はぐれDEATH[90]長すぎる「お詫びと訂正」/藤原ヨウコウ

投稿:  著者:  読了時間:13分(本文:約6,000文字)



いっつも後先考えずに書き殴って、できたらソッコー送って、後は忘れる、ということを、ここでも繰り返しているのだが「なんか最近このネタ前にも書いてんじゃね?」疑惑がにわかに浮上したので、珍しくデジクリのボクの分だけ再読したが、惨憺たる状態だった。

同じネタの繰り返しはもちろん、自分で自分の作文に明らかな間違いまで見つけてしまったので相当ショックである。

本っ当に、ボクの書いた作文は鵜呑みにしてはいけません。書いた本人が言ってるのだから間違いない。イヤ、間違いは書いてるんだけど「鵜呑みにしてはいけない」だけは間違いではない。

「事実上、最初の日本統一は鎌倉幕府」の一文を読んだ時はたまげましたよ。本気で「お前、小学生からやり直せ」と思いましたもん。これは「無知」の一言では片付けられない。50過ぎのおっさんが書いたことですよ。本当に基礎からきっちり日本史を勉強し直すべきだと思う。

百歩譲って「ただの勘違い」にしても言い訳はできない。初歩的すぎるからだ。大変申し訳ございません。明らかな間違いであり非はすべてボクにあります。





そもそも国家としての「日本」の、定義そのものが極めて怪しいのである。というか、「国家」という概念すら怪しいのに、よくもまぁいけしゃぁしゃぁと、「日本統一」という言葉を恥ずかしげもなく使っているところが致命的である。断っておきますが、ボクが書いた作文の話です。他の人がどういう定義でどう「国家」を使っているのかボクは知らない。

参考までに『大辞林』(三省堂)によると……

こっか【国家】

1 〔易経 繫辞下〕王家と邦土。くに。
2 〔state〕一定の領域に定住する人々が作る政治的共同体。国家の形態・役割は歴史的に異なるが、一般には、近代の国民国家を指し、主権・領土・国民で構成され、統治機関を持つ。→近代国家
3 書名(別項参照)。

こっか【国家】

プラトンの中期対話篇の一。一〇巻。紀元前375年頃成立。魂の正しさを論じ、哲人王による理想国家が語られる。イデアと感覚的経験を論じた「洞窟の比喩」によっても知られる。国家篇。

……らしい。少なくともこれぐらいは押さえておくべきだった。

これである程度気がついていただけるとありがたいのだが、「国家」は主権者(国民の場合であれ独裁者であれ)の主観と、後の歴史的な考察によって、その姿・スケールそのものが大きく変化する。

ボクが「畿内政権」という言葉をちゃんと使っているだけに、この大間違いは致命的である。

わざわざ「畿内政権」という言い方をしているのは、「権力の及ぶ範囲が実質上は限定的なものに過ぎない」という考えからなのだが、これに関しては古代ローマ帝国を引き合いに出して、別稿で説明しているのだから始末に負えない。実際そう思っているし、素直に情報伝達手段をまんべんなく張り巡らすのに、大陸は広すぎるのだ。単に物理的な問題で、それ以上でもそれ以下でもない。

このことは、もちろんこの島国でも同様である。

律令制だって、まともに機能した地域は極めて限定的だろうとボクは思っている。ただこの制度によって、後の日本史は大きな影響を受けることになる。

こうした一例が鎌倉幕府の誕生だが(他にも例は腐るほどあるが、義務教育レベルの話なので割愛)、彼が当時の朝廷から委譲されたのは「征夷大将軍」という役職であり、その実態は「武士の棟梁」というあやふやな立場に過ぎない。全権委任ではないのだ。

もちろん、鎌倉幕府の影響が強い地域では、ほぼ無尽蔵に権力を行使できただろうが、実際上の政治の中心が依然として京にあったのは、言うまでもあるまい。この辺の事情がややこしくなって噴出したのが、南北朝時代である。

そもそも足利氏は、古代から畿内政権となんらかの接触を持っていた気配がある。源氏どころか、北条氏の御家人程度ですむような生やさしい存在ではない。実際、後醍醐天皇を吉野に追いやって、新たに北朝を設けるようなことまでし
てる。

このへんはイデオロギー闘争としても語ることが出来るだろうが、やはり権力闘争の一環として把握した方が分かりやすい。

鎌倉幕府倒幕から足利幕府までの流れを、義務教育レベルで知っていれば、ある程度は推察できるはずである。……相当話が逸れた。

更に「日本統一」と一言で片付けるにしても、当時の人々(特に権力奪取を窺う有力者)にとって「日本」とはどこまでの範囲だったのだろうか?

これはボクの勘だが、それほど明確に線引きをしていないのではないかと思う。

権力の中枢から物理的に距離が離れれば、当然、中央の言うことを素直に聞かなくなるだろうが、権力そのものの基盤が揺るがなければ、別にほっておいても問題はない。恐らくこういう実際的な感覚が、まずあったように思える。こういう考えはこの国に限ったものではないだろう。

徳川幕藩体制下でも、北海道は他の藩に比べれば自治権は大きい。天領扱いにしてたかなぁ? 他の藩の内政だって実質ほぼ藩任せだ。利権やらお家騒動が絡むとさすがに幕府も動いたようだが、幕府そのものの基盤が揺らぐような事態が起きない限り、表向き積極的な活動はしていなったと思われる。

そもそも北海道全体をまとめるような権力が存在していない、という幕府にとってはありがたい事この上ない条件もあわせもっていたのが、当時の北海道であり、住人の大半を占めていたアイヌ民族である。

下手に刺激してややこしいことをされるよりも、あまり干渉せずにそっとしておくに越したことはない。むしろ、近隣の藩に監視させたり、勝手に交易でもさせておいた方が無難であろう。この辺の事情は他の藩も同様で、互いに監視するようなシステムを作っているし、そうなるように諸大名を配置している。

まぁ、賢明な大人な判断である。調べていないのでこれまた勘だけで書いてしまうが、恐らくこの辺の基本路線は家康存命時に決まっていたように思える。

秀忠のような残忍冷酷な個性からは、こういう「賢明な大人の判断」を導き出すこと自体が不可能だし、秀忠にしてみれば遠くのワケ分からんことよりも、自らの権力を盤石にする方がウエイトは大きいだろう。結果として、ほったらかしにしただけの話だと思う。

徳川幕藩体制でもこの程度なのだ。極東のこの島国においては、これがでふぉと思う方が自然である。明治以降については書いたし、ここは今回チェックした上で「まぁ、オッケー」なので飛ばす。

さて、本格的にここでの「作法」について。相変わらず長い前置きやな。

上記したことからある程度推察していただけると思うが、ボクは明らかに二重三重の間違いを起こしているし、書き加えることで更にミスを誘発している可能性もある。

それでもこの稿を書いたのは、ボク自身が「明らかに間違いである」ということを理解した上で、「不特定多数(まぁかなり少数だとは思うけど)の読者に間違った個所と訂正を明らかにした上で謝罪すべきである」というボクなりの筋に則った「作法」が発動しているからだ。

そもそも、その場その時の思いつきと勢いだけで書いているから、こういうアホなことが起きるのだ。多分、性懲りもなく繰り返すとは思うけど。既に書いてしまって、間違っているところにまだ気がついていないことも、相当数あると思われる。これらに関しては、今後腰を据えて見直さないとヤバい。

間違いに気がついたら、素直に「すいませんでした」と謝罪するのが当たり前なのである。まぁ、このふざけた作文が「素直」とは正直言い難いのだが、出来が悪いとはいえ、「笑い」をとることを最優先にしているので、ご容赦いただきたい。もちろん、申し訳ない気持ちで一杯ですよ。上述したように、自分で自分に「義務教育レベルから日本史やり直せ」と本気で思っている。

「この程度の駄文でそこまで恐縮するのはどうか?」という意見もありそうだが、まずボク自身が納得できない。「間違いに気がついたのに、知らんぷりをして放置ほど情けないことはない」と本気で思っているのだ。

それでなくても、自分の知性や倫理観を疑っているのだ。幸い、畿内と東日本のような物理的な距離は存在しない。自分の話だからね。もちろん、書いた以上は言い訳もできない。自分の中に留めておけば、ここまで無知や恥を晒すことはないのだろうが、書いちゃってるしね。

だからと言って、ボクの勝手な都合でここの不定期連載を突如やめることはない。編集長が「お前、もうヤバ過ぎるから出禁」と言い出すまでは、当初の依頼通り書く。

ってか、ナゼ呆れないのだろう? 呆れた上で笑いのネタとして認めているのか、単に面白がっているのか? この辺は編集長の腹次第なので、ボクがとやかく言うことでもあるまい。基本、編集長のいうことは素直に聞くから(笑)

もしかしたら、この作文自体が無粋なのかもしれない。自分で見つけた自分の間違いを自分でさらしているのである。ある意味「余計なこと」なのだが、上記したように放置する度胸はボクにはないし、間違いを間違いと認めないなどと言う間抜けなことを自分に強いたくもない。

「一寸の虫にも五分の魂」ではないが、ボクのようなキチガイにだって、五分とまでは言わないが、一厘程度の魂はある。もっと少ないかもしれないなぁ。まぁ、あるにはある(と思いたい)。

こうした態度が社会的にどう扱われるのかはさっぱり分からん。ただ「なかったこと」にしたり、嘘に嘘を重ねて知らんぷりというアホなことを、自分自身に許す気にはなれない。

もちろん、最初から嘘を「表現」することを目的として、それが娯楽として成立している場合は別です。映画や小説なんてのは代表的ですね。今ボクがやってる創作もどきなんか、嘘しかないから(笑)

私小説ですら、ボクはなんらかのフィクションがあっていいと思っているし、恐らくだが、効果的な演出として使うケースの方が多いだろう。あからさまに嘘だと分かっていながら「ノン・フィクション」(実録とか)も許容範囲。

怖いのは、本気でやっているのに無自覚で嘘をついてしまい、それを他者から指摘されるとキレる、といったケースである。意識的に嘘をつきながら「これは事実だ」となると、「頭おかしいやろう?」となるから当然見捨てる。

程度の差はあるだろうが、虚言癖のある人は少なくないと思う(ボクも少なからずそうだ)。それでも、自覚しているかいないかで、その差は歴然となる。

もちろん、疾病としての虚言癖はあるでしょう。虚言なのか事実なのかの境が、自分でも分からなくなるケースなんかは代表的。こうした人に対する接し方は、正直難しい。まぁ、だから専門医なり、カウンセラーがいるんだろうけど。

ボクだって、虚実の境なんて正直分からない。いま生きていることだって「なにかのドッキリ?」と疑うことだってあるし、これが本業での評価となると、もう疑心暗鬼の塊である。

もちろん、自分で自分の描いたものの評価ですよ。第三者は別です。立ち位置が根本的に違う。ここに関しては、基本なんでもオッケーなのだが、それでも好意的な評価をされると、「ホンマに?」と思う自分がいる。もちろん、褒められれば嬉しいですよ。

繰り返しになるが「間違っているのに気がついたら、すぐ謝る」は、ボクの数少ない社会的コミュニケーション・マナーの、最上位の一部である。他にもあるが、どれも基本的な事ばかりだ。別に「戒律」というほどきついものですらない。

ももちだって、明らかに「マジやってもうた」という時は、ものすごぉ〜く申し訳なさそうな顔をしますよ。彼女の場合は少し価値観が違うので、本人的にはものすごいドヤ顔で、「見て見てぇ〜♪」というのが、奧さんやおねえちゃんの悲鳴を誘発して「あれ?」となることの方が多いのだが、ボクはほとんど気にしていない。そういう子だからね。

おねえちゃんだって十分に天然なので、似たようなことをやって奧さんをがっくりさせている。さすがに最近は少ないようだが、それでも同年代の子に比べれば多い方だろう。もっとも、おねえちゃんを上回るド天然なボクと、ももちがいるので、おねえちゃんなりに気をつけているようだ(笑)

自分の娘達なのでかなり甘いコトは認めるが、こういうケースだってある。それでも明らかに非がある場合は(ボクに対しては皆無に等しいけど)「ちゃんと謝り」と言うし、きちんと謝るまではほっとかない。しぶしぶも認めない。自分のやったことをきちんと理解した上での謝罪でないと意味がない。

もしかして、ボクがこういったことに厳しすぎるのかもしれないが、他の家となると話は別である。それぞれの家族のルールなりなんなりに、口出しをする気は毛頭ない。

厄介だと思ったら距離をおくなり、逃げるなり、聞いたフリしてほったらかしにするなりで十分対応できる。おねえちゃんもこれをやってるのにはびっくりしたけど。本人が言ってたから間違いない(笑)

それでなくても、デタラメが大手を振ってまかり通っているのだ。「それがオッケーなら自分がやっても大丈夫」なんて、思考停止丸出しなアホなことを考えるようになるぐらいなら、幼少期からこうした芽は徹底的に摘んだ方が人として社会に出る上でまともだと思う。

まぁそれで苦労することも多々あるのは、ボクがよく分かっているし、親父だってこれでエラい目に遭っている。それでもボクは、素直であることをより高く評価するし、代償を伴うことを厭わない。いい事ばかりではないのだ。

まぁどっちがいいとか悪いとかは置いておくにしろ(そんなもんは、それこそそれぞれが勝手に判断すればよろしい)、ボク自身はあくまでも「間違ったら謝る」派なので、それこそこのような訂正を入れること自体が不要なのかもしれないのに、読者の不興を覚悟しながらも書いている。編集長だって「これどうしたもんか?」と考え込むかもしれない(笑)

世間様的には、「迷惑なだけ」と思われても仕方がないことも承知している。ただの自己満足だし、ただのワガママですよ、こんなもん。賢明な大人ならもっと上手にやると思う。しかし、悲しいことに賢明とは程遠いところにボクはいるので、こうするしかない。というか、それ以外の方法がそもそも分からないし。

「アホだから」というだけで、何もかも許されるとは到底思えない。アホにはアホの社会的な倫理観があって然るべきだし、そうでないと、それこそ世の中アホの見本市すら通り越して、アホがでふぉなんていうアホなコトになりかねない。実際、アホのボクが見ていてもそうなりつつあるようなのが情けないのだが、そんな流れに便乗してアホの上塗りをする気はない。

アホがアホなりに知恵を絞った結果が、この作文だと思っていただければ、これに越したことはない。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com