まにまにころころ[180]ふんわり中国の古典(論語・その43)まず第一に民の信頼を得るところから政治が始まる
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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コロこと川合です。新コロナ騒動も小休止感がある今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。新規感染者もまだまだ出ていますので油断はできませんが、でも一時のピリピリした感じは和らいできているように感じます。

東京は例のアラート解除後に、日々の新規感染者が少し増えていますが、人口や密度を考えれば許容範囲というか、まだ冷静に対処可能なレベルかと。

気の緩みが分かりやすく数字に反映されてるってのが、興味深いですけどね。ちょっと気を抜くとそうやって増えるということは、自粛や各種対策の何かが確かに効果あったと考えていいのかな。





大雨や台風のシーズン前に、ここまで押さえ込めたのは良かったです。

大雨はちょっと始まって被害も出ていますが、今のところまだなんとか。

この土日は好天の地域が多かったので、おそらく外出者も増えたでしょうし、数日後の感染情報が心配なところですが、ここしばらくの追跡情報によれば、いわゆる「夜の街」での感染が中心みたいなので、屋外は比較的マシかもです。

それでも少し気持ちに余裕ができた今、遊びに出かける前に、感染症の問題を踏まえた災害対策を考えておきたいですね。

とりあえずは、避難が必要になった時に、どこに非難するかの候補を用意するあたりから。

国や自治体も、避難所が過密にならないように、親戚や知人のところへの非難も検討してねと呼びかけはじめています。同時に、感染症を怖れて避難を躊躇するようなことのないように、とも呼びかけています。

・内閣府防災情報のページ
http://www.bousai.go.jp/


自治体向けの情報も多くて、どれを見れば良いのか分かりにくいですが、

・新型コロナウイルス感染症が収束しない中における災害時の避難について
http://www.bousai.go.jp/pdf/colonapoint.pdf


とりあえずこのPDFを見てみましょう。小さく添えられたイラストが、お馴染み「いらすとや」さんのものであるのも注目ポイント。(笑)

内閣府(防災担当)と消防庁により作られたものです。全体のデザインが、またデザイン警察に取り締まられそうな感じですが、冒頭に“「自らの命は自らが守る」意識を持ち、適切な避難行動をとりましょう”と掲げ、

“新型コロナウイルス感染症が収束しない中でも、災害時には、危険な場所にいる人は避難することが原則です。”

と大書きされています。そして「知っておくべき5つのポイント」として、こうあります。

・避難とは[難]を[避]けること。
安全な場所にいる人まで避難場所に行く必要はありません。

・避難先は、小中学校・公民館だけではありません。
安全な親戚・知人宅に避難することも考えてみましょう。

・マスク/消毒液/体温計が不足しています。できるだけ自ら携行して下さい。

・市町村指定の避難場所、避難所が変更・増設されている可能性があります。災害時には市町村ホームページ等で確認して下さい。

・豪雨時の屋外の移動は車も含め危険です。やむをえず車中泊をする場合は、浸水しないよう周囲の状況等を十分確認して下さい。

表面に以上のことが記されていて、裏面には「避難行動判定フロー」が。

ここまで書いておいてなんですが、見れば分かるのでさっきのPDFをぜひ。新型コロナも災害も、正しく怖れて、正しく対処しましょう。それでなんとか被害を最小限にとどめ、生存率を高めましょう。

さて、それはそれとして、そろそろ本題の論語を読んでいきましょうか。


◎──巻第六「顔淵第十二」六

・読み下し文

子張、明を問う。子曰わく、浸潤のそしり、膚受のうったえ、行われざるは、明と謂うべきのみ。浸潤のそしり、膚受のうったえ、行われざるは、遠と謂うべきのみ。

・だいたいの意味
子張が、(孔子先生に)「明」であるとはどういうことか尋ねた。

孔子先生は仰った。

じわじわとしみるような誹謗、肌を刺すような中傷、これらにも動じなければ「明」と言えるだろう。
じわじわとしみるような誹謗、肌を刺すような中傷、これらにも動じなければ「遠」と言えるだろう。

──巻第六「顔淵第十二」六について

今話題のワード「誹謗中傷」にまつわる話がでてきました。

元の文にあった「そしり」を誹謗「うったえ」を中傷と訳したので、そのままでてきたわけではありませんが。

「明」は、聡明、明察の明です。

突然でてきた「遠」は、見通しがきくとか達見、達観のイメージです。

共に、的確にものごとを見抜く目をもっている、という感じですね。

誹謗中傷を受けても、物事の本質を見誤ることなく冷静に対処しなさいと。

ここで子張が孔子先生にこういった質問をしているということは、おそらく、君子の資質として「明」が取り上げられたのでしょう。

「浸潤のそしり、膚受のうったえ」は、ひどく心を傷つけるものです。

受け止め方を誤れば、その傷は文字通り致命傷になります。

具体的な対処法も示さずにそんなことを言われても、と思いそうですが、君子たらんと志す人たちですから、誹謗中傷に惑わされないのが君子というものだと言われれば、実際に誹謗中傷を受けた際、まったく備えがない状態に比べ、ワンクッションおいて受け止めることができます。

そのワンクッションが冷静さを取り戻してくれるかもしれません。その一呼吸が致命傷を避けるポイントになるかもしれません。

誹謗中傷に傷つく人間は君子じゃない、ダメな奴だというのか、って話でなく。誰もが深く傷つくものであるという大前提の上で、心の備えとして、心の支えとして、君子たるものそんなものに惑わされるな、と銘じておきましょうと。


◎──巻第六「顔淵第十二」七

・だいたいの意味
子貢が、(孔子先生に)政のあり方について尋ねた。

孔子先生は仰った。
食料を備え、軍備を備え、そして民の信頼を得ることだと。

子貢が言った。
どうしてもやむを得ずに除くなら、この三者のどれを先にすべきでしょう。

孔子先生は仰った。
軍備を捨てる。

子貢が言った。
どうしてもやむを得ずに除くなら、この二者のどちらを先にすべきでしょう。

孔子先生は仰った。
食料を捨てる。

いにしえより人は皆いつか死ぬものだ。民の信頼がなければ、成り立たない。

──巻第六「顔淵第十二」七について

政治の要点として「食料」「軍備」「民の信頼」を挙げた孔子先生に、子貢が優先順位を尋ねています。結果は想像通りです。

最後がちょっと分かりにくいですが、日々の食事、外敵からの防備、それらがあってもなくてもいつか人は死ぬ。でも、民の信頼はそういった次元の話ではなく、それがなければそもそも国が成り立たず、政治の出番はないと。

民の信頼があってこそ国が成り立ち、その国を運営していく上で、食料と軍備を整えるのが政治。まず第一に民の信頼を得るところから政治が始まる、と。

どっかの国の政治家に聞かせてやりたい話ですね……

民が国家やその政治を信じる。もちろん良いことですが、私は、究極的には、民が政治を意識することさえないような状態で、ただ明日を信じられる状態が理想的じゃないかと思っています。

政治への参加意識が、とか、監視しないと、とか、そんなこんなは置いといて。何も考えなくてもずっと平穏な明日がやってくる、って、最高じゃないかと。

まあありえないんですけど。でも。

前にも書いた気がしますが、『史記』『十八史略』の鼓腹撃壌の世界。

堯がお忍びで街に出たところ、老人が腹鼓を打ちながら大地を踏みならし踊り、「日が出りゃ働き、沈めば休む。井戸を掘って水を飲み、畑を耕して飯を食う。帝の力なんて自分にゃ関係ないない」と歌っていたと。

堯はそれを聴いて、政治が上手くいってることを実感したって話です。

深く考えれば色々と懸念はあるんですが、私はこの老人になりたいです。(笑)


◎──今回はここまで

誹謗中傷に惑わされるなとか、民の信頼を得るのが政治の要とか、二千五百年前の人に教えられてるってどういうことかと……。

それでもたぶん二千五百年前よりは良い暮らししてると思うので、進歩がないって嘆くばかりでもないんでしょうけど、ちょっと考えさせられますね。

進歩と言えば、科学。こちらはずいぶん進歩しています。

梅雨やら猛暑に対しては、孔子先生の時代にはなかった科学の力で立ち向かい、体調を崩したり熱中症で倒れたりすることのないよう、気をつけて下さいね。

エアコン万歳!


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合同会社かぷっと代表
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