日々の泡[023]1967年の中山仁【宴/糸魚川浩】
── 十河 進 ──

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中山仁が肺腺ガンのために77歳で亡くなったと死亡記事が出た。10月12日のことだったという。記事には「テレビドラマや映画などの名脇役として活躍。女子バレーボールが題材のスポ根ドラマ『サインはV』の鬼コーチ・牧圭介役やテレビドラマ『泣くな青春』の主演などで知られる」とあって、その紋切り型の内容に異議を唱えたくなった。特に「名脇役として活躍」という言葉には違和感があった。

中山仁は、突然出てきたという印象が強い。ある日、気がついたら売れっ子の二枚目俳優としてテレビや映画にいっぱい出ていたのだ。もちろん主役である。1967年、中山仁の顔は至るところにあった。正月早々、松竹映画「宴」が公開になった。4月からはテレビで連続時代劇「富士に立つ影」(4月4日〜9月26日)が始まった。中山仁は主人公・熊木公太郎を演じ、ヒロインは葉山葉子だった。

当時、僕は15歳。中学三年生だった1966年にベストセラーとして評判になった小説に、糸魚川浩が書いた「宴」があった。後に利根川裕の名になるのだが、出版当時はまだ中央公論社の編集者だったから筆名で「宴」を出したのだろう。利根川裕は1980年から「トゥナイト」の司会者として、14年近くテレビに登場したから顔も知られるようになった。





「宴」は226事件を起こす青年将校と彼を慕うヒロインとの物語だった。兄の友人としてヒロインは青年将校と出会うのだが、やがて別の男と結婚して人妻となった後に青年将校と再会し、再び思慕の念を燃え上がらせる。ある大雪の夜、ふたりは東京をさまようことになり、青年将校は冷え切ったヒロインの足の指を口に含んで温める。

中学生の僕にはよくわからなかったが、この冷え切った足を口で温めるシーンが「宴」で最も話題になったところである。今でもテレビ版と映画版のそのシーンが僕の脳裡に浮かんでくる。「宴」がテレビドラマとして放映(1966年11月4日〜1967年1月27日)されたとき、ヒロインは小山明子が演じ、青年将校は高橋幸治が演じた。松竹を辞めて苦闘していた夫の大島渚のために、小山明子はメロドラマで稼いでいたのである。

この「宴」人気に目を付けた松竹はヒロインに岩下志麻を抜擢し、青年将校に人気絶頂の中山仁を配した。公開はテレビ版がクライマックスに向かっていた1月14日だった。映画版の公開から2週間経ったとき、テレビドラマ「宴」も最終回を迎えた。テレビドラマと映画がまさに同時期に競演したのである。

映画「宴」の雪のシーンが何かの雑誌に載っていて、僕はそれを切り抜いて持っていたことがある。当時、僕は岩下志麻のファンだったのだ。同じように葉山葉子のファンでもあった僕は、4月から始まった「富士に立つ影」も欠かさず見ていた。その結果、中山仁も見続けることになった。

後年、成瀬巳喜男監督の全作品踏破をめざした僕は、とりあえず戦後作品をすべて見る努力を始めたのだが、「ひき逃げ」(1966年)だけがなかなか見られなかった。ようやく「ひき逃げ」を見ることができたのは5年ほど前のことだ。初めて見て「おお、中山仁が出ていたのかあ」と、僕は思った。黒沢年男の出演作であるのは知っていたのだけれど----。

人妻である司葉子は青年と愛し合うようになるのだが、その青年を中山仁が演じていた。青年との逢い引きの途中、司葉子は車で子供をはねてしまうが、そのまま逃走する。やがて、彼女がひき逃げ犯だと知った子供の母親(高峰秀子)は家政婦として司葉子の家に入り、復讐を遂げようとする、という物語だった。黒沢年男は高峰秀子の弟の役である。

中山仁の映画出演の最初が「ひき逃げ」であるらしい。その翌年の1967年、中山仁は一気に6本の映画に出演し、テレビドラマでも主人公を演じた。映画は「宴」に始まり、「愛の賛歌」「智恵子抄」「颱風とざくろ」「囁きのジョー」「花の宴」と充実していた。特に「囁きのジョー」の斎藤耕一監督には気に入られたらしく、後の「約束」(1972年)も最初は中山仁主演の予定だった。

ところが、相手役の女優がなかなか決まらず、ようやくヒロインに岸恵子が決まったときには、売れっ子だった中山仁のスケジュールがとれなくなった。結局、斎藤耕一について映画監督をめざしていた萩原健一が相手役をやることになり、「約束」で役者として評価されたショーケンは、その後、「太陽にほえろ」のマカロニ刑事を経て「青春の蹉跌」やテレビドラマ「傷だらけの天使」で成功を収める。

ところで、1967年は一体どんな年だったのだろう。1月には「フォークソングの女王」ジョーン・バエズが来日し、僕はテレビで「ドナ・ドナ」を聴いた記憶がある。3月には高見山が外国人として初めて関脇に昇進した。藤猛が世界ジュニア・ウェルター級チャンピオンになり、日本初の商業用原発である敦賀原発の起工式が行われた。唐十郎が新宿花園神社で初の赤テント興行を行い、学生一人が死んだ第一次羽田闘争があった。

「ミニスカートの女王」ツイッギーが来日し、女の子たちのスカートがどんどん短くなった。吉田茂が死んで国葬が行われ、前年に来日したビートルズの影響でグループサウンズが大流行。ザ・タイガースやザ・テンプターズがデビューし、ジャッキー吉川とブルーコメッツの「ブルー・シャトウ」がレコード大賞を受賞する。しかし、1967年を代表するヒット曲としては伊東ゆかりの「小指の想い出」にとどめを刺す。当時、どこの商店街でもかかっていた。

遙かな、遙かな昔のことだ。

【そごう・すすむ】
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