日々の泡[035]果てしない日々を生きる切なさ【ワーニャ伯父さん/アントン・チェーホフ】
── 十河 進 ──

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WOWOWで放映した「ルームロンダリング」(2017年)を見ていたら、最後にヒロインの母親役でつみきみほが登場してきた。「花のあすか組!」(1988年)の主人公で登場したのが31年前だから、そろそろ50に近い年齢だろう。しかし、印象も体型もそんなに変わっていない。つみきみほが最も印象に残った映画は「櫻の園」(1990年)だった。

そこで、「櫻の園」を見たくなってDVDで見ていたら、杉山紀子(つみきみほ)がヤーシャ役の扮装をした姿は魅力的だなあと改めて思った。演劇部部長の志水由布子(中島ひろ子)が演じるドゥニャーシャが好きになるパリ帰りの男の役である。ボーイッシュなつみきみほは男役がよく似合った。

映画「櫻の園」は召使いのドゥニャーシャが蝋燭台を持って舞台に出ていき、アントン・チェーホフの「桜の園」の舞台が始まるところでラストシーンになる。うまい作りだが、それを見ると「桜の園」の舞台を見たくなってしまった。僕は「かもめ」と「ワーニャ伯父さん」は舞台で見たことがあるけれど、「桜の園」は戯曲を読んだだけなのだ。





「櫻の園」はラネーフスカヤという女地主が二人の娘を連れて、兄と一緒に領地を訪れるところから始まる。そこは春には見事な桜が咲くので、「桜の園」と呼ばれている。第一幕は、かつて「桜の園」の使用人だった商人のロパーヒンが、召使いのドゥニャーシャと登場してくる。彼らは、ラネーフスカヤ一行の到着を待っている。

ラネーフスカヤは借金がかさんで「桜の園」を手放さなければならない状態なのに、まったく自覚がなくパリで優雅に暮らしていた。ロパーヒンが「このままでは桜の園が競売にかけられる」と心配しても、かつての栄華の時代の夢を忘れられない。そして、とうとう競売の日がやってきて、結果を聞く人たちの前でロパーヒンはこう言うのだ。

----わたしが買ったんです。(中略)桜の園は、もうわたしのものだ! わたしのものなんだ! ああどうしたことだ、皆さん、桜の園がわたしのものだなんて(中略)あのエルモライが、なぐられてばかりいた、字もろくすっぽ書けないエルモライが----冬でもはだしで駆けまわっていたあの餓鬼が、まぎれもないそのエルモライが、世界じゅうに比べものもない美しい領地を、買ったのだ。(神西清・訳)

この長いセリフを読んでいると、僕は「安城家の舞踏會」(1947年)は「桜の園」だったんだなと連想した。戦後すぐに公開された「安城家の舞踏會」は、零落した華族の安城家が舞台だ。次女(原節子)は屋敷を、かつての使用人で今は商人として成功し金持ちになっている神田隆に売ろうとしている。

家長である滝沢修は、昔の栄華が忘れられない。まして、かつての使用人の世話になるなどプライドが許さない。長女(逢初夢子)も神田隆だけには売りたくない。というのも、使用人だった神田隆は長女に恋をしていて、彼女の結婚が決まった時、「金持ちになってやる」と安城家を出ていった男だからだ。そして、酔った神田隆はロパーヒンとよく似たセリフを口にする。

チェーホフは、「桜の園」を「喜劇 四幕」と書いている。「かもめ」も同じく「喜劇 四幕」であり、「ワーニャ伯父さん」は「田園生活の情景 四幕」となっている。「かもめ」には、ニーナ(若い処女、裕福な地主の娘)が登場するのだが、彼女のひとつのセリフは薬師丸ひろ子によって有名になった。

----女流作家とか女優とか、そんな幸福な身分になれるものなら、わたしは周囲の者に憎まれても、貧乏しても、幻滅しても、りっぱに堪えてみせますわ。屋根うら住まいをして、黒パンばかりかじって、自分への不満だの、未熟さの意識だのに悩んだってかまわない。そり代わり、わたしは要求するのよ。名声を----ほんとうの、割れ返るような名声を。----(両手で顔をおおう)頭がくらくらする----ああ!(神西清・訳)

「Wの悲劇」(1984年)を見たとき、うまいセリフを見つけてきたものだなあ、と思った。タイトルバックのシーンで処女喪失した俳優志望のヒロイン(薬師丸ひろ子)は、早朝の公園の野外舞台の上でこのセリフを言う。誰もいないと思っていた観客席から拍手が起こる。世良公則が身を起こし、「きみ、役者さん?」と声をかけてくる。

「かもめ」のニーナは、女優になりたくてモスクワへ出る。モスクワ郊外の別荘地での小屋で初舞台を踏んで、地方へまわったのだが、「演技はがさつで、味もそっけもなく、やたらに吼え立てる、大仰な見得を切る、といった調子でした」と、登場人物のひとりに言われる。さらに、私生活でも不幸が続く。「かもめ」は、そんな切ない人生を切り取った名作だった。

僕はチェーホフの短編も戯曲も好きでかなり読み込んだつもりだが、その中でも最も心に残るセリフが「ワーニャ伯父さん」の中にある。ずいぶん昔に俳優座の舞台を見て記憶に刻み込まれた。その舞台ではワーニャ伯父さんを近藤洋介が演じ、ソーニャを佐藤オリエが演じていた。

----ワーニャ (ソーニャの髪の毛を撫でながら)ソーニャ、わたしはつらい。わたしのこのつらさがわかってくれたらなあ!

----ソーニャ でも、仕方がないわ、生きていかなければ! ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうよ。運命がわたしたちにくだす試みを、辛抱づよく、じっとこらえていきましょうよ。(神西清・訳)

ソーニャのセリフは、まだまだ続く。昔、中央公論社から出ていたチェーホフ全集が欲しくてたまらなかったけれど、現在、青空文庫でチェーホフ作品はかなり読めるようになっている。戯曲は神西清の翻訳のもの。僕が読んだのは半世紀近く前だから、著作権も切れてしまうのだろうなあ。


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