まにまにころころ[175]ふんわり中国の古典(論語・その38)孔子先生は激オコです
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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コロこと川合です。新コロ騒動で肩身の狭い旧コロです。冗談はさておいて、とどまるところを知らない新コロナウィルス感染症問題。武漢にはじまって、中国、日本をはじめとしたアジアが白眼視されていたのも今や昔といった感じ。

もちろんアジアでも未だ先の見えない状況ですが、話題の中心は欧米へと移ったような今日この頃ですね。

日本では東京オリンピックもお花見も延期となりました。あと二週間くらいで私、誕生日を迎える予定なのですが、パーティも無期限延期です。まあ元からそんな予定はありませんでしたけどっ。

外出を控えるよう世界中でお達しが出ている中で、それを後押しするように、各種学習サービス、動画配信などのエンタメサービス、ポルノサイトまでもが無料や割引で提供されたりしていますが、電子書籍販売サイト「ebookjapan」では、今月いっぱい、横山光輝『三国志』全60巻のうち第59巻まで無料で公開されています。(あと2日!)

・電子書籍販売サイト「ebookjapan」
https://ebookjapan.yahoo.co.jp/free/content/103753/





吉川英治『三国志』を元にしたこの漫画、後漢末、黄巾の乱が物語のはじまりですが、黄巾党の起こりはそもそも、疫病の大流行に端を発するんですよね。

疫病の大流行を受け、張角が病を治す術を施しながら道教の一派である太平道を創始、布教したものが組織化し、反乱を起こしました。

古代中国では、政治の乱れが災害や疫病を招くといった考えがありましたから、そんな事情もあって、反乱が起きて国が滅んでいくという流れに。実際には、鶏が先か卵が先かみたいな話ですけど。

そんなこんなで大混乱が起きた後漢末期、曹操、劉備、孫権がそれぞれ数奇な運命を辿って、魏、呉、蜀という三つの国をそれぞれ建国するのが、三国志。

魏の史書のうち、いわゆる魏志倭人伝に卑弥呼が朝貢した旨が記されています。つまり、日本ではだいたい卑弥呼の時代の話です。

疫病をきっかけに、国が滅び、また興ってくる様が描かれた『三国志』、未読の方は是非この機会に読まれてはいかがでしょうか。(明日までに59巻!)

さて、三国志の時代からさらにぐぐっと遡ることおよそ700年。春秋時代が孔子先生の生きた春秋時代です。卑弥呼より700年前って、そう思うとすごいですね。

その孔子先生もまた、高弟の冉伯牛を伝染病(ハンセン病と言われています)で亡くしています。別れのシーンが雍也の十にでてきましたね。そんな時代から、いや、おそらく太古から人類は疫病と闘ってきました。今回の新コロナの件も、人類が疫病と闘う歴史の一ページとして記録されることになります。

どのように闘うのか、その間にどのようなことが起きるのか、首相が感染した英国は大丈夫か、首相夫人がレストランでタレントとお花見パーティしている日本は大丈夫か、米国の大統領選の行方はどうなるのか、そんな中で飛翔体を発射しまくる北朝鮮は大丈夫か、など、後世の歴史にどう記されるのかなんてことにも思いを馳せつつ、今日も論語を、一章だけ進めたいと思います。


◎──巻第六「先進第十一」十七

・だいたいの意味
季氏は周公より富んでいた。にもかかわらず、求(冉求・冉有)は季氏のために税を集め、季氏にさらなる利益をもたらした。孔子先生は仰った。(そのような奴は)私の仲間ではない。弟子たちよ、太鼓を打ち鳴らしこの者を攻めてもいいぞ、と。

──巻第六「先進第十一」十七について

季氏、久し振りの登場です。魯国で権力を握っていた三家、三桓氏のひとつ、季孫氏です。冉有(ぜんゆう)は季孫氏に仕えていました。

冉求・冉有・冉子と色々に呼ばれますが、姓が冉、名が求、字が子有です。

冉有、優秀なんですけど、「八いつ第三」三でも、孔子先生から季孫氏の横暴を諫められないのかと責められ、できませんって。孔子先生は激オコです。

完全に板挟み。不憫な人です……。子路も季孫氏に仕えてたんですけど。

久し振りに出てきたので、三桓氏について少し補足。魯国の王室を徳川家だとすれば、三桓氏は御三家です。本来、王を補佐する家柄です。公族ですね。

魯国の第十五代・桓公の子に始まる三家だから、三桓氏。孟孫氏(仲孫氏)・叔孫氏・季孫氏の三家です。

昔の中国では年長者から順に、字(あざな)などに、「伯(孟・元・長)」「仲」「叔」の文字がつき、末っ子に「季」がつく慣習があります。(もちろん例外も)

その文字がつく慣習というか、そう意味の漢字で。太郎・次郎みたいなもの。桓公の長男は次の王なので、次男、三男、四男が三桓氏の始まりです。

三桓氏では一番の年長ということで孟孫氏ですが、次男だからか仲孫氏とも。

三国志の曹操は字が孟徳なので、長男だろうと字からも見当がつくわけです。呉の孫権は仲謀なので、次男と。ちなみに兄の孫策は伯符です。

また日本でも両親の兄弟で、年長が伯父・伯母、年少が叔父・叔母、ですね。

三桓氏、家格は孟孫氏、叔孫氏、季孫氏の順でしょうが、孔子の時代、最も力があったのは季孫氏でした。

孔子の時代は、季孫氏の当主は季孫意如(季平子)、それが亡くなって季孫斯(季桓子)が、さらに季孫肥(季康子)が当主を継いだ頃です。当然というか季孫意如とは何かと対立した孔子先生ですが、季孫意如は子の季孫斯を孔子の弟子にしたとも言います。孟孫氏の孟懿子と、子の孟武伯も孔子先生に学んだことがあるようで、『論語』にも出てきます。

季康子が教えを請う姿は何度も何度もでてきますね。


◎──今回はここまで。

個々には大変な日々が続き、生活も破綻する人が続出すると予想されますが、病に倒れない限りはなんだかんだ言っても命はなんとかなるんじゃないかって程度にはこの国や世界を信じて良いと思います。

人類史の転機になるかもしれないような騒動を目の当たりにする機会なんて、そうそうないことですし、世界の動きを俯瞰して眺めつつ、またその一方では地に足着けた生活を送りつつ、この局面を乗り越え、生き延びましょう。


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
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