[5007] ショート・ストーリーのKUNI/三つのお話

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《またか! また、長押しなのか!》

■ショート・ストーリーのKUNI[258]
 スリー・ストーリーズ
 ヤマシタクニコ
 



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■ショート・ストーリーのKUNI[258]
スリー・ストーリーズ

ヤマシタクニコ
http://bn.dgcr.com/archives/20200514110100.html
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3つの話に関連はありません。たまたま3つ書けただけです。

              1

息をするように嘘をつく男がいるといううわさを聞き、私は研究者としてたいへん興味をそそられた。

私はふだん自宅に閉じこもり、ひたすら嘘の研究に明け暮れる毎日である。世の中のことはほとんど知らない。それで古くからの、たいそう顔の広い友人にその男のことをそれとなく聞き、なんとか本人に会えないものだろうかと聞いてみた。

「どうも君が言ってるのはこの国を代表する立場にある政治家のようだが、どうしても会いたいのかい」

私はもちろんだと言い、友人は困った顔をしたが、それでもなんとか段取りをつけてくれた。なにしろ彼は顔が広いのだ。

私ははじめての遠足に行く小学生のようにわくわくしながら、その政治家のもとに出かけた。会うなり政治家は言った。

「あなたですか、嘘の研究者というのは。そのような方がどうして私に会いたいと思うのでしょうね。なにしろ私ときたら生まれてこのかたろくに嘘をついたことがないんですから。いえ、世間ではどのようにうわさされているのか知りませんが、それはまさに、野党のみなさんの陰謀かもしれませんよ。私は、ただもう愚直なまでにまじめに任務を遂行するだけの、おもしろくもなんともない、冗談もおやじギャグのひとつも言えない人間だと、これだけは申し上げておきたい。ええ、国会をにぎわした私に関する数々の疑惑は残念ながらまったくの見当違いで、あるわけで、ございます。証拠となる書類をただちに捨てたとか、それどころかもともと書面を交わしていなかったとか、役人に口封じをしたとか、言われている、わけですが、真偽のほどは、これはしっかりと確かめる必要がある、そのように思うわけで、あります。また、昨今は、まるで私が国民のことをまったくまじめに考えていない、一部のお友達への利益誘導ばかり優先しているとか、これまた、ひどい誤解がありますが、最近はメディアも正しいことをまったく報道しないんですね、まじめにやればやるほど評価されないという事態がありまして、まさに、まさにですね、一体メディアは誰に向かって報道しているんだと言いたいわけでありまして、これは危機的な状況で」

私は政治の世界にはまったく興味がないので、目の前の男が言っていることの真偽の程も不明である。だが、男の前には男が言葉を発するごとに口からこぼれた嘘が降り積もり、それはあっという間に小山をなした。

これはすばらしい。私は今までにも何人もの嘘つきに会ってきたが、これはまれにみる豊作というべきだろう。私はほとんど興奮状態であった。適当なところで面談を切り上げ、はやる気持ちをおさえつつ、持参してきた袋に嘘の堆積をかき集め、詰め込み、充実感とともに帰宅した。

私は持ち帰った嘘の小山をうっとりと眺めた。それは不思議なもので、なんとなく、子供のころ近所の工場の中にうず高く積もり、さらに裾野が道路にまで這い出てきそうになっていた金属の削りかすの山──今でもときどき夢に出てくる──を思い出したが、かといって、それとそっくりであったわけではない。

男の吐き出したものの堆積は、もっと複雑でさまざまな種類に富んでいた。一瞬だが、美しく見えるものも含まれていた。

私は毎日飽きもせずそれらを眺め、まじめに分類し、分析し、精査を続けた。それから時間をかけて、山のような嘘から不純物を取り除いた。りんごジャムの小瓶に収まる程度の、純粋な「嘘」が取れた。私はそれを窓際の棚に置く。月光を浴びて輝くそれを見て、さらにうっとりする。

翌々日、私は棚の上の嘘の小瓶がなくなっていることに気づく。またか。

私は知っている。息をするように嘘をつける人もいれば、どうがんばってみても嘘をつけなくて思い悩む人もいるのだ。ああ、ここで嘘がつけたらどんなにいいだろう。当人の苦しさは想像を絶するものであるらしく、そういう人は最後の手段として、嘘を体内に取り込もうとする。時に強い副作用が全身におよぶこともあるのを承知の上で。

私はせっかくのコレクションの一部をなくしたことでがっかりするが、もちろんサンプルは別に保存してある。私としてはそれで十分だ。

はたして数か月後、件の友人がやってきて次のような話をしてくれた。野党第一党の党首で知性と教養、そして誠実さの権化のようであった男が、空白期間を経て国会に戻ってきた。

人々は彼のあまりの変貌ぶりにおどろいた。体はぶざまにぶくぶくと太り、顔は無数のできものとその痕跡でただれ、髪はほとんど抜け落ち、別人のようだ。その彼が、地の底から響くような野太い声で演説を始めた。それはのっけから壮大な嘘に基づくものであったが、はなはだしく魅力的なものであったそうだ。

              2

彼が自分の筆跡というものを意識しだしたのは、中学生のころだ。担任の教師のガリ刷りのプリントの文字の見事さにほれこみ、真似をしたくなった。たまたま二人の筆跡には似た要素があったのか、その試みはかなりの満足感を彼にもたらした。彼はきちんとしたマス目いっぱいに並んだ、誰が見てもわかりやすい文字を書く中学生になった。

彼にはまた、その教師がえこひいきや偽善のにおいとは無縁の、信頼できる人柄であることが重要であった。筆跡には人柄が現れる。自分はあの先生と似ているところがあるのかもしれない、と思うとうれしくなった。

やがて彼は少し筆跡を変えてみたくなった。きちんとした端正な文字を微妙に崩してみたくなった。「はね」の部分を心持ち強調したり、縦横比を文字によって変えてみたりした。その試みがある程度完成すると、彼はあたかも自分が先生を超えたような気がした。

「君は字がうまいね」
「うまいだけでなく、味があるね」
ノートに書いた文字をほめられることも多くなった。

高校、大学と進むにつれ、彼の筆跡はさらに進化した。自分の好きな筆跡に出会うと、それを取り入れる努力を惜しまなかった。

入部したクラブには、いかにも男っぽい、豪胆なタイプの先輩がいた。その筆跡もまた、それにふさわしいダイナミックなものであった。彼はその先輩に惚れ込み、先輩の筆跡を真似た。彼の筆跡は端正な様相に力強さを加わったものになった。たぶん、彼自身も少しは変わった。

社会人になっても、彼の「自分の字」を求める旅は続いた。勤め先の同僚で、ひどいくせのある字を書く男がいた。うまいとはお世辞にも言えない、はっきりいって悪筆。だが、本人も意識しているのかどうかわからない、すでに完成された個性がある。

本人も誰はばからぬ物言いをする、敵の多い人間であったが、なぜか惹かれた。彼は自分の筆跡にくせがなさすぎることにうんざりした。なんだこの字は。今まで書いた文字すべてを破り捨てたい気がした。

彼は自分の筆跡を破壊すべく、夜な夜なノートにペンを走らせ、無理やりくせのある字を作り出した。これだと思う字体が完成したころ、同僚は以前からそりのあわなかった上司とはげしく衝突し、あげく突然職場を辞めた。

彼は自分の書いた文字を見つめ、そこに個性的で魅力的で、どこかあやういものを含んでいた同僚を思わせるものがほんの少しでもあるだろうか、あってほしいと思ったが、自分ではわからなかった。

いつごろからだろう。人はあまり文字を書かなくなった。たまに書いても自分の名前や住所を必要書類に書くくらいだ。年賀状も暑中見舞いも手書きしなくなった。それどころか、そんなもの無意味だと誰もが言うようになり、彼も書かなくなった。あんなに字を書くことが好きだったのに。そしてもちろん、キーボードをいくらたたいても、それは彼の筆跡ではない。

年月が過ぎ、彼はいつの間にか高齢者と呼ばれる年齢になったことに気づく。あるとき、チャイムが鳴り、彼はドアを開ける。小さな男の子が立っている。小学校低学年くらいか。

「お誕生日おめでとうございます」

男の子はそう言って手紙を差し出す。彼はよくわからないまま受け取る。開いてみると濃い鉛筆で「おじいさん、おたんじょうびおめでとうございます。これからもながいきしてください」と書かれている。近くの小学校で子どもたちが当番で、年寄りひとりひとりに手紙を出そうという企画をやっているようだ。

男の子が帰ったあと、彼はしばらく手紙の文字を見つめる。それから、引き出しからメモ帳とボールペンを取り出し、返事を書こうとする。男の子に。

「手紙をありがとう」

それだけ書いたところで、彼は自分の書いた文字を見つめ、がくぜんとする。これは誰だ。誰の字だ。そこにあったのは中学生の時のマス目にきちんと並んだ文字でもなく、苦労して大胆に見せてみた頃の文字でもなく、個性的な先輩にあこがれてわざとくせをつけてみた文字でもなく、ただの老人の筆跡だった。

しいて言えば、彼の亡くなった父親の字に似ていた。いや、父親の字よりもっとひどかった。何より長い間文字を書く機会がなく、よく見れば「紙」という字さえ間違っていた。糸偏はこうだったろうか。いや、紙という字はそもそも糸偏だっただろうか。わからなくなってきた。

考えようとしても、頭の中がもやがかかったようでいらいらする。汗が出てきた。わーっと大声で叫びたくなった。耐えられなくなって彼は紙を引きちぎり、震える指でそれをつまんで窓から投げ捨てた。折からの風に乗って、紙は勢いよく飛んで行った。

自分はこれまで何をしてきたのだ。彼は顔を覆い、うめいた。

夜更け、チャイムが鳴り、彼がドアを開けると隣の部屋に住むばあさんが立っていた。

「これ、あんたのでしょ」

ばあさんが突き出した手の中には、彼が男の子のために返事を書きかけた紙があった。

「違うといってもだめよ。この字はどうみてもあんたが書きそうな字だもん。といっても、あんたの字を見たのは初めてだけどね」

彼は目を見開き、呆然とした。

「窓からものを捨てるんじゃないよ」

ばあさんはそう言って帰っていった。

              3

あるとき友人とLINEをしていたら、いくつもの話題が錯綜してしまい、どれがどれのレスなのかこんがらかってきた。

まあ別にいいといえばいいのだ。親しい者同士の会話なんか、現実でもそんな感じで、混乱・省略・飛躍と誤解はつきもの、むしろそこがおもしろかったりするではないか。

LINEを単なるうちうちの、馬鹿話の道具としてしか認識していなかった私は、そういうわけでこれまであまり頓着してこなかったのだが、友人はけっこう几帳面な性格で、そうは思わなかったようだ。翌日、彼は錯綜する会話の中から特定のトピックを選び、それに対するレスをつけ、つまりは会話をどんどん整理し始めた。

「え、何それ。そんなことできるんだ」
「ふふふ」
「どうやるの?」
「コメントを選択して長押しするんだ。すると、メニューが出る」
「あ、ほんとだ! メニューがいっぱい出る!」

そういえば、以前、LINEで送られてきた画像を保存する必要があったとき、たまたま画像を触っていたらメニューが出てきて、保存できたような。いや、さらにそういえば、iPhoneからメールで何かを添付するときも、やり方がわからずいらいらしてるうち、本文のエリアを触ってたらたまたまメニューが出てきたような、気がする。

だが、そんな経験をしていながら、なにせふだんはほとんどパソコンで済ませているし、それで不自由ないので、LINEの使い方をまともに覚えようという気が起こらない。いや、できたら覚えたくない気分がある。

「われわれ世代のネックはここだな」
「長押しという文化はわれわれにはないからなあ」
「これはやばいかもしれない」
などという会話を交わしたのが少し前。

それからいろいろあって、私が入院するということになった。

入院したことのある人はみんな知っていると思うが、たいていの場合、病室にはベッドと、ちょっとした物入れ、そしてそこにテレビがセットされている。テレビは1枚1000円程度で販売されているプリペイドカードで利用する。いや、もちろん病院によるだろうけど、私が入院したところはそうだった。

物入れの下のほうは小さな冷蔵庫になっており、テレビと同じプリペイドカードで作動するようだが、普通にカードを挿入しただけだと、テレビはすぐに見られ、残度数が表示されるが、「冷蔵庫」と表示された10円硬貨大の丸いボタンの横は「OFF」になっている。どうやって使うのだ。

まあいいのである。さしあたって、特に冷やしたいものもないし。忘れよう、冷蔵庫のことは。

と思ってたら、やっぱり冷蔵庫を使いたいという気分になる日はやってきたのである。思いのほか早く。おいしそうな苺の差し入れがあったのだ。冷やしたらおいしそうだ。

そこで私は改めて冷蔵庫本体をじろじろ眺めて、秘密のスイッチがないことを確認し、カードの差込口にもなんらあやしいところがないことを確認し、念のため病院でもらった「入院の手引き」にも記載がないことを確認し、さてと腕組みして考えたがわからない。

カードの差込口のそばには黒いボタンがあり、それを押すとカードが出てくる。「冷蔵庫」のボタンを押しても何も起こらない。

あきらめて、看護師さんがやってきた時に「あのう、冷蔵庫はどうやったら使えるんですか」と聞くと、「あ、そのボタンを長押しするんです」

言いながら、看護師さんはてきぱきとやってみせた。長押しといっても、この場合、かなりギューっと長く押さないとだめなようだが、するとたちまち冷蔵庫のほうにも残度数が表示されるようになった! またか! また、長押しなのか!

私は事態が思った以上に深刻であることを知り、愕然とする。われわれがぼんやりしている間に、世界は長押し文化によって支配されてしまっていたのだ。世間の人間たちはこの冷蔵庫に、ある日突然出会っても何も困らないのだ。わからないときは、長押ししてみるのが当たり前になっているのだ。って、いったいいつからそうなったのだ。私の知らないうちに。

思えば「長押し」という言葉をはじめて耳にしたときは、その間の抜けた響きに「なんだそれ」と思ったものだ。それがどうだ。とんだ下克上にあった気分ではないか。私はすっかり取り残されてしまったのだ。

私は長押しのことばかり考えるようになった。そして、ふと気づいたのである。かつてデジクリでは「ながおしかつゆき」という書き手が活躍していたことを。

ながおしかつゆきは誰もがうらやむ才能豊かな書き手であったが、ある時期からまったく作品を発表しなくなった。何が彼に起こったのだろうと私も常々思っていたのだが、ひょっとしたら「ながおしかつゆき」が書かなくなったようにみえるのも長押しのせいなのではあるまいか。

つまり、「ながおしかつゆき」は、実際には今も旺盛に執筆活動を続け、作品を発表し続けているのではないか。長押し文化に疎い私が知らないだけではないのか。なんたることだ。

そう思うと私は矢も盾もたまらず、ある日病院を無断で抜け出し、十何年も前にもらった古い名刺に書かれた住所をたよりに「ながおしかつゆき」の住むマンションに赴き、当該居室の前に立つに至った。

チャイムを鳴らすと、果たして「ながおしかつゆき」が疑り深そうな眼差しで顔を出し、次いで私を見てぎくりとした顔になった。私はよれよれの病院のお仕着せのパジャマのままだから無理もない。別にいい。

私はそんなことにはかまわず、「ながおしかつゆき」の額のあたりを注意深く観察することで必死だった。あるはずなのだ。「ながおしかつゆき」の長押しボタンが。それを長押しすると、世間の人は知っているのに私だけが未読の、膨大な量のコラムが読めるに違いない。

「ねえ、どこにあるの? 長押しボタン。ここ? それともここ?」

私はじれったくなって「ながおしかつゆき」の額やら鼻のてっぺんやらをぎゅうぎゅうと押しまくってみたが、ながおし氏は迷惑そうに眉をひそめるばかりであった。


【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
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(これも私のいた病院に限った話ではあるが)病院の食事は栄養的にはよく考えられたものなのだろうが、やはり、ぬるい……どころかすっかり冷めている、味付けが薄い、などで私的にはなんとも、どうも、であり、完食できたことがなかった。

メインの料理が蓋つきの丼で出てくることが時々あり、開けてみたら親子丼だったり他人丼だったり、はたまたきつねうどんであったりハヤシライス(洋風の食器がないのね)であったりするのだが、ある日はカレーライスだった。

この時はあちこちで「カレーや」「カレーやわ」「お、カレー!」と、声が上がった。他のメニューだとみんな黙々と食べるだけなのだが。カレーは闘病中の人たちにとっても人気のようだ。


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編集後記(05/14)

●偏屈BOOK案内:嵐山光三郎「文人悪食」/泉鏡花

「泉鏡花は食べることが恐ろしく、食べ物への強迫観念から逃れられない性格だった」と冒頭にある。難儀なお方である。食物嫌悪症を示す逸話に、豆腐の腐の字を嫌い豆府と書いた。それでも豆腐(確かにいやな字面だ)を好んだのは、ひとえに貧乏性だったからだ。豆府をぐらぐら煮て食べた。煮沸滅菌か。

肴の刺身は食べられない。柳かれいと塩鮭の焼いたもの、鯛のうしお汁くらいしか食べない。肉は鶏以外は食べない。ほうじ茶をぐらぐら煮て塩を入れて飲んだ。毎晩二合ほど超熱燗の酒を飲んだ。大根おろしは煮て食べた。どんなものでも沸騰点以上まで煮なければ口にしない。真夏もぐらぐら鳥鍋に煮え燗。バイ菌恐怖症で旅行に行けず、外出時は煮立てた酒を魔法瓶に入れて携行した。

鏡花の食事に対する病的行状は、その頃の精神科医によると「食物異常嫌悪」という脅迫概念で、当時流行した赤痢、コレラの疾病恐怖が深く関連している。見た目が悪いものはことごとく嫌い、「シャコ、タコ、エビなどというのはいったい虫ですか、魚ですか」と悪態をつき、「チョコレートは蛇の味がするから嫌だ」とまで。「蠅を憎む記」では、蠅がバイ菌を運ぶのをひどく恐れた。

19歳で尾崎紅葉に入門を許される。「門下生にならなければ、学歴も教養もなく、自立しえない鏡花は発狂したか、自殺したか、どちらかであろう。鏡花の作品は、狂気と日常のぎりぎりの接点で、蒼い炎をあげるのである」「私生活の異常潔癖症が、反転して文芸に結実する。鏡花の作品は化け物が多く登場し、怪異と耽美性にみちている」。なぜ鏡花は化け物や幽霊の話を書くのか。

じつは化け物を恐れるためである。鏡花は幽霊の実在を信じて疑わなかった。「観音力を信じ、机の横には観音像が置かれていた。観音が化け物や悪霊を封じるためである。また、文字には文字霊があると信じ、原稿で訂正した文字は、墨で黒々とつぶした。消した文字霊を抹殺するためであった」

紅葉門下に入った当時の鏡花は、紅葉の口述筆記を担当するが、文字が分からず立ち往生した。「鏡花の漢字にルビをふる独得の文体は、川端康成の「文章読本」によって華麗な美文とほめられ、「文章の彫琢」として鏡花ファンを魅了するが、あの「舞文の妙」は「文字を知らなかった」ことの反動として生まれた」。鏡花の総ルビ文体は、声を出して読むとじつに効果的であるという。

例としてあげられた「蛇くひ」という作品、いやはやものすごい内容で、声に出して読んで後悔した。食事恐怖症のはずの鏡花がよくも描いたものだ。「鏡花は、自らの作品を食い、唯一それのみが鏡花の嗜好であった」と嵐山は書く。自殺願望の鏡花は、小説の主人公を殺すことで自分の自殺を予防してきた。

「妖怪を描くが妖怪を恐れ、紅葉を熱愛するがそれ以上に憎み、女が好きだがすず夫人に抑えられ、時流からはずれるのを恐れるが偏屈で、自殺願望があるが死を恐れる。この矛盾したジレンマは、矛盾の幅が極端であるだけ自我分裂をおこす」。代表作「婦系図」は師紅葉への怨みを、作品として昇華させたものである。告白するが泉鏡花の作品集、持っているが読んでいない。(柴田)

偏屈BOOK案内:嵐山光三郎「文人悪食」泉鏡花 ホオズキ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4838706200/dgcrcom-22/


●長押しでのリプライ、知らなかった! いつから?!/病室だし、偶然当たって、誤動作しないようになのかな。ボタンひとつしかないのに、長押しがデフォルトってどうなのよ。/ながおしさん……。

/先日書いたステーキ弁当のソースがとても美味しい。選んだのは「ニンニク醤油」。わさびソースもあったが食べたことはない。お肉の量に比べ、ソースの量が多かったので、残しておいた。

数日後、スーパーで赤身ステーキ肉を買い、そのソースで食べた。美味しい。あのソースだけ売ってくれないかな……。野菜炒めにも使いたいわ。(hammer.mule)

14種類もあるらしい。テイクアウトで選べたのは3種類だったわ
https://manetatsu.com/2020/01/229343/