストーリーのKUNI[254]
【番外編】あの日に帰りたくない

ヤマシタクニコ
https://bn.dgcr.com/archives/20191107110200.html

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今回、またしても番外編です。番外ばかりで、番外三唱になってしまいそうです。

先月、仕事で韓国に行ってきました。それがどうした? 今どきそんなもん珍しないわ?!ですか? まったくその通りです。実際デジクリの執筆者でも、ちょくちょく海外のどこそこに行ってきてどうだったとかいう話を書いてる人がいたりするし。マイルがたまりまくって困ってるとか。

そんな時代に海外は海外でも、よりによって一番近い韓国に行ってきたからといって、それがどうしたのというのでしょう。たちまち、掃いて捨てられそうです。

いや、でも、ここだけの話、ヤマシタさんって今まで海外旅行したことなかったんですよ! パスポートも持ってなかったんですよ! おそらく国外に出たこともなく一生を終えるのであろうと誰もが噂していたという、あのヤマシタさんですよ! 飛行機に乗るのさえ今回が生まれて3回目という、その人が海外なんですよ。どうです、すごくないですか?!

とはいっても、仕事がらみで行ってきたので、詳しいことを書いても面白くないに決まってるし、あんまり書くことないんだけどねー。


ところで私、最近はおっちゃんナビ、もしくはおばちゃんナビにはまっております。単におっちゃんやおばちゃんに道を聞くだけの話ですが。

GoogleMapのナビって、以前より使いにくくなったと思いませんか。私だけですか。自分がどっちを向いてるのか訳が分からず、スマホの画面で例の、ポコポコした丸をつないだようなあの線がゴロンゴロンの団子になってて、使い物にならなくなってしまうのは。

少し前に用事があって○○区役所に行ったときもそうでした。実は○○区役所には以前、3回くらい行ったことがありまして、駅からせいぜい5分くらいだったということは覚えています。その程度だったら適当に歩けば着くんじゃないかと思いますよね、普通。行ったことあるわけだし。

ところが、歩き出すとやっぱり迷ったのです。自分がどっち向いてるのか分からなくなったんです。さすが私です。駅までもどってみて出直したりしているうちにいよいよ泥沼。その日は暑かったこともあって、もううんざりしてしまいました。

そこでおっちゃんナビです。ちょうどハーフパンツにランニング姿で植木に水をやってるおっちゃん発見! 推定年齢73歳。いい感じです。

「すいません、○○区役所はどこですか?」
「はあ?!」
「○○区役所はどこですか?」
「わし、耳が・・・」
「○○区役所は、どこ、ですかあ?!」
「ああ。そこや。見えてるわ」

確かに住宅と住宅の隙間から5~6階建くらいのしっかりしたビルが見えている。一発やん。やっぱりおっちゃんナビや。

「あ、ほんまですね! なーんや。ほなあれを目指して行ったらいいんですね、ありがとうございました」
「そこのな、そう、そっちに道があるんやけどな。その道よりこっちの方が近い。そこの、ほれ、人間一人分くらいの道があるやろ」
「はあ・・・」

おっちゃんの説明が実はよくわからなかった私は、中途半端な返事でごまかしました。区役所の現物は見えてるわけだから、もう着いたも同然。そっちに向かう道が見えたら入っていけばいいわけだし。

それで、歩き出して、適当なところで向こう側に通じていそうな道に入ろうとすると、背後から「ちゃう!」

振り返るとおっちゃんがこっちに向かってダメ出しをしているのでした。どうもこいつ、わかってなさそうだと思ってじーっと見てたのでしょう。そっちじゃなくて、こっち! と手で指し示すので、そのほうを見ると、確かに住宅とマンションの間に人間一人分しかない薄暗~い「通路」が。そこを入っていくと、本当に目の前が○○区役所でした。おっちゃんナビ素晴らしい!

こんな風に気軽におっちゃんナビやおばちゃんナビを駆使できるようになったのは、年取って見知らぬ人にでも気軽に話しかけられるようになったからなんですね。そういうことを前も書いたと思いますが。私も一人前になったあかしなんですね。

え、それって、単なるおばはん化やん、何がうれしいん?! と、まあ人生の何たるかがわかってないようなガキンチョは言うかもしれませんが、言わせておきましょう。私としては「おっちゃん・おばちゃん語」をマスターできた気になっているのです。

新しい言語を習得するのって、やっぱり色々メリットありますよ。世界がパーッと開けたように感じるじゃないですか! リンスのいらないメリットならさらに良しです。

人はこうして、コンプレックス満載の時期を脱却して行くのですよね。長生きしてよかった。二度と子供時代になんか戻りたくありません。

ところが、年を取っても簡単になくならないコンプレックスがあって、私の場合、それが「食べ物の好き嫌いが多い」ということなんです。もっとはっきりいうと、私は「ニンニクが食べられない」のです。これは年をとると自然に食べられるようになる・・・ものではなかった。なので、韓国に行くときもひそかに不安に思っていたのがそのことでして。

多分、外国旅行に行くとき、一番役に立つのは「ニンニクが食べられること」じゃないかと思えるくらいです。もしニンニクが普通に食べられたら、これもまた、一つの言語を習得するのと同じくらい、いやひょっとしたらそれ以上に意味があると思うのです。ニンニクが食べられるか食べられないかの問題の前では、関係代名詞もリエゾンも半過去もどうでもよくないことないですか。

韓国について最初の日のお昼はゆっくり店に入る時間がなく、空港内のコンビニで調達。おにぎりやキンパ(のり巻き)がいろんな種類あって、これなら手軽にいけそう。でも、おにぎりの中身が何なのかわからなくて韓国語ネイティブの人に聞くと「これはプルコギ、これは・・・」て感じで、うーん、まあ、大丈夫?

しかし大丈夫じゃなかったのです。やっぱり一口食べただけでギブアップ。ご飯全体に私には無理な味・香りが施されていて逃げようがありません。そんなこともあろうかと、おにぎりと同時に購入したおやつ(チョコ餅みたいなの)で済ませました。

その夜はいかにも由緒ありそうなお店での会食。海に近い街なので、メニューは魚介類が中心。その店だけなのか韓国全般の傾向なのか知らないけど、ほとんど説明がありません。

日本なら「こちらが何を何した○○でございます。こちらが○○で、これはあれをこうしてどうしたものになります」等々、丁寧なようで別に心のこもってなさそうな一本調子の説明が入るところだけど、そういうの一切なし。

とにかくどんどん新しい料理を論評抜きで出していくだけなので、これは何?とまた韓国語ネイティブの人に聞くと、「あー、これは○○を半分腐らせて、こうしたものだそうです」とかいう答えが返ってきます。おお・・・ハードル高そう。

アワビの何かとか、干鱈をどうかしたやつとか、どれもこれもテーブルに並んだ料理はきちんとした伝統を踏まえたものらしい雰囲気に満ち満ちているのですが、それはつまり「ヤマシタおよびでない」感であったりします。

居並ぶ料理どもがこっちを見てだれじゃ、こいつ・・・。ここはお前などの来る場所ではないわっ! そんな声が聞こえたような。

いや、それでも、せっかく来たのだから私だって口に入れてはみました。食べず嫌いはよくないです。はい。その土地その土地の文化を知ろうと思えば、そこはやはり「食」からですよ。ヤマシタ、何を恐れる! ええいっ! なんとか・・・なるよ・・・なんとか・・・ならなかった。

ああ、そなた達に言っておく。人生、やる気さえあればなんとかなるなんて幻想。どんだけやる気があっても、どんだけ努力したって無理なこともいーっぱいあるのじゃ。そういう時は早めに退散するしかないのじゃよ・・・。

とりあえずその場で食べられたのはイシモチ(魚のね)の丸焼きにしたやつと、なぜか唐突に出てきたような気がするサツマイモの天ぷら(うちの近所のスーパーで買ってきたのかと思えるくらい、普通のサツマイモの天ぷらだった)だった。

翌朝はホテルの朝食バイキング。朝からあんぱんやソンピョン(半月形のお餅)が並んでいるのはなんとなく楽しいのだけど、前の晩で疑心暗鬼になってる私としては、サラダの生野菜をてんこ盛りにしてもいざドレッシングを選ぶときになって「待て。どんな香辛料が使われているやら・・・」とびびって結局選べず、何の味もしない紫キャベツをぼそぼそと食べてたりします。私を救ってくれるのはコーヒーと目玉焼きだけでした。

さらに昼食は大人数が集まってのビビンパ。大広間で大人数が一斉に食べる様は壮観としか言いようがありませんが、私は自分の顔色がみるみる曇っていくのがわかりました。

そのときの私は、コンプレックス満載の、引っ込み思案で人見知りがひどくて自信なさげだった子ども時代に猛スピードで戻って行きつつあったのです。や、やめてくれ! そっちに引き戻すな! 戻りたくない!

ああ、悔しい。ニンニクさえ食べられたら。銀色のスッカラ(スプーン)でビビンパを混ぜて混ぜて、湯気とともにニンニクの匂いをもうもうと立ち上らせて、美味しい美味しいと言いながら笑いながら、あっという間にビビンパを完食できたら、どんなに愉快でしょうか。

もしそんな私なら韓国でなくても、いろんなところで自信満々に生きていけるに違いないとさえ思えてきます。ああ情けない。やっぱり私はダメなやつや。あかんたれのヘタレの、ビビりや・・・。

私は敗北感にまみれて、ぼそぼそと、なんとか食べられる範囲のビビンパを少しずつ、ゆっくり食べるのでした。多分、「なんやあの人、えらいまずそうに食べてるなあ」と思われたと思います・・・。


とかなんとか書くと、本気で心配してくれる読者もいるかもしれません。ご心配なく!

二日目の晩はみんなに誘われて、飲食店が立ち並ぶ街の一角に連れて行ってもらったのですが、入った店で食べたものは全部おいしかった。

何を食べたのかというと、えーっと、フライドチキンと、なんか、こう、卵をほろほろにしたやつと、あと、真っ黒の貝殻の貝やエビ、野菜を炒めてとろみをつけたのが麺の上に載ってたやつで、途中でお店の人がお皿ごと持って行ったので「あ、まだ途中なのに」と思ったら、全部を焼きそばみたいにしてまた持ってきてくれた・・あれは何というのかな(ひどい説明)。

夜店で売ってた栗も美味しかったです。これは天津甘栗みたいなのじゃなく、普通の栗を炒ったものだったんですが。一袋5000ウォンでした。

そうそう、高速のSAではホットク(モチっとした薄甘いお焼きみたいなもの)や日本のベビーカステラにくるみとあんこを入れたようなのを売ってて、どっちも焼きたてアツアツで、おいしー。

帰りの飛行機を待つ間に仁川空港内のフードコートみたいなところに入りましたが、ここでは自分で注文することもできました。メニューに写真が付いてたのでわかりやすかったこともありますが、そこに書かれたハングルが読めた(簡単なものは読める)ので「セウウォンタンミョン」と言ったら、ちゃんと通じたのです。透明なあっさりしたスープに、ストレートな細い麺とエビワンタンが入ったものでした。これもgood。

てことは、多分、「高級料理には気をつけろ」ってことでしょうか? 私みたいな人間は。

ちなみにSAではおうどんとかトンカツもあるらしい。まあ、なんとかなりそうですね?「食べられるものだけ食べて、残せばいいのよ!」と言ってくれた人もいたし。そう。もう子どもじゃないんだし、いちいち怖い先生に宿題を命じられたみたいに悩むこともないよね。

とりあえず生まれ変われるとしたら、次は「ニンニク大好きな人」になって、ニンニクが食べられなくて泣きそうになっている人を見つけたら、ここぞとばかり罵る・・・ではなく! やさしくアドバイスできるようになりたいと思います。


【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
http://midtan.net/

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というわけで、はじめての韓国体験は右往左往してる間に終わりました。ちなみに、目的地は仁川からリムジンバスで、なんと4時間。本当はもっと近い空港があるのですが、最近の情勢を受けて減便になった影響のようです。

まったく人まかせなのでよく知りませんが。本当は大阪に行きたいけど、便がないので浜松で降りてそこからバス・・・みたいなもんですか。早く元のように便利になりますように。


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■海浜通信[007]
和歌山の博物館と美術館へ行った記念すべき日

池田芳弘
https://bn.dgcr.com/archives/20191107110100.html

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海が好き、ただそれだけの理由で、大阪市内から和歌山の漁港に移住した。

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先日は、和歌山市駅近くにある市立博物館を経て、和歌山城の向かいにある県立博物館と近代美術館までをクルーズした。ヨットに乗らない週末は寂しいけれど、普通の休日ならではの人ごみも懐かしい。

市立博物館はレトロ感あふれる雰囲気で、職員さん達もあたたかく、開館すぐのためか、警備員さんから室温は寒くはないか、と声をかけられた。階段の壁に燈された電球の光も昔そのままで、濃いグレーの壁に赤みを帯びた光を放っている。いつまでもこのままで、無粋なLEDなど使わずにいてほしい。

古代の軍用馬のマスクや貴人が用いた装飾馬具から始まり、古墳時代の驚くほど大きな石室など、和歌山市の成り立ちや江戸時代の観光の様子を見ていると、いつの間にか二時間が経過していた。

階段を降りると淡島神社の雛流しを描いた一隅があり、水平線から雛人形を満載した小舟が遠い空へと昇って行く。

私は立ち止まってしばらく動けなかった。しばしばオカルト番組に出てくる恐ろしげな神社の本当の姿を知り、無知な自分を恥じた。人々の分身として思いを託された人形は、遠くの世界へと浄化の旅に出るのだ。

そうして天上の最果てで、思いはすべて清らかに昇華されるのだろう。人形を託すことにより、生きながらにして生まれ変わることができる。


県立博物館は城の南にあるが、大阪城のように天守閣を見下ろす高さではなく、人々が城に抱く畏敬の念を反映した、控えめで気品溢れる施設。雑賀衆を滅ぼした秀吉が、後に和歌山出身の電器屋に見下ろされるのは、長い歴史を超えた因縁だろうか。

ここには熊野の国宝や文化財があふれており、古文書や仏像にまったく興味がない私にも目のくらむ体験だった。威厳に満ちた熊野の神像を正面から見つめると、凄まじい迫力に足がすくむ。

神々の由来(インドから飛来した)を記した、華麗に彩色された絵巻物を見ていると、それは我々と遠く離れた超人の世界ではなく、家族愛に帰結するのだと知って涙ぐんでしまった。

広い広い階段を降りて回り込んだ先に県立近代美術館があり、そこにはまさに海の神々しさ、在りし日の白浜のラグジュアリーな夏、新宮の貯木場、静謐極まる瀞峡など、大正から昭和初期にかけての旅の絵が満載だった。

心の底から豊かな気持ちになり、出口で会報誌など見ていると、美しい受付の方が次回の催しを解説してくれた。今まで和歌山の自然美ばかりに心を向けていたが、人の造った美はもちろん、人の心そのものの美しさも感じられた週末だった。


後日、いただいた会報誌を読んでいると、美術館及び博物館の建築にまつわる話が三号にわたって掲載されていた。

それによると、城を隔てた大通りからのアプローチは参詣の階段をイメージしていたり、遠くに見える天守閣とひさしの反りを同角度にするといった、日常とは異なるハレの場の仕掛けが演出されている。

灯篭に見立てられた給気塔や、修学院離宮の離れのようにリズミカルに配置された床の色石。もちろん作品の収容空間は空気の循環が計算され、木造のため停電の際には余分な湿気や乾燥から作品は守られる。いったいどれだけの才知と労力を注ぎ込んだのだろう。


そういえば駐車場から建物の脇を抜けて行く、入り口までの妙に回りくどい道を歩いていると喉の渇きを覚え、同時に子供の頃に戻ったようなデジャヴを感じた。

それは空間から受ける印象が、小さい頃に遊んだ神社の、脇道から入った光景を思い起こさせたからだとわかった。その頃は境内で走り回り、喉が渇いた帰り道は近くの銀行の冷水機で水を飲んでいたが、その懐かしさ。

くしくも私の生家の氏神様は、大阪ではあるが熊野大神宮であり、今こうして和歌山の地で過ごしているのは、本来の地へと呼び戻されたのではないだろうか。

今回の訪問は、市立博物館で見た淡島神社の光景でこちらの心まで浄化され、県の施設では身体に眠る神の記憶によって転生が成就した、記念すべき日となった。


【Ikeda Yoshihiro】
ikeda@brightocean.jp
http://www.brightocean.jp/

https://www.instagram.com/brightocean_official/



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編集後記(11/07)

●偏屈BOOK案内:NHK「クローズアップ現代+」取材班「カスハラ モンスター化する『お客様』たち」

カスハラ……カスタマーハラスメント、知らなんだ。NHK「クローズアップ現代+」で2回放映し、大反響を呼んだ「カスハラ」の実例と分析、処方箋を、放送し切れなかった情報までまとめて書籍化、というもの。ここ何年もテレビ番組はほとんど見ないから、気がつかない。お客様は神様、ではなくてモンスター。セクハラ、パワハラと並ぶカスハラは、世界的な現象になっているという。

そういえば、毎日買い物に行く妻が、またイヤなものを見たと話していた。レジ前で小銭入れからコインを出すのに難渋していた老婦人がいて、その後ろに並んでいた爺さんがいきなり無言でレジのデスクを激しく叩いて、別のレジへ向かった。老婦人は怯えていたが、レジの女性は「また、いつもの人ですよ」と言っていたという。わけわかんないモンスターじじいはよくいるらしい。

カスハラを受けた事例が6件、元クレーマーの50歳男性の告白、カスハラ対策例が3件、読み応えあり。取材者はカスハラに詳しい大学教授に、クレーマーの実像や登場した背景などを聞く。「最近のクレームの傾向や特徴があれば教えて下さい」、NHKよお前もか、最近インタビューで「教えて下さい」という幼稚な問いかけが耳障りだ。傾向や特徴はどういうものですか? だろうが。

教授の説明によれば、普通なら見過ごすようなことで引っかかる人が増えている、これが限界という怒りの沸点が下がってきていて、「ちょっとしたことで逆鱗に触れてしまう、そういう傾向が見て取れる」という。おいおい、逆鱗の用法が違うだろうが。目上の人、地位の高い人を激しく怒らせてしまうという意味だぞ。教授も編集者もNHKもみんなアホだ。というわたしはクレーマー?

こういったクレーマーが増えたのは、団塊の世代が退職し始める時期と重なる。現在高齢者の団塊の人、なかでも高学歴、高所得、社会的地位の高い人からの、筋論的な、わりと上から物を言う「権威型」「説教型」が多いらしい。しかし、沸点が低いのは高齢者だけでない。いまや年齢は無関係だ。さらに因果関係が無茶苦茶なケースもある。自分の不注意を平然とメーカーのせいにしたりする。

悪質なクレームが増えている理由は、過剰サービスによる過剰期待、情報化社会の影響、社会の疲労による不寛容、格差社会の進行、所得が大きく伸びていないこと、言語能力の低下、消費者を甘えさせた日本の企業風土、労働者への想像力の欠如、人手不足などいくらでも挙げられる。抑え込む手はないようだ。

元クレーマー・堀さん(仮名・50歳男性)が26ページにわたり登場。冷静な普通人がクレーマーになる至った状況を自己分析していて、非常に興味深い。元コンビニのオーナーだった人だ。経験上、よかれと思って言うべきことを言うと、それはクレーマーだとSNSで祭り上げられ、怖くなってなにも言えなくなったこともある。クレーム=悪であるという一方的な決めつけは間違いだ。

それでもクレームを繰り返す。そこには二つの感情の要素があって、ひとつは虚栄心というか、相手を攻撃しながら自分の心を満たし、もうひとつは攻撃していることに対する罪悪感があるという。いまシルバーモンスターが増えている。ごく普通の体裁の単行本なのに1650円! 高過ぎる! 文句をつけるだけのわたしだが、カスハラではない。一字違いのカステラ、大好きです。(柴田)

「カスハラ モンスター化する『お客様』たち」
NHK「クローズアップ現代+」取材班 2019 文藝春秋
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163910816/dgcrcom-22/



●おっちゃんナビ素晴らしい!/私のニンニク好きを分けたい……。普段は食べないが、餃子が好きで。ニンニクなし餃子も好き。あとイタリアンレストランの近くで「ザ・ニンニク」という香りがすると、お腹がすいてきたり。

/近所のスーパーでは、お年寄りがEdyを使っているのをよく見る。スーパーの会員カードについているのだ。入金は入口近くの機械にお札を入れるだけ。レジではカードを渡すだけ。これで支払いができ、ポイントもつく。

お札でしか入金できないので、常に端数が残るやん、残金足りない時に面倒やん、そもそも入金作業が面倒やんって思ったけど、よくよく考えてみたら、クレジットカード連携タイプより予算の管理がしやすいかもしれない。

月初に予算分を入金しておき、月末に残金を確認して予算が適切か確認。月末や年末に、ご褒美として残金分でプチ贅沢をする。うん、いいな。

Edyの残高はスマホから見られる。交通系ICカードのも見られるよ。(hammer.mule)

ICカードリーダー(iOSアプリ)
https://support.biz.moneyforward.com/expense/guide/sp/sp06.html


ICカードリーダー(Androidアプリ)
https://support.biz.moneyforward.com/expense/guide/sp/sp03.html