[4911] 上田を少しだけ歩く。 の巻◇文字と組版、印刷展に参加して

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《100年前の風景がイメージできる》

■わが逃走[250]
 上田を少しだけ歩く。 の巻
 齋藤 浩

■もじもじトーク[119]
 文字と組版、印刷展に参加して
 関口浩之




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■わが逃走[250]
上田を少しだけ歩く。 の巻

齋藤 浩
https://bn.dgcr.com/archives/20191128110200.html

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先ごろ信州に滞在した際、極親しい間柄の年上の女性Aさん(年齢非公開)が上田に所用があるとのことで、早起きして送り届けた後、せっかくなので町を散歩しました。

前回も書きましたが、ここ上田もところどころに台風の爪痕が見られるものの、そうじゃないところはいたって普通なのです。

自粛は復興支援になりません。ですのでみなさん、信州へお出かけください。

朝の7時、少なくとも私にとってはものすごい早起きである。8時半すぎに出発、佐久南インターから乗って坂城で降りるコース。

一般道でもほぼ問題なく到着する見込みだが、地方都市の朝の渋滞は慣れない者にとって回避が難しい。

で、快晴の上信越自動車道から浅間山を眺めつつ現地へ。

予定よりだいぶ早めに市内へ到着し、極親しい間柄の年上の女性Aさん(年齢非公開)を送り届けることができた。

そして上田の都市部から少し外れた旧北国街道のほんの一部を、秋晴れの午前、カメラ片手に散歩したのだった。

https://bn.dgcr.com/archives/2019/11/28/images/001

現北国街道はちょっと南に走ってる2車線のつまらない道路だが、旧北国街道はわりと江戸時代な印象が残る。当時はむろん徒歩がデフォなので、道幅は狭い。脇道は車が通れないくらい細い道もある。

https://bn.dgcr.com/archives/2019/11/28/images/002

こういう脇道がまた味があってイイのだが、袋小路の場合が多いようだ。尾道みたいに路地と路地がつながってたら楽しいのにー。と思う。

https://bn.dgcr.com/archives/2019/11/28/images/003

旧北国街道。川沿いに柿の木。

舗装やガードレールは仕方ないとして、少なくとも100年前の風景がイメージできる。これはスゴイことだ。

しかし、よく考えてみれば、じいちゃんと孫が同じ風景を共有できない方がおかしいのだ。

山や川はもちろん、建物も道路のうねりも高低差も、全部が調和したものが風景だ。末長く残してほしいと切実に思う。

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年季の入った土塀に、昔の小学生が書いたとおぼしき相合傘。北国街道が通学路ってだけでもう、空気を吸う度に郷土愛が育まれるようなもんだ。

本来、人が住む場所でなかった土地(いわゆるニュータウン)で育ったものとしては、住む理由のある町並みを見ながら、大人になれることがうらやましいのだ。

「ともみととしみちの恋路が気になる」とは、この写真を見た太郎くん(仮名)の言葉だが、もはや書いた奴はアラカンとみた。

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高低差に沿って壁がのびてゆく。トビラは水準器どおり水平垂直。路面から微妙に高いところに設置されているのも、イイ。

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坂道に石垣、柿の木。絵に描いたような信州。

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坂をのぼってゆくと、どんどん道が狭くなる。さらに先に行ってみたかったが、私道っぽかったので遠慮した。つづら折れの山側は、しっかりとコンクリで固めてあったが、午前中の光がつくる陰影が、ダイナミックで独特の構造美を見せてくれた。

https://bn.dgcr.com/archives/2019/11/28/images/008

こういうシンプルな看板はイイ。真面目で明快で厳しいのにちょっとカワイイのだ。戒めの中のやさしさを感じるとでもいうべきか。

手書きの書体や単純な色彩もそうだが、その材質から感じるところも少なくないだろう。

おそらく何十年もここに掲出されていながら、きちんと伝えることを伝え続けているし、実際今でも伝わっている。

というわけで、観光名所でもなんでもない、上田のごく一部をご紹介しました。実際に歩いたのはだいたい1時間程度だと思うが、もう少しじっくり散歩してみたかった。

地元に友人でもいればさらにディープに歩けたんだろうけどなあ。


【さいとう・ひろし】
saito@tongpoographics.jp
http://tongpoographics.jp/


1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。


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■もじもじトーク[119]
文字と組版、印刷展に参加して

関口浩之
https://bn.dgcr.com/archives/20191128110100.html

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こんにちは。もじもじトークの関口浩之です。

少し前の展示会ですが、2019年10月14日(月・祝)~10月22日(火・祝)の9日間、大阪で「文字と組版、印刷展」というイベントが開催されました。

今日のもじもじトークは、「展示会で出逢った珍しい電算機」を紹介したいと思いまします。

●電算入力校正機「MK-110」

今回の展示会で、いままで見たことがなかった装置に出会いました。これです。
http://bit.ly/2OsA7sY


大きなキーボードにたくさんの文字が並んでますね。そして、キーボードのひとつのコマに9個の文字が書かれています。そして、CRT画面があります。

この装置は、電算入力校正機「MK-110」というもので、電算写植のデータ入力や校正を行うためのシステムです。

キーボードには、たくさんのファンクションキーが配置されています。この装置、メカ好き、かつ、文字好きな人間にとって、感動ものでした。

いいものを見せてもらいました! 展示を実現してくれた宮地(えむ)さんに大感謝です。

●手動写植機と電算写植機

「もじもじトーク」をいつも読んでいただいている方でしたら、写真植字(略して写植)がどんなものか、ご存知かと思います。過去に何度も記事にしてきました。

でも、写植の予備知識がない人にとって、先ほどの写真を見た際、「これって、初期の日本語ワードプロセッサですか?」と思ったかもしれません。

写植とは、写真の原理を応用して、書籍や雑誌、チラシなどの版下を作成する仕組みのことです。そして、文字データを入力し、印画紙やフィルム出力する装置を写真植字機(略して写植機)といいます。

写植機をざっくり分類すると、手動写植機と電算写植機があります。手動写植機は仕組みが理解しやすいですが、電算写植機は僕もよく理解できていません。

手動写植機は何度も見たことがあります。一昨年の2017年4月の『書体の誕生』展の手動写植機の記事を再掲しますので、ぜひ、ご覧ください。

動く手動写植機を見た!
http://fontplus.sakura.ne.jp/mojimojitalk/osakadtp/


もじもじトーク[61]「書体の誕生」展で動く写植機に感動!
https://bn.dgcr.com/archives/20170420110100.html


手動写植機は、先ほどの連続写真を見れば、どうやって文字を選択しているのか、そして、文字盤を横方向(文字送り)と縦方向(行送り)に動して、どのように組版しているのかが想像できますよね。

電算写植機の装置を見たのは今回が初めてでした。この入力校正機は、写植の歴史において、大きな変化をもたらした第一歩だったかもしれません。

なぜなら、「動く手動写植機を見た!」の一連の作業工程が、ほとんど電算化されたのです。手動植字機の仕組みにおいては、文字盤をスライドさせて、文字を選んでガチャンと押すとカメラシャッターが開いて、マガジン(暗箱)の中の印画紙に文字を焼き付けてました。

校正確認する画面もありませんでした。つまり、印画紙を現像するまで、入力情報が確認できない仕組みでした。でも、この装置では、入力情報がCRT画面で確認できたことは(出力結果と同じWYSIWYGではないにしろ)、すごいことだったのです。誤字をその場で修正することもできるのです。

そして、フロッピディスクにデータが保存できるようになったのです。入力データが再編集ができるのです。当時としては画期的でした。フロッピディスクが8インチだったと記憶してます。

1970年代から1980年代の写植全盛期の時代、僕は写植の仕事に携わっていなかったので、間違ったことを書いているかもしれません。

●展示会を通じて感じたこと

学生時代に愛読していた「ラジオの製作」「FMステーション」「ポパイ」「ホットドックプレス」などの多く表紙、紙面、広告ページは電算写植で組まれていたと思います。

電算写植は、僕にとって未知の世界ですが、学生時代に愛読していた雑誌を制作していた組版システムや技術、知恵などを、きちんと知りたいなぁと感じた展示会でした。

来年は、電算写植のことをいろいろと調べて、「もじもじトトーク」で記事にしていきたいと思います。

では、また、2週間後にお会いしましょう。


【せきぐち・ひろゆき】sekiguchi115@gmail.com
関口浩之(フォントおじさん)

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Twitter @HiroGateJP
https://mobile.twitter.com/hirogatejp


1960年生まれ。群馬県桐生市出身。1980年代に日本語DTPシステムやプリンタの製品企画に従事した後、1995年にソフトバンク技研(現 ソフトバンク・テクノロジー)へ入社。Yahoo! JAPANの立ち上げなど、この20年間、数々の新規事業プロジェクトに従事。

現在、フォントメーカー13社と業務提携したWebフォントサービス「FONTPLUS」のエバンジェリストとして、日本全国を飛び回っている。

日刊デジタルクリエイターズ、マイナビ IT Search+、Web担当者Forum、Schoo等のオンラインメディアや各種雑誌にて、文字やフォントの寄稿や講演に多数出演。CSS Niteベスト・セッション2017にて「ベスト10セッション」「ベスト・キャラ」を受賞。2018年も「ベスト10セッション」を受賞。フォントとデザインをテーマとした「FONTPLUS DAYセミナー」を主宰。趣味は天体写真とオーディオとテニス。

フォントおじさんが誕生するまで
https://html5experts.jp/shumpei-shiraishi/24207/


Webフォントってなに? 遅くないの? SEOにはどうなの?
「フォントおじさん」こと関口さんに聞いた。
https://webtan.impress.co.jp/e/2019/04/04/32138/



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編集後記(11/28)

●偏屈BOOK案内:小林照子「これはしない、あれはする」

タイトルと表紙の笑顔がよかったので読んでみた。1935年生まれの美容研究家・メイクアップアーティスト。戦中から戦後にかけ、生みの親、育ての親、義理の親ら5人に育てられるという少女時代を経て、保険外交員の仕事をしながら、美容学校に通う。化粧品会社コーセーにおいて35年以上にわたって美容を研究し、「ナチュラルメイク」を創出した“魔法の手”を持つ女性と評される。

書ききれないほど経歴は華々しい。現在82歳。あらゆるビューティビジネスに携わっている。年齢を重ねるにつれ、「しないほうがいいこと」と「したほうがいいこと」の分別がようやくつくようになり、これを“いま生きる人たち”に伝えることも、自分の務めかもしれないとしてこの本を書いたという。じつは「しないほうがいいこと」は、すべて本人がやってしまったことである。

嫉妬しない、詮索しない、お金に執着しない、心配しない、一日を無駄にしない、悪口を言わない、「なんで?」を口にしない、反撃しない、見返りを期待しない、自分を卑下しない、見栄を張らない、早口にならない、舞い上がらない、いやな言葉は口にしない etc. これらを充分理解できた。身に覚えあり。

筆者は50歳のときに話し方を変えた。どんなときにも、やんわり、ゆっくり話すことを心がけた。相手の呼吸やリズムに合わせて、相手が質問しやすいように、やさしい心を保ちながら。このときから、異性の友だちやうんと年上、年下の友人が増えていき、人間関係が広がっていった。60歳を過ぎてからかけがえのない女友だちにも出会った。話し方を変えるだけで、人生も大きく変わる。

言葉にすると実現が早くなる。80歳を過ぎてから、筆者はますますこう確信している。生徒たちに、「思っていることは言葉にしなさい」「自分の夢を言葉にしてまとめてみなさい」「人に言いなさい」と説いている。「人は、言葉にしたら自分で責任を持ってかなえていくもの。引くに引けない状況を自分でつくることも、ときには大事なのです」。夢は口にして実現する癖をつけよ。

言葉は言霊。やさしい言葉を発したら、それはいつかそよ風のように自分に戻って来る。「でも、鋭くとげとげしい言葉を発すれば、それはいつか必ず刃物のような物質になって自分に戻ってきます」。筆者はふだんの生活の中でも、自分の心のプラスになることしか言わないようにしている。マイナスのことを言うと、言葉の魔力でますますマイナスになる。生活の中のルールとせよ。

心をこめて叱ることも必要だ。「みせかけのやさしさはいらない。叱るべきときは叱るのがほんとうの思いやりです」。子どもを叱るのは「人の悪口を始めたとき」「人に迷惑をかけたとき」「人を差別したとき」「動物をいじめたとき(自分よりも明らかに弱いものをいじめたとき)」だけと決めていた。とくに友だちの悪口や愚痴を言い始めたときは、すぐに叱りつけたという。

子どもの頃から軽率だったわたし。「安い謝罪」は数知れず。相変わらずの粗忽者だが、この本を読んで変われるかもしれないと思った。いい言葉をたくさん教わった。「長い人生です。口にしてはいけないのは『いまさら』。口にしたいのは『いまから』」。「昨日」と同じ「今日」を生きない。もしかしたら、今年で一番心に響いた本かも。しかし、忘れっぽいわたしである。

・「香港人権法」は米議会上下両院で合計反対1票のみ、ほぼ全会一致で可決された。アメリカ議会はまともである。米中臨戦状態だというのに、日本では桜ナントカで野党が追及本部を結成しはしゃいでいる。子供会か。(柴田)

小林照子「これはしない、あれはする」 2017 サンマーク出版
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4763136720/dgcrcom-22/



●今更ラグビー、アルゼンチン対トンガ続き。客席のほとんどが日本人で、普段着。次にアルゼンチン。この人たちはとっても陽気で、試合前から歌い、騒いでいた。

アルゼンチンジャージより、日本ジャージの方が多かったかもしれない。でもトンガのジャージを見かけない。トンガのサポーターはどこにいるの?!

アルゼンチン国歌は、客席から歌声が聞こえたが、トンガのはほとんど聞こえない。私の後ろの白人さんがトンガのサポーター。もっと後ろにいた数人もトンガ。なのでまだ聞こえた方だと思う。

観客である自分でさえ、盛り上がりを感じないのに、片側だけ応援されているように思えてしまうなら、選手は寂しいよね。どちらかがホームというわけでもないのに。

世界戦を見たいと思ったのが間違いだったか? トンガの人たちに譲るべきだったか? いや、すぐには売り切れなかった。チケットは残っていたはず。

国歌を歌っておもてなしをしようの「スクラム・ユニゾン」を知ったのは、観戦後しばらく経ってからだけど、その意義を体感したよ。(hammer.mule)

スクラム・ユニゾン
https://www.scrumunison.com/


ラグビーワールドカップ、国歌を歌ってスクラム組もうぜ。20カ国のカタカナ付き歌詞カードを掲載
https://www.huffingtonpost.jp/entry/scrum-unison_jp_5d818419e4b070d468c368c9