ショート・ストーリーのKUNI[256]【番外編】「ちゃぶ台返し考」あるいは親は何も言ってくれない/ヤマシタクニコ

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体調不良からまだ抜けきっていないヤマシタです。

さて、しんどい時のお供はやはりおうちでテレビである。主にドラマ。それも、あんまり力作とか大作、テンションの高いものはびびってしまう。実際、録画してても再生の途中でしんどくなって「ごめん、また今度ね・・・」と誰も聞いてないのに言いながらオフったり。1時間もののドラマを見るのも3回くらいに小分けしたり。

その点、たった15分の朝ドラはとても助かる。それにいま放映されている「スカーレット」はかなり気に入っている。前作「なつぞら」が既視感の塊で、最初からラストも十分予想できてつまらなかった(サイドストーリー的な天陽くんをめぐる部分だけはよかった)のに対し、とても丁寧に作り込まれていて、何気ないセリフや動きで主人公たちの心の動きを納得させてくれる。

また、「創作」という行為の周辺がかなり深く掘り下げられているのは、朝ドラとしてはけっこうチャレンジングなのではないだろうか。戸田恵梨香はじめ俳優たちも好演してるし、ナチュラルな関西弁がとてもリアル。





「スカーレット」の主人公、喜美子は昭和12年生まれという設定。私よりはかなり上だが、描かれている空気は私の子供時代にそのままつながるものだ。

父親の常治はお人好しで、時に自分が世話した人に裏切られたりする不器用な男。戦後すぐの時期はたぶん、だれにでもチャンスがあるようにみえただろうが、結局は勝ち残るべき者が残るだけ。常治は大阪で食い詰め、友人を頼って信楽に行く。

と、めんどくさがりの私にしては割ときちんと説明してしまったが・・・喜美子の両親を見ているとなんとなく、私の両親を思い出すんだよね。もちろん私の父は北村一輝みたいにハンサムではないし(ハゲてたし)、母は富田靖子と似ても似つかない。

でも、母はいつもやさしく、子供たちを決して怒らず(マジで怒られた記憶がない)父を立てつつ、しょっちゅう「お父さんは山っ気があるから…」「山っ気さえ出せへんかったら…」と苦笑いしてたし、父は自分が貧乏なくせに他人の世話を焼きたがった。それはひょっとして私の両親の、ではなく時代の特徴なのか。その時代の庶民の。

喜美子が中学を卒業するにあたって、学校の先生は、成績も良いので進学を勧めるが、常治は相手にもしない。数年後に一番下の妹は高校から短大に進んで家庭科の先生になりたいというが、そのときも反対する。

その時の理由が「おなごに学問はいらん」なのはちょっと古いセリフじゃないかと思うが、上の世代の影響を受けたものだったかもしれない。とりあえずの口実として。これでいこう、と。

ネットでは、「学歴を身につけてから就職した方が結局生涯に得られる収入も増えるのにばかだな」といった意見もあったが、貧乏な家ではとにかく早く働いてほしいのだ。

私の兄も姉も大学には行けなかった。姉は学校の先生になりたいと常々言ってたので、当時の私はやはり「大学くらいいかせたらいいのに」「ほんの4年じゃないか」と思った。

その考えがまったく甘いということを知ったのはずいぶん後、当時のわが家がいかに貧しかったかを知ったときだった。そうか、そこまで貧乏だったのか、それはやはり、早く働いてほしかっただろうなと、納得せざるを得なかった。親は子供に何も言わないからね。


さて、「スカーレット」で気になったのは「ちゃぶ台返し」だ。気に入らないことがあると食事が載ったままのおぜんをひっくり返す、あれである。巨人の星を思い出す人も多いかもしれない。常治もこれをやるのだ。

最初に気になったのは関西では多分、「ちゃぶ台」という言葉を使わないのではないかな・・・と思ったからだ。広範囲にリサーチしたわけではないが、そんな言葉使ってる友達とか、いなかったように思う。

じゃあなんというかといえば「おぜん」である。おぜんを拭く布巾は「おぜん布巾」で、お茶碗を拭く布巾は「お茶碗布巾」で、じゃあ「ちゃぶ台返し」をどういうんだと聞かれたら・・・それは単に「おぜんをひっくり返すこと」としか言えないなあ。

私の父もあれをやったが、私が覚えてるのは一回だけだった。その日のおかずが気に入らないと言ってひっくり返したと思う。

結婚したばかりの頃、ふと思い出して夫に「子供の頃、お父さん、おぜんひっくり返したりした?」と聞いたことがある。「ああ、しょっちゅうや!」と夫は答え、「へー。そんな時、お母さんはどないしてたん」と聞くと「ごめんな、ごめんな、て言いながら片付けてたなあ」と言った。なんでもすぐに謝りまくるお母さんだったので、ああ、なるほどと思った記憶がある。

で、そんなことを思い出してると、なんか疑問が湧いてきて・・・

「ちゃぶ台返し」って、当時の流行り?!

つまり・・・なんというか・・・私は「ちゃぶ台返し」というのは誰に指示されたのでもなく、個人の感情の発露、うわー、やってられんわ! こんなもん! となった時にたまたまそういう形をとったのだと思ってたんですが、そうではなく、親父たちは「はやってること」をやってたわけですか?! ええっ? あほちゃうん?! ひまか!

てことは、たとえば、仕事で疲れて帰ってきた時にたまたまおかずがいまいちであった。大嫌いなメニューではない(そんなメニュー、わざわざ母が作るわけない)が、気に入らない。子供達がそこらをうるさく走り回っている。そんな時、「そや。気に入らんことがあった時、おぜんをひっくり返すのが流行りやと聞いた。あれをいっぺんやってみるか。隣の山田さんもこないだやってみたら一瞬で家の中が静まり返って、子供達の見る目が変わったとか言うてたなあ。向かいの本田さんもやったらしい。気分爽快、効果絶大らしい。よし、わしもやってみようか」と思って、タイミングを見計らい、おぜんをひっくり返した・・・ということ? そういう計算が入ってた、わけですか?! えーっ。それって私の思ってたのとなんだか違うような・・・。

はやってるからと言って、お隣でもお向かいでも父親がおぜんをひっくり返してたとしたらかなり笑える。いや、カーッとなった時に何をするかは各自の自由なはずだから、たまたま、偶然に、不思議にも「おぜんをひっくり返す」行為にみんなが向かうと思うことの方が変か。考えたらそうだな。

やっぱり私がわかってなかっただけか。子供だから。その辺を確かめてみたいと思っても、両親ともとっくに死んじゃったしな。本当に親って子供に何も言わないもんなあ。

と書いたけど、最近、それはわかるような気がしてきた。

親は子供に何も言わない。なーんにも言わない。

私はたまたま子供のいない人生だったが、もし子供がいたらどんな子供であろうか。まったく親に似ない子もいるだろうけど、普通に似るとしたら、優柔不断で無愛想で、そのくせ口が悪い子供だろう。

夫に似たところもあったとしたら・・・ケチで、スーパーでポテチを買うときは奥の方から製造年月日の一番新しいやつを探し出したりするコマカイやつだろう。スポーツ嫌いで若いのに昼間から家でゴロゴロするようなやつだろう。成績もきっとあんまり良くないくせに何を勘違いしてるか偉そうに・・・・

うわー。そんなやつに、いくら自分の血を分けた人間だといえ、大事なことを伝え授けようと思うだろうか。ない。絶対ない!

両親の目に映るわれわれ子供も、きっとそんな感じだったに違いない。こんなちゃらちゃらしたやつらに言うてもなあ。そう思ったに違いない。ああよくわかる。

だけど、親はひそかに機を伺っているのである。普段は大したことを考えていないお気楽なおっさん・おばはんのふりをしたり、あるいはぼけてきたようなふりをしながら、ひそかに機を伺っているのである。


母は晩年、入退院を繰り返し、いったいどこがどう悪いのかわからない状態だった。人工透析も長い間続けていたので、体はもうぼろぼろだったと思う。

あるとき、また某病院に入院したという知らせを受け、久しぶりに母に会いに行こうと思った。妹二人や兄は割とこまめに母の面倒をみていたが、私ときたらごくたまにそうやって会いに行き、特にすることもなくてあっさり帰ってくるような、きょうだいの中で一番親不孝な娘だった。

その日、母を見た私はものすごくショックを受けた。母はびっくりするほどやせ衰え、乱れた寝間着の間からプラネタリウムかと思うくらいシミだらけの胸元が見えた。

当時、時々妄想が出たりおかしなことを言うようになった、と兄から聞いてもいたが、実際私のほうを向いてはいるものの、その目にまったく表情がなかった。乱れた衣服を整えようともしなかった。ああ、こんなになってしまったのか。そう思うと、突然、私の両目からぼろぼろ涙があふれた。後から後からあふれて、あわててハンカチを取り出した。すると母はそんな私を見て、表情を変えることなく、言った。

泣いたら止まれへんやろ・・・。

一瞬、ハッとした。母を見ると、やはり無表情な目で私を見ているのか見ていないのかわからない感じだった。でも、確かにそう言った。私はますます泣いた。何もいえず、泣くしかできなかった。泣きながら、私は思った。これはないよ、お母ちゃん。油断させといて、最後の最後でマウント取るなよ! ひどすぎるよ!

それから程なく、母は亡くなった。ちきしょう。ほんとに、母にはやられた。私に子供がいたらリベンジしたいが、いないのがものすごく残念だ。


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今年も地元の美術展があり、私も参加した。会員の平均年齢は多分70代。ふと思ったが、将来どこかの総理が言うように年金の支給開始を遅らせ、その代わり定年制度をなくして「一生働ける」ようにするとしたら、こういった地域文化は消滅してしまうだろう。

そんなもん所詮年寄りの暇つぶしじゃないかと思っている人もいるかもしれないが、仕事を辞めたら、若い頃からの夢だった絵を描くのだと思い続けてきた人、「これだ」と思うものにやっと出会え、夢中になっている人も多い。将来はそんなこともなくなっていくのか。ただ食べていくだけの人生になるのか。国が貧しくなるということは文化が衰退することなのだ。