日々の泡[033]大人の不倫物語に憧れた?【逢う時はいつも他人/エヴァン・ハンター】/十河 進

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手元に音楽之友社が発行した「ビルボード・ナンバー1・ヒット」という上下本がある。買ったのは、もう30年ほども前のこと。アメリカのビルボード誌の1955年から1985年までのヒットチャートが掲載されている。

その一番最初に載っているのが、ビル・ヘイリーとコメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」である。1955年7月9日の週にビルボード1位になり、8週間ナンバー1を維持した。

ポピュラー音楽史では、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」をロックン・ロールのエポック・メイキングな曲としているが、解説によると「初のロックン・ロール曲は1951年にメンフィスでジャッキー・プレストンがレコーディングした『ロケット88』であるというのが定説」だという。

同じ年、ビル・ヘイリーも「ロケット88」をレコーディングし、白人アーチストとして初めてロックン・ロールのレコードを発表する。後年、ビル・ヘイリーは「ロックン・ロールの父」として語り継がれることになった。





「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は、僕が中学生くらいのときにはロックン・ロールを広めた名曲として、よくラジオでかかったものだが、このレコードの発売は1954年4月のことであり、それから1年以上経ってビルボード1位になった。

注目された理由は「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が「暴力教室」(1955年)という映画のオープニングに使用されたからだった。グレン・フォードが教師を演じ、後に「コンバット」のサンダース軍曹で人気が出るヴィク・モローが不良生徒のボスを演じた。

「暴力教室」は荒れたハイスクールを描いてセンセーションを呼び、全米でヒットしたのだった。黒人生徒役で出演したシドニー・ポワチエは後に大物俳優になり、後にテレビシリーズ「ハニーにおまかせ」に主演するアン・フランシスも出演していた。映画がヒットし、曲もヒットしたのである。

「暴力教室」の原作者は、エヴァン・ハンターという作家だった。「暴力教室」で注目されたエヴァン・ハンターは、別のペンネームで警察小説のシリーズを書き始め、そちらも大ヒットする。後に黒澤明や市川崑が映画化するのだが、それはまた別の話。今回は、エヴァン・ハンターの話をしたいと思う。

僕がエヴァン・ハンターという名前を知ったのは、「暴力教室」の原作者としてだった。ただし、当時、映画の評判は聞いていたが、簡単に見ることはできなかった。そして、エヴァン・ハンター原作のもう一作、「逢う時はいつも他人」というタイトルが僕の頭に刻み込まれた。

「逢う時はいつも他人」の原題は「Strangers When We Meet」だから、ほぼ直訳である。僕は英語を習い始めた中学生の頃、ちょうどフランク・シナトラが歌う「Stranger in the night」がヒットしていて、ラジオの司会者が「夜の見知らぬ人」と気取って訳したのを信じた。

その頃、英語の授業で「Stranger」の意味を教師が「誰かわかりますか」と問いかけたことがある。僕は得意になって手を挙げ、教師に指名されると、「見知らぬ人、という意味です」と答え、教師に「他人」という意味だと直されたことがある。

そのときのシーンが、未だに僕の記憶に鮮明なのだけれど、どうして「逢う時はいつも他人」というタイトルが僕の脳裏に刷り込まれたのかは不明である。もしかしたら、「Stranger」という単語が入っているから、だったのかもしれない。

物語は、カーク・ダグラス演じる建築家が、近所に住むキム・ノヴァク演じる倦怠感に充ちた人妻と恋に堕ちるという不倫ものである。子供をスクールバス乗り場に送りにいったのが知り合うきっかけだったと記憶している。ゴミ捨て場にいって知り合うよりはロマンチックだと思う。

しかし、なぜ、大人の不倫物語に中学生の僕が惹かれたのだろうか。何が僕の琴線に触れたのだろうか。キム・ノヴァクはアルフレッド・ヒッチコックの「めまい」(1958年)を見たときに「きれいな人だな」と思ったが、スレンダーな女性が好きな僕の好みではなかったし、顎の割れたカーク・ダグラスも好きではなかった。

なのに、どうしてと考えると、やはり「逢う時はいつも他人」というフレーズに反応したのだと思う。この映画を見てから原作を入手するまで、けっこう時間がかかった(僕は大学生になっていた)けれど、原作(角川文庫で上下二巻だった)を見つけたときにはすぐに買ったものだ。

しかし、大学生でこの物語を読んでも本当には理解できていなかったと思う。古きよきアメリカの裕福な白人たちが暮らす郊外の住宅街である。建築家というエリートである主人公は、妻や子供を愛していながら近所の人妻に恋をする。ダメだ、ダメだと思いながら惹かれていく。

50年代のモラルが支配するアメリカ。白人エリートたちは保守的であり、離婚率も高くはなかった。簡単に家庭を棄てるわけにはいかない。結局、ふたりは別れ、それぞれの家庭に帰っていく。分別のある大人の行いだ。しかし、気持ちはそう簡単に割り切れない。

そういうのは、やはり結婚し子供ができた後、誰かを好きになるという経験をしないとわからないだろうなあ。やはり、映画を見るのも、原作を読むのも早すぎた気がする。それなりの人生の経験をしてから読むと、身につまされたことだろう。

それにしても、「逢う時はいつも他人」というフレーズには、今でも心騒ぐものを感じる。理由はよくわからないのだけれど----


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