まにまにころころ[173]ふんわり中国の古典(論語・その36)ああ、天は我を滅ぼせり。
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

投稿:  著者:



コロこと川合です。いつの間にやらもう三月。明日はひな祭りですね。早い。でもコロナ騒動は、長い。時間の感覚というのは不思議なものですね……

長いと言えば、トイレットペーパーまで買い占めなんて話になりまして。即日これはデマだと打ち消す話が流れたものの収まらず、翌日も棚は空っぽ。

気持ちは分かる。マスク以上に生活必需品だし、その上、外出するなとお上のお達しも出てるとなれば、万が一ってこともある。

いくら十分に供給できると言われても、現に目の前の棚は空で買えないわけで。

でもオイルショックの時代じゃあるまいし、これが後の世の教科書に写真入りで載るかもと思ったら、ちょっと令和人としては恥ずかしいってもんで。

でもまあ、笑い話で済むならそれはそれでいいのかな。





騒動の本丸、コロナのほうは笑えない。

イベントは休止だ、施設は休館だ、学校は休みだと相次いで、どれだけの企業や個人が破産することになるのか分からないほどの大騒ぎ。

不要不急のあれこれは控えろと言っても、不要不急のあれこれで生計立ててる人も山ほどいるわけで。リモートワークだなんだと言っても、世の中みんなが事務仕事ってわけじゃなし。

学校休みで共働き世帯はどうするんだなどなど、ほんともうあっちもこっちも大騒ぎですが、そんなことはさすがに言ってる方も百も承知でしょうが、でも、どうにもならないってなもんでしょう。初動が遅かった、間違えたと言っても、今となっては仕方なし。

そう、文句を言っても仕方なし。

こうなったら腹据えて、事が落ち着くまで粛々と日々を送りましょう。その、事を落ち着かせるために奔走する方々に手を合わせながら。

ついでに論語でも読みながら。

◎──巻第六「先進第十一」一

・だいたいの意味先人の礼楽の道は野人だ。後進の礼楽の道は君子だ。だがもしこれを行うなら、私は先人に従おう。

──巻第六「先進第十一」一について

礼楽の道も時代が下るほどに洗練されていく。でもその精神性は、先人の道のほうに本質を感じる。そちらに従おうという話。

万事に通じるとは言わないけれど、そういうものってありますよね。

◎──巻第六「先進第十一」二

・だいたいの意味
陳や蔡へ行った頃に私に付き従っていた者は、みな門下にいなくなったねえ。

──巻第六「先進第十一」二について

遊説していた十年ほど前のことを振り返っての言葉らしいです。昔からの主だった弟子は、無事に巣立っていったんでしょう。

◎──巻第六「先進第十一」三

・だいたいの意味
徳行では顔淵、閔子騫、冉伯牛、仲弓。言語では宰我、子貢。政事では冉有、季路。文学では子游、子夏ですね。

──巻第六「先進第十一」三について

ひとつ前で孔子先生が振り返っていた門人について、側にいた弟子がそれぞれの長けている分野と合わせて並べたものです。

◎──巻第六「先進第十一」四

・だいたいの意味
顔回は私の考えを助けてくれる者ではなかった。私の言葉を全て受け入れ喜ぶ者だった。

──巻第六「先進第十一」四について

超素直で従順だったので、何か気づきを与えてくれる存在ではなかったと。非難して言ってるわけではなくて、単に回顧してるだけみたいです。いくつか解釈はあるようですが、まあいいでしょう。

◎──巻第六「先進第十一」五

・だいたいの意味
閔子騫は孝行者だ。父母や弟たちを非難する言葉を口にしない。

──巻第六「先進第十一」五について

孔子先生の門人である閔子騫(びんしけん)は、父が再婚して義母とふたりの義弟との家族にあって冷遇されていたそうで。それでも愚痴をこぼすどころか、まわりに同情されたら擁護するような人だったそうです。

いい人だなあって話の前に、二千五百年以上前でもそんな話はあったんだなあってことに、何とも言えない気持ちに……。

◎──巻第六「先進第十一」六

・だいたいの意味
南容は白圭の詩を何度も口にしていた。孔子先生は兄の娘をめあわせた。

──巻第六「先進第十一」六について

南容に姪っ子をめあわせたのは、「公冶長第五」二でもでてきた話です。

そこでは南容について、「国に道義が行き届いているならば捨て置かれることなく、国に道義が行き届いていなくとも刑死するようなことにはならない人物だろう」と評されていました。

白圭の詩というのは、『詩経』にある、
白圭之テン、尚可磨也。
斯言之テン、不可爲也。
(※「テン」は「王」偏に「占」の字。)

「白い玉についた傷は磨けばいいが、口にした言葉の傷はそうはいかない」というもの。教養と徳の高さを見込んだんでしょうね。

◎──巻第六「先進第十一」七

・だいたいの意味
季康子が問われた。弟子のうち誰が学問好きと言えますか、と。孔子先生がお答えになった。顔回という者が学問好きでした。不幸にして短命、亡くなってしまい今はいません。

──巻第六「先進第十一」七について

そのままです。「雍也(ようや)第六」三では、哀公から同じことを訊かれて、同じような返事をしています。

「顔回というものがいて、学問好きでした。怒りで八つ当たりもせず、過ちを繰り返しもしない者でしたが、不幸にも短命で、死んでしまいました。今は、もうおりません。学問好きだという者は、それ以来未だに聞きませんね」と。

顔回は、子路と並んで最愛中の最愛の弟子。

ここからしばらく顔回(顔淵)の話が続きます。

◎──巻第六「先進第十一」八

・だいたいの意味
顔淵が死んだ。(顔淵の父で同じく孔子の門人である)顔路が、孔子先生に、先生のお車をいただいて、棺の外装を作らせていただけませんかと請うた。

孔子先生は仰った。才の有る無しはあれど、それぞれ我が子のこと、私も鯉を亡くしたが、棺はあっても外装は作らなかった。(車を手放し)徒歩になって外装を作ろうとしなかった。大夫の末席にある身、徒歩ともいかないのだ、と。

──巻第六「先進第十一」八について

鯉というのは、孔子先生の息子で、この二年ほど前に亡くなっています。

孔子先生のこと、こうは言っていますが車が惜しくて言ってるわけじゃなくて、華美な葬儀を避けたんでしょう。

◎──巻第六「先進第十一」九

・だいたいの意味
顔淵が死んだ。孔子先生が仰った。ああ、天は我を滅ぼせり。天、我を滅ぼせり、と。

──巻第六「先進第十一」九について

孔子先生が天を恨むようなことを言うのは、この時くらいじゃないでしょうか。

◎──巻第六「先進第十一」十

・だいたいの意味
顔淵が死んだ。孔子先生は慟哭された。従者が「先生が嘆きに震えられている」と言った。孔子先生が仰った。嘆き震えていたか。だが、この者のために慟哭せずして、誰のために慟哭することがあろうか、と。

──巻第六「先進第十一」十について

自分の教えの体現者を亡くした孔子先生の嘆きが続きます。

◎──巻第六「先進第十一」十一

・だいたいの意味
顔淵が死んだ。門人はこれを立派に葬りたいと願ったが、孔子先生が仰った。ダメだ、と。それでも門人は、顔淵を立派に葬った。孔子先生は仰った。

顔回は私を父のように思ってくれていた。なのに私は子のようにしてやれなかった。私ではない、門人たちがそうしてしまったのだ、と。

──巻第六「先進第十一」十一について

孔子先生は、我が子の鯉の葬儀は理想通り質素に執り行ったんですが、顔淵の葬儀は理想通りにしてやることができなかったと悔やまれたという話です。

五つ続いた顔淵の話はここまでです。亡くなってこれほど嘆かれている弟子は、論語中で顔淵だけです。

子路はどうだったか? 子路については、直情的な性格もあって、畳の上で死ぬタイプではないと、どこか覚悟もあったのかもしれません。というか、ダメージが大きすぎて、嘆く力もなかったのかもしれません。

子路は、顔淵の亡くなった翌年に亡くなってしまいました。息子の鯉を亡くし、顔淵を亡くし、子路を亡くしと、相次ぐ不幸に老齢の心身は持たなかったのか、子路を亡くしたその翌年、孔子先生も黄泉路へと旅立たれます。

◎──今回はここまで。

世の中が暗いムードの中、間の悪いことに論語も湿っぽい話続きですみません。どうも暗い話は暗い話を呼んでしまうようで。

マイブーム、講談に続いて浪曲にまで手を伸ばしているんですが、聴いていて、さっきちょうど森の石松が惨殺されてしまいました。

ヤクザは嫌いで、国定忠治なんかも何で人気があるのか分からないってくらいなんですが、清水次郎長の話は面白く、中でも森の石松は愛嬌があっていい奴なんです。馬鹿は死ななきゃ治らないと歌われた、その石松がやられちゃって。

森の石松、一世を風靡したと言われる二代目広沢虎造の浪曲では、金比羅代参の帰りに大阪の八軒家の船着き場から、京都伏見に三十石船で向かいます。

その船の中で石松が、親分の次郎長の噂をする江戸っ子に話しかけて、大阪の本町で買った押し寿司と酒で、寿司を食いねえ、酒を呑みねえってやるのが、広沢虎造の浪曲「石松三十石船」という話。

長い連続物の一部ですが、そこだけ聴いても面白いのでぜひ。虎造の三十石船はAmazonのPrime Musicにもありますので。

私らの世代だと、寿司を食いねえといえばシブがき隊ですけどね。(笑)

浪曲、浪花節ともいうやつですが、これはざっくり言えば、講談と楽器と歌をミックスしたような演芸です。

広沢虎造が清水次郎長伝をなんとか習いたくて追いかけ回していた講談師が、「次郎長伯山」の異名を持つ、三代目神田伯山。

しつこく追い回す虎造を見かねて、伯山門下の四天王と呼ばれた初代神田ろ山が教えてくれたそうです。それで一時破門にされていたらしいですが。

こないだ神田松之丞が襲名したのは、六代目神田伯山。色々あって、五代目が空位ですが、四十四年ぶりに蘇った大名跡です。

今週木曜発売の雑誌『モーニング』では、その六代目神田伯山による監修の元、久世番子が描く読み切り『修羅場(ひらば)の人』が掲載される予定。

なかなか外に出るのも憚られる今日この頃、演芸の公演も相次いで取りやめになっていますが、自宅でまとめて聴いたり観たり読んだりするのも一興。

笑うと免疫力が上がるなんてことも言いますし、落語や漫才もいいでしょう。

いつもよりちょいと多めに娯楽を楽しみ、難局を乗り越えて、や、とりあえずどうにかこうにかやり過ごしていきましょう。


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
https://www.facebook.com/korowan