[5006] 警察小説のハシリ?◇ペンの持ち方◇コロナの日々のアンチな人々

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《わたし(だけ)は本当のことを知っている》

■日々の泡[032]
 警察小説のハシリ?
 【87分署シリーズ/エド・マクベイン】
 十河 進

■グラフィック薄氷大魔王[654]
 ペンの持ち方「人差し指を親指に乗せる」
 吉井 宏
 
■ゆずみそ単語帳[29]
 コロナの日々のアンチな人々
 TOMOZO
 


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■日々の泡[032]
警察小説のハシリ?
【87分署シリーズ/エド・マクベイン】

十河 進
https://bn.dgcr.com/archives/20200513110300.html

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海外ミステリを読み始めるきっかけになったのは、旺文社(学研ではなかったと思う)の中学生向け学年誌の付録の小冊子だった。毎月、付録に海外ミステリのダイジェスト(抄訳)版がついていた。小学校時代の友だちのお姉さんが学年誌を定期購読していて、その付録の小冊子が、何十冊も本棚に並んでいたのだ。

僕は、小学校の四年か五年だった。その小冊子をまとめて借りて帰り、むさぼるように読みふけった。後に知ったのだが、それは早川書房でSFマガジン編集長をしていた福島正美さんのアルバイトだったらしい。毎月翻訳出版される早川ポケットミステリ(通称ポケミス)の中から選んでダイジェストしたものだったのだ。

だから僕はその小冊子で「マイクル・シェーン」シリーズも読んでいるし、リュウ・アーチャーものだって読んだことがある。ウィリアム・アイリッシュの名前も、その小冊子で知った。十歳くらいのことだった。その後、僕はダイジェストでないものが読みたくなり、書店で創元推理文庫を見つけて購入した。ポケミスは高くて手が出なかったのだ。

当時のポケミスは簡易版の函に入っていて、表4の定価のところが小窓になっていた。函から出さずに定価がわかるようにしていたのだ。その後、ポケミスはビニールカバーに代わり、今も続いている。当時、早川書房は文庫を出していなかったので、読みたいものはポケミスで買うより仕方がなかったのである。

さて、創元推理文庫でいろいろ読んでいた僕は、新作を読みたい場合はやはりポケミスを買わざるを得ないのだと気付いた。当時、イアン・フレミングの007シリーズが人気で、創元推理文庫からは初期の「カジノ・ロワイヤル」「ロシアから愛をこめて」などが出ていた。

しかし、新作を読みたかったらポケミスを買わなければならなかった。「ゴールド・フィンガー」も「サンダーボール作戦」もポケミスでしか出ていない。当時、イアン・フレミングは現役作家で、最新刊「黄金の銃を持つ男」の出版予告が「ミステリ・マガジン」に出た。

僕は別に007シリーズを読みたかったわけではないが、最新の海外ミステリを読むには、やはりポケミスを買わざるを得ないのかと思った。そんな時、僕は高松市の田町商店街にあった古書店「高松ブックセンター」にフラリと入り、本棚と本棚の狭い隙間に立って「87分署」シリーズのポケミスを見つけたのだった。

その時に買ったのは「死にざまを見ろ」(翻訳者は加島祥造)だった。中学一年で英語を学び始めたばかりだった僕は、原題の「See Them Die」を記憶し、自転車を漕ぎながら時々「See Them Die 死にざまを見ろ」と怒鳴ったりしていた。12歳の子供である。そういう意味のないことをよくやっていた。

そこから「87分署」シリーズ全点踏破が始まった。僕は第一作「警官嫌い」から始めて「通り魔」「麻薬密売人」へと入り、小遣いを貯めてはポケミスを買った。「高松ブックセンター」にはポケミスを定期的に売りにくる人がいるらしく、タイミングがよいと「87分署」シリーズも手に入った。

その頃、作者のエド・マクベインは絶好調で、エヴァン・ハンター名義での「暴力教室」「逢う時はいつも他人」、カート・キャノン名義の「酔いどれ探偵街を行く」も好評だった。しかし「87分署」はテレビシリーズになり、それが日本でも放映された(僕の地方では見られなかった)ので、人気は高かったのだ。

僕が「死にざまを見ろ」を買った時点で、「87分署」シリーズは18冊が翻訳されていた。物語は時系列で続いているから、順番に読まなければならない。僕は一点一点買い集め読み進めた。とりあえず、18冊目の「斧」にたどりつくまで二年近くかかったのを憶えている。

その中でも僕が気に入ったのは、「警官嫌い」「キングの身代金」「殺意の楔」「電話魔」「クレアが死んでいる」「10プラス1」といったところだ。「キングの身代金」は黒澤明が映画化し、「殺意の楔」も東宝で映画化され、「クレアが死んでいる」は市川崑が映画化した。また、「10プラス1」はフランスで映画化された。

黒澤明は「キングの身代金」の犯人が社長の息子とお抱え運転手の息子を間違えて誘拐し、身代金を払うか払わないか苦悩するという設定を借りて「天国と地獄」(1963年)を作った。しかし、主人公を演じた三船敏郎の名前を権堂金吾として、原作のキング氏に敬意を表している。

ただし、僕は以前にも書いたけれど、「今、捕まえても死刑にできない」という理由で犯人を泳がせ、そのせいで麻薬中毒患者の女を殺されても特に気にせず、犯人逮捕の瞬間に「これでおまえは死刑だ」と得意顔(ドヤ顔)で言う仲代達矢の警部(うまいと思うけど)を容認できず、見ていると最後にはシラケてしまうのである。

「殺意の楔」は「天国と地獄」公開の翌年、同じ東宝で「恐怖の時間」(1964年)のタイトルで公開された。監督は岩内克己。主演は加山雄三である。つまり、スティーブ・キャレラ刑事を加山雄三が演じたのだ。これは原作に忠実に映画化され、僕としては「87分署」の映画化としては成功だと思っている。

加山雄三の刑事を恨む女が刑事部屋にニトログリセリンの瓶を持って押し掛け、そこを占拠してしまう。刑事たちは半信半疑ながら、様々な駆け引きをして女を説得し、逮捕しようとする。女は不在の加山を待つという。加山は事件の捜査で出ていて、その事件の進展と占拠された刑事部屋の状況が同時に描かれる。脚色は名手、山田信夫である。

「刑事キャレラ/10+1の追撃」(1972年)は、「男と女」のジャン=ルイ・トランティニャンがスティーブ・キャレラ刑事を演じ、僕の永遠のヒロインであるドミニク・サンダが出ている(鏡に映る形でヌードシーンがあるらしい)のに、僕は見逃したままなのだ。見なきゃ。

「クレアが死んでいる」は、「幸福」(1981年)のタイトルで市川崑監督が映画化した。僕は、当時、「小型映画」という8ミリ専門誌で「監督インタビュー」というページを担当していたので、市川監督に取材しようと思い試写で見た。市川監督得意の現像で「銀残し」をし、カラーなのにモノクロの雰囲気を持つ独特の画面づくりだった。

キャレラ刑事は水谷豊。若手刑事のバート・クリングの役は永島敏行だった。彼の恋人の女子大生クレアの役は、「東京ララバイ」がヒットした歌手の中原理恵である。冒頭で書店での乱射事件があり、被害者のひとりが中原理恵なのである。谷啓がやっていた役は、原作のマイヤー・マイヤーなのだろうか。

「87分署」シリーズの映画化作品で最も楽しめたのは、「複数犯罪」(1972年)だった。「87分署」の宿敵「死んだ耳の男」(最初に登場する「電話魔」では「つ×ぼ」と訳されていた)が登場し、様々な事件が錯綜する話だ。脚本もエド・マクベインが書いているのだけれど、ユル・ブリンナーが演じる「死んだ耳の男」の頭がよすぎて、刑事たちが間抜けに見えてしまうきらいがある。

しかし、バート・レイノルズのキャレラの他、女刑事役のラクェル・ウェルチなどキャスティングも賑やかでおもしろく見られる。それにしても、50年にわたって56冊の「87分署」シリーズを書いたエド・マクベインは希有な作家だと思う。


【そごう・すすむ】
ブログ「映画がなければ----」
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■グラフィック薄氷大魔王[654]
ペンの持ち方「人差し指を親指に乗せる」

吉井 宏
https://bn.dgcr.com/archives/20200513110200.html

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しばらく前に読んだ、何人ものイラストレーターを取材した(ペンタブの)ペンの持ち方についての記事。「人差し指を親指に乗せてる率が高い」的なことが書いてあって、気になってた(確認したいのだが、記事が行方不明)。

人差し指を親指に乗せるってどういうことなんだ? どうやるんだ? って思い出すたび試してたものの、よくわからなかった。ところが、ここ数週間、どんなニュアンスで人差し指を親指に乗せるのか、わかってきた気がする。

以前書いた「人差し指がジャマをしてる」に関連してるらしい。人差し指がペンの自由な動きを妨げてる説。親指と中指でペンを挟み、人差し指を浮かせて描くと思い通りに描ける。しかし、人差し指の置き場所がなくて落ち着かないし、力を入れにくい。

所在なげな人差し指を親指の上にとりあえず置いておくと落ち着くし、力も入れやすいし、安定する。思い通りに描ける感じはそのまま。決まった位置じゃなく、親指の背でも先端でも、人差し指が直接ペンに触れない位置なら気分によってどこでも。
http://www.yoshii.com/dgcr/oyayubi-IMG_2465

円の右側の弧を下から描くのがめちゃ苦手だったんだけど、どんな方向の線も安定して描けちゃう。ペンタブのペンでも鉛筆でも。これは僕的に画期的。今まで丸をちゃんと丸く描けるのが4cmくらいだったのが、2cmくらいでもちゃんと描ける。文字なんかも半分サイズで描ける。

手の動きの解像度が倍になった感じ。ラクになったからとサボらず、なるべく画面上で拡大して描くのを忘れさえしなければ、タブが不自由な感じはほとんどしなくなる。

この持ち方は細いペンのほうが具合いい。上の写真はグリップペンのゴム部分をはずしたもの。

あっちこっち滑っていっちゃうペンを、親指でロックするような感じ。最近その目的でやってたのは、右手の指先を左手を添えて変な方向に行っちゃうのを押さえるやつ。ほとんど両手で描くみたいなw

その後、Modoのテクスチャペイントで試してみたところ、いちばん苦労する「目のフチ」なんかの、狭い塗り分け部分を描くのがラクなこと! 普段、そういうシビアなところをペイントするときにはiPad ProとAstropadで作業してるんだけど、板タブだけでイケそうかも。

(記憶違いで、逆の「人差し指に親指を乗せてる人が多い」だったかもしれんけど、結果オーライってことでw)

◯以前書いた、「グリップペンの先端の引っかかり部分を、人差し指で持ち上げるように持つと描きやすい」。偶然「親指に人差し指を乗せる」形に近くなってたから、描きやすかったんだと判明。


【吉井 宏/イラストレーター】
HP  http://www.yoshii.com

Blog http://yoshii-blog.blogspot.com/


1月に実家へ行って以降、電車に乗ったのは3月後半の一回きり。ってすごくない? もう5月半ばだよ。Web会議は何度かやったけど、誰にもリアルで会ってない。外出自粛、徹底してるなあ。っていうか、電車はちょっと極端としても、これで割と普段通りなんだけどねw

○吉井宏デザインのスワロフスキー

・三猿 Three Wise Monkeys
https://bit.ly/2LYOX8X


・幸運の象 LUCKY ELEPHANTS
https://bit.ly/30RQrqV


・SCS ペンギンの赤ちゃん PICCO
https://bit.ly/2JStbC4



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■ゆずみそ単語帳[29]
コロナの日々のアンチな人々

TOMOZO
https://bn.dgcr.com/archives/20200513110100.html

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■ロックダウン2か月目の情報カオス

ニューヨークで感染爆発が起こり、マンハッタンから人が消え、アメリカがいまだかつてない経済の「一時停止」に追い込まれて、約2か月になる。ワシントン州ではロックダウンが始まって、そろそろ7週間。

アメリカではこれまで、外でマスクを着用している人を見ることは皆無だったのに、今ではスーパーで買い物をする人の8割以上がマスクをつけている。

おたがいに6フィート(約2メートル)以上間をあけようという「ソーシャルディスタンス」も、すっかり習慣になった(少なくとも私の生活圏内で目に付く範囲では。場所によっては事情が違い、郊外に住んでいる友人の話では、大型スーパーでマスクを着用している人も、ソーシャルディスタンスを守ってる人も、1割程度しかいないそうだ)。

失業率は14%を超えたし、大手高級デパートのニーマン・マーカスや、アパレルでかつて一世を風靡したJ.Crewが破産申請をしたりしている。でも、経済対策に資金が投入されているためか、死亡者数も陽性率も下がっているためか、なんとはなしに楽観的なムードが漂っている。

ワシントン州知事は5月5日、今後順調に感染者数が抑え込めれば、3週間ごとに4段階を経て徐々に経済活動を再開するという、「段階的再開」へのガイドラインを発表した。

そんなわけで先週末のシアトルは、ちょっと浮かれてお祭り気分になっている人が多かった。真夏のような陽気も手伝って、近所中がこの数週間なかったほど活気づいていた。

でも全国的には4月半ばあたりから、全国的な「おうちで過ごそう」方針に正面から反抗する人々が出てきている。

アメリカではなんでもかんでも二項対立になる傾向がある。長くつづいてきた共和党と民主党の政治体制も、何かあるごとになんでも二項対立で考えるスタイルが定着するのに役立ってきたのだと思う。

二項対立はもちろん、比較検討して考察を深めるという過程には便利なものではあるけれど、いまの世のなかでは考察を深めたり建設的議論をすすめたりする代わりに、脊髄反射的なアンチの先鋭化にしかなってない、と最近すごくよく思う。とくにSNSでフェイクニュースが加速化し、トランプがホワイトハウスに陣取ってからますますひどくなった。

ニューヨークが大変なことになってからというもの、人命最優先のロックダウン政策がアメリカでは珍しく右左の境界線を超えて支持されていたように見えたけれど、それはほんの一瞬だった。

大統領選をひかえた2020年にコロナが政治と無縁でいられるわけはなく、右と左はたがいにコロナ禍を政治の道具にしていると、お互いを日々非難しあっている。「左側」のメディアは大統領の失策や珍発言をひとつも漏らさずあげつらい、大統領自身は主要メディアをフェイクニュースと呼び、FOXニュースや極右メディアは、大統領の一貫性のない楽観的な見通しを支持している。

■銃を持つアンチな人たち

4月30日、非常事態宣言の即時停止を求めて、ミシガン州の州議会堂に自動小銃で武装した男性数名を含む団体が乗り込んだ。猟銃でもハンドガンでもなくて自動小銃。ギャング映画やゾンビ映画で撃ち合いのときにぶっぱなす、軍用の銃ですよ。

VOXの記事
https://www.vox.com/policy-and-politics/2020/4/30/21243462/armed-protesters-michigan-capitol-rally-stay-at-home-order


BBC日本語版記事
https://www.bbc.com/japanese/52497199


こういうシロモノをかかえて、自家用車に乗ったり街を歩いたりして、ノー問題だってことそのものが驚くべき事態だけど、州議事堂の正面玄関から自動小銃をかかえて入っていって、誰も逮捕されないという光景はさすがにショックだった。

この国に住んで20年以上になるけれど、この常識には慣れない。このデモの後で、州議事堂への銃持ち込みを禁止する法案が検討されてるそうだけど、これからか! というのが驚き。

議事堂に集まった人たちの多くは、トランプ支持を表明する帽子やマスクを身に着けたり、トランプ支持のプラカードを持ったりしていた。

彼らの抗議のターゲットは、民主党所属の女性知事。共和党が多数派を占める州議会で知事による緊急事態宣言継続が否決されたが、知事は5月28日までの継続を強行して、共和党議員が知事を訴える事態になった。

トランプはこのアンチ知事命令集団が自分の支持者であることをよく知っているので、「この人たちはすごく良い人たちで、ただ単に怒ってるだけなんだ。知事はちょっと譲歩して火消しに努めろ」と、銃を持って押しかけた人たちの心情を汲むツイートで火に油を注いだ。

感染が広がって被害がひどい都市部では民主党が強く、人口まばらな中西部や南部では共和党が強い。ミシガン州でも、デトロイト近郊などの都市部に住んでいる人たちと、小さな町に住んでる人たちとでは生活感覚も信条も違うというのは当然あるはずだ。

単純な二項対立でいうと、経済活動をすぐに再開させたい共和党支持者、感染防止にあくまでも慎重な態度をとる民主党支持者、という図式になるけれど、それだけではない。

政府の方針、ウイルスの危険性、致死率についての報道、ソーシャルディスタンスの有効性を信じない人たちが、気勢を上げているのだ。その多くがトランプ支持者。

この日議事堂につめかけた人たちは、民主党の女性知事に強い嫌悪を抱いていることを伺わせるプラカードを持っていて、は〜なるほど、と思わされた。知事が初老の男性だったら、恐らくここまで激しいデモは起きなかったのかもしれない。

自動小銃を抱えて集まったのは、銃規制反対派の集団だった。ロックダウン反対は大きな表向きのきっかけではあるけれど、この日集まったのは、もともと政府による規制に対するハッキリした嫌悪と恐怖の感情を持っている人たちだ。銃を所持したり持ち歩いたりする権利を取り上げられることを恐れ、政府に何かを指図されることを、とにかく非常に強く嫌う人たち。

ましてやそれが女性首長からの「命令」であれば、純粋に生理的な嫌悪感でいっぱいになるのだろう。……というのは単に想像だけど、きっとそんなに間違ってないと思う。

この集団はもちろん多数派ではないけれど、目立つし声が大きい。常に一定数いて、世論の中の特定の一端をひっぱっている。

トランプは、自分の支持者のコアな層がもともと「アンチ」で盛り上がっているのをよくわかっている。アンチ「主流」メディア、アンチ知識人、アンチ・オバマ、アンチ都会の意識高い系、アンチ外国人、アンチよくわからん奴ら。

トランプは2016年の選挙のときから、世の中の変化から取りこぼされてきた人たちの嫉妬心や嫌悪感、アンチ感情に巧妙にはたらきかけて煽ってきた。だからトランプが就任してから、ヘイトクライムが増えたのは当然だった。

価値観を暴力的な言葉で否定された都会の「リベラル」の側も、そのアンチ感情に化学反応するように感情的に反応して、汚物を投げ合う試合がえんえんとつづいている。

■アンチな人々の意外な連合と『プランデミック』

この週に各地で頻発したデモの参加者には、銃規制反対派のほかに、ワクチン接種反対派があったというのを聞いてびっくりした。

ワクチン接種反対派というと、自然派、ナチュロパシー、ニューエイジ、といった界隈が思い浮かぶ。銃規制反対派とはどう考えても立ち位置がかなり離れている。すごく奇妙な連帯だと思ったけれど、全国的にワクチン反対派と銃大好き派が結託して運動してるのではなくて、このコロナ騒動でアンチ政府(とくに民主党知事による経済活動の停止命令)という目的が、たまたま一致したということのようだ。

ミシガンの議事堂に乗り込んだのは銃規制反対派が牽引するグループだったが、カリフォルニアの州都のデモにはワクチン反対派が多かったようにみえる。

この二つのグループに共通している要素はただひとつ、政府や行政による「強制」「規制」へのアンチ感情だ。

銃規制反対派は、自分の愛する武器を家や車に備蓄したり持ち歩く権利を政府に取り上げられたくないし、それがこの国の伝統であり自らの誇りだと信じている。

ワクチン反対派は、ワクチンは人体に有害な発明であり、国をあげての接種政策は製薬会社と結託した政府・行政が、市民の健康と引き換えに巨額の富を得るためのシステムだと信じ、それに身体を張って反対している。

リバタリアン的な発作ではあるけれど、この人たちを果たしてリバタリアンと呼んでいいのかどうかはわからない。ともかく奇妙な連帯ではある。

そして先週、妙なビデオがSNSでそれこそウイルスのような勢いでひろまった。

タイトルは『Plandemic』

プラン(計画)とパンデミックをあわせた造語で、このパンデミックは政府や裏で経済をあやつる人たちが計画したものだ、という意味だろう。

ウイルスは間違いなく国が出資する研究所で作られたものであり、その流行はワクチンによって人工的に社会を統制しようとするシステムの一環として仕組まれたものである、ホワイトハウスのコロナ対策の指揮官の一人として毎日テレビに出ているファウチ医師や、ワクチン開発に私財を投入しているビル・ゲイツは人の命を代償に懐を肥やしている、さらに、手を洗ったりマスクをするとかえって感染リスクが高まる、……といった内容。

フェイスブックなどであっという間に広がり、数百万ビューを獲得したあと、有害なウソ情報だとしてYouTubeからもフェイスブックからも追放されてしまった(なのでわたしも半分しか見ていない)。

禁止されたことで、ほらやっぱり、政府やマスコミや大企業は都合の悪い「真実」を隠そうとしているのだ、とますます信じるようになった人も多いようだ。

このビデオの主人公は、ウイルスの研究者だったジュディ・マイコヴィッツ。ビデオでは、彼女が2009年に『サイエンス』で発表した論文が「科学界に激震をもたらした」と紹介している。

PBSの報道によれば、この研究は慢性疲労症候群(CFS)がレトロウイルスによるものだという発見だったが、発表後に追試で同じ結果が再現できず、実験の手順に問題があったとして論文は撤回され、マイコヴィッツはその後研究職をクビになり、さらに勤務先から資料とパソコンを盗んだ罪で逮捕されている。

しかしマイコヴィッツは、『Plandemic』ビデオのなかで、自分の発見は製薬会社と甘い汁を吸っている既製権力にとって不都合であったために、闇に葬られたのだと主張している。そのために無実の罪を着せられて刑務所に入れられたのだと。

窃盗罪は「完全な濡れ衣」で、盗んだ覚えはないのに自分の家に「仕込まれていた」という。そしてその隠蔽を指揮したのが、いまパンデミック対策の指揮官として注目を浴びている、米国アレルギー・感染症研究所のファウチ所長だったというのだ。

マイコヴィッツは、今やお茶の間の顔になったファウチ所長の言うことはすべて「完全なプロパガンダ」であり、彼やビル・ゲイツはワクチンの特許で数百万の人命と引き換えに大金を得ていると非難している。

このビデオが語るスパイ映画みたいな話を額面通り受け取れば、一般大衆の見えないところで、偉い人たちが自分たちの利益を守るためにいかがわしい操作をしていて、そのために全世界のふつうの人々の命が犠牲になっている、なんということだ! と憤らざるをえなくなる。

一方で、世紀の大発見で注目を浴びた若い科学者が、その後論文を撤回せざるを得なくなり、学会で権力を持つウイルス学者やエスタブリッシュメントに恨みを抱くようになって、エキセントリックなアンチの言動に走ってしまったのかな、という見方もできる。

NPRやワシントン・ポストなどのメディアは、早速このビデオの事実チェックをしている。たとえば、ビデオの中でマイコヴィッツは「私は1999年にエボラ・ウイルスを人間に感染するように変える研究をしていた。それ以前にエボラが人に感染することはなかった」と言っているが、それは明らかに誤りで、アフリカで最初にエボラ出血熱の感染が確認されたのは1976年のことだ、といったわかりやすい間違いが指摘されている。

NPRの記事
https://www.npr.org/2020/05/08/852451652/seen-plandemic-we-take-a-close-look-at-the-viral-conspiracy-video-s-claims


ワシントン・ポストの記事
https://www.washingtonpost.com/nation/2020/05/08/plandemic-judy-mikovits-coronavirus/


マイコヴィッツ自身はこのビデオの中で「自分はワクチン反対派ではない」と言っているが、ワクチン反対派とのつながりは深く、このビデオもワクチン反対グループの間で真っ先に広まった。

このビデオには著名な科学者は一人も出演していないし、表舞台の人からは認められていない。でもだからこそ、「隠された真実」「ほんとうの話」を求める心に響くのだろう。

情報があふれかえっているけれど、何一つ確実ではないし、メディアでは価値観のけなしあい、罵り合いがえんえん続く。状況が複雑化すればするほど、単純な話が魅力的に見える。

「わたし(だけ)は本当のことを知っている」という実感は感動的だ。アンチの立場は、真実を知って正義のために戦うという高揚感をもたらしてくれる。たぶんその高揚感が、今いちばん危ないやつだ。

3年ほど前に聴講したフェイクニュースについてのレクチャーで、ワシントン大学工学部のスターバード助教授は、フェイクニュースに踊らされないために個人レベルでできることとして、自分自身の認知バイアスを自覚すること、そして、自分が情報に対してどんなふうに感情的に反応するかに気をつけて観察すること、という二つを提案していた。

自分が何に恐れを抱いているのか、どんなバイアスを持っているのかについての内観は、どれだけ徹底的に考えても足りないくらい重要だ。コロナの時代を乗り切るために、情報リテラシーの中でも最重要スキルのひとつだと思う。

母の日の日曜日、コロラド州の町では知事命令に逆らってオープンしたレストランに、アンチ知事命令の支持者が遠くからたくさん詰めかけ、ソーシャルディスタンスを完全に無視した店内の映像が全国ニュースになった。ここにいた人々も、政府の発表するウイルスの危険性を疑問視しているトランプ支持者が多かったという。

こういったロックダウンに反発する人たちは、ニュースを賑わしてはいるけれど、決してアメリカの主流ではなく、世論調査では共和党支持・民主党支持にかかわらず、圧倒的過半数の国民がソーシャルディスタンスや慎重な政策を支持している、という結果が出ているそうだ。
https://www.washingtonpost.com/opinions/2020/05/11/americans-are-savvier-than-press-thinks/


コロナ禍は、もとからあったものを拡大してわかりやすく見せてくれているように思う。この異常事態が、シニカルになるのでもアンチな高揚感に走るのでもなくて、本当に価値ある情報とはどんなものなのか考える機会になるなら、個人にとって素晴らしい機会になるのかもしれない。

少なくとも自分が何を信じていて何に反応しやすいのか、日々自覚的にならなくては……と、ますますシビアに思わされている。


【Tomozo】
英日翻訳者 シアトル在住
https://livinginnw.blogspot.com/



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編集後記(05/13)

●前々から不愉快だったのは、マスコミの「教えて下さい」症候群だ。最近では致知出版社の人間力メルマガで、ペシャワール会会長の村上優氏に対し編集部が、凶弾に倒れた中村哲医師について話を聞く。いきなりこうだよ。「村上さんと中村医師との出逢いについて教えてください」。教わることじゃないだろう。「お聞かせ下さい」だろうが! 正しい日本語を使え。恥ずかしい。

出版編集のプロがこれなんだから情けないというか、痴呆化したというか。事前に下調べをして、分かった上で質問に入っていると信じたいが、いきなりド素人のセリフ「教えて下さい」では情けない。君には矜持はないのか。いまのマスコミではこんな愚か者が蔓延している。まあ、昔からだけどね。この件、前にも書いていたことに気づいたが、我ながらしつっこい人なので。(柴田)


●大阪で、QRコードを利用した濃厚接触者の追跡ができるシステムの運用がはじまる。ライブハウスでクラスターが発生した時に、参加者を把握できなかったことが活かされている。

メールアドレスを登録するだけで、個人情報などは不要。メールアドレスの管理は府が行う。劇場やイベントで、参加者の中に陽性者が出たら、同じ場所にいた人たちにメールが届き、検査を促される。

このシステムは、希望があれば他府県にも提供するという。兵庫県が取り入れてくれたら、宝塚歌劇が見られる日はそう遠くないのではっ?! 国も別の追跡システムを準備しているらしい。

岩手や鳥取の人たちにとっては、特定警戒13都道府県以外の人にとっては、連日の新型コロナ情報はうっとおしいかもなぁ。車での移動が多く、かかる可能性少なそう。(hammer.mule)

大阪府、感染拡大防止へ独自システム QRコード活用
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58993790S0A510C2AC8000/