日々の泡[022]マリー・ラフォレの死【太陽がいっぱい/パトリシア・ハイスミス】/十河 進

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マリー・ラフォレが80歳で亡くなった。しかし、80歳のマリー・ラフォレは想像できない。20歳の彼女が出演した「太陽がいっぱい」を初めて見たのは、東京オリンピックの年、1964年だった。僕は13歳の中学一年生。その年、リバイバル公開された「太陽がいっぱい」(1960年)を、高松市の二番館「中劇」で見た。

何度も書いているけれど、そのときに見た3本立てが僕を映画好きにした。「太陽がいっぱい」「恐怖の報酬」「リオ・ブラボー」というプログラムだった。考えられない凄さである。2本がフランス映画だったので、その後、僕はフランス映画好きになり、とうとう大学ではフランス文学科を選択した。とはいっても、フランス語が喋れるわけではない。

「太陽がいっぱい」で初めてマリー・ラフォレが登場したときは、まず大きな瞳のアップショットからだった。続いてギターを爪弾く手。鼻歌のようにスキャットで歌っていた。その美しい顔のアップが13歳の僕に衝撃を与えた。その後、僕は南仏を舞台にしたバカンス映画「赤と青のブルース」(1960年)も見たし、三十代のとき、そのレーザーディスクを買って飽きるほど見た。

しかし、それほどマリー・ラフォレが好きだったわけではない。ただ、中学生の頃の自分を思い出すと、マリー・ラフォレという女優の全盛期だったなあと感慨深いものを感じる。僕は映画雑誌の「映画の友」と「スクリーン」を購読していたが、ちょうどその頃「国境は燃えている」(1965年)というマリー・ラフォレが出演した映画が公開され特集された。当時は、ヨーロッパ映画が多く公開されたのだ。





マリー・ラフォレが強く僕の記憶に刻み込まれたのは、「太陽がいっぱい」の衝撃が強かったからだ。僕は殺人者が主人公の物語を初めて見たし、犯罪者を魅力的に描いていることに驚いた。とにかくアラン・ドロンが素晴らしかった。人を殺した後、果物や肉にむしゃぶりつく姿にショックを受けた。その原作が「才人リプレイくん」というものだと知ったが、まだ原作は翻訳されていなかった。

原作者は女性のパトリシア・ハイスミス。ずっとイギリス人だと思っていたが、アメリカ生まれの作家である。僕が映画を見た当時、「太陽がいっぱい」の原作はハヤカワ・ミステリで出るという話だった。しかし、「太陽がいっぱい」の原作は後に角川書店が出したがあまり売れず、ずいぶん経って河出書房から再発売された。その頃には、僕はパトリシア・ハイスミスがトム・リプレイをシリーズの主人公にしているのを知った。

トム・リプレイは「太陽がいっぱい」でアラン・ドロンが演じた役だったが、後にヴィム・ヴェンダース監督の「アメリカの友人」(1977年)では、デニス・ホッパーが演じている。これは、トム・リプレイ・シリーズの三作めを原作にしており、ヴェンダースがオマージュを捧げているのか、ニコレス・レイやサミュエル・フラーといったハリウッドの監督が出演した。

パトリシア・ハイスミス名義で出した最初の小説「見知らぬ乗客」は、交換殺人を扱ったミステリでアルフレッド・ヒッチコックが映画化した。しかし、「太陽がいっぱい」の公開当時、パトリシア・ハイスミスの小説はどこからも翻訳は出ていなかった。日本では売れないと思われていたらしい。「見知らぬ乗客」の日本語版は22年後、「太陽がいっぱい」の日本語版は16年後に発行された。

パトリシア・ハイスミスはミステリ作家と捉えられているが、ミステリのつもりで読み始めると落胆するかもしれない。「不条理な心理小説」といった方がわかりやすいだろう。迷宮に迷い込んだ気分になる。本人も「サスペンス作家」「ミステリ作家」と評価されることに不満を抱いていたらしい。だから、日本では長く売れない作家だったのだ。

数年前、ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラが主演した「キャロル」(2015年)がアカデミー賞にノミネートされ、それがパトリシア・ハイスミスの原作だと知ったときには「へえー」と思ったけれど、意外な気はしなかった。1950年代を舞台に女性同士の愛を描いた物語である。保守的な時代、同性愛など認められるはずもない。しかし、「キャロル」は人間同士の愛と切なさを描いて出色だった。

ところで、僕がなぜ「太陽がいっぱい」の原作を「才人リプレイくん」と表記するかというと、中学生の頃、友人から借りたレコード「ヨーロッパ映画音楽全集」のライナーノートに「『太陽がいっぱい』の原作はパトリシア・ハイスミスの『才人リプレイくん』である」と書かれていたからだ。原題は「The Talented Mr.Ripley」である。

トム・リプレイ・シリーズは全部で5作あり、すべてタイトルに「リプレイ(リプリーと表記する方が多い)」が入っている。


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