はぐれDEATH[92]りたーん・とぅ左京区
── 藤原ヨウコウ ──

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昨年のクリスマス・イヴに引っ越しをした。

当日の時間が遅くなってしまい、「夜逃げみたいやなぁ」などとアホなコトを思ったりもしたのだが、ある意味「逃げ」には違いない。

突然の引っ越しになったのは、下の階の住人があまりに怖すぎるキレ方をして、ボクの部屋に怒鳴り込んできたからだ。詳細は省く。思い出すのも忌々しいし、理不尽極まりなかったし、それこそ冤罪ものである。

その時の気分にまかせて、見ず知らずの人に怒鳴り込みをかけるという、ボクに言わせれば「さっさと病院いってちゃんと診断してもらえや」というようなヤバさである。まともに相手にしてどうこうなるもんじゃないし、治るわけでもない。

華麗に逃げるのが吉と見るのがボク流である。





というワケで、慌てて引っ越し先を探したのだが、とにかく条件(主に家賃とその他だ)に合う物件がない。時期も時期だし、京都を離れる覚悟で、西日本広域にまでエリアを広げて検索したら、なんと母校のすぐ近くしか出てこない。言わずとしれた、左京区某所近辺である。

不動産屋さんに部屋探しを頼みに行ったら「いやぁ、そんなことはないでしょう」と、笑って対応してくれていたのだが(ちなみにそのお店の責任者の方だった)、ボクが見つけた物件をベースに、検索をかけ始めて徐々に表情が……。

「お客さん、見事に無いですね……」

苦笑混じりに仰られて、「どうもお客さんピンポイントで見つけちゃったみたいですよ。ここ以上の物件は今ないです」と断言されてしまった。

予算内でボクが必要なものが揃っている物件は、他にもたくさんあるのだが、「学生さん限定」とか「女子限定」という縛りがある。「学生さん限定」は特に京大周辺に多かった。

まぁ、当たり前なのでボクも驚かないのだが、かつての貧乏学生の最後の逃げ場である岩倉が、ファミリー向け地域になっていたのは完全に誤算だった。というか、その「貧乏学生最後の逃げ場」って、いつの時代やねん(もちろんボクの現役時代ですが)。

「とりあえず、物件の管理会社さんに連絡してみますね」と、電話をしてくれたら「全然おっけー」とのこと。

さっそく翌日、現地に物件を見に行った。

物件が載る地図を見て、「ここの前、散々通ってるぞ」とか、「多分、あそこのどれか」くらいの予測は簡単に出来たのだ。言わば、ボクのかつてのシマの中にある物件で、今はおねえちゃんのシマと隣接している。「近すぎるやろう」と正直尻込みしたのだが、他にないんじゃ仕方ない。

現地に行って、一目見て「これは運命やな」と唯物論者のボクですら思ったぐらい、色々と条件が良すぎたので、その場で決めた。

賃貸書類手続きだの、引っ越し屋さんの手配だの、引っ越しの準備だので、12月はほぼ潰れた。

そして引っ越し当日。

当初は「15時以降」だったのだが、前々日になり「どうも最終便になりそうで、そちらにうかがえるのが17時頃になりそうです」という連絡が入った。

「クリスマス・イヴなのに、引っ越しする人は結構おるんかなぁ?」と変な感心の仕方をしていたのだが、どうも本当にたて込んでいたらしく、引っ越し屋さんが着いたのはなんと19時。

もちろん、間に何度も時間変更の電話は入ってきていて、電話担当の方が「申し訳ございません」を連発していて、逆に気の毒になった。

だって仕方ないやん。それこそ当日がクリスマス・イヴだということを考えれば、それでなくても渋滞しがちな時間帯の道路事情など、誰が正確に予測できるというのか。

ましてや京都市内のクソ狭い道を、南北に縦断しないといけないのだ。五条から御池までは、確実に渋滞に引っ掛かる。伏見から左京区となると、京都盆地のほぼど真ん中を通ることになり、ルートによっては名神の京都南インター付近だって渋滞ポイントになる。

とにかく、夕方からのとある時間帯はめちゃめちゃ渋滞するのだ。

「あの、もう焦らなくてイイですから、事故だけ気をつけてください。ボクは大丈夫ですから」と励ます始末だ。

ボクとしては当然の対応のつもりだったのだが、「恐れ入ります。担当の者にもきちんとその旨、伝えさせて頂きます」またまた恐縮されてしまい、ボクのほうが驚いた。

どうやら理不尽なクレームというヤツが、世の中にマジで蔓延しているようで(前の部屋の下の階のヤツみたいなん)、「むしろそっちのほうが常識と化しているのか?」と頭をよぎったのだが、とりあえずその場はスルー。

当日は寝場所だけ確保だけできればいいと覚悟を決めていたので、このへんの割り切りは、この時期には珍しくサクッとできた。

余談だが、鬱の悪化も引っ越しの一因である。お医者さんから「環境を変えなさい」と散々言われていたのだが、もう何をするのも億劫になっていたので、ずるずると先延ばし、更に病状を悪化させていたのだ。判断力もないに等しい状態だったし。

実際に作業をしてくださった引っ越し屋さんのスタッフの皆様は、本当に親切・丁寧・迅速で、「時間が遅いので隣のお部屋とかにもお声掛けした方がイイですか?」とまで配慮してくれた。そのへんの塩梅が本当に分からなくなっていたボクは、完全にお任せしたのだが、ほんとうに見事な対応だった。

あたり前と言えばあたり前なのだが、この「当たり前」がことごとく不振に終わっていたどころか、逆ギレされる目に散々遭っていたボクには、実にありがたかった。

ここで言う「当たり前」は、本当に挨拶レベルの話なのだが、これでもまったく通じないどころか、なぜか因縁を吹っ掛けられたりするので、鬱が悪化していたボクは、もう何をしてイイのかさっぱり分からなかった。

もはや人見知りを通り越して、対人恐怖症にすらなっていた節すらある。だから、部屋にひっそり引きこもっていたのだったが。

荷物はたいしてないので(正味、中小段ボール15個に冷蔵庫とデスクくらいか)量は問題ないのだが、新居は山というか丘の斜面にへばりついているような所なので、とにかく階段がすさまじい。

地上1階部分は駐輪場で、隣接するお宅も駐車場か極端にごっつい土留め(もう、ちょっとした石垣みたいなのもある)で、建物の1階は地上から数えるとほぼ2階ぐらいの高さにあたる。で、ボクの部屋は3階なので道から高さを数えると正味4階分を上下することになる。しかも斜度がエグい(笑)

見学に行った時から分かっていたのだが、生活するとなるとイヤでも毎日この階段を上下することになる。部屋に引きこもっていたボクには、ある意味いいリハビリと。これまたさっさと居直った。

とはいえ、引っ越し当日から3日ぐらいは、なんじゃかんじゃで出入りする機会がめちゃめちゃ多かったので、足は笑うを越して大爆笑状態である。

これまたサボっていた、いんちきストレッチを再開しないとどないもこないもならん。それでも筋肉は全身バッキバキになっていて、「こりゃ大工さんもヤバいぞ」と思っていたぐらいだ。

それぐらい身体がなまっていたのだが、この部屋に越してきて急速にもとに戻りつつある。歩行困難事件で体幹をそれなりにがっつり作っていたのも、どうやら幸いしたようで、「動きが鈍くなっている個所に油を差す」みたいな感じで、じんわりと下半身の筋肉は復活しつつある。

ストレッチの方は元々身体が柔らかいこともあり、割と早くかつての可動域を復活させることができた。普段、運動らしい運動をまったくしていないにもかかわらず、なかなかに驚異的な柔らかさなようだ。股関節はもう少し時間がかかるかな?

話を戻す。とにかく丘の斜面にへばりつくように建物が建っている上に、この近辺は京都市内でも指折りの、建造物高さ制限がきつい地域である。「五山の送り火」にモロ被りなのだ。

南西向きの正面窓から眺める景色は、京見峠や鷹峯がある山(名前が分からん)まで、遮るものは一切なし。高い所なので、電線すら下になるという僥倖にも恵まれている。午後からの日差しも気持ちイイ。幸いなことに、庇がめちゃめちゃ大きいので、本当に丁度イイ感じである。

ほんのちょっと歩けば深泥池もあり、夜はもう本当にしんとしている。20時過ぎたら、自動車の往来すらまばらだし。

なんか引っ越しした気にならないのだが、よくよく考えてみれば、東京単身赴任時代を含めると、約7年半ぶりに元々のボクのホームに戻ってきたのだ。こんなに長く離れていたことは、大学入学以来まったくなかった。というか、ほとんどこのエリアにしか住んでいなかったのだ。

伏見は伏見で悪くなかったのだが、見知らぬ土地には違いない。この辺と比べれば、もうその差は歴然としている。会社勤めをしていた時ですら、せいぜい3年離れいていただけだし。静かさですらこちらに来ると、伏見でも十二分に「騒音」レベルだったことに気がついて愕然とした。

最大の騒音源はヘリコプターのエンジン音。

さんざん書いたが、以前住んでいた場所は宇治川のすぐ側で、大雨や台風の翌日は確実にヘリコプターが来る。増水量とか色々調べてるのだろう。ここに身投げや事故で川に落ちる人がいたりするので、ヘリは日常茶飯事だった。飛ばない日が珍しいくらい。

辻堂時代に米軍戦闘機のエンジン音で、ノイローゼになりかけていたボクからすれば、それでも静かには違いなかったのだが、こっちに来て本当に、たまぁ〜に飛んでくるヘリコプター(しかも伏見で飛んでいたヘリより高度はかなり高い)のエンジン音を「やかましなぁ」と思って、「ああ、こっちがボクのでふぉやったんか」とやっと気がついた。

夕方になると東から西へ飛行機雲が何本も見えるのも懐かしかったのだが(恐らく伊丹空港行き)、こちらはエンジン音なんかまったく聞こえないような高度で飛んでいるので、のどかなもんである。救急車ですらこの辺はあんまり走ってない。伏見はすさまじかったけど。

色々な意味で、左京区がボクの生活ペースや価値観を形作っていたのか、ここに引っ越して気がついたことは、他にも枚挙にいとまがないのだが別稿に譲る。笑えるぐらい身体に染みこんでいて、自分でも驚いているところだ。

それはともかく、やはり周辺を歩いてみると、知ってたつもりの距離感が尽く狂っていることに気がついた。というのも、この辺はまともに歩いたことがなく、自動車なりチャリなりで何となく通り過ぎてしまう場所だったからだ。

この誤差は割といい方向に出た。

「もっと遠いだろう」と思っていた場所が、異常なまでに近いのだ。もちろん、徒歩なので裏道は使い放題である。この裏道だって引っ越してきてから本格運用し始めたので(あるのはもちろん知っていた)、未開拓な道はまだ相当ありそうな気がする。

特に地下鉄の駅までの距離は、当初見積もっていた感覚的な距離の半分以下だったので、相当ラッキーである。まぁ、大阪方面へのアクセスはこちらと京阪(出町柳駅まで市バスで10分)と、予想以上に短縮できたのには驚いた。

とは言え、左京区全体を見渡すと、交通の便が良くないのには変わりない。駐輪場置き場は1台しか置けないので、チャリを諦めて原チャを残したのだが、こっちは予想範囲内で正解だった。特に賀茂川から東側となると、原チャの威力は半端ない。

さんざん嘆いていた一般乗用車の運転マナーも、この辺はまるっきり穏やかで、伏見でたっぷり怖い思いをした「無茶な追い越し」とかは、今のところまったくない。とにかくのんびりしているかんじだ。

通勤時間帯ですらほとんど穏やかな運転で、マナーもなぜかいい。クラクションをやたらと鳴らすドライバーも、この辺ではほとんど見当たらない。ちなみにタクシーとなると、無茶苦茶です。これは昔からそうなので、さして驚かなかった。というかどこでもかな?

分かってたはずなのに、来てから改めて思い知らされたのは「丸太町通り以北は一本上がる度に体感温度が1℃下がる」の法則。

割と有名な法則なのだが、だいたい丸太町通り辺りから大きな通り(今出川通り→北大路→北山)を一本上がるごとに、体感温度が1℃くらい下がる。特に冬の朝と夜はキツい。

あくまでも体感だが、チャリとか原チャだとわりと露骨に体感できるのだ。これは学生時代に同級生や先輩も言ってたし、地の京都人の皆様も言っているので、大間違いではないと思う。実際の温度はほとんど同じなんですけどね。

ちなみに、岩倉まで行くといきなり雪になってたりする。距離的には目と鼻の先だし、山というにはあまりに低い山で、緩く区切られているだけなのに、なぜか雪になってたりするケースが昔はよくあった。最近は知らん。何しろ7年半離れていたのだ。

まぁ、とにかく、底冷えはすごいです。久しぶりに戻って「こんなにきつかったっけ?」とびっくりしてる。

床がフローリングなのだが、伏見や東京では何も敷かなくて平気だったのに、さすがにここに来て何もなしは厳しすぎる。かと言って、強烈なマットを敷く気にもなれないので「オールシーズン・ホットカーペット対応・お洗濯OK」なマットを導入した。これだけで大分変わるから恐ろしい。それでもまだ、うまい具合に室温をコントロールできていない。

イマイチ、空気の流れが読めていないのだ。ガスファンヒーターはそれなりに活躍してくれているのだが。一定温度(20℃に設定)になるとエコ運転になるすぐれものなのだが、体感温度が全然20℃にならない。

せめて18℃くらいになってくれたら御の字なのだすが、どうも上手い具合にいかん。とりあえず馬鹿みたいに厚着をしているのだが、どうやら足下から寒さは来ているらしい。これはホットカーペット・コースかなぁ……完全に油断してたわ。

それでも全体的な空気感は緩い。この季節は朝に独特の「晴れてるのに時雨れてるやん」がよくあるし(これまた今観察してみると、実に間抜けな風景)。

夕暮れにはお寺の鐘の音が響く中、カラスがかーかー啼いて雰囲気ぶち壊しにしたり(ものすごいボケッぷり)、学生さんは学生さんでなんとなぁくたらたらしてるし(それでもおねえちゃんは彼ら以上にたらたらし過ぎ)、鹿は出てくるわ(なぜか畑までは行かない)、鴨は優雅に(というか完全に油断しきって)池をすいすい行くわ、などなど伏見と比較してすらもう緩さ全開である。

この緩さ全開の環境に戻って、自分でも意外なぐらいストレスを貯めていたことに改めて驚いている。昨年初秋の事故も大概だったけど。とにかくこの地の「静かにまったり」が、心身のダメージ回復に相当イイ影響を出しているのは間違いない。

で、今年の年頭の目標は「頑張らない緩い生活」にした。

だからと言って、お仕事で手を抜くことはないのだが(どうせスイッチはすぐ入る)、とにかく気を散らそうと思う。ネタは山ほどあるし、環境もいい。

不調の本業もあくせくするのを止めて(もっともこっちは例の事故以来「描くのが怖い」モードがまだ残ってる)緩い副業探して、まず経済状態を多少(!)立て直すことにした。廃業したわけじゃないです、念のため。

「もう考えても無駄やな」と完全に開き直ったのだ。あとはゆっくり、絵のほうもリハビリすればいい。幸い連載があるので、完全に絵から離れてるわけじゃないし、むしろ今あることをきちんとしておきたい。

先のことなんか逆立ちしても分からんので、成り行きに任せる。

少なくとも、このレベルまで割り切れるようになっただけでも御の字である。伏見最終期はもうこれすら出来なかったしな。

まぁ今年は不自然なくらいゆるゆる行く(笑)


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com