日々の泡[037]単なる変態作家か?【細雪/谷崎潤一郎】
── 十河 進 ──

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先日、ふと思いついて谷崎潤一郎の「細雪」を本棚から取り出して、また読み始めた。最初に読んだのは三十代半ばだったろうか。もう一度読み返したいと思っていたが、なかなか実行できなかったのだ。確か、最初に読んだのは新潮文庫で、上中下の三巻に分かれていた。今回は、文学全集の一巻本である。上下二段組、文字が小さい。

「細雪」の冒頭は、よく憶えている。「こいさん、頼むわ」と次女の幸子が言う。「こいさん」とは末娘の呼び方である。昔、「月の法善寺横丁」という歌があって、包丁一本さらしに巻いて旅修行に出た板前が、「待ってて、こいさん」と歌ったものである。「番頭はんと丁稚どん」というテレビ番組でも、「こいさん」「いとはん」という呼び方を覚えた。

「細雪」が四人姉妹の物語だということは、読んでいない人にもよく知られている。映画化は三度らしいが、舞台でもよく上演される。女優の競演を売りにできるからだ。だから、映画化や舞台化では、四人姉妹のキャスティングが注目される。数年前の舞台では、関根恵子こと高橋恵子が長女をやっていて「えっ」と思った。僕の中では「関根恵子=おさな妻」のイメージが抜けていない。





映画化は1950年版(花井蘭子、轟夕起子、山根寿子、高峰秀子)、1959年版(轟夕起子、京マチ子、山本富士子、叶順子)、それに市川崑が監督した1983年版(岸惠子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子)がある。僕は1959年版と1983年版を見ているが、市川崑作品の豪華な映像が記憶に残っている。

市川崑監督版「細雪」では、長女の鶴子(岸惠子)と次女の幸子(佐久間良子)がとてもいい。鶴子の夫は伊丹十三で、幸子の夫は石坂浩二だった。このキャスティングもよかった。四女の妙子(古手川祐子)もがんばっていたのだけれど、三女の雪子役の吉永小百合だけはミスキャストだと思う。僕の場合、吉永小百合がいいと思ったのは「キューポラのある街」とテレビ版「夢千代日記」だけであるけれど----。

ところで、僕は谷崎潤一郎の作品が苦手だった。僕が半世紀にわたって愛読する小林信彦さんは、ことある度に谷崎作品を絶賛するのだが僕にはそのよさがわからなかった。「単なる変態作家じゃないか」と思ったこともある。もっとも、僕が好きな川端康成でも「眠れる美女」などを読むと「変態作家だなあ」と思ってしまう。

川端の場合は「美少女好き」(今風に言えば、ロリコン)で、有名な「伊豆の踊子」もそういう視点で読むと「なるほど」とうなずける。谷崎の場合は完全な「脚フェチ」で、女性の脚の描写に精魂を傾けていたりする。たぶん、僕が谷崎を苦手になったのは、その趣味が露骨に出た「瘋癲老人日記」の映画の看板を小学五年生で目にしたからだろう。

小学生の目には、その看板はひどくイヤラシゲーだったのだ。その頃、大映は谷崎作品をやたらに映画化していた。たぶん、どの作品もエロチックだったからだと思う。観客は文芸作品としてより、エロチック作品として見ていたのではないだろうか。「鍵」(1959年)「痴人の愛」(1960年)「卍」(1964年)などがある。

ということで、僕は長い間、谷崎作品が読めなかった。しかし、「細雪」だけは読まねばと思っていた。ようやく読めたのは、市川崑版「細雪」を見た後だった。花見のシーン、紅葉狩りのシーンの絢爛さにうっとりし、ゆったりした物語の流れに身をゆだねた。これは読まねばならん、と一念発起し、三十半ばでようやく本気を出した。

「細雪」は長い小説だが、読み始めるとスラスラ読める。独特の文体が心地よい。船場言葉が耳に響いてくるようだった(映画を先に見ていたせいかもしれないけれど)。この先どうなるのか、という興味でページをめくるというより、この世界にゆったりと身を浸したいという感じだろうか。読んでいると、この物語に終わりはくるのだろうか、と思う。

この長い物語を、谷崎は太平洋戦争中に書き続けていた。昭和18年(1943年)、月刊誌「中央公論」1月号と3月号に「細雪」の1回目と2回目が掲載されたが、「戦時にそぐわない」と軍に指摘され掲載は止められた。その後、谷崎は発表の予定もないまま書き続け、昭和19年(1944年)には私家版で上巻を出したという。結局、昭和23年(1948年)までかかって完成した。

今回、再読を始めて「やっぱり、すごいなあ」と改めて感じた。物語作家としての谷崎の面目躍如の感がある。冒頭の「こいさん、頼むわ」から引き込まれる。幸子が出かける準備をしているシーンなのだが、そこから雪子の縁談の話になり、そのいきさつが長々と語られ、冒頭のシーンに戻ってくるのは15ページも進んでからなのだ。

つまり、一章のシーンの続きは五章になる。二章から四章までは、現在、雪子に持ち込まれている縁談の話になり、なぜ雪子が30になるまで結婚していないかということや、四女の妙子の駆け落ち事件(新聞に載ってしまう)やら、姉妹が育った蒔岡家の衰退やら、長女の鶴子の本家のことやら、次女の幸子の分家のことやら、それぞれの婿のことなど、様々なことが入り組んで語られるのに、まったく読者を混乱させない。

谷崎の文体は、ひとつのセンテンスが長い。つまり、そのセンテンスの中に、いろんな情報が入っていることになる。文体は作家の呼吸みたいなものだから、その独特の呼吸を持つ文体が「細雪」という世界を構築している。僕はその世界にすんなり入れたけれど、人によってはまったく受け付けないかもしれない。でも、「細雪」を読まないことは、人生の大きな損失になるのではないか、と僕は思っている。


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