日々の泡[031]松田政男さん追悼【松田政男/薔薇と無名者】
── 十河 進 ──

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松田政男さんの「薔薇と無名者」を買ったときのことは、五十年が過ぎた今も鮮明に憶えている。上京して初めて買った映画評論集だった。高校生のときに、古本市で小川徹さんの「橋の思想を爆破せよ」という映画評論集を初めて買ったので、松田さんの「薔薇と無名者」は僕が買った二冊目の映画評論集になる。版元は芳賀書店だったと思う。後にエッチな本で有名になる神保町に店がある芳賀書店だが、昔から映画関係の本を出していた。

一九七〇年の初夏のことだった。僕は上京し、ひとりで浪人生活を送っていた。予備校が早稲田にあったので、池袋駅で乗り換えて赤羽線でひと駅めの板橋駅から歩いて五分ほどの滝野川の安アパートに住んでいた。四畳半ひと間だけで炊事場も便所も共同だった。板橋駅の東口へ出ると、目の前に近藤勇を祀った廟がある。確か、近藤勇は流山で捕らえられ板橋で首をはねられたはずなので、その刑場跡なのかもしれない。





僕のアパートはその廟の横を抜けて明治通りの方へ向かうのだが、廟の前の道を北に上ると突き当たりに映画館があった。僕の記憶では「人生坐」という名前だったはずなのだけれど、後に池袋文芸坐のS支配人に話を聞いたときに「それは弁天坐でしょう」と言われた。初めていったときには松本俊夫の(というよりピーターの)「薔薇の葬列」(1969年)と大島渚の「絞死刑」(1968年)を上映していたが滝野川で僕が暮らすようになって三ヶ月ほどで閉館した。

その映画館の前の道を東へ十メートルほどいったところに古本屋があった。僕は毎日のように、その古本屋を覗いたものだった。アパートを出て銭湯へいき、滝野川商店街をブラブラして古本屋を覗き、最終上映の映画を見るなんて理想の生活をしていた。その映画館では、四国高松にいたらとても見られないアートシアターギルド(ATG)作品を百円で見ることができたのである。

その古本屋では清水昶さんの詩集「少年」や松田政男さんの「薔薇と無名者」を買った。古本とはいえ、どちらもけっこう高くて何度も躊躇したものだ。何しろ僕は本当に貧しくて、映画を見るために昼食を抜いていた。身長は今と変わらず一七〇だったが、体重は五〇キロを切っていた。ウエストは六十八センチ。今からは想像できないほど痩せていた。

何度も躊躇して買ったのだが、「薔薇と無名者」は僕に新しい世界を教えてくれた。映画を思想的に見る視点である。その本の中で松田さんは、自分のことを「失業革命家」と称していた。「職業革命家」という言葉は僕も知っていたが、「失業革命家」と自称する姿勢(そこには自虐的なニュアンスはなかった)に僕は何か割り切れないものを感じたものだった。

後に、松田さんが若い頃に共産党に入党し、山村工作隊に参加していたという噂を聞いた。共産党が武力革命路線を提唱し、それを信じて全国の農村をベースに革命をめざした若者のひとりだったのだろう。世代的には、大島渚と近かったのかもしれない。京都大学で大島渚と同学年だった戸浦六宏は、共産党に二度入党し三度脱退したという。大島の処女作を批判し、「だったら出てみろ」と言われて二作目に出演し、以降、ほとんどの大島作品に出演した。

「薔薇と無名者」を読んで、僕は松田政男さんが大島渚監督の「絞死刑」に出ていた検察事務官だったと知った。その少し前に僕は「絞死刑」を、大島渚作品としては珍しく面白く見たのだった。低予算の映画らしくセットにほとんど金をかけず、出演者も絞り込んでいた。大島一家である戸浦六宏、小松方正、小山明子などの他、松田政男さんのような役者ではない人を出演させていた。

松田政男さんに初めて紹介されたのは、出版社に勤め始めて数年後のことだと思う。八ミリ専門誌「小型映画」編集部に、映画関係者に広い人脈を持つHさんという女性がいた。僕は隣の編集部にいたのだが、映画好きということで何かと誘ってもらうことが多く、ある夜、新宿ゴールデン街の「銀河系」でH女史に松田さんを紹介されたのである。その後も「銀河系」ではいろんな人と出会ったものだ。

H女史と松田さんはかなり親しいらしく、その後も僕は何度か「銀河系」で一緒に飲むことになった。僕は「薔薇と無名者」を買ったことを話し、明け方まで飲み続けるようなこともあった。松田さんはH女史の紹介で自主映画作品をよく見るようになり、その世界に詳しい映画評論家になった。その関係で、「ぴあフィルムフェスティバル」の草創期から応募作品を全部見る下審査のようなことをしていた。

あれは、一九七九年の初夏のことだったと思う。まだ猿楽町にあった「ぴあ」の上映室で遅くまで松田さんと一緒に応募作品を見て、そのまま新宿へ飲みに出た。明け方まで飲み続け、夜明け頃に靖国通り沿いの中華料理店に入り、丸テーブルを囲んだ。松田さんとH女史、僕、他にも誰かがいたと思う。お腹を空かしていた僕はけっこう食べたが、すっかり松田さんにごちそうになってしまった。

明るくなった新宿東口駅前で、僕はジャン・マイケル・ヴィンセント、ウィリアム・カット、ゲーリー・ビジーの三人がサーフボードを抱えている映画の看板を見た。「ビッグ・ウェンズデー」である。「俺には、きっと一生『ビッグ・ウェンズデー』なんてこないんだろうなあ」と僕はつぶやき、「きみは、まだ二十七なんだろ。これからだぞ」と松田さんに言われた。あれから四十一年の月日が流れ、三月二十日の新聞の訃報欄に、僕は松田さんの名前を見つけた。

松田政男(まつだ・まさお=映画評論家)

17日午後8時15分、肺炎のため埼玉県戸田市の病院で死去。87歳。東京都出身。葬儀・告別式は故人の遺志で行わない。しのぶ会を後日開催する予定。出版社で埴谷雄高や吉本隆明らの著書を編集。「テロルの回路」「風景の死滅」などの著書を残した。


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