日々の泡[026]エースのジョーへの鎮魂歌【ギャビン・ライアル/深夜プラス1】/十河 進

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イギリスの冒険小説家ギャビン・ライアルには、二作の名作がある。「もっとも危険なゲーム」と「深夜プラス1」だ。「もっとも危険なゲーム」は後に松田優作主演の殺し屋・鳴海昌平シリーズ「最も危険な遊戯」(1978年)にタイトルをパクられ、「深夜プラス1」は宍戸錠主演・鈴木清順監督「殺しの烙印」(1967年)にストーリーをパクられた。

不思議なことにギャビン・ライアルの小説は、まったく映画化されていない。どれも映画向きだと思うのだけれど、プロットが複雑すぎて観客に理解させられないと制作者は思うのかもしれない。しかし、ギャビン・ライアル自身は映画好きに違いない。でなければ「本番台本」(原題を直訳すれば「撮影台本」の方が適切だろう)なんて小説を書くはずがない。





「本番台本」はカリブ海の政情不安な国でハリウッドの撮影隊に雇われたパイロット(自身が戦闘機パイロットだったライアルはパイロットを主人公にすることが多い)、キース・カーが主人公である。ハリウッドの大スターとして出てくるのは、ジョン・ウェインやダグラス・フェアバンクスを彷彿とさせる人物だ。

僕が初めて日本で翻訳されたギャビン・ライアルの作品である「もっとも危険なゲーム」を読んだのは、ポケットミステリで出た頃だから、たぶん高校生だった。僕は「ゲーム」を文字通りの意味で受け取ったが、後に「獲物」という意味があると知って、「最も危険な獲物」と訳すのが正しいのだと思った。「最も危険な獲物とは、銃を持った人間」のことである。この獲物は撃ち返してくる。

その後、「深夜プラス1」がポケミスで出版され、僕はすっかりギャビン・ライアルの愛読者になった。処女作「ちがった空」に遡り、「裏切りの国」「死者を鞭打て」「拳銃を持つヴィーナス」と読み続けたが、「影の護衛」でつまずいた。なぜなら、「影の護衛」は三人称で書かれていたからだった。その後も僕はライアルの新作を買い続けたが、今も読めずに置いてある。

ギャビン・ライアル作品の魅力は、主人公の一人称にあった。レイモンド・チャンドラーの小説の魅力が、主人公フィリップ・マーロウの魅力に重なるのと同じである。僕は、ビル・ケアリもムッシュ・カントンもキース・カーも、同じキャラクターとして読んでいた。ライアルが創り出す魅力的な男たちである。

彼らは己のルールを持ち、独特のモラルで生きている。法を犯すことは多々あるが、自分の決めた規律はどんなことがあっても守り抜く。彼らの生き方に僕は多くを教えられ、「己に恥じることだけはしてはいけない」と、十代に学んだものだった。そういう意味では、ライアルの主人公たちは僕にとっての人生の師匠なのである。僕はライアルの初期四編は、英語版ペイパーバックさえ揃えた。

大沢在昌さんと話をしたときに(ふたりともかなり酒が入っていたが)、大沢さんは「僕は『もっとも危険なゲーム』の方がいいと思う。何と言ってもヒロインが魅力的だ」と言っていたけれど、それは僕も同感だ。僕も繰り返し読んだ回数は「もっとも危険なゲーム」が一番多い。しかし、ほとんどの人はライアルの代表作として「深夜プラス1」を挙げるだろう。内藤陳さんだって、酒場の名前を「深夜+1」にしたのだ。

「深夜プラス1」は、間違いなく傑作である。主人公のムッシュ・カントンことルイス・ケインのキャラクターもいいのだが、副主人公でアル中のガンマンであるハーヴェイ・ロヴェルがとにかく魅力にあふれている。警察と正体不明の敵に追われる大富豪と秘書をフランスの海岸からリヒテンシュタインまで送る仕事を引き受けた主人公は、護衛として元シークレット・サービスのアメリカ人ロヴェルを雇ってシトロエンDSでヨーロッパ大陸を走り抜ける。

先日亡くなった「エースのジョー」こと宍戸錠の殺し屋映画としては、「殺しの烙印」が最高傑作だと僕は思う。「拳銃(コルト)は俺のパスポート」(1967年)支持派と意見は分かれるところだと思うが、僕は「殺しの烙印」派である。なぜなら「殺しの烙印」には、甘さがまったくないのだ。後半、真里アンヌに惹かれる宍戸錠の甘さは、「殺し屋ナンバー1」によって完全に粉砕される。

「殺しの烙印」で印象的なセリフは「ナンバー1は誰だ」というものだが、これは「深夜プラス1」が発想の元になっている。ハーヴェイ・ロヴェルはヨーロッパでナンバー1のガンマンで、ナンバー1と2のガンマンは敵方に雇われ、彼らに襲われて倒したためロヴェルはヨーロッパ・ナンバー1のガンマンになる。その発想が「殺しの烙印」の殺し屋ランキングにつながるのだ。

「殺しの烙印」の前半のストーリーは、ある人物(南原宏治)を海岸で拾い信州の高原ホテルまで送り届ける仕事を殺し屋ランキング3位の花田(宍戸錠)が引き受けるところから始まる。運転手の春日(南廣)はかつて殺し屋ランキングに入っていたが、今は酒で身を持ち崩しランク外に落ちている。殺し屋ナンバー2のコウ(大和屋竺)に襲われ、「近寄らないと当たらなくなった」と言って春日は銃をかざして坑道を走り抜けコウと差し違える。

「殺しの烙印」では、「深夜プラス1」の描写そのままの襲撃シーンを再現してくれる。山道で車を止められ、両側から狙撃され、昔のトーチカ陣地での攻防が繰り広げられる。宍戸錠は「深夜プラス1」に書かれている通りにガソリンタンクをトーチカの小窓から投げ入れ、銃撃して火を点ける。トーチカ内にいた殺し屋は、火だるまになって飛び出してくる。

この前半だけでまとめていたら「殺しの烙印」はもっと一般的な支持を受けたと思うが、後年「ツィゴイネルワイゼン」(1980年)を作る鈴木清順監督は訳の分からない世界に入っていく。つまり、「生きている人間は死んでいる。死んでいる人間は生きている」という清順思想が前面に押し出されてくるのだ。ということで日活の社長に「訳の分からん映画を作る監督はいらん」と首にされてしまった。

「殺しの烙印」は清順監督の初めての自主企画であり、オリジナル脚本だった。シナリオは具流八郎。清順監督、大和屋竺など八人が参加したという。僕は昔、その中の一人だと言われていた石上三登志さんこと電通の今村さんに会ったときに、「『殺しの烙印』の前半は、『深夜プラス1』ですよね」と訊いたことがある。「『深夜プラス1』って、ひたすら車で走る話だよな」と、石上さんは曖昧に答えた。

清順監督は「殺し屋の映画を作るんだ」と、「殺しの烙印」公開時に特集を組んだ「映画芸術」の記事の中でつぶやくように取材に答えていた。その清順監督は、宍戸錠のもう一本の代表作「野獣の青春」(1963年)も監督している。亡き実弟・郷□治(ちあきなおみの夫)がブラモデル好きのおかしな殺し屋役で印象に残るし、若き宍戸錠の動きがシャープで見事なアクションを見せてくれる。こちらの原作は大藪春彦。ちなみに「拳銃(コルト)は俺のパスポート」の原作は藤原審爾です。 注/□は金へんに英(えいと読む)

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