日々の泡[025]古典となった写真家の文章【ちょっとピンボケ/ロバート・キャパ】/十河 進

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写真家の名前などまったく知らない人でも、ロバート・キャパだけは知っているという人は多い。なぜ、それほどキャパの名は知られているのだろう。僕は長く写真雑誌の編集者をしていたので、多くの写真家の作品を見たけれど、キャパの作品は特別優れているというわけではなかった。

もちろん写真作品には様々なジャンルがあり、記録性よりアート性を優先するものもあるし、現実のシーンをスナップ的に写し取る作品もあれば、画面の隅々まで作り込んで撮影する作品もある。キャパの作品は記録性が重視されるもので、初期のトロツキーの演説の写真など相当な歴史的価値がある。

キャパが一般の人々の心を捉えるのは、戦場カメラマンであったこと、最後には地雷を踏んで死んでしまったことなどから、ある種のロマンを感じるからではないだろうか。彼の年上の恋人だったゲルダ・タローも、スペイン戦争の時に戦車の下敷きになって死んでしまった。





キャパと言えばスペイン戦争での「撃たれて崩れ落ちる兵士」の写真が有名だが、沢木耕太郎さんが「キャパの十字架」で疑義を呈しているように、撮影者はゲルダ・タローで兵士は訓練中に滑っただけ、というのが真相なのかもしれない。「キャパの十字架」は大変に面白いノンフィクションで、沢木さんの実証的な追跡がスリリングでさえある。

キャパとゲルダは共にスペインに入り、戦場の写真を撮り、撮ったフィルムを未現像のままパリの通信社に送った。その中の一枚が「崩れゆく兵士」で、キャパの知らないうちに配信されて世界中の雑誌に掲載された。パリに戻ってみると、キャパの名は一躍有名になっていて、彼もゲルダも戸惑ったことだろう。

僕がキャパの「ちょっとピンボケ」を読んだのは、十五歳の時だった。ロバート・キャパという名前を誰かに教えられ、筑摩書房(だったと思う)の世界ノンフィクション全集の一冊に入っていたのを読んだのだ。図書館で借りた本だった。

「ちょっとピンボケ」の中に登場する「ピンキー」と呼ばれたキャパの恋人のことが、僕の頭の中に残った。「ピンキー」という呼び名がニックネームだとはわかったが、どういう意味なのかははかりかねた。翌年、「ピンキーとキラーズ」が登場し、「恋の季節」を大ヒットさせるのだけれど、ますます「ピンキー」の意味がわからなくなった。

キャパはゲルダ・タローの死に打ちひしがれていた時、オランダ人の映像作家ヨリス・イヴェンスに誘われて日中戦争の現場を取材している。日本軍の爆撃で死んだ中国人、呆然とする人々の写真が残っている。キャパが撮影に協力したイヴェンスの記録映画「四億」は、ニューヨークで公開された。当時、歌われたように「支那にゃ四億の民が」いた。

ちなみに、ゲルダ・タローもロバート・キャパも本名ではない。ゲルダ・タローの「タロー」は戦前にフランスで美術の勉強をしていた岡本太郎と知り合い、その語感が気に入って「タロー」と名乗ることにしたのだ。キャパは毎日新聞社パリ支局の仕事をしたり、日本人留学生と同居したり、その頃から日本と縁があった。

さて、僕は「キャパの遺言」という小説で第62回江戸川乱歩賞の候補になったので、それを書くためにキャパについては改めて詳しく調べてみた。特に昭和13年に中国大陸にいたこと、昭和29年に毎日新聞社の招きでひと月ほど日本にいたことが僕の小説の着想の元になっているので、その時期についてはかなり資料を読み込んだ。

キャパはインドシナの戦場で地雷を踏んで死ぬのだが、それはライフ誌派遣のカメラマンがアメリカへ帰る用事ができ、誰か別の人間を送らねばとなったとき「おお、ちょうどキャパが日本にいるぞ」というので、急遽、インドシナへいってくれないか、とライフ誌から依頼されたからである。

ところで、僕の「キャパの遺言」は最終候補の4作品に残ったけれど、選考委員の湊かなえさんには「ノンフィクション部分が面白い」と書かれ、今野敏さんには「事実が書きたいのならノンフィクションを書けばいい」と評され、受賞は佐藤究さんの「QJKJQ」に決まった。

そんなこともあって、「キャパ」と書くといろいろ複雑な思いもあるのだけれど、「ちょっとピンボケ」を初めて読んだときの印象は今も鮮やかで、もっと文章を残してくれればよかったのにと思う。写真家で名文家といえば藤原新也さんが思い浮かぶけれど、「ちょっとピンボケ」も写真家が書いた古典としてずっと残るだろう。

ところで、ゴタールの「気狂いピエロ」で「映画って何?」と訊いたジャン=ピエール・ベルモンドに、「映画は戦場だ」と答えたアメリカの映画監督サミュエル・フラーの膨大な自伝を読んでいたら、ロバート・キャパの写真に一兵士として写っているフラーが掲載されていた。

すでに何冊か小説を出版し、また映画監督として名を成していたサミュエル・フラーだったが、第二次大戦にアメリカが参戦すると、志願して歩兵となる。ヨーロッパ戦線に派遣され、様々な経験を積んでいく。彼の第一歩兵大隊は「ビッグ・レッド・ワン」と呼ばれ、その勇敢さをうたわれた。その歩兵たちの写真を、ロバート・キャパが撮っているのだ。

キャパは従軍カメラマンとして、ノルマンディー上陸作戦に参加する。兵士たちと一緒に上陸用舟艇に乗り、ノルマンディーの海岸に飛び降りる。そのときのブレた兵士の写真は有名だが、これも未現像フィルムをロンドンに送ったときに技師が現像に失敗し、数枚の写真しか残らなかったという。

サミュエル・フラー監督は自分の体験をベースにして「ザ・ビッグ・レッド・ワン」という小説を書き、後に映画化した。日本では「最前線物語」(1980年)として1981年1月に公開された。

リー・マーヴィンが演じる古参の軍曹とマーク・ハミル(スターウォーズで人気者になった直後)などの新兵たちが戦いの中で成長する物語だった。「最前線物語」のヤマ場は、やはりノルマンディー上陸作戦だった。


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