[4933] キューバの田舎町は首都よりも小ぎれいだった

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《3年連続・年末をキューバで過ごす》

■ Otaku ワールドへようこそ![321]
 キューバの田舎町は首都よりも小ぎれいだった
 GrowHair



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■ Otaku ワールドへようこそ![321]
キューバの田舎町は首都よりも小ぎれいだった

GrowHair
https://bn.dgcr.com/archives/20200117110100.html

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2017年から2019年まで、3年連続で年末をキューバで過ごした。2019年の年末もまた、心を落ち着けてしみじみと一年を振り返る余裕などまったくなく、最後の一週間まるまる仕事を休むため、あたふたと駆け込み仕事をやっつけて、12月24日(火)に羽田を発った。

26日(木)から3日間にわたって首都ハバナで開催される、漫画・アニメ・ゲーム系のイベント「AnimeShuriken」を前にした25日(水)、イベント主催者であるDatenshi Otsusuki氏が自宅のお庭でウェルカム・パーティーを開いてくれたのは、今までとだいたい同じ流れ。

私にとって今回新鮮だったのは、イベント最終日の翌日から1泊2日で、郊外へ観光に連れていってもらえたこと。首都ハバナから車で西南西へ1時間半ほど行ったところにある、内陸の田舎町 Pinar del Rio。小ぎれいにまとまって、ハバナの喧騒とは対照的にのどかな心地よさがあった。

間をつなぐハイウェイは、馬車が走っているのをしょっちゅう見かけたり、インターチェンジ付近にはヒッチハイカーがたむろしていたり、何でもない道ばたで玉ねぎを売っている人がいたり、牛が横切っていったりと、われわれからすればずいぶんと珍奇な光景がみられた。

●今回、日本から同行したのは二人

同行者の一人は魔公子氏。萌え系のイラストを描き、いわゆる「薄い本」を作る同人誌サークルを運営し、漫画・アニメ系のイベントでブースを構えて売る人。海外のイベントにも頻繁に参加している。

2014年9月20日(土)、21日(日)にスペインで開催されたイベント「Japan Weekend Madrid 2014」でご一緒した。しかし、今回キューバに行くことになったきっかけは、私が薦めたからではなく、「国際オタクイベント協会 (International Otaku Expo Association; IOEA)」の代表である佐藤一毅氏を介して、間接的にAnimeShurikenの代表であるDatenshi Otsusuki氏とつながっていたことによる。
https://ioea.info/


Datenshi氏が魔公子氏を発見してイベントに招待し、魔公子氏はそれを受けて、私に連絡してきた。しかる後に、私から強く薦めているわけだけれども。イベントにゲストを招待する場合、運営側が渡航費用等を全額持つのが通例だけど、キューバは事情が異なり、そういうわけにはいかない。でも、自腹切っても行く価値あるよ、と。

魔公子氏は、萌え系同人誌を制作する傍ら、豊富な海外経験を生かして、国ごとに、渡航に役立つ情報をまとめた薄い本も作っている。それのレパートリーを増やすのにもよいかと。キューバは他の国々とはお国柄が著しく異なるので、きっと面白い冊子が作れるはずだ。

もう一人は、江美さん。商社に勤めている人って、「商社人格」とでも呼ぶべき、際立った特徴を備えているように思う。私が駿台予備校市ヶ谷校舎にせっせと通って過ごした1981年、英語講師の奥井潔氏(東京大学)が雑談でそんな話をした。

人通りの多い街なかで、恥ずかしげもなく遠くからデカい声で「奥井ーーー!」と呼ぶ人がいるので見ると、商社勤めの友人だった。

ああいうふうに豪放磊落に振る舞いながら、その実、水面下で細心緻密に気を回すのが商社マンってもんである、というような話だった。当時、私は商社マンなんて会ったこともなかったから、ふーん、そんな生き物がいるのか、ぐらいに聞いていた。

江美さんは、まさにそんな人。子供時代をアルゼンチンで過ごしたとかで、やたらと明るく元気でノリがよい。しかし、人がちょっと咳をすればさっと飴が出てくるし、テーブルに飲み物のしずくが垂れればティッシュが出てくるし。万事そんな感じで、役に立つ可能性のあるあらゆるものを持ち歩いているのだろうか。

仕事柄そういう振る舞いをしているというより、人格の芯の芯まで染みついてそうなっている感じだ。すばらしいなぁ、とは思いつつ、自分にあんな振る舞いができるようになるとはとても思えないし、少し見倣おうかという気すらまったく起きない。適材適所というものがあろう。

三井物産で定年まで勤め上げた後、再雇用で三井物産フォレストに勤めていて、それもあと一年足らずなのだとか。

2002年に仕事でキューバに行ったことがあるという。会社の偉い人が招かれたのだけれども、行きたがらず、下へ下へとお鉢が回ってきて、江美さんが行くことになったのだとか。カストロ議長と会食してきたとか。それって貴重な経験ではないか?

2019年1月27日(日)、下北沢のキューバ料理の店「ボデギータ」でイベントが開催されたときに私と会っていたようだが、実はよく覚えていない。そのとき、前年末にキューバに行った5人が勢ぞろいしていて、私もちょこっと登壇して、キューバを見てきた感想をしゃべっている。

7月16日(火)、私は高田馬場の「ジーンズメイト(JEANS MATE)」でジーパンを買い、10:18pmにいったんお店を出て、裾丈を直してもらう間、ビッグボックス7階にある漫画喫茶「自遊空間」で時間を潰そうかと思っていたところ、1階のエレベータ前で江美さんにばったり会った。

年末にまたキューバに行くなら一緒に行きたいというので、お誘いしたというわけだ。立ち話でうまい具合に時間が潰れ、結局、上の階には行かなかった。

●通貨がおかしい

キューバの通貨は二重構造になっている。キューバ(人民)ペソ(CUP)とキューバ兌換ペソ(CUC)。前者は現地人向け、後者は外国人向け。換算レートは変動するようだが、およそ 1 CUC=25 CUP だ。で、1 CUCがだいたい1米ドルにあたる。

動物園の入園料などはひどくて、現地人は3 CUP(約12円)なのに対して、外国人は3 CUC(約300円)だ。絶対額としてはさほど高くないからいいのだけれど、一人で25人分かよ。

成田で両替してもらえないので、今まではハバナの空港で両替していたが、今年は日本で米ドルに換えて持ち込んだほうがいいと、Datenshi 氏が前もって伝えてきていた。

使い残した兌換ペソが持ち帰り禁止になったのだとか。その代わり、1米ドルを1 CUC として利用可能なのだそうだ。兌換ペソはいずれ廃止される方向らしい。

羽田空港で両替。住友SMBCでは、5万円→447米ドルに両替でき、これ自体、お得なレートだけども、Citibankの口座を持っていれば、さらにお得になるという。私は持ってないけど。渡航先を聞かれ、キューバだと答えたら、両替できませんと拒否された。

お隣のみずほ銀行羽田空港国際線3階ロビー店へ。ここでは渡航先など聞かれず、レートは少し損だけど、49,915円→445米ドルに両替できた。

●宿がややこしいことに

最初に行ったとき、私はキューバの諸事情がまったく分かっていなかった。飛行機代さえ自前で出せば、現地での宿泊、食事、交通の費用はイベント主催側が持ってくれるというので、中国でイベントに呼ばれるときのように、ホテルの一室を取っておいてくれるものだと思っていた。

ところが、用意されていたのは、Datenshi氏のお家が経営しているアパートの空き部屋であった。お家から通りを隔てた向かい側にあり、食事はご家族と一緒にいただき、朝は鶏の鳴き声で起こされた。そのこと自体は、キューバの人々の暮らしぶりが間近に見られてたいへんよかったのだけれども、場所が辺鄙なところにあった。

2本の幹線道路が立体交差する地点の近くに、ほんの20~30軒程度からなる小さな集落があり、周囲は農地や草地や森林からなる大平原がひたすらでーーーっと広がる。行動はすべてDatenshi氏と一緒。私の滞在日程が短かったこともあり、市街地を歩きまわることがほとんどできなかった。

次の年は、宿泊代も自前で負担することにして、自分たちで宿を決めた。キューバまで行きながら、堕落したブルジョワジーみたいな生活をしては、何も見たことにならないと私が主張し、あえて、一人一泊800円程度のところに決めた。朝食をつけても1,000円程度。

ここが、予想外によかった。われわれ一行は5人からなり、ちょうどよく、2段ベッド2つとふつうのベッドからなる5人部屋があった。朝食はパンと玉子焼きとフルーツ3種類と飲み物が用意された。われわれに特別に、raspadura(あるいは panela)という黒糖100%の甘いお菓子をくれたりもした。市街地にあり、空き時間に散歩が楽しめた。

しかし、ちょっとしたトラブルがあった。あらかじめ、Booking.comで予約を入れ、そのサイトに宿泊費を払い込んでいたにもかかわらず、予約情報が宿に伝わっていなかった。到着してから判明し、たまたま空き部屋があったため、宿泊することができた。

宿泊費は宿に直接支払い、帰国後にBooking.comと交渉して、すでに払ってある分は返還してもらえた。そのサイトで同じような目に二度遭ったという人がいた。宿の人はたいへん憤慨し、そのサイトとの契約を打ち切るという。Datenshi氏も悪評は聞いていると言い、次の年の宿決めは俺に任せてくれと言った。

さて、3回目。前回の宿は Bookin.comから出てこなくなっていて、別サイトから探すと、一人一泊約4,000円になっていた。Datenshi氏に相談してみた。市街地だとどうしてもそれくらいの値段になるが、少し遠くてよければ半額のところがあるという。そこに決めた。

行ってみると、ホテルではなく、14階建てのマンションの一室だった。鍵のかかる部屋に入ると、まず広いリビングルームがあり、キッチンとバス・トイレがあり、さらに鍵のかかるプライベートな二人部屋がふたつある。今回は3人の一行で、一人は女性なので、全員同室というわけにはいかないという、私から出した条件を完璧に満たしている。

ひとつだけ、問題があった。二人部屋というのが、ダブルベッドだ。ええと、魔公子氏とベッドをともにするんですかい? キューバではふつうのことらしいが、日本人としてはどうにも抵抗がある。最初の晩、私はリビングのソファで寝た。

Datenshi氏は、それではよくないと言い、翌日、お家に戻ったついでに、ご自身のベッドからマットレスをはがして、持ってきてくれた。

驚いたことに、Datenshi氏はもう一人のスタッフとともに、その晩から4連泊で同宿していた。ソファからクッションをはがしてリビングの床に並べ、二人で身を寄せあって雑魚寝していた。

朝食つきと言っていたが、作るのはDatenshi氏であった。まったく予想のついていなかったことであり、これでは申し訳なさすぎる。次回はまた考えなおさねば。

●動物園でモメる

今回のイベントの会場は、H10 Panoramaというホテルだとあらかじめ伝えられていて、ハバナに到着するまでそうだと思っていた。ところが、来場希望者数が予想を大幅に上回り、ほんの前日だかに、急遽、動物園に変更したのだとか。土壇場になってよく会場が変更でき、その連絡がよくちゃんと回るなぁ。

ハバナの北西の海岸近くに、ちょっとおハイソなエリアがある。値の張るホテルが立ち並び、各国の大使館があり、輸入品を売る店があり、水族館がある。H10 Panoramaもその手のホテルのひとつだ。前年12月のイベントは、初日だけそのホテルで、残る2日は動物園だった。

2日目、イベントをパスして市内を観光した後、夕方になって、動物園にちょこっと立ち寄ってみた。ところが、入園料を払えとかなんとか言われて、結局、入れてもらえなかった。翌日のために会場を下見するのが目的であって、動物を見るためではない、という主張は通らなかった。

今回、初日の朝、同じようなことが起きた。われわれ日本人ゲスト3人とアテンド係のスタッフは先に部屋を出発してバスを2つ乗り継いで動物園に来たのだが、待合せ場所の連絡に行き違いがあって、徒歩組に追い越され、Datenshi氏たちはすでに動物園の中にいた。

入り口で、でっぷりとした黒人のおばちゃんがでんと構え、入場料を払わなければ通さないという。困ったので、Datenshi氏に出てきてもらった。おばちゃんは、たとえイベントスタッフであっても、一人一枚、入場券を買って入れ、と主張する。

Datenshi氏は、顔を真っ赤にして激しく反論する。すでに場所の借り賃を払っているので、二重取りだ、動物を見に来た客ではない、と。

後になって、園内スペース使用に関する契約書を見せてもらったが、恐ろしく簡潔だ。スタッフの入場料金については、まったく言及されていない。こりゃ、揉めるわ。

Datenshi氏は主張を曲げたわけではないけれども、これを決着させるために何時間も潰しているわけにはいかず、しぶしぶ言いなりになって、入園料を支払った。それでもおばちゃんは、ぎゃあぎゃあと追い打ちをかけてくる。3人のゲストは外国人料金を払え、と。まあ、3人で75人分だからなぁ。結局、それも払ったらしい。

中を通って正門へ回ると、イベント開始予定の10:00amを1時間ほど過ぎているのに、100人ほどの来場者たちが、ギラギラ照りつける太陽の下、門の外で辛抱強く待っていた。誰も文句を言わず、こんなもんでしょと状況を受け容れているようだ。

3日目の朝、黒いおばちゃんはDatenshi氏の姿を見ると、にこにこしながら近づき、がばと抱擁してチュッチュしている。一昨日、あれほど激しく怒鳴り合ってたのに、なんかすっかり仲良くなってるしー。キューバって、おもしろいなぁ。

●日本人、歩く美学から脱落

キューバの人たちは、「歩く」ということを、無料でいくらでも採掘できる天然資源だと思っているフシがある。さらに憶測すると、交通機関を利用するというのは、川原でお金を出して石ころを買うようなもんだと思ってやしないだろうか。

キューバ共和国は、キューバ本島と周辺の島しょからなり、本島は東西に細長く「へ」の字に延びる島である。西端から東端まで1,225kmある。への字の頂点にあたる、フロリダ海峡に面した北岸に首都ハバナがある。

ハバナ市街の東端には運河が掘ってあり、海からの入り口は狭い水路だが、奥のほうは、生姜の根っこみたいにごつごつと入江が膨らんでいる。なので、ハバナ市街の南東側も海に面しており、港がある。そのあたりに、鉄道の大きな終端駅がある。日本で言えば、東京駅に相当すると言ってよいだろう。だいぶ違うけど。

駅の四角い敷地の北西の角にタクシー乗り場がある。市街地のどこにいたって、ここまでは歩くのがふつうと思われている。ときおり馬車やら人力車やらを見かけるけれども、市民が日常的に利用する乗り物ではなさそうだ。

道ったって、暗算で詰将棋を解きながら歩けるようなものではなく、傷んで穴ぼこだらけだし、ホカホカの馬糞が落ちてるし、大きな道を渡るのはスリル満点だし、野良犬がうろうろしているし、おっさんが短いスカートを穿いているとオネーチャンにめくられるし、歩くにもまったく気が抜けない。

前年の宿からタクシー乗り場までは南東へ2kmだった。今回の宿は野球スタジアムの隣りにあり、北東へ2.4kmある。いっそう遠いではないか。動物園までは、南西へ3.6kmある。現地の人々は、この程度の距離をふつうに歩けるものと認識している。

12月25日(水)、ウェルカム・パーティを催してくれるというので、みんなでDatenshi氏のお家へ。近くにあるR.A.氏のお家に泊まっていたDatenshi氏は8:30amに来てくれた。タクシー乗り場まで、あたりまえのように歩く。

乗合バスは、鼻のある大きなトラックのような車両で、荷台に相当するところに座席が据え付けてある。20人ほどで満杯になり、発車。

帰りは、イベントのスタッフが大勢加わり、別ルートをとって途中でスタッフの一人のお家に立ち寄り、イベントに必要なものを運び出して、乗合バスで戻る。やはり、元のタクシー乗り場の近くで降ろされる。

そこから宿まで、みんなで徒歩。ゲーム大会用の大きな液晶モニターを抱える者、私のためにDatenshi氏のベッドのマットレスを筒に丸めて紐で縛ったのを抱える者、などなど、砂漠のキャラバンのごとし。「はー」とも「ひー」とも言わず、黙々と歩く。

26日(木)、スタッフの特別な配慮により、われわれ日本人ゲスト3人はバスを2つ乗り継いで動物園へ。バスに乗るまでに、革命広場を通り抜けて1.5kmほど歩くのだけれども。帰りは、歩く途中で偶然、タクシーをつかまえることができた。

27日(金)、バス1本で動物園へ。乗る前と降りた後、けっこう歩いた。4:00pmごろにイベントが終了するまで、昼食の時間が取れなかった。このあたりで、日本人組は音を上げた。とりあえず、座ってなんか食べたい。

スタッフは気が進まないようだったが、動物園の正門を出て、大通りを渡ったところにあるお店に入ったのが、いい感じに外れで、のびたスパゲッティと甘めのマカロニサラダに苦笑い。

郷に入っては郷に従え、なんてもはや言ってられない。われわれの敗北だ。もう歩きたくない。タクシーを探してきてくれたまえ。スタッフが見つけてきてくれたのが、横幅が広くてピッカピカのクラシックなアメ車。いかにも堕落したブルジョワジーがこれ見よがしに乗るやつ。前にスタッフ2人、後ろに日本人3人が余裕で乗れる。15米ドルでアパートまで行ってくれると。

いやいや、3.6km走って1,500円なら、東京だとごくごくふつうって感覚なんだけど。しかも、いい加減へばってるわけだし。喜んで乗るでしょ。けど、キューバ的にはきっと「ない」。ひ弱な都会育ちでどうもすいません。

●コスプレのレベルが高い

動物園の園内で、イベントAnimeShurikenの会場は3か所に分散していた。

動物園の中に、緩く囲われてふつうの公園になっているエリアがある。日本の公園からは危険遊具として駆逐されてしまったような遊具が、いろいろ置いてある。

その奥に、子供が遊んでいる間、連れてきた大人が休憩するところがある。屋根が柱で支えられており、壁はない。コンクリ製の動かせないベンチがいくつか設置されている。平べったい長方形のごくごく簡素なやつだ。周囲に樹木が茂り、薄暗い。そこが第一の会場。

ベンチのひとつが、魔公子氏のブースになっていた。ポスターやタペストリーなどの商品が、ばさっと置いてある。

第二の会場もやはり休憩スペースのような感じで、柱と屋根があって壁のない構造だが、二階建てだ。一階にはテーブルと椅子が出ていて、カウンターで簡単な飲食物を売っている。店名は「Cafeteria Jaguar」。

左側の通路の奥にトイレがあって、おじさんが料金を徴収している。二階は、何でもない平らなスペースになっている。そこが第二の会場。サークルが5つほど出ていて、缶バッジなどを売っている。

第三の会場は、間違い探しかいな、というほど、第二の会場とそっくりな構造。違いと言えば、店名が「Cafeteria La Cocodrilo」(ワニ)なのと、トイレがないのと、もちろん周辺の景色が違うことぐらい。ここでは来場者どうし、格闘ゲームの対戦が行われる。

一日目と二日目、第一の会場でコスプレ・コンテストが開かれた。ガチに競い合うのは二日目で、一日目は、軽い感じ。観客たちは両サイドにぎっしりと押し詰められ、真ん中に空いた帯状領域をランウェイに見立て、ファッションショーのような感じで、コスプレイヤーが一人ずつ往復する。

拍手と歓声が一番大きかった者が勝ち。最後の最後に、オチをつけとくか、とばかりに浴衣姿の江美さんと、セーラー服姿の私が出てみた。そしたら、一番大きな拍手と歓声を頂戴してしまった。いやいや、すいません、もちろん優勝は辞退しますけど。

二日目は、本格的にレベルが高くてびっくりした。特に際立っていたのがファビエル氏。美術の先生だという。今までにコスチュームを120着ほど作ったという。そのうち25着を持ってきていて、生徒やその友達で着て、集団を形成している。
https://www.facebook.com/favierarte


三日目は、同じ会場がメイド喫茶になった。メイドさんが3人ほど。小さなカップケーキのようなのを売っていた。そうとう繁盛している。三日目は午前中だけで終了と言われていて、じゃあ、実際には午後2時ぐらいまでになるな、と予想していたら、その通りになった。

●イベントに来てくれた日本人

前の年、イベント初日に、H10 Panoramaホテルの会場へ若い日本人女性3人が来てくれた。メキシコからハバナまでのフライトでご一緒した方々だ。キューバは観光旅行だが、具体的な予定を何も決めていないという。なら、ウチのイベントどうですか、と言ったらほんとに来てくれた。

今年は、新婚旅行中の若いご夫婦が動物園に来てくれた。キューバへの途上で魔公子氏がTwitterに上げたツイートを、たまたま見たのだそうで。

H10 Panoramaに行ったら、会場が変更になったとホテルの人から言われ、タクシーで動物園に来たのだとか。しかも、園内で、イベントスペースを見つけてくれている。

結婚したのは4月だけれども、直後に奥さんがアメリカに転勤になっちゃって、別居中だとか。年末になってやっと新婚旅行が実現。

● A家伝来のお宝

イベント最終日の後、前日と同じアメ車タクシーにまた来てもらって、旧市街地へ。観光した後、R.A.氏のお家へ。R.A.氏はDatenshi氏の近しいお友達だ。筋金入りのオタク。

R.A.氏のお母様はバーテンダーを25年やってるのだとか。モヒートが絶品なので、他で注文するのを我慢していた。

前の年にも来ている。私が持ってきた日本酒「仙禽」の空き瓶が飾ってある。ラベルには私のサイン。イベント三日目が終了した後の夕方、屋上でこれを開封して酒盛りを開いたのであった。

A家は一家をあげて日本びいきだ。酒盛りで使用した酒器がA家伝来のお宝のひとつ。大きなお椀がひとつと、小さなおちょこが6つ。黒い漆塗り。それぞれに別々の季節の花が金色で描かれている。

お椀の裏側に手書き文字で "MADE IN JAPAN(改行)SPECIALLY FOR K.L.M."と書かれている。K.L.M.って、オランダ航空のこと?

もし、オランダ航空の社長が来日した記念に、日本の政府または大企業が贈ったものだったとしたら、きっとお値打ちものに違いない。

もうひとつ、伝来のお宝は、脚付きのシャンパングラスが一個だけ。薄くて軽い。側面には、羽根つきの羽根のような模様が掘ってある。

裏側には "SUPERIOR GLASS(改行)MADE IN JAPAN" と書いてある。2行の間に王冠のようなロゴマーク。えーっと、日本にロゴマークが王冠のガラスメーカーってあったっけ?

●ハイウェイ馬車?

イベント最終日の翌29日(日)、Datenshi氏はわれわれ日本人3人を郊外に案内してくれた。ハバナから西南西へ約180km行ったところにある内陸の田舎町 Pinar der Rio。タクシーに乗ったのが10:30amで、到着したのが0:05pmなので、なかなかいいペースで飛ばしている。

ハイウェイはよく整備されていて、そんなにガタガタ揺れない。幹線道路と交差するところはインターチェンジになっているけれど、ハイウェイから直接T字に生えている小路はいっぱいある。対抗車線からの小路に入るには、どこかでUターンしないとならない。交通量は少なめ。追い越し車線をとろとろ走っている車を、走行車線から追い抜く。

インターチェンジのそばなど、ヒッチハイカーがたくさんいる。ハイウェイを馬車が走るのをしょっちゅう見かける。ハイウェイ馬車? いやいや、見た感じ、荷物運搬用。屋根のない荷台に2~3人で座っているのは、農夫のようにみえる。

道路脇の何でもないところで、玉ねぎを売っているおじさんが、あちこちに立っている。玉ねぎを数珠つなぎにしたのを何本も吊るして、すだれのようにしたのを掲げている。玉ねぎすだれ?

車がびゅんびゅん飛ばしていくところに立っているのってどうなの? 買おうと思ってブレーキを踏んでも、止まるまでに100mぐらい行ってしまいそうだ。商売になるからこそやっているのだろうけど、どうにも解せない。もしかして、全部買い取って市場へ運んでくれる仲買人求む、ってことなのだろうか。

道はわずかに登り坂か。周辺はずっと平地が続く。右手遠景には山並みが見える。放っておけばヤシの木のジャングルになりそうなところ、適当に切り開いてバナナ畑や牧草地にしている。

牧草地には牛が放し飼いになっている。ハイウェイに柵がなく、すぐ脇まで牛がいる。前の車が急に速度を緩めたので、われわれのタクシーもあわててブレーキをかける。すぐ前を、大きな牛がゆったりゆったりと横断していた。

あまりに単調な景色が続くもんだから、最後まで起きていられなかった。

●のどかで陽気な田舎町

バスターミナルは、いかにも長距離を移動するんだなぁ、という感じに身支度した人々で賑わっていたが、ちょっと離れれば、のどかな田舎町の風景になる。

なんだか小ぎれいにまとまっていて、首都ハバナよりもむしろ清潔感があり、垢抜けている。ハバナは、建物が古くて傷んでいたり、開放したドアから生活が丸見えだったりして、ごみごみ感があった。道を隔てて2階のバルコニーとバルコニーで、大声で雑談してたりして、喧騒感があった。

Pinar del Rioは、人々が快適に暮らしていて、うるさくないけど陽気な感じ。首都とは別の活気がある。

私の中の田舎のイメージだと、生活がなんとか回っていたとしても、町の経済状況は都心ほど潤ってなく、どこかメンテナンスの手が回っていない貧乏くささが現れていたりする。

あるいは、将来にあんまり明るい展望がなくて、永久に続きそうな平凡な日常生活以外に何もない、どよーんとした、やる気のない、あきらめ感が漂っているとか。

ところが、この町には、そういうのがまったくない。まるで作り物のようなファンタジー感がある。主な産業に(1)たばこ、(2)観光、(3)アルミの鉱山があり、割と裕福な町なんだとか。

民家の入り口の鉄柵の上に、人っぽいやつが腰かけていて、微動だにしない。観光地によくいる、銅像になりきるパフォーマンスをやっている人間かと思った。作り物だった。年越しの瞬間に火をつけて燃やすのだそうで。人形は、往く年の象徴。古い年よ、さようなら。キューバの国全体の風習なのだとか。

お昼は、町で評判のイタリアンレストラン「Carol y Ale」で。20人ほどが歩道に列をなして待っている。すぐ前に並んでいる女の子と一緒に、写真を撮る。耳たぶの下部にピアスを開け、金色の輪っかを提げている。ブラを着用してるけど、小学校4年生で9歳なのだとか。

ビーフラザニア、たいへん美味い。ダイキリは、ラムベースのカクテル。やたらと大きな逆さ円錐のグラスに、なみなみと注がれて出てくる。非常に強い。

宿で休憩をとり、夕食はキューバ料理のお店「CAFE ORTUZAR」へ。8:45pm、店の前の道に20人ほど並んでいる。いつになったら入れる?

右に隣接する建物は飲食店ではないようだが、即席の舞台の設営が進行している。下手にはスクリーンが立てられている。クラシック音楽の楽団が、アニメの音楽を演奏してくれるのだとか。どうやら地元の楽団らしい。

10:00pmからだと言うので、食事をさっさと切り上げて、聴きに来よう、とか言っていたが、10:00pmになってもまだ店に入れず。最初のほう、聴くことができた。

スクリーンには演奏中のアニメの映像が映っている。「もののけ姫」、「ゼルダ」、「ラピュタ」、「ファイナル・ファンタジー」。こんなところで日本のものに遭遇できるとは。

うんと遠くで大音量でかかる音楽が聞こえてきたり、クラクションを鳴らして通る車があったり、ノイジーな環境でよく集中力を切らさずにがんばっている。

言っちゃ失礼だけど、キューバにクラシック音楽の楽団があるとは思いもよらなかった。だって、バイオリン一丁が、平均的な給料10年分ぐらいしないか?

地元の楽団で、「CAMERATA EXTASIS」という。指揮者は LIVAN LABRADOR MORALES 氏。
https://www.facebook.com/Cameratta-%C3%89xtasis-437482146796903/


店に入れたのは10:30pmだった。ビーフのスープ、ビーフのせライス。来るまでにあれほど牛を見てきたので。

●謎のフルーツ

キューバは南国だけあって、フルーツが豊富だ。謎のやつもけっこうある。

Datenshi氏のお家でのパーティで、塀の向こうに生えている木になっているやつをジュースにしてくれた。mameyという。どろっとしていて、見た目よりもずしりと重い。すっごーく甘い。

動物園でのイベントの初日の朝、裏の入口で待合せしたら、実は2つあって、無駄に待ってしまった。向かいのお店ではカウンターでジュースを売っている。何だかよく分からずに、tamarindoのジュースを注文。梅かあんずのような味。

国営ホテルの近くにあるイタリアンなアイスクリーム屋では、やはり何だか分からないながら、titi fruitのアイスを注文。おお、爽やかで、なかなかイケる。でも、何なんだろう?


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《 おまけ:脱力系内輪話 》

○魔公子氏、江美さんからいろいろ借りる

イベント2日目にあたる12月27日(金)の朝、「困った事態になった」と魔公子氏。ズボンのファスナーが壊れて、上がらなくなったのだとか。替えは持ってきていないという。

私「セーラー服の予備ならあるぞ」。ファスナー全開のズボンとセーラー服と、どっちが恥ずかしいか。究極の選択だ。

江美さん、予備のパンツがあるけど、と。なんと、サイズがぴったりだ。ちょっとでも困りごとが生じると、お助けアイテムが何でもさっと出てくる不思議な江美さんだが、ここまで来るともはやミラクルだ。どこかで買うにしても、裾丈を直したりするのがたいへんだからと、魔公子氏は帰るまでずっと借りっぱなしにしていた。

羽田空港に到着すると、魔公子氏の荷物だけが出てこない。ハバナでは3人で一緒にチェックインしたのだから、一緒になってそうなものなのに。ロスバゲ申告して調べてもらったら、トロントで積み替えた記録がないので、おそらくハバナで積み忘れたのであろう、ということだった。エア・カナダではなく、ハバナ空港の責任であろう、と。

羽織るものをスーツケースに入れていた魔公子氏、とりあえず寒い。ジャンパーがさっと出てくる江美さん。またお世話になります。

スーツケースは数日後、中国経由で戻ってきたそうだ。

○大事なものをよく失くす私

私は、大事なものをほいほい失くす。今回持っていったパソコンだって、2015年6月19日(金)、成田空港からタイ・バンコクに飛んだ飛行機の機内に置き忘れ、2017年3月11日(土)、新潟駅に到着した上越新幹線の車内に置き忘れ、取り戻したものだ。

キューバへの出発が5日後に迫った2017年12月19日(火)には、パスポートを失くした。赤羽橋のキューバ大使館でツーリストカードを発行してもらうのに、パスポートのコピーが必要なので、東中野駅前のコンビニでコピーを取り、原本をコピー機に挟んだまま置き忘れたのだ。

大使館で気づいて、戻るまでに1時間半かかっているが、コピー機にそのまま挟まっていた。

自覚があるんだったら気をつけてりゃいいじゃないかと思うかもしれないが、四六時中気をつけてるわけにもいかないんで、ふと気が緩むことだってあるじゃないですか。

今回はまたパスポートをやらかした。ハバナに到着した翌朝、アパートを借りる契約に必要だからパスポートを貸してください、とDatenshi氏から言われた。あれ? ないよ。

前日、ハバナに到着したのは深夜だった。
20:15 トロント(YYZ)- 23:50 ハバナ(HAV)、エア・カナダ AC1876

イミグレを通り、パスポートを手に持ったまま、空港ロビーへ出た。スーツケースを転がし、スクールバッグと手提げ袋を持ち、さらに、羽田空港でお土産に買った天乃屋大入歌舞伎揚とポッキー(宇治抹茶)とポッキー(信州巨峰)の入った袋を提げていた。

手が足りないから、パスポートをスクールバッグの中の定位置にしまいたいが、みんなが歩き始めちゃっているのに自分だけ立ち止まって、はぐれても困る。一時的に、と思って、土産袋の中へ入れた。それを忘れて、Datenshi氏に袋ごと渡しちゃった。

そのことも忘れていたので、探しても探しても出てこないわけだ。割とあせった。Datenshi氏がふと気がついて「これじゃね?」と土産袋を示した瞬間、自分の行動を思い出した。「それだ!」。出てきた。

帰り、ハバナの空港でチェックインし、時間に余裕があるので上の階でお茶した。さて、そろそろ出発ゲートに向かおうかとなったとき、ツーリストカードが出てこない。

チェックインのとき、パスポートに挟んで渡したら、ツーリストカードは要らないからとそれだけ返され、受け取ったところまでは覚えてるんだけど。いったいどういうふうに失くしようがあるというのだ。もういい。残りの人生をハバナで過ごします。

チェックインカウンターに戻ってみると、もう別の航空会社になっていた。あれれ、とうろたえているとカウンターから「どうしました?」と声を掛けられたので、状況を言うと、「これですかぃ?」と示された。あ、それですそれです。

○年越しの瞬間が盗まれる

機長からアナウンス。「年が明けました」と。現地時間で2019年12月31日(火)4:55pmから、いきなり、2020年1月1日(水)同時刻に。大事なものを盗んでいかれたような年明け。

除夜の鐘がうるさいとか言ってるやつ、この便に乗るかい?

《 シンギュラリティサロンで登壇します 》

2月1日(土)に大阪で開催される「シンギュラリティサロン」は5周年を記念した特別回になります。
https://singularity41.peatix.com/event/1407252/


名称:シンギュラリティサロン #41「5 周年特別企画」
日時:2020年2月1日(土)1:30pm~3:30pm。
会場:グランフロント大阪・ナレッジサロン・プレゼンラウンジ
主催:シンギュラリティサロン
共催:株式会社ブロードバンドタワー、一般社団法人ナレッジキャピタル
入場:無料
定員:100名(先着申し込み順)
内容:
第1部:特別鼎談(1:30pm~2:30pm)
『シンギュラリティサロンの年間を振り返る』
登壇者:松田卓也、塚本昌彦、小林秀章(セーラー服おじさん)司会:保田充彦
第2部:記念講演(2:30pm~3:30pm)
『脳腸相関と汎用人工知能』講師:松田卓也(シンギュラリティサロン主宰、神戸大学名誉教授)

前半の鼎談で登壇します。シンギュラリティサロンでは、意識研究の先生方を数多くお呼びしてご講演いただいているので、意識研究について俯瞰的に眺め渡した上で、どの先生がどのあたりを担当し、どんな構想の下に、どの程度研究が進んでいるか、というあたりを語れたらいいかな、と考えています。


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編集後記(01/17)

●偏屈BOOK案内:北岡俊明「日本トンチンカン悪者列伝」2

「直言、辛言、暴言ですが」と帯にある通り、そこは筆者がトンチンカンなのだと思わぬでもない記述もあるが、これだけは絶対支持する、よくぞいってくれたと感涙にむせんだのが「方程式のトンチンカン……数学は必要なのか」である。筆者はかねがね、学校で習う方程式に疑問を抱いてきた。「ざっくり言うと、人生において方程式は必要なのかということだ」。激しく同感!

中学、高校で、二次方程式、三次方程式などの数学を自動的に(強制的に)勉強させられた。しかし、筆者はここ10年あまり前から、方程式を学ぶことに疑問を持ち始めた(って、遅いよ。わたしなど中高生時代の最大の疑問だった)。なぜ方程式を勉強するのか。だが、この問いに答えてくれた人はいない。

カリキュラムに従って、自動的にやらせられただけである。仕方なくつきあっただけである。よくわからないまま、無駄に時間とエネルギーを費やし、結局、高校では二度の進級時に追試を受けた。それで方程式を理解したかというと、全然していないのであった。男二人と女多数は、追試というセレモニーに出席しただけで、おまけで進級した。いい高校だったな。武さんが後輩です。

ところが、話は変な方向へ。まさかこんな開き直りみたいなことになるとは。「数学を勉強するとき大切なのは、その意味と目的を明らかにすることだ。方程式を学ぶとき、教師は『方程式は将来、人生を生きるに当たって××の時に役立つのである』と教えるべきである。すると数学が好きになる。ところが、頭から当然のごとく数学を教えられると、苦手な生徒は当然、数学嫌いになる」

何をいってるんだよ。わたしより3つ上のこの爺さんは。攻め方がトンチンカンではないか。数学が苦手なのはひとえにこちら側の能力の問題である。人生で必要であろうとなかろうと、数学なんて大っ嫌いでもなんとかなる。教育する側がいちいち、××の時に役立つなんて講釈を垂れるかね。される側も××の時に役立つなんて思うものか。筆者の数学への恨みは迷走している。

一転、日経「私の履歴書」が西暦を使うトンチンカンに抗議。日本の貴重な歴史の記録でもある有名な欄。筆者はここを読まねば一日が始まらない。唯一の問題は、年号を西暦で統一していることである。この欄は自伝という個人の歴史の記述だ。歴史には長年の慣例と伝統がある。明治、大正、昭和の生まれの人は、自分の生年月日に西暦を使わない。これは慣例であり常識である。

明治、大正、昭和生まれの人は西暦の後に括弧して元号を表記している(私は元号オンリーで西暦を覚えていない。それも問題だが)。元号は日本文化の象徴である。日本人としてのアイデンティティを持ちたいと思う。朝日新聞は安倍首相に対して批判と非難に終始している。1年365日、政権批判ばかりである。ありとあらゆることに文句を言い、実にまめにイチャモンをつけ続けている。

来る日も来る日も叱るばかり、足を引っぱるばかり、けなすばかり、批判するばかりである。これでは人は育たない。身構えるか、萎縮するだけである。日本人は人をけなして嫌われるより、人を褒め、人に感謝されるのもいいものだと思うのが普通である。たしか朝日新聞って日本人が作っているんですよね? ステキな旭日旗を社旗としながら、なんでああなるんでしょうか。(柴田)

北岡俊明「日本トンチンカン悪者列伝」2019 ワック
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●年越しの瞬間、それはそれで貴重な体験ですね!/そういえば、名前の漢字を伝える時に、いまだに「昭和の和」と言ってしまうわ。「令和の和」にするつもりが。

/「ウィーン・モダン」続き。シーレのクリムトに影響されていた頃の絵が見られた。クリムトは古典に対抗する若手芸術家軍団(ウィーン分離派)のお偉いさんで、検閲NGな絵の修正前後があったりした。後の方は画集で見てた。

その軍団のポスターが20点ぐらいはあったかな。新しいものを作りだそうという勢いを感じる。うっとり。

画家(ハンス・マカルト)が皇帝夫妻の銀婚式パレード仕切ってたりして、この時代の画家らの地位の高さがうかがえる。凄いなぁ。(hammer.mule)

https://ja.wikipedia.org/wiki/ハンス・マカルト