日々の泡[027]映画は長さを制限されるけれど【白痴/ドストエフスキー】
── 十河 進 ──

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少し前に「重厚長大な小説」という内容を書いたけれど、ほとんどの作品が重厚長大となると、フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーの名を挙げないわけにはいかない。1821年にロシアに生まれ、1881年に亡くなった19世紀を代表する作家である。

ドストエフスキーには五大長編というのがあり、書いた順番で言うと「罪と罰」(1866年)「白痴」(1868年)「悪霊」(1871年)「未成年」(1875年)「カラマーゾフの兄弟」(1880年)となる。最も長いのが「カラマーゾフの兄弟」だが、それ以外もかなり長い。

僕の記憶では、中学生に向けた世界文学の名作リストに載っていたドストエフスキー作品は「罪と罰」だったと思う。「罪と罰」はドストエフスキー作品の中で最も有名だった。ラスコーリニコフという主人公の名前は、読んでいなくても知っていた。





ただ、何だかおどろおどろしい感じがして、僕はドストエフスキー作品は敬遠していた。殺人の話ということもあったが、「重い」感じがして近寄りがたかったのだ。それに、ロシア名が長くややこしく、覚えにくかったのも敬遠する理由のひとつだった。

それでも本好きの人間としては、ドストエフスキーを読んでいないことが気になっていた。大学の文学部に入ると、さすがに文学青年がいっぱいいて、「ドストエフスキー、読んでないの!」と大きな声を出されたこともあり、「わかったよ。読んでやろうじゃねぇか」という気になった。

ということで、初めてドストエフスキー作品を読んだのは19歳のときだった。しかし、普通なら「罪と罰」あたりから入るところだろうが、僕はなぜか最初に「未成年」を買った。新潮文庫で分厚い上下巻だった。なぜ、僕は「未成年」を選んだのだろう。へそ曲がりだったのかもしれない。

まあ、そんなわけで「未成年」を読み出したところ、スイスイ読めた。負け惜しみでなく、本当におもしろかったのだ。「未成年」は、ドストエフスキー作品の中でも知名度が一番低い作品である。それが、これだけおもしろいのだからと、僕は続けて「白痴」を買った。

前述のように「罪と罰」は高利貸しのおばあさんを殺す話だし、「悪霊」は現実にロシアで起こった革命組織内の殺人事件をモデルにしているというし、「カラマーゾフの兄弟」は長すぎるし、ということで「白痴」に落ち着いたのである。

ちなみに、当時、若者たちに大人気で「苦悩教・教祖」と言われた小説家の高橋和巳は「日本の悪霊」という作品を書いていて、こちらは出てすぐに読んだ。革命組織と粛清(内ゲバ)がテーマであり、黒木和雄監督が佐藤慶を二役にして映画化(1970年)した。

さて、「白痴」は「未成年」以上におもしろかった。夢中で読んだ。ムイシュキン公爵の造形に魅了されたし、ラゴージンという副主人公の荒々しさが際立っていた。それに、何と言ってもヒロインが素晴らしかった。ナスターシャ・フィリッポブナの名は、半世紀たった今も忘れない。

「白痴」を読んだ数年後のことだろうか。僕はNHKの舞台中継で劇団四季の舞台「白痴」を見た。それで、よけいに印象に残っているのかもしれない。松橋登のムイシュキン、辻萬長のラゴージン、三田和代のナスターシャ・フィリッポブナだった。

今ではミュージカル劇団として有名な劇団四季だが、当時はジャン・ジロドウやジャン・アヌイなどの戯曲を公演する普通の劇団だった。看板役者の日下武史が三島由紀夫の「我が友ヒットラー」を演じたのもその頃だっただろうか。

ちなみに、劇団四季は「カラマーゾフの兄弟」も舞台化しており、カラマーゾフの怪物的な父親を日下武史が演じたと記憶している。浜畑賢吉がイヴァンか、アレクセイ・カラマーゾフを演じていた。彼は若手人気俳優だったのだ。他にもテレビドラマで人気の出た荻島真一が四季に所属していた。

僕はずっと「カラマーゾフの兄弟」(亡くなった内藤陳さんはヤクザの物語であるかのように「カラマーゾフのきょうでぇ」と言っていた)を読んでいないことに負い目を感じていたので、十年ほど前に一念発起して読破したけれど、実はよく理解できなかった。

結局、僕の中では最もオススメのドストエフスキー作品は「白痴」になる。何と言ってもナスターシャ・フィリッポブナが素晴らしい。文豪・石川淳も文芸誌のインタビューで「世界文学の最も印象的なヒロイン」として彼女を挙げていた。

このナスターシャ・フィリッポブナをスクリーンで演じたのは、原節子だった。黒澤明監督が松竹で撮った「白痴」は、昭和26年(1951年)5月23日に公開になった。僕が生まれる半年前のことだ。ここで、原節子は那須妙子の名でヒロインを演じた。

舞台は札幌に移している。ムイシュキン公爵は亀田欽司という名前になり、森雅之の姿をして白皙の美青年として登場する。ラゴージンは赤間伝吉となり、三船敏郎が演じた。ナスターシャだけ語呂合わせをして、男ふたりは適当に名付けたのだろうか。

長いドストエフスキー作品を忠実に再現したせいか、黒澤版「白痴」は4時間25分の作品として完成した。松竹首脳は長すぎるとしてカットを要求し、激高した黒澤明は、「切るのなら、タテに切れ」とキレたという。有名なエピソードだ。

結局、現在でも大幅にカットされた166分バージョンしか見ることはできない。僕が黒澤版「白痴」を見たのは遙かな昔のことになってしまったが、やはり3時間足らずのバージョンで、原作を読んでいても物語がわかりにくかった。

ものすごく簡単に要約すると、「白痴」は無垢で心優しいムイシュキン公爵と荒々しく激しい愛憎にとらわれるラゴージンが、高慢でミステリアスで魅力的なナスターシャ・フィリッポブナを愛してしまい、三角関係の中で破局を迎える物語である。

もし新聞記事になったら、痴情事件として片づけられてしまうだろう。それをドストエフスキーは長大な小説に仕上げた。それだけの文章を積み上げて書かれた物語は、人の心を打つものになった。ムイシュキンの無垢、ラゴージンの情熱、ナスターシャの魅惑、詳しい物語は忘れてしまったが、50年近くたった今も僕の心を捉えている。

ところで、9時間を超える小林正樹監督の「人間の條件」(1959年-61年)や、5時間を超えるベルナルド・ベルトルッチ監督の「1900年」(1976年)もあるのだから、4時間25分の「白痴」オリジナルバージョンが出てきてもいいのじゃないかと思うけれど、カットされたネガが残っていないのだろうなあ。70年近く昔のことだし----。


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