[4914] 経験というネタを求めて◇オブスキュア解散当時の写真◇私たちの生きた時代

投稿:  著者:  読了時間:15分(本文:約7,200文字)



《もう少し、頑張ってみます》

■装飾山イバラ道[258]
 経験というネタを求めて
 武田瑛夢

■Scenes Around Me[63]
 オブスキュア解散当時の写真(2)
 関根正幸

■crossroads[77]
 私たちの生きた時代
 若林健一




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■装飾山イバラ道[258]
経験というネタを求めて

武田瑛夢
http://bn.dgcr.com/archives/20191203110300.html
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今年もあと残り一か月。今年は令和元年、来年はオリンピック・イヤー。間違いなく今後の記憶に残りそうな2年間だ。私も制作物を急ピッチで仕上げて、来年に臨もうと思う。そこに年賀状制作も突っ込まなければならない。

10月、11月、12月は、ハロウィンからクリスマスの流れで、イベントが多い。今年はどこにも出かけなかったけれど、クリスマスくらいは極寒のディズニーランドに行こうかな。

●何に満足するか

実は人は買い物よりも、イベント・レジャーにお金を使うほうが、満足度の高いお金の使い方だったと感じることが多いという。時計や洋服などのモノにお金を使うよりも、楽しい思い出などのコトに使う方が満足する。なんとなくそうかも。

食事も、捉え方によればイベント。経験にお金を使うことが、後から振り返った時にも無駄じゃなかったと思うそうだ。経験の良し悪しは、満足度とはそんなに関係ないらしい。

たとえ旅行先でイヤな目にあっても、観戦した試合が負け試合でも、後から振り返れば、けっこう良い思い出になっていたりするのだ。

高かった割に着なかったコートを後悔することはあっても、驚くほどマズイ食事の経験は、いずれ話のネタになる。失敗談として何度も人に話したり、次の機会にその経験を生かしたりできる。

いやいや、着なかったコートはメルカリで売れますよ? 確かに写真を撮って売るとなると、それはもう物販の経験になっているので、良い解決法と言えそうだ。買い手とのコミュニケーションも発生する。良い評価がつけば達成感も得られる。

手間の労力がプラスされても、経験を楽しめて無駄にならないというのは、気持ちを楽にするのだ。

●みんなネタに飢えている

話のネタというのは、聞いた話より実体験に基づいたものがリアルだし、同じ体験をした人と自分とを、急速に結びつけてくれたりする。人は共感という接着剤があると、すぐに仲良くなれるものだ。

今はSNSも盛んで、面白いことがあったらネタゲット感覚がある。滅多にない経験は、人の食いつきが良いからだ。その人の人物像は、本人が投稿した最もインパクトのあった記事のイメージを、くっつけて覚えていることも多い。

iPhoneをハデに壊した人とか、イベントの日にちを間違えて誰もいなくて泣いていた人とか。“残念だけれどちょっとした事件”は、人の記憶に残るのだ。

●いくつになっても経験は大事

意外な経験もまた、自分のパーソナリティを広げることに役立つことがある。見た目とのギャップとか、そんなことする人だったのかという驚き効果。

私は以前、英会話教室で無難に当たり障りのない話をしていた。ふと、自分のエピソードとして、ハリウッド俳優が来日した時にファンとして空港に出迎えに行ったことを話してみた。

すると急に、ハッハー! と目を輝かせて笑いながら聞いてくれたのだ。とても意外だったらしい。

昔から私の記事を読んで下さっている方は、私が結構ミーハーであることはバレていると思う。しかし、その英会話講師は私を、買い物のついでに英会話をしにくる、ただのおばさんとして見えていた。

そんなアクティブなエネルギーあったの? みたいな目で面白がって、それでそれで? と色々と聞かれた。

たった一日、ハリウッド俳優をファンとして空港に出迎えに行った。この経験で、私は有名スターを取り巻くファン心理が少し理解できるようになった。そして、英会話講師の私の印象が、少しアクティブな人として更新された。

この機会に見たい、会いたいと思ってその場に駆けつけるファンの一人になる。そんな一人一人がいなければ、数百人、数千人が集まることもないのだから。

そして経験を得ると、次に何かしようと思い立った時に、どれくらい大変なのかの想像もつく。

そういえば、興味のあるショップのオープン日に出かけて、オーナーと実際に会って話をするということもできるようになった。

「どうか皆さまお越しください」という言葉を読んでも、なかなか普通は行かないものだ。行って迷惑がられることなんてないので、思い切って行くのがいい。しかし、気をつかって行くくらいなら、行かなくてもいい(笑)。

新しい事を経験するのは、自分に刺激を与えてくれる。YouTubeの「○○をやってみた」動画のように、未知の体験は人の興味を集める。人が新しいことを試しているシーンを見たくなるのは、その経験への興味とその人への興味を同時に満たしてくれるからだ。

この世のすべてを自分で経験できなくても、見たり聞いたりするだけでもそのエッセンスを取り込むことができる。そうなると、自分自身がやる必要があるのかと、ふと思い始める。

こんなに経験を分けあえる時代だからこそ、最もやりたいことだけは、しっかりと自分の経験にすれば良いのだ。自分にしかできないことや、優先してやりたいことにだけ時間を注ぐ大切さを感じている。


【武田瑛夢/たけだえいむ】
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/

鶏皮せんべいを久しぶりに作った。フライパンに鶏の皮を広げて、ジリジリ両面を焼くだけ。半分以下の量に縮んでこんがりキツネ色になったら、塩コショウ。先に塩をつけておく方法もあるみたい。

油はね防止ネットという、丸くて平らなアミで、油ハネも防げる。すごく便利で、これがないとハネて厳しいかも。おつまみに最高。出てきた油は、鶏油(チーユ)として料理に使える。冷蔵庫で冷やすと白くなり、鶏バターって感じである。


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■Scenes Around Me[63]
オブスキュア解散当時の写真(2)
(2012年4月)

関根正幸
http://bn.dgcr.com/archives/20191203110200.html
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今回はネガをスキャンできる時間が取れなかったので、短めの記事になります。

https://live.staticflickr.com/65535/49149364877_42578d98c8_c.jpg

2012年4月30日

前回紹介した骨の写真と同様、このタケノコも船山シェフが持ち込んだものだと思います。この写真を見て、一つの出来事を思い出しました。

窓の外に2004年に建てられた離れが写っています。この日の朝になって、この離れに住んでいた男性(名前は思い出せません)が、彼女を連れて戻ってきました。オールナイトのイベントの帰りだったのかもしれません。

男性は彼女と一緒に離れに入ったのですが、その時、私は何も気にしませんでした。二人が離れに入った後で、ふと、窓際にタケノコが置かれているのに気付いて写真を撮りました。

しばらくして男性が離れから出てきたのですが、男性はシャワーを浴びに風呂場に向かうところで、腰にバスタオルを巻いただけの格好でした。私はそれで全てを察して、気まずい思いをしました。

この写真は夜に撮りなおしたものです。朝方に撮った写真は外が明るくて逆光になるため、タケノコを正面から撮れなかったからです。また、窓に人物が写っていますが、誰なのかは思い出せません。

https://live.staticflickr.com/65535/49150487716_dcf797da73_c.jpg
https://live.staticflickr.com/65535/49150694882_dd95420e4b_c.jpg

HAMADARAKA(有薗エル・有薗エム)という双子のアーティストのことは、オブスキュアの外でも交流があったので、別の機会に触れるつもりです。

HAMADARAKAの二人と知り合ったのは、2001年5月にアートブックOBSCURE8号付録のカセットテープをスタジオで録音した時でした。

二人がいつからオブスキュアに住んでいたのか知らないのですが、知り合ってからそれほど時間は経っていないと思います。

そうだとすると、二人は10年ほどオブスキュアに住んでいたことになります。

二人は作品を応接間に展示していました。これを撮ったのは2012年4月20日頃ですが、これよりもっと前に、二人の絵をオブスキュアで撮影した記憶があります。


【せきね・まさゆき】
sekinema@hotmail.com
http://sekinema.com/photos

1965年生まれ。非常勤で数学を教えるかたわら、中山道、庚申塔の様な自転車で移動中に気になったものや、ライブ、美術展、パフォーマンスなどの写真を雑多に撮影しています。記録魔


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■crossroads[77]
私たちの生きた時代

若林健一
http://bn.dgcr.com/archives/20191203110100.html
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こんにちは、若林です。

日曜日に、シャープ時代に私が在籍したPOS/レジスタ開発部門のOB会に参加してきました。総勢25名の参加者のうち、私を含む3名を除いて全員60代以上。

アルバイト程度の仕事をしておられる方はいらっしゃいますが、基本的には現役を退いておられます。

自分が高校を出てシャープに入社し、最初に配属された部署のみなさんで、私も51歳(今週の日曜日で52歳)になりますが、この方々の前ではいつまで経っても、18歳の危なっかしい若造でしかありません。

私が就職した1986年はバブルの真っ只中、ご一緒したみなさんは高度成長期に働いてきた方々。みんな元気な日本を知っている方ばかりです。

私が20代の頃は職場にも余裕がありました。それは暇だったという意味ではありません。開発の忙しい時期には毎日のように夜中の1時、2時に帰ることがありましたし、そこまでではなくても22時に帰ることたくさんありました。

もちろんそれらは大変でつらいことでしたが、今言われるような「ブラック企業」というイメージはありませんでした。

なぜなら私たちにはある程度の自由がありましたし、会社のルールで決められているわけではなかったけれど、裁量に任される部分も多くありました。

指示されたわけじゃないけれど、ツールを作ったり環境を整えて提案することもできたし、仕事の合間にみんなで喋ったり、ゲームをしていることもありました。

でも、当たり前ですが仕事もちゃんとしていて、それでバランスが取れていたし、そのバランスを自分で取ることができました。とても良い時代だったなと思います。

私たちの頃に比べると今の20代、30代の人たちを見ていると余裕がないと感じます。今働いている人に余裕がないので、新しく入った人たちも会社は楽しくないところ、仕事はつらいことになってしまっています。

そんな彼らに、「働くことを楽しめ」といっても無理なんです。誰もそんな経験をしていないのですから。

それに加えて「ワークライフバランス」や「働き方改革」と言う名のもとに、一方的な「時短」を実現しようという動きがあります。

お役所的には社会全体の「みかけ上の」労働時間が短くなれば、豊かな人生を送れていることになるのかもしれませんが、人間の生活なんてそんな単純なものではないですよね。

ただでさえ楽しくない会社なのに、さらに労働時間を短くするというタスクが与えられる。一体、どこに、自分の人生を主体的に生きる可能性があるのでしょうか。

OB会ではほぼ全員が白髪ではありましたが、みんなかつて一緒に仕事したことを楽しく話していました。私も当時のことを思い出して、自然と感謝の言葉がでました(当時は嫌いだったかもしれないけど)。

今、こんな時代になってしまったのも、その責任の一端は私たちにあります。日本が元気だった時代、そんな昔話はいらないと言われるかもしれないけれど、確実に良かった時代はあったし、同じ経験を今の若い人たちにも味わってもらいたい。

そのためには、そんな時代を知っている私たちがもう少し頑張らないといけないのです。

もう少し、頑張ってみます。


【若林健一 / kwaka1208】
https://crssrds.jp/aboutme/
子供のためのプログラミングコミュニティ「CoderDojo」
https://crssrds.jp/CoderDojo/

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編集後記(12/03)

●偏屈BOOK案内:呉 善花「韓国を蝕む儒教の怨念 反日は永久に終わらない」

経緯はすっかり忘れてしまったが、出版社に勤めていたころ韓国の広告会社の役員から往復の航空券をもらって、ソウルで2泊3日を過ごしたことがあった。どこへ行っても、ほぼ日本語が通じた。漢字ハングル混じり文も読んだが、正式には戦後、漢字は廃止され表音文字のハングルだけになっていたようだ。そのため韓国・北朝鮮では、書き言葉独自の豊かな表現の多くを失ってしまった。

その代わりに促進されたのが、口語中心の言文一致政策だった。漢字廃止の弊害の最大のものは、日常的にあまり使われない漢語、しかし物事を考えるには非常に重要な、とくに高い精神性や抽象的な物事に関する語彙の大部分が、事実上、一般の人々から次第に縁遠いものになった。高度な概念語を用い、日常的感覚から離れて論議を深めることが、全く不得手な二か国になってしまった。

「戦後国粋主義者たちによって漢字が学校教育から疎外された結果、意味もわからないまま言葉を使い、80%以上の語彙を失い、現在では世界最低の読書率を記録するに至ってしまった。一朝のうちに国民全体が読み書きのできない最低の状態に陥ったことを痛嘆しないではいられない」と、東方研究会のキムウンヒョン氏が「ハングル+漢字文化」1999年8月創刊号で嘆いている。

その80%以上失われたという語彙の大部分は、日常的にはあまり使われない、しかし世界を論じたり高度な思考を展開したりするにはなくてはならぬ概念語、抽象語、専門語など「漢語高級語彙」の一群である。倫理、道徳、哲学、芸術、科学などの文明語彙が、韓国の一般の人はもちろんのこと、かなりのインテリにも正確に理解されぬまま、しだいに遠く無縁なものとなっていく。

「結論からいえば、現在の韓国・北朝鮮のハングル専用環境下では、深遠な哲学や思想の議論はまず成り立ちません。ハングルだけで世界的な水準をもった哲学論文を書くことはほとんど不可能です。日本語か西洋語でやるしかありません。逆にいうと、韓国人・北朝鮮人の多くが、日常的な言葉ですべてを語れると勝手に思いこんでしまっているといってよいのです。漢字廃止によって、客観的な抽象思考が大の苦手な民族になってしまっているのです。」

筆者は大学の学生たちに「あなたは悪い人間だといわれるのと、みっともない人間だといわれるのと、どちらが辛いですか」とよく聞く。日本人学生は大概、後者がいやだと答える。それに対して中国や韓国、その他のアジア諸国からの留学生は、みんながみんな「悪い人間だといわれたくない」と答えるという。中国・韓国の留学生は試験で、よくカンニングをする。そのやり方が巧妙で。

当たり前のように蔓延している。実際、韓国ではカンニングしないのはバカだとすらいわれている。ある先生とその話になったとき、「日本人はだいたい、カンニングは悪いというよりも、みっともないことだと考えてやらない者が多いんですよ」と言っていた。みっともない=見苦しい=見るに耐えない醜い自分の姿、というイメージである。バス停で列に割り込むようなことはしない。

左右対称、素材の凝縮、素材の持つ特性の排除、象徴的なものに対する志向、造形における理念と形態の合致を通して安らぎが与えられている、というのが美の「朝鮮的様式」である。だから若い韓国人女性の多くが整形手術をためらいなく行い、みんな同じような顔になっても平気というのもそこに起因する。客観的な抽象思考がなく、一元性志向の朝鮮半島人って分かりやすい。(柴田)

呉 善花「韓国を蝕む儒教の怨念 反日は永久に終わらない」2019 小学館新書
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4098253518/dgcrcom-22/


●油はね防止ネットを検索した。買う!

/今更ラグビー、アルゼンチン対トンガ続き。開始30分で、28-0。完全なるワンサイドゲーム。逆転は見込めなさそうだし、選手らも諦めてしまったのか粘りがない。

と、観客席から「トンガ! トンガ!」と、応援コールが湧き上がっていく。ラグビーは応援するチームによって、座る場所が決まっているわけではないので、それまで嬉々としていた、私の周囲のアルゼンチンサポーターらの声が小さくなっていく。

いや、最初は対抗しようとしていたが、収まるまではと待っていたのだろう。子供たちは戸惑ってキョロキョロしている。(hammer.mule)