[5023] やっぱりボクの価値観は常識とは明後日の方向

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《挿絵画家が本から目を逸らしてどうする?》

■はぐれDEATH[100]
 やっぱりボクの価値観は常識とは明後日の方向
 藤原ヨウコウ




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■はぐれDEATH[100]
やっぱりボクの価値観は常識とは明後日の方向

藤原ヨウコウ
http://bn.dgcr.com/archives/20200605110100.html
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●自衛のためのマスク……

5月が終わるのを待たずして、緊急事態制限を解除したようだが、個人的には何の感慨もないし、ホッとしたわけでもない。関係ないから。

それでもさすがにマスクは、4月頭からマジメにつき合いました。面倒だけど、迷惑を掛けるのがイヤだから。と言っても、ボクが行くのは決まったスーパーとお医者さんだけである。

他は部屋にいるか完全開放空間にいるので、気をつけようもないのだ。もちろん、風邪もひいていないのにお外でマスクをする、などという間抜けなことをボクがするわけもない。

間抜けと断じるのは、ボクの考え方が古色蒼然としている上に、正しいかどうか分からない、歪な公衆衛生道徳のせいである。

そもそもマスクなどは、風邪さえひいていなければ無用の長物のはずである。我々には立派な鼻という呼吸器官があり、ここには侵入する異物を排除するための様々な機能が満載されている。ちなみに、口はほぼダメです。黴菌なんかスルーしよる。

だからボクは鼻呼吸を奨励するのですが、どうも口呼吸と鼻呼吸がごちゃごちゃになっている人が多いようだ。年齢は関係ない。

恐らく、躾とか家庭環境の差なのだろう。我が家などは「口を開けてたら馬鹿に見える」と、酷いことを言われて直されたのだ。ちなみに、おねえちゃんにこの手は使っていません。「口を閉じてキリっとしとき」である。この際、モデルにしばしば、ももち(くどいが編集部注:猫)が使われる(笑)

それでも「どうしてもマスクが必要だ」と思うシーンは確実にある。冬場の満員電車である。とにかく危ない。特にインフルエンザが流行している時は、マスクをしていないと、うかうかと電車にも乗れやしない。

それでも自衛のためですよね。とにかくうつされたくない。が、今回は自衛のためというよりも、ほとんど今の社会的な圧力を受けてといった方がより近い。ヒステリックにもほどがあるのでうんざりしているのですが、マスクをつけていないで、そのような精神状態の人に絡まれるのは、もっと怖い。やっぱり自衛ですな。

とにかく呼吸に関しては、今回の新型コロナでビックリするほどのことはなく、進化の過程で我々は様々な防御機能も身につけているのである。折角なのだから、それを活用するに限る。もっとも、自然な状態なら活用も何もないはずなのですが。このへんはある種の歪みとして処理する。

●内臓に来ないで脳に来た

伏見から松ヶ崎に引っ越して、当然のコトながら主治医も変わった。神経の専門医でアタリかどうかは、それぞれの患者さんの主観に委ねられるのだが、とにかくアタリに出会うまでが大変なのだ。ボクが主治医を20年近く代えなかったのはコレが理由。一度イイお医者さんに会ったら、普通は変えないものです。

「神経」がなぜそれほど大変かというと、病状を数値化したり、物理的に検証したりすることができないから。レントゲンやMRI、CTもなければ、血液検査すら通用しませんからね。聴診器や脈拍ですら怪しい。

患者さんの主観(往々にして冷静さを欠いていたり、適切じゃなかったりする)を聞いてからの診療(というか、ほとんど投薬)になるので、お医者さんも患者さんも完全に手探り状態になるからだ。

そもそも患者さんによる個人差が大きい上に、統計的なデータはイマイチ役に立たない(傾向すら怪しい)ので、これはどうしようもないだろう。他に差が出るとすれば、新薬の情報量だろうか? まぁ、しれたもんだ。

これならまだ新型コロナの方がマシである。今はまだウイルスの全貌も見えておらず、治療法が確立されていないにしろ、将来的にはまだ確実に希望が持てる疾患だからだ。ウイルス由来なら何とかなるもんだ。

なにしろ神経は「なんか気分がおかしい」で始まる治療なのだ。この「なんか」だって、データ化するのは不可能に近い。主観満載だからね。

時々、一緒に生活を共にする人が付き添いできていることもあるが、その人の意見も相当怪しい。

専門医を訪ねる時点で、それなりに病状が進行しているケースが大半だが、生活を共にしているだけで、知らず知らずのうちに付添人までおかしくなっていることはある。

感染するわけではありませんが、生活環境そのものが重苦しいものになっていて、新たなストレス原因を生み出している、と考えた方が自然だろう。ケースによっては、「付き添いの人の方が治療必要なんとちゃうか?」ということすら、しばしばあったりするので恐ろしい。

症状をデータ化できないもどかしさは、もちろんお医者さん側にもあると思うが、こっちだってこれで頭を痛めているのだ。説明のしようがないじゃないですか。

だから、あくまでも臨床という対面治療が他の疾患よりも困難にもなれば、それしか有効手段がないという事態に陥る。まず、このテーブルに着かざるを得ないのだ。

で、「恐らく間違いないでしょう」という、比較的平均的な前提でお薬は開発・臨床・製造・投薬されているわけで、症状が改善されなければお薬そのものもどんどん変わる。投与されているこっちは、治療のためなのか、臨床のためなのか、よく分からない状態にだって陥る。

臨床と投薬だけに頼らざるを得ない治療の場合、ケースによってはお互いが疑心暗鬼になって、診療そのものが中断してしまうこともある。

治療のやり方そのものが、担当している臨床医さんに委ねられるのは明白である。さらにセカンド・オピニオンもそれほど効果が高いわけではない。教わっている事は大差ないはずなので(そうあって欲しい)、極端な意見の違いが出づらいのだろう。

臨床経験が豊富で、有効性の高いデータを潤沢に持っている先生は別ですが、この有効性もしばしば「勘」になってしまうのだ。

患者さんにとっては、治らない行き場の持っていき場所がないわけだ。これはこれで結構なストレスなのです。実際、お医者さん巡りの旅を延々し続ける方も少ないようだ。ボクは面倒なので付き合ってますが。もっと切羽詰まった方がおられるのは想像に難くない。

これに比べれば、ウイルス由来の弱点は特定されてしまうと、向こうは手足が出なくなる、という希望的観測がまだもてる。いつになるかは誰にも分からないでしょうが、可能性は遥かに高い。気楽なもんである。

で、ボクは神経に関してはこうしたややこしい事情を飲んだ上でつき合っているのだが、これだけでは済まない事情が年始に判明した。脳の物理的なダメージである。

こっちはMRIなり、血液検査なりで、治療痕やら現状が簡単に把握出来るので、別の意味で怖い。これはネタにもしたので詳細はそちらに譲るが、軽い脳梗塞が起きていたらしい(あくまでも検査時)。

症状が判明しても、原因となると話は当然別で、想定できるだけでもものすごい量の原因があるらしい。ボクの場合は血液検査も、いわゆるメタボ診断も軽くクリアしていたので、一般的な脳梗塞の症例には入らないそうな。そもそも血圧も低いし。

さらに脳に行く大動脈・大静脈も、人並み以上の太さと柔らかさをばっちりキープしてるとなると、ボクの場合はもう物理的な原因は限り無くゼロになる。そうなるといの一番に浮上するのが、神経の極端な緊張状態である。

お医者さんには「強度のストレスに長期間晒されないと、こうはならない」とはっきり言われてしまった。この時の所見は小脳の異常らしい。ボクはMRIを見てもさっぱり分からなかった。平衡感覚のテストもしたが、ここでも明らかな異常値を叩き出してしまっていたので、このあたりから結論したのだろう。

筋肉も勝手に痙攣したりするのだ。脳になんらかの症状が出てもおかしくない。と言うか、おかしくないぐらいまで極度な緊張状態を長期間に渡って維持してしまったのが、どうもやばいらしい。実際、この緊張でボクは胃潰瘍や十二指腸潰瘍にも散々なっている。

「内臓に来ないで脳に来た」というのはちょっとショックだが、事実として認めざるを得ない。それぐらい古い自然治癒痕が、あちらこちらに沢山あったのだ。治癒痕の量と時期のズレ幅には、先生もビックリしてた。

少し話は逸れるが、こうした「一般的」から外れた物理データは、ボクを検診すると面白いぐらい見つかるのだが、まさか脳までとは、ボク自身も想像していなかった。中身がおかしいのは把握してますが。

で、決まって「サンプルにしてもイイ?」と聞かれるのだ。先住民DNAの量もそうだが、いわゆる「日本人」の中でもやや特殊な部類に入るようなのだ。この辺は引っ越し絡みの作文である程度ふれているので、詳細は省く。

これを踏まえて、神経の治療はこれまでとは違う方へ向かうことになった。「極端」な状態を可能な限りなくす、という選択肢である。

●目が覚めるといきなりお仕事モード

これに関してボクには、今まで治療例がまったくなかった。素直にこのことを先生に告げると「ある程度、収まったら極端な躁鬱状態(というふうに診断しておられるらしい)を緩和する方へ治療してもよさそうなもんですが、ありませんでしたか?」とのこと。当然、初耳である。

躁鬱と言うと大袈裟だが、ここの作文で何度もふれているように、要は緊張と緩和の波だ。健常な人はきれいな波形を描く、と想像していただければ分かりやすいだろう。このことに関しては、早い段階からお医者さんから聞いて知っていた。

波というのは、緊張と緩和の繰り返しになるのだが、ボクの場合は波形を描かずに、階段状にしかならないという特性がある。目が覚めたらすぐに手を動かせる、というのも極端な例だが、まぁそういうことだ。

テレワークなどで自宅就業している方も少なくないだろうが、普通は起きてすぐに完全覚醒しないものである。これが健康的な反応です。

ゆっくりと覚醒していき、顔を洗ったり、朝食をとったりしながら、徐々にお仕事モードに頭が切り替わっていく、こう思えば大間違いではない。もちろん、2〜3時間ぐらいのロスはできるだでしょうが、これはロスではありません。神経が緊張(集中力といった方がイイのか?)に耐えられるように、ゆっくり準備をしているのです。

一仕事をしたら、脳が疲労を訴える。コーヒー飲んだり、ちょろっとお散歩したりして神経を緩和していく。それからまたお仕事に戻るわけだ。

何度もふれているが、この一仕事にも指標があって、上限は90分だそうだ。これ以上になると神経がもたなくなるらしい。あまり心配しなくても大丈夫です。普通の反応ですから。

大工さんの場合(あくまでもボクの経験した範囲です)、8時半始まりで10時前に一休みして、正午にお昼休み、というルーチンかな? かなりアバウトですが。絵を描くほど集中しきっているわけではないですから。

とにかく周りに気をつけないとまずいので、当然、集中はその度に切れます。更に歩く時間も結構あったりするので、デスクワークに比べれば健康的ですね。別のストレスはありますが、ノン・ストレスはそれで逆に怖いので、いい塩梅といったところでしょう。

あくまでもボクの経験値内の話なので、一般化は止めるように。そもそも現場を仕切る棟梁の人徳によるところが大きいし、一緒にいる大工さん達も機嫌のいい人ばかりなので、このようなのんびりした空間になっているのです。

かなり大雑把に言えば、午前中の正常な緊張と緩和のサイクルはこんな感じである。あくまでも「大体」です。人によって差はあるでしょうし、環境によっても違う。休息の仕方も一通りではない。休息ができればいいのですから。

ところが、ボクの場合は上記したように、目が覚めるといきなりお仕事モードに突入している。こんなコトを30年近くやっていて、おかしくならない方がおかしい。

ボクの場合、治療初期に「午前中だけお仕事をしてもイイ」という言質を取ったので、愚直なまでにその教えを守っている。朝が異常に早いのも、その時に苦労して作った生活サイクルである。夜は早寝だけど。

その代わりと言ってはなんだが、午後一杯かけて、強引に緩和状態へ持ち込もうという作戦だ。手を動かさなくても、脳は悲しいぐらいフル回転している。挙げ句の果てが睡眠薬で強制終了。

ここに夏場と冬場の気温差が加わるが、ボクのサイクルそのものにそれほど大きな変化はない。冬場の方が動かなくなりますが、これも経験値内なのでどうにか誤魔化している。

「気温が高くなると躁状態になる」というのも馬鹿みたいだが、実際そうだし、父も妹も見事にこれである。遺伝ですね。後付けでどうこうできるようなもんではない。

●何とか(暴走が)止まらないもんでしょうか?

話を治療方針の転換に戻す。ボクの場合は、極端に高い緊張状態とその反動を生み出すので、この波の幅を狭くするということらしい。これによって、今まで起きていただろう脳梗塞も押さえてしまうということだ。

個人的には「そんなうまい話があるもんかいな?」とは思ったのだが、夏場に暴走した時の状態を思い出すと、すがりつきたくなった。とにかく、止まらないのだ。

変な事さえしなければ悪化することはあまりないのだが、話が出るタイミングが悪すぎた。昨年の創作活動騒動が脳裏に焼き付いているのだ。記憶が薄れるにはあまりに時間が短いし、まだボク自身は立ち直っていない。

「あの時のようになりたくない」というのが、治療に同意した理由である。

「後で(秋口頃)必ず反動が来て壊れる」というのを覚悟していても、一向に暴走は収まらなかったのだ。止まらないだろうとは思っていたけど、あそこまで見事に暴走すると自分が怖くなる。

実際、当時の担当医に「何とか止まらないもんでしょうか?」と聞いたのですが、「努力で」の一言で片付けられているのだ。

その結果、実際には当初想像していたシナリオとは異なる道筋にはなったが、とにかく見事に壊れた。で、まだ完全には回復していないのだ。半年以上引きずるのは初めてだが、歳のせいだろう。肉体的にだけではなく、やっぱりどこかで話が分かる人にはなったようだ。

その結果、うまれるのが「とてつもない絶望」というのも正直、救いがないなのだが、実際のところそうなのだから仕方がない。危険察知能力が上がった、とも言う。

ボクが飛びついたのも無理なかろう。が、ここでお薬の変更がものの見事に迷走している。もっともお医者さん曰く「必要なステップ」らしいのだが。

まずお薬が身体に合わない。これには参った。同じ症状を抑える薬でも、かなり効果には幅があるようで、もちろん種類も多い。その分、多種多様な副作用までもれなく付いてくる。お薬が変わる度に違う状態になっていては、身体も持たなきゃ神経ももたない。大人しくアタリが出るのを待つしかない。

今までも何度か経験しているが、普通なら2〜3回でアタリが出るのだ。が、今回は一向にアタリが出ない。

体質とか気質とか、生活習慣が関係しているようだが、ここまで身体に合わないのも珍しい。何度か「アタリかな?」と思ったことはあったのだが、一月連続投与をすると大抵ボロが出る。

夜眠れないとか、一日中倦怠感に見舞われるとか、まぁ挙げ出すとキリがないのだが、まともな日中が送れないのには弱った。

こんな状態でお仕事の梃子入れなど到底望めないし、よせばいいのに長期予想までどんどん下方修正しなければならなくなり、結果どん底、を相当繰り返している。

描けなければ描けないで、情報収集をするという手もあるのだが、本が読めなくなったのにはびっくりした。頭に入ってこないのだ。その内、読むことだけですら苦痛になる。当たり前である。面白くもないのに読む馬鹿がどこにいる。

ボクの読書は好奇心にしか突き動かされていないので、こうなると厄介である。蔵書はそもそも好んで読む本しかキープしていないので、この蔵書が読めないとなるとお先真っ暗である。

「まったく本を読まない」はあり得ないはずだったのだが、生まれて初めてそんな生活を3週間も過ごすことになってしまった。これで焦るなというのが無茶である。

子供の頃から続いている、極めて重要な生活サイクルなのだ。薬によって突然打ち切られるいわれはもちろんない。当然のコトながら、お薬は変更になった。

●あまりに歪なボクの価値観

で、実はまだお薬探しは続いている。多少マシになったので、こうして例によって例の如く、どうしようもない駄文を書いている。この程度のコトも出来なかったのだ。

一応、書いてはいたのですが、尽くボツ。書き切る気力すらなかったし、オチはもちろん考えずに書いていたので、どうしようもなくなったのが5本ほど。

で、これを書くにあたって、前回掲載文を読んでみて「これは重症やわ」とがっくりしたのだ。酷すぎるぞ。

もちろん、元々作文は不得手である、ということはあるにしろ、「何かを始めたら終わりまでする」というのは最低条件である。絵も同じ。どのような状態であれ、結果に辿り着かないと話にならない。まがりなりに書いて、掲載されたから「酷すぎる」という評価ができるのだ。

ところが、「終わりまで持っていく」というのは、実は結構な緊張状態を生み出す。当たり前である。だらだら描いたり、書いたり、作ったりして、だらだら終わるは、ボクに関してはあり得ない。

当初の目的を満たしたかどうかである。これは結構厳しくなるもんで(それはそれで楽しいのがまた問題)、当然のコトながらハードルは上がる。

そのぶん達成感は得られるのですが、急激な緊張の増幅はやはりある程度の範囲内に収めた方がイイに決まっている。実際、先生はそういう状態に持っていきたいと思っているようだ。

ここでボクを邪魔するのが、過去の数少ない成功体験である。

これを否定するのは、いくらなんでも無理があると思う。何しろ50年以上もこれでやってきたのだ。残りの人生と天秤にかけても、成功体験の方が上に決まっている。

となると、緊張すること前提で、もちろん脳にも損傷が起きることを含めてこの先やっていくのか、先生の言うような幅の限られた範囲内でやっていくか、と二つに大別できるだろう。もちろん間はいくらあってもイイのですが。

ここで「残りの人生」に関するボクの価値観が、あまりに歪であることが判明した。

「人生80年」など望んではいないどころか、「人生50年」でやってきたのだ。50過ぎたらボク的には完全に余生か晩年である。ところが、この価値観がもろに治療方針と激突することになった。「太く短く」か「長く細く」かである。

前者の場合、フィジカルなダメージがメンタルのダメージを上回り、恐らく死につながる。後者ならそれはないが、とにかくゆっくりを強いられる。

性格的には完全に前者だが、脳の損傷が見つかっていて、なおかつ主治医の先生がそのことを知っているので、短命に至る治療は普通行わない。素直に「長く生きましょうよ」なのだろうが、こっちはそれでは済まないのだ。

お医者さんが敢えて短命の道を選ぶことは、まずないですからね。今までとは異なる次元の話だ。

似たようなことは「入院させられたけど、ソッコーで逃げ出した」を何度も繰り返しているので、まったく異次元の話というわけではない。が、それはあくまでもボク自身の話だ。

普通は、大量輸血されて4日後に退院という暴挙を許すはずがない。実際、帰路は貧血に見舞われてふらふらである。退院を許可したお医者さんを責めるのはやめていただきたい。ボクが望んでしたことなのだから。

お医者さんが言うコトとは、傾向としては患者さんの健康を気遣っているものである。そうそう無下にするもんではない。ボクがおかしいのだ。お医者さんからすれば、「せっかく治療したのに命を削っているようなもの」にしかならない。専門家の言うことは聞くもんですよ。人にもよりますが。

こういう決断をまさか神経方面でも必要になるとは、まったく想像していなかった。まぁ、緊張と緩和の幅を狭めるなんていう治療法があったコト自体、知らなかったしね。

お医者さん曰く。「それほど新しい治療法ではない」らしいのだ。実際のところ、治療にどれぐらいの選択肢があるのか、専門外のボクには想像もつかない。お医者さんに任せっぱにしてるからな。ボクが異論を唱えるのは、明らかに肉体的な異常が出ている時だけである。

そういう意味では、「絵が描けない」というのはボク的にはあくまでも「肉体的」の範疇におさまる。が、この考え方も異常らしい。

ボクは脳内シミュレーションも肉体労働の一つと見なしている。上記したように、本を読むことはボクにとって特別なことでも何でもない。むしろ、呼吸するように自然なのだ。頭脳労働に該当しそうな「想像する」ですら、ほぼ条件反射的にできてしまうので、頭を使っているとは思えない。

「絵を描くという行為は、ただの肉体的な技術にすぎない」と以前にも描いているが、それほど特別なことではない。字を書いたりするようなもんである。訓練は必要ですよ。字だってドリルとか習字とかやったでしょう。それと同じ。

詳細はジャンジャン飛ばすが、担当のお医者さんをはじめとして、一般的に思われているほど、絵をかく行為そのものは神秘的なものでもなければ、一部の天才にしかできないような特別なことでもない。

ところが、このギャップはやはり無視できない。ボクの考えは考えとして置いておくにしろ、きちんと説明をしなければならない。

本を読むだけでも、充分おかしな部類に入ってしまうのだ。生活と密接してるとなるとさらにおかしくなる。「普通はいない」が正解なのだ。ここに絵という要素が加わると、さらに一般的な症例から遠ざかる。

他の絵を生業にしている方で、同じような病に悩んでいる方をボクはまったく知らないので、比較することも不可能である。もっとも、他のエカキさんの動向を気にしたことはまったくないし、知ろうとも思わないんですがね。興味ないから。

挿絵画家の業界に限っても、あらゆる指標でのボクの相対的な位置など全然知らない。辛うじて「早い部類に入るらしい」ということはぼんやり思っているが、どれほどなのかはさっぱり分からん。

「挿絵画家が本から目を逸らしてどうする?」というアホな原理があるので、こういうコトになるのだ。

挿絵画家という職業も、今となってはかなり特殊らしいのだが、この特殊性をボクがまったく認識していないというのは、治療法を提案するお医者さんにとっては迷惑なだけだろう。この特殊さをボク自身が説明する責任があるわけだ。ボクの身体だし、ボクの人生だしね。

まだ、きちんと整理ができているわけではないが、徐々に洗脳(?)は始めている。こうしないとどうしようもないやんか。

きちんと説明ができなかった時、一番怖いのは、狂って長生きパターンである。命を何度も拾ってきた(つもりはないのですが、結果的にそうなってる)ボクには、充分あり得るのだ。

神経が徐々に破壊されていくが、肉体的に致命傷に至らないケースというのは、今の治療法のままでは確実にある。どこかで妥協点を見つける必要があるのだが、いつまでもお医者さんのペースでやってられない。こっちだってお仕事があるしね。

となると、ボクとお仕事の関係を詳細に分かってもらわないとどうしようもない。要は、お医者さんにも理想値をあきらめてもらわないといけない、そういうことになるのだ。

過剰な薬物投与は望んでいないし、それで命を繋ぐのは、そもそもボクの意思とは反する。「生まれ持った機能をフルに活用した上での死ならめでたいではないか」とボクは思うのだが、どうもそうは問屋が卸さないようだ。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com


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編集後記(06/05)

●しょっちゅう妻と口喧嘩している。ほとんど負け戦にあるけど。そんな時は黙り込むしかないが、頭の中では沢田研二が朗々と歌う「ききわけのない女の頬をひとつふたつはりたおして背中を向けて煙草をすえばそれでなにもいうことがない」が聞こえていることを妻は知らない。小池都知事のつかうカタカナ語が鬱陶しい。マスクしてるから卑しい口元を見ずに済むから救われるが。それにつけても、舛添サンを都知事から引きずり降ろしたバカ共を憎む。じつはわたしも当時はそっち側だったが。小池サンの100倍くらい頭がいい。(柴田)


●目力眉力があるから、口を閉じていたらキツく見える、少し口を開けた方がいいよと、学生時代に友人に言われたんだよなぁ〜。断定的な、理屈っぽいしゃべり方もやめろって言われたんだよなぁ〜。

/キャッシュレスの還元キャンペーンがほぼ終了。あっても、あまり旨味はなくなった。というタイミングで、マウスのチャタリングが酷くなった。

マウスは放電させたけど、やっぱりおかしくて、クリックしても反応しない時があったり、選択しながらドラッグしたら途中で範囲決定してしまったり。分解掃除すれば直りそうだけれど、失敗したくないので、まずは新しいものを確保したい。

ああ、どんなマウスを買おうか。実際に店頭で握ってみないと、フィット感がわからない。

同じ機種、Logicool M557マウスを分解掃除しているページがあった。復活後、しばらくして再度不具合が出たとのことで、同じ型のを買い直されていた。そうなの、私もこれの前は同じ型のナンバー違いM555bなの。M557は2014年12月、M555bは2010年6月に購入。長持ちしたなぁ。(hammer.mule)

マウス左ボタンの鬱陶しい故障~分解清掃して見事復活!~
https://karaage.biz/mouse-cleaning/

あの名機「ロジクールBlutoothマウスM555b」の、新型「M557」レビュー!
https://www.call-t.co.jp/tenchoblog/entry/029627.html

M590にしようかなぁ。あ、2年保証になってる
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B072N792LK/dgcrcom-22/

ロジクール M590 レビュー、静音かつBluetoothの安定度もメリット絶大
https://www.sumahoinfo.net/entry/logicool-m590-review/
557との対比もあるわ