日々の泡[024]アンナ・カリーナに恋をした【アルチュール・ランボー/地獄の季節】/十河 進

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1968年5月に僕は高校二年生で、東洋の果ての国から遠くヨーロッパ大陸のフランスの動乱に憧れていた。学生や労働者がまるで革命を起こしているかようなニュースが、毎日、テレビや新聞で流されていたからだ。ちょうど、カンヌ映画祭が開催されている時で、ゴダールやトリュフォーといった先鋭的な監督たちが「映画祭中止」を叫んでいた。

僕はトリュフォーの「大人は判ってくれない」もゴダールの「勝手にしやがれ」も見てはいなかったが、映画雑誌や映画評論の本を読んでゴダールやトリュフォーといった名前に憧れていた。とりわけゴダールは、「勝手にしやがれ」によって映画に革命を起こした、ヌーヴェル・ヴァーグの旗手的監督なのだと憧れた。





フランスの五月革命が鎮静し、朝日新聞社が出していた週刊誌「朝日ジャーナル」が特集をした。車が燃え上がるパリの街頭。敷石をはがして警官隊に向かって投げるカルチェ・ラタンの学生たち。彼らは、ソルボンヌ大学の学生なのだろうかと僕は思った。

「朝日ジャーナル」の真ん中にあったグラビアページでは、五月革命の最中のパリを三本ターレットレンズのついた16ミリキャメラを片手にした、薄いサングラスをかけたゴダールの写真が掲載されていた。少し禿げ上がった額、シニカルにゆがんだ唇、ゴダールのすべてがかっこよく見えた。

その頃のすべての映画少年はゴダールを神のようにあがめていたが、地方に住む少年たちはその作品を見ることはできなかったのだ。だから、1970年4月に上京したとき、名画座をまわればいつでもゴダール作品が見られることに僕は狂喜乱舞した。

「女は女である」「女と男のいる舗道」「小さな兵隊」「気狂いピエロ」「軽蔑」「アルファヴィル」「男性・女性」「勝手にしやがれ」「ウィークエンド」「中国女」などなど、僕は食事を抜いて名画座に通ったものだった。

その頃、18歳の僕はアンナ・カリーナに恋をした。ゴダールはすでにアンナ・カリーナとは離婚し、アンヌ・ヴィアゼムスキーと結婚していたけれど、ゴダールのミューズはアンナ・カリーナなのだと堅く信じていた。

特に「気狂いピエロ」「アルファヴィル」(1965年)「メイド・イン・USA」(1967年)のアンナ・カリーナは素晴らしかった。恋をせずにはいられなかった。映画は、恋する人間の視線で撮られていたからだ。

ゴダールは、その三作のヒロインをつとめたアンナ・カリーナに複雑な想いを抱いているようだった。アンナ・カリーナが最も輝いている「気狂いピエロ」では、彼女が演じたのは男を裏切り破滅に追い込む、「運命の女(ファム・ファタール)」だ。しかし、自分を裏切ってもベルモンドはアンナ・カリーナを許す。

惑星「アルファヴィル」にやってきたトレンチコートのタフガイは、様々な冒険をし、美女アンナ・カリーナを救い出す。主人公レミー・コーションは、エディ・コンスタンティーヌが演じて人気のあったハードボイルドなキャラクターである。そのイメージを借用し、ゴダールは独特な雰囲気の映画を作った。

ゴダールと離婚したアンナ・カリーナは「メイド・イン・USA」のヒロインを演じたが、彼女は自らがトレンチコートを身に付けてベルトを締め上げ、拳銃を手にするなどハードボイルドなヒロインとなった。ゴダールは、アンナ・カリーナの自立を受け入れ、自分の元から去るのを認めたのかもしれない。

あれから五十年が過ぎ去り、2019年12月14日にアンナ・カリーナの訃報が世界を駆けめぐった。何人の男たち(あるいは女たち)が「ああ、かつてアンナ・カリーナに憧れた時代があったなあ」と甦らせたことだろう。

僕は、アンナ・カリーナの死を知り、「アルファヴィル」を見た映画館の匂いさえ嗅いだ気がした。「気狂いピエロ」を見て映画館を出た後の五十年前の新宿の雑踏が目の前に浮かんだ。

ところで、ゴダール作品で原作について語ることはほとんど意味がないのだが、「アルファヴィル」「気狂いピエロ」「メイド・イン・USA」はすべてミステリ(犯罪小説)が原作になっている。

「アルファヴィル」の主人公レミー・コーションはイギリスのミステリ作家ピーター・チェイニィが作り出したヒーローだし、「気狂いピエロ」はアメリカのミステリ作家ライオネル・ホワイトの犯罪小説をベースにしている。

そして、驚くことに「メイド・イン・USA」の原作は、アメリカのミステリ作家リチャード・スタークの小説が使われているのだ。悪党パーカー・シリーズである「死者の遺産」だという(原作の跡形もないけれど)。

ハードボイルドな作品を書いていたドナルド・E・ウェストレイクは、60年代半ばにリチャード・スターク名義で「悪党パーカー」という非情でクールな犯罪者(プロの強盗であり冷静に人を殺す)を生み出した。僕は今でも「悪党パーカー」の第一作を読んだときの衝撃を憶えている。

「メイド・イン・USA」は悪党パーカーを女性の新聞記者に変更して、アンナ・カリーナに演じさせているのだ。まあ、ゴダール作品で原作について語るのは意味ないのだけれど、これだけ犯罪小説をベースにするのは、ゴダールもミステリ好きだからではないかと僕は想像している。

「気狂いピエロ」は犯罪者になった男女の逃亡劇であり、その途中で強盗をしたりして、まるで「ボニーとクライド」なのだけれど、ゴダールが撮るとまったく別の世界が描き出される。

特にあふれるように様々な書物から引用されたナレーションが耳に残り、原作の小説よりはランボーの詩集「地獄の季節」を読みたくなったりする。そう、映画のラストシーンに引用されるのは、ランボーの「永遠」という詩なのだ。

とうとう見つけたよ
何を
永遠というもの
太陽に溶けていく海のことだ


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