ゆずみそ単語帳[31]全米が震撼する集合トラウマ
── TOMOZO ──

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●「息ができない」

長引く災難の中では、もとからあった問題がさまざまに激しい形をとってあらわれる。アメリカではコロナ禍が、政治劇場のわけのわからない糸に完全にもつれて絡まりあっている。

マスクをするかしないか、事業所や教会をいつ再開させるかについての考え方が政治的立場を表すという、たいへん奇妙なことになっている。

そのなかで、全米で激しいデモが発生した。発端は5月25日月曜日。ミネソタ州ミネアポリスで、黒人男性ジョージ・フロイドが白人警官に取り押さえられ、現場で意識をうしなって亡くなった。

目撃者がスマートフォンで撮影したその光景がFacebookで共有されると、すぐに全米に広がり、全国メディアに紹介されて、激烈な怒りを巻き起こした。





「全米が泣いた」というのは映画配給会社お約束のデマであるが、この映像はガチで全米を震撼させ、文字通り全米の集合トラウマになった。

目撃者が撮影した、オリジナルと思われる10分の動画はこちら。


事件の翌日、26日に投稿されている。「一部の視聴者には適切でない、不快な映像です」という警告が出るが、本当に衝撃的な映像だ。

被害者のフロイドは、何度も「息ができない」と助けを求めているが、取り押さえている体格のいい白人警官は、フロイドの首の上に膝を乗せ、体重をかけたまま。

「息ができない。水かなにか…」とうめいていたフロイドはやがて動かなくなり、目撃者たちが「おい、そのブラザーはもう動いてないじゃないかよ! 息してるのか!」「脈をとってみなさいよ!」と口々に叫ぶなか、救急車が到着するまで、この警官は動かないフロイドの首の上に膝を乗せたままの姿勢で、目撃者たちを睨んでいた。

現場にはほかにも警官(相棒はアジア系の警官)がいたが、誰一人としてフロイドの容態を心配する様子はない。

地面に顔を押さえつけられ、白人警官の体重を喉にかけられて「息ができない」と言いながら死んでいく黒人男性の映像は、あまりにも衝撃的で、あまりにも見慣れた光景だった。

警察にしょっぴかれる人の割合は、白人よりもマイノリティのほうが圧倒的に高い。刑務所に入れられる人の数も、マイノリティが圧倒的に多い。奴隷制廃止から155年たった今でも、負の遺産のつみかさねと各種政府の積極的な方針によって、そういう環境ができあがってしまっている。

何重にも不公平な制度がガチガチにかたまっているうえに、マイノリティ、特に黒人男性に対して警察が過剰な暴力をふるって死なせる事件は、この国ではぜんぜん珍しくなく、そのレスポンスとしてここ数年#blacklivesmatterの運動がひろがってきたわけだけど、「息ができない」と言いながら死んでいくフロイドの映像は、その不公正がまだ変わっていないことをあまりにも典型的に、あまりにもくっきりとわかりやすく全米にプレゼンしてしまった。

つい2週間ほど前、ジョージア州で25歳の黒人男性アフマド・アーヴェリーが、住宅街をジョギング中に射殺された場面のビデオがネットに浮上した。

アーヴェリーの遺族の弁護士がTwitterに投稿したこのビデオによって、ようやく事件から3か月近く経ってから犯人(白人の元警官とその30代の息子)が逮捕された。この白人親子は、近所の家で盗みを働いた窃盗犯をとりおさえようとした正当防衛だと主張して、不起訴になっていた。

Tシャツ姿でジョギングしていた黒人の若い青年が、トラックで追い回されて殺される姿は、米国南部でかつて当然のように行われていたリンチ殺人の悪夢のような記憶をよみがえらせた。

それからすぐの、このジョージ・フロイドの事件だった。

「I can't breathe (息ができない)」はすぐにデモのスローガンになった。

警官に組みしかれたフロイドの最後の言葉が、多くの人たち、特にマイノリティの若者たちがひしひしと感じていた不公正の、リアルな象徴になったのだ。自分たちも「息ができない」社会に生きているのだという、若者たちの怒りは激しい。

ミネアポリスでは大きなデモが組織され、週末を前に全米30都市以上に広がった。大半は平和的なデモだったが、一部で暴動に発展して、ミネアポリスでは警察署をはじめ店舗が放火された。

フロイドが亡くなった現場にいた警官4名は、事件の翌日に免職処分になり、金曜にはフロイドの首に膝を乗せて死なせた警官が第3級殺人罪で起訴された。この手の警官による殺人事件の処分としては異例の早さだが、それでもまだデモはおさまる気配がない。

ケンタッキー州などでは暴動のなかで死者も出て、30日土曜日現在、6つの州で州兵が出動し、ミネアポリス、ケンタッキー州ルイビル、オハイオ州コロンバス、オレゴン州ポートランドなどでも夜間外出禁止令が出されている。

……といっている間に、私の住んでいるシアトルでも土曜の午後5時、外出禁止令が出た。ダウンタウン中心部でのデモが過激化したためだ。

シアトル・タイムズの動画では、店のウインドウが割られて略奪されていたり、路駐の車が燃やされていたり、警察の催涙ガスで参加者が目をやられている様子が報道されている。ただしシアトルの場合、「アナーキスト」たちが騒ぎに便乗している割合が多いようだ。
https://www.seattletimes.com/video/6160582848001/scenes-from-protests-in-downtown-seattle/


●対立をあおるトランプの暴力賛美とキング牧師の言葉

この動きに対して、大統領は相変わらず憎悪をあおる発言をつづけている。ミネアポリスのデモの一部が暴動になったことについて、トランプが出したツイートが、Twitter社から「暴力の賛美についてのTwitterルールに違反しています」として非表示にされてしまったことは、日本でもすでに大きく報道されているとおり。

….These THUGS are dishonoring the memory of George Floyd, and I won't
let that happen. Just spoke to Governor Tim Walz and told him that the
Military is with him all the way. Any difficulty and we will assume
control but, when the looting starts, the shooting starts. Thank you!



《このゴロツキどもはジョージ・フロイドの思い出を汚そうとしている。そんなことはさせないぜ。今さっき(ミネソタ州)知事と話して、軍をいつでも送るといったばかりだ。困難があれば俺らが指揮をとるが、略奪がはじまったら、撃ち始めるぜ。よろしくな!(拙訳)》

このツイートのどこが特に暴力賛美にあたるかというと「when the looting starts, the shooting starts.」というのが、公民権運動のさなかに白人の警察署長が言った「威嚇」の言葉そのものだからだ。

「略奪が始まったら(警察または軍隊が群集に)発砲を始める」というこの脅し文句は、フロリダ州のマイアミ警察署長が1967年に言った言葉。

一切の共感を拒否して、「正義は我にあり」とするガンコな態度を示している。この態度が、フロリダでその後の人種間の緊張、黒人コミュニティと警察の間の緊張を高めることにつながったともいわれている。

トランプのツイートは、そのような南部の差別温存主義者の肌感覚の直系の子孫というわけなのだ。本人はあとから、べつに引用したわけではなくて事実を述べただけだ、と言っているが、いかにもトランプ支持者の喜ぶ言辞だから、限りなく確信犯臭い。

いずれにしても、真剣に爆発的に怒っている市民の心情にはまったく配慮と一切の共感を欠き、彼らに語りかける気も理解する姿勢もまったくみせようとしない、支持者のほうだけを向いた発言である。

非暴力主義で公民権運動を率いたマーティン・ルーサー・キング牧師は、1967年のスタンフォード大学での講演で、その年の夏に全米各地で頻発していた暴動についてこう語っている。

…riots are socially destructive and self-defeating. … But in the
final analysis, a riot is the language of the unheard.

and so in a real sense our nation’s summers of riots are caused by
our nation’s winters of delay. And as long as America postpones
justice, we stand in the position of having these recurrences of
violence and riots over and over again.

《暴動は社会にとって破壊的であり、自滅的なものである。しかし、突き詰めてみれば、暴動とは、それまで誰も耳を傾けなかった言語なのだ。…

この国で暴動が多発する夏は、この国がいままで問題を先送りにしてきた冬によって引き起こされている。アメリカが正義を先延ばしにしているかぎり、こうした暴力と暴動は、これからもまた何度でも起こるだろう。》(拙訳)

全文はこちら
https://www.crmvet.org/docs/otheram.htm


この引用が、今週、インスタグラムやTwitterで何度も流れてきた。

もちろん、暴動と略奪がオーケーだとか、許されるべきだとかいうのではない。怒りを理解しようとすることなしに「撃つぞ」と脅すだけでは、問題はひとつも解決しないということだ。アメリカのリーダーたちはさんざん「暴動の夏」を経験してきているはずなのだが。

共感力を持って人をまとめ、怒りを生産的な力に、建設的な話し合いと法の整備、制度の改革に変えていけるようなリーダーがいればいいのだけれど、残念ながら現在そんな気配はかけらもない。

●ビジュアルの力

この事件では、映像の持つ圧倒的な力をあらためて思い知らされた。

スマートフォンの普及で、これまでなら闇に葬られてしまっただろう、こういう警察による暴力シーンが全世界にさらされることになったけれど、反面、何度も繰り返し映像を見ることで、社会のトラウマも深くなる。

映像は本当に強力だ。いやおうなしにイメージを刻みつけて、テーマを定義し、一気に感情をかきたてる力を持っている。

1960年代の公民権運動を成功に導いたのも、映像の力が大きかったといわれている。

60年代、アラバマ州で警官隊が無抵抗のデモ参加者に催涙弾や警棒を振るう様子が全米のリビングのテレビに映し出され、丸腰の若者に警察犬がけしかけられる写真が新聞の一面を飾った。その映像が、公民権のために活動している人々の激しい痛みをストレートに伝える役目を果たし、それまで関心を持たずに過ごしていた層も動かしたし、国外の世論も注目させることになった。

冷戦の真っ最中だった米国は、民主主義の優等生であるはずなのに自分の国で国民の一部に基本的人権が保証してないじゃないかよ、という東側からのつっこみをかわすためにも、公民権運動を成功裏に収束させる必要があった。

そして半世紀後、トランプは、香港の人権うんぬんゆうけどお宅はどうなの、ミネアポリスは? ん ?と、中国指導者に問われている。

民主党の元副大統領で大統領候補のジョー・バイデンは、ジョージ・フロイド事件についての29日のビデオメッセージで

〈The original sin of this country still stains our nation today.
(この国の原罪は、今でも私たちの国家にシミを残している)〉

と、聖書の用語「原罪」を持ち出して語った。原罪とは、もちろん奴隷制と、それ以来続いている構造的な差別のことだ。

南北戦争後、奴隷制が廃止されたあとも、黒人社会は社会・経済的な平等を獲得するのがきわめて難しい状況に置かれ続けてきた。黒人社会には、何世代にもわたる怒りと恐怖が蓄積されている。白人社会にも、その怒りを何世代にもわたって感じてきた恐れが蓄積している。

アメリカの歴史は、まんま、人種間の緊張の歴史でもある。自由と平等という建国の理想を、絵にかいたモチではなくて実現させよう、矛盾を解消しようという血みどろのたたかいの連続だったし、人類の最善の部分と最悪の部分がかわるがわる登場した忙しい歴史だった。ジャズもロックもヒップホップも、その緊張から生まれてきた。

20世紀後半から21世紀前半、マイノリティがメジャーな舞台で今までの時代には考えられなかったような活躍をするようになってきた、その矢先のコロナ禍で、いままで危なっかしいバランスの上に立っていたものがいったん壊れてしまうような景色が出現している。

「息ができない」痛みを自分のものとして感じる層と、そうではない層の間に恐ろしいほどの感情的な分断がある。これをアメリカはどうやって乗り越えていくんだろうか。

Tomozo
英日翻訳者 シアトル在住
https://livinginnw.blogspot.com/