はぐれDEATH[103]日本人はどこからきたのか?
── 藤原ヨウコウ ──

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いつも以上に無謀なネタになってしまった(笑)

それでも、ものすごく興味はありますよ。この国(というかボクが住んでいる列島)に関しては色々と不思議すぎるから。記録がすべてじゃないと本気で思うし、まだまだ発見されていないネタは、おそらく多数あると思う。

日本人はどこからきたのか? いつもなら迷わず「大陸から」と即答する。あたり前である。極東ですよ。英語で言えば「Far east」。直訳すれば「遠い東」。あくまでもヨーロッパ目線ですが、先史時代なら中国大陸からでも十分「遠い東」でしょう。

ヒト属は更新世(約258万年前から約1万年前)中期(78.1万年前から12.6万年前)に進化したと言われているが、絶滅した種も少なくない。ちなみに「更新世」(英:Geologic time scale;Geological age;Geological eon)は地質時代(地質学)の区分であることを併記しておく。

歴史学上で言えば「先史時代」に相当するのだろうが、とにかく色んな分野の学問がクロスオーバーしているので、一々どの学問分野の言葉なのかを明確にしておかないと確実に混乱する。





怪しいWikipediaの解説にはこうある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ホモ・サピエンス


「遺伝的な証拠や化石の証拠によると、非現生人類のホモ・サピエンスは20万年前から10万年前にかけておもにアフリカで現生人類へ進化したのち、6万年前にアフリカを離れて長い歳月を経て世界各地へ広がり、先住のネアンデルタール人やホモ・エレクトスなどの初期人類集団との交代劇を繰り広げた。」

まぁ、概論としては大ハズレではないだろう。ここで注意して欲しいのは「非現生人類のホモ・サピエンス」という一節である。これに関しては後述する。

ザックリ言えば「アフリカから世界中に広がっていきましたとさ」である。どのように広がっていったのか、これまた諸子百家の様相を呈しているが、手段は基本「徒歩」であろう。

アフリカから見ても十二分に「極東」じゃないですか。見方を変えて(相当無理があるけど)西に向かっても大西洋と北アメリカ大陸、更に広大な太平洋がある。まぁ、北極経由ルートもあるけど、こっちは迂回路だから距離は広がる一方。素直に「極東」でいいと思う。

移動に関して一番厄介なのは地続きではない場所で、日本はその典型になるが、縄文人(約1万6000年前から約3000年前まで、現在の北海道から沖縄本島にかけて住み、縄文文化と呼ばれる文化形式を保持していた人々の総称:出典Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/縄文人)の遺跡なり骨や旧石器時代の遺物が発見されても、それ以前となるとかなり怪しくなる。直接的な遺伝子解析の道はほぼここで断たれるのだが、地質学で検証することが重要になるのは自然な流れだろう。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%88%97%E5%B3%B6#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Sea_of_Japan_Early_Miocene_map.svg


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%88%97%E5%B3%B6#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Sea_of_Japan_Pliocene_map.svg


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%88%97%E5%B3%B6#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Japan_glaciation

詳細については、それぞれの地質学年代に注意して引用元を参照するように。面倒くさいのでここは省く。

要は「日本列島が大陸の東部から地殻変動とプレート移動により切り離された」という、地質学上ある程度確立された論を把握しておけばよろしい、というのがボクの態度である。これ以上、ボクでは検証のしようがない。

更新世の終わりの図を見れば、離れたとは言え現在ほど半島や大陸と距離があったわけではないことは明白である。北海道にいたってはまだ繋がってるしね。

が、このような試みが先般行われ話題になった。2019年のこと。

台湾から45時間、与那国島に到着 3万年前の旅再現
朝日新聞 2019年7月9日
https://www.asahi.com/articles/ASM7934MPM79ULBJ006.html


キモは「黒潮を横断する」である。「黒潮に乗って」ではない。

詳細は後にするとして、そもそも「『日本人の起源』って何?」からスタートしないとお話にならない。ここでいう「日本人」はあくまでも「現代日本人」である。アイヌ民族や琉球民族も含む必要がある。

場合によっては、在日の皆様も含める必要すらあると本気でボクは考えている。本当なら分けて考えた方がすっきりするのだが、近世から近代にかけて色々本土の人間が荒らしまくった上に、文化破壊までしでかしているので、本土人の責任と義務をもって総括しなければならないだろう。

まず、何気なく使っている「人」の定義だが、ボク自身は「ホモ・サピエンス」のみという定義は受け入れがたい。「現生人類」と「ホモ・サピエンス」を混同して使いがちであるが、本来「ホモ・サピエンス」には現生人類以外の絶滅した種が複数あったことが、ある程度明らかにされている。

ややこしいのはネアンテルダール人の位置づけである。学説によって「ホモ・サピエンス」に含むか、別系統の種かに分かれてしまうからだ。遺伝学上は別種らしいのだが、広義のホモ・サピエンスとネアンテルダール人の混血種がいることもまた発見されてしまっているので、話がどんどんややこしくなって楽しくなる(楽しいんかいっ!)。

何が面白いといって、専門家が血眼になって研究していることがコロッとひっくり返るところだ。最近は遺伝子解析が主流のようだが、実際に解析に携わっている人々は気が気ではないだろう。本当に何が出てくるか分からないのだ。

下手をすれば世紀の発見だって、学会追放どころの騒ぎではない。「この業界の人達のストレス指数を知りたい」と、ボクが面白半分に思っても罰は当たるまい。とにかく、それぐらいスリリングなのである。

だから、ボクが簡単に「日本人の起源」などとは言ってはいけないし、本来の「ホモ・サピエンス」の定義すらできないのだ。現在進行中の研究課題である。いたずらに人を混乱させる気は毛頭ないので、敢えて「ホモ・サピエンス」の混乱ぶりを例に挙げた。まずここをしっかりご理解願いたい。

あくまでもボクは「はぐれのエカキ」であって、歴史の研究者でもなければ、愛好家ですらない。ただの面白がりである。もちろん、とんでもないことばかり妄想してしまうので、話はどんどんワヤになる。

最新の遺伝子情報解析によれば、あくまでも「縄文人の起源」という括弧付きで2〜4万年前という研究成果が出たばかりだ。

日本経済新聞 2019/5/13
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44722870T10C19A5CR8000/


上記した日本列島分離の時間的な変異図から言えば、一番最後の図の時代にほぼ相当する。



これでやっと本題に入れる。実を言うと、「台湾から45時間、与那国島に到着 3万年前の旅再現」に関して、ボクは何か違和感を持っていたのだ。

台湾から与那国島のルートは、学術的に言えばもちろん「アリ」である。

そもそもボクは、「漂着民のなれの果てが日本人の起源」と思っていた時期があるのだ。なんで漂着民になったのかは問わない。とにかく「流れ、流れて着きました」が日本人の起源だと思っていたのだ。黒潮ルートを辿れば、台湾を通り越して東南アジアや、下手をすれば今のインドネシア諸島だって余裕で受け入れられる。

日本海側に目を移せば、3万年前ならもう大陸や半島が目の前なので、現在の「台湾〜与那国島」ルートよりも楽だった可能性すらある。なにより「黒潮を横断する」という大暴挙をする必要すらないのだ。

後世(時間軸のスケールに気をつけるよう)になるが、いわゆる「倭」に関する文献が大陸や半島で早い時期に発見され、日本の古代史を読み解く上で貴重な資料となっているが、こんな記録があるというのは、大陸や半島との行き来が、現在我々が想像したり実感するよりも、はるかに頻繁に行われていた証左に過ぎない。その点、太平洋は除外してもいいだろう。とにかく広すぎるわ。

弥生時代は渡来人が中心となって発展(?)した時代だが、上記したような頻繁な交流があってこそ、成り立ったと言ってもいいだろう。

話を「台湾〜与那国島」ルートに戻す。これが琉球と台湾との交流であれば、もっと素直に受け入れたのだろうが、「最初の日本列島人」と言われると俄然「???」となる。

そもそも「最初って何?」という、根源的な疑問がついて回る。上記したように、ボクは「日本人の起源」を相当曖昧なままにしているのだが、それでもこの記事で扱われるような「最初の日本列島人」はあまりに幅が狭すぎる。

ルートの一つとしては十二分に認めましょう。あくまでも数あるルートの内の一つに過ぎない、というのがボクの見方であり、この記事のようにピンポイントで来られると、窮屈で仕方がない。

そもそもボクの「漂着民のなれの果てが日本人の起源」説のルーツは、ベトナム難民を乗せたいわゆる「ボート・ピープル」事件(?)を、リアルタイムで目の当たりにしたのがきっかけである。

飲まず食わずで狭い船に大人数がぎゅうぎゅうに押し込められ、ロクな装備もまともな操舵もないまま、無事日本に辿り着いた人々の姿をテレビのニュースで見ていて「運が良ければこの手もアリか」と思ったのだ。

恐らく70年代末期から80年代初頭頃だろうと思う。記憶が曖昧なのでちょっとネットで調べたのだが、ものの見事にこの時の記事が見つからない。なぜだ? もちろん遭難例も沢山あったのだろうと思う。だから「運が良ければ」と思ったのだ。

70年代末期から80年代初頭頃なら、ボクの中学から高校時代に相当する。思いっきり瀬戸内海に密着して、日常を送っていた時期である。水運を今ほど重要視していなかったのは事実だが、とにかく目の前を船が通り過ぎていくのを見ているのだ。船で漂着はもう当たり前という価値観すら、既に確立していた。

ちなみにこの時期は、まだまともに太平洋を見ていない。当時ボクがそれなりに見て知っていたのは、瀬戸内海と玄界灘程度である。それでも、東シナ海はまだ想像の範囲内だった。

それこそ「台湾〜与那国島」ルートではないが、「島伝い」は日常生活レベルで「アリ」だったので、東シナ海を島伝いに北上するのは容易に想像できた。ちなみに断っておきますが、ボクが知ってたり体験したりしているのは、瀬戸大橋や明石大橋が出来る前の、瀬戸内海のごく一部である。

いわゆる「連絡船」が、日常の足として活躍していた頃。今はどうなっているのか知らない。「瀬戸の花嫁」という歌を引っ張り出しても、もう通用しないんだろうなぁ……。

更に「ボート・ピープル」事件は、「運」という要素が重要であることも示唆してくれている。

遣唐使のアホな「悲劇」は脇に置きましょう。あれは渡航するのに一番悪い時期をわざわざ選んでいるので、失敗して当たり前なのだ。大陸や半島との日常的な交流が盛んだった地域の人々は、恐らく「なんで選りに選ってこんな時期に船を出すねん」と呆れていたと思う。これが「畿内政権」を白眼視する、ひとつのきっかけになった可能性すらある。

単純なリスク管理の問題である。遣唐使といえばもう平安時代である。安全な時期に安心して船を出せば、普通に行って帰れる技術は既に確立していたと言ってもいいだろう。ただ、この技術が正確に畿内に伝わっていたかというと、遣唐使を見ている限り、どうも怪しい。とにかく、日程からして無理矢理過ぎるのだ。

ちなみに先史時代に関して言えば、黒曜石の移動を見ればある程度大陸や半島との交流の具合は証明できるらしい。詳細は自分で調べましょう。石器時代の話ですが、割とポピュラーな検証の仕方みたいだし、ググればそれこそゾロゾロ出てくるでしょう。ボクは専門書を読んで知ったので、ググっていません。本当に出るかどうかも検証していない(笑)



相当話が逸れた。「台湾〜与那国島」ルートに話を戻す。

運試しの一発勝負に出なければいけないほど、3万年前に渡航してきた人は追いつめられていたのだろうか? バクチにしては分が悪すぎるし、それで成功したとしても、その人々が即「最初の日本列島人」になれるほど成功例が多発したのか?

もっと狭い海域(半島・大陸間)を渡航した人々を、人数で凌駕できたのか? さらに北方から南下してきた人々が加わると、どう考えても「最初の日本列島人」とするには分が悪すぎる。

「獲物を追って来ちゃった」説もあるようだが、この説もボクに言わせれば弱すぎる。獲物が広い大陸からわざわざ狭い場所に移動するとは思えないし、それこそ大陸の方が逃げ場は圧倒的に広いのである。よほど特殊な種だけを獲物にするとは到底思えないので(趣味とか遊びじゃないんだから)、この説は実際面で切り捨ててもいいと思う。

では、実際面での動機はどうか、というところが重要になるだろう。何しろ、わざわざ移動してくるのだ。上記したように、物理的な広さは大陸の方が圧倒的に上である。それこそ居住場所に不自由することはないはずなのだが、実際移動はしている。

一番素直なのは、「近隣コミュニティー同士のややこしい軋轢から避難した」という解釈ではないだろうか?

何がどうなっているのか分からないような場所に、わざわざ移住するのである。軋轢が暴力的なものなのかどうかは、正直分からない。ボクみたいな面倒くさがりが、「もう相手するの邪魔やからとっとと逃げよう」という程度の理由で、さっさと逃げ出した可能性すらボクは排除しない。

原始共同体(特に狩猟採取時代)は、比較的穏やかなコミュニティー運営と交流があったことは割とよく知られている。にも関わらず、逃げ出す少数派はやはり存在したはずである。もうここからはボクの経験だけの妄想だが、コミュニティーの規模にかかわらず、必ず少数派(場合によっては、一人だけということもあったはずである)は存在するのだ。実際、ボクがそうだし(笑)

たった30人のクラスですら、圧倒的な孤立状態を10年近くキープした人間である。歴史上稀な例どころか、こうした例は古今東西を問わず、必ずあったはずなのだ。変わりもんはいつの時代、どの地域にもいる。

緩やかな共同体ですら、こうした突然変異的な存在が出るのは、むしろ当たり前と思った方がボク的にはしっくりくる。そんな人は「集団で移動」などという、高度なことが出来るはずなのである。おそらく単独で移動した例も、相当数あったと思われる。

コミュニティー間のいざこざで移動するというのは、日本列島では弥生時代以降かなり顕著になっている。これは共同体の規模が大きくなり、それなりの武力衝突なり権力争いが大きくなったことに起因するのだと思う。

少し後世になるが畿内政権の「蝦夷」発言は、あからさまな差別意識(もっと言えば野蛮人扱い)が表面化し、「蝦夷には何をしても大丈夫」的な傲慢極まりない態度が、元々住んでいた人々から土地を武力で奪い取る直接的な原因になったのは明白であり、こうした事情は「記紀」の中でも散々書かれている。ネイティブアメリカンの例と酷似している。

「蝦夷」をはじめ「熊襲」「土蜘蛛」、そうとうふわっとさせているが「八岐大蛇伝説」ですら怪物退治の美談ではなく、この地域に住んでいた先住民を駆逐した一例だと思っている。こういう例は本当にいくらでも出てくるので、注意して読む必要はあると思う。

もっとも「記紀」そのものが畿内政権の美談の塊なので、相当慎重に読まないとヤツらの術中にはまるのでご注意願いたい。それでもあちらこちらに、上記した例は結構見られる。

本来なら美談だけで誤魔化しきりたかったのだろうが、どうしても矛盾点は出てくる。さっさとこの矛盾を片付けるには、「正義と悪」の二項対立に話をすり替えるのが、ある意味王道であろう。厄介な王道だが、これまたこの列島固有の現象ではないことを併せて指摘しておく。

権力闘争で負けて列島に逃亡してきた例も、記録として相当数ある。一々列挙はしないが、これまたある種の難民であろう。

要は、大陸なり半島なりに居場所がなくなった人々の避難場所としての、日本列島の存在意義はあったはずである。

またまた話が逸れているのだが、こうした心理を持った人々が移動するルートは、上記したように結構ある。ボクが一番怖いのは「台湾〜与那国島」ルートが脚光を浴びることにより、他のルートから一般の人の目が逸れてしまう可能性を否定できないことだ。

今回の記事の主旨はあくまでも「航海技術」に関する論考と、試行錯誤の末の実践にある。ルートを確定することが目的ではない。当事者達はもちろんこの「航海技術」にマジメに取り組んでいるはずだが、報道の仕方があまりに杜撰すぎる。

今回の実験だって、ある程度の目安があったからこそ「漕ぎ続ける」ことができたのであり、こんな目安すらない状態でいきなり過大に体力を使うという暴挙に出たとは思えないのだ。

いつ着くか分からないのだから、当然ペース配分だって相当緩やかにしないとやってられないだろうし、それこそ闇雲に漕ぎ続けるなどあり得ない。これまたリスク管理の話になって恐縮なのだが、「いつ着くか分からない」のであれば、当然長期戦を覚悟しないといけないだろうし、実際そうだったと思う。

古代の航海技術の一端が、実証試験で可能だったことが証明された事実をもちろんボクは否定しないが、これがすべてとはやはり思えないし、再三書いているように、ルートなら腐るほどある。それこそ目と鼻の先にゴールが見えていれば、こっちの方がよほど気楽である。実際、お天気が良ければ玄界灘から済州島は見えるしね。

見えるゴールに辿り着いて、今度は大陸・半島側からのルート選定となると更に幅は広がる。日本列島に面した大陸側の沿岸部は、尽く出発地としてもそれほど無茶ではないと思う。とにかく、点ではなく面でルートの起点を決められるので、柔軟性は遥かに高い。

ここでボクが書いたことは、地政学にすらなっていない。あくまでも「見える範囲」という、極めて原始的で肉体的な限界を前提としているに他ならない。地政学については、むしろ後付けという意味合いの方が強い。

成功例を逆に大陸・半島側へもたらした人々も少なくないだろう。こうなると、徐々に「安全なルート」は試行錯誤の上で生み出されるだろうし。実際そうなってる。どれだけの犠牲を出したのかはもちろん知る由もないが、後世になればなるほど、ある程度安定した安全なルートはあっただろう。我々が知らないだけの話だ。

結局、大袈裟なタイトルの結論には辿り着いていないが、このへんがボクの限界である。ただ、これだけは言える。現代人が考える以上に、我々の祖先は渡航に限ってすら圧倒的な知見を有していただろう。それは必要から生まれたのは言うまでもない。

だが、ここで述べたように、想像レベルですら正直怪しい。何しろボクは、21世紀の列島のとある盆地の端っこに住んでいるだけなのだ。立脚点があまりに違いすぎる。

これからも様々なアプローチを専門家の皆様はすると思うが、時間の余りに大きすぎる隔たりは、いつまでも解消されないように思う。古人と同じように考えるのはどう考えても無理がある。

昨年から生じた「線条降雨帯」でこれだけ大騒ぎしているのだ。自然環境の違いだって相当ありそうな気がする。

さらに厄介なのは、「遺物があっても大半は海の底」という、リアルすぎる現実だってある。この不定期連載で何度も似たようなことに触れているが、「火星の表面を調べる方が、地球の深海を調べるより楽」と言い切る科学者だっているのだ。

重力の呪縛から逃れてしまえばこっちのもんだが、水圧の脅威からは逃れられない。深海探査は水圧との戦いでもあるのだ。

その点、大気圏を離脱してしまえば、当座の重力問題は相当些細になる。実際、衛星軌道上に3Dプリンターを打ち上げて、人工衛星なりなんなりを軌道上で作ってしまおうという動きすらある。素材は廃棄された人工衛星や、月やデブリから調達できるしね。

それでも「日本人はどこからきたのか?」という素朴な疑問は、ボクの興味から外れることはない。「現代日本人離れした骨格の持ち主だから」というアホな動機があるのも事実だが、こんな変な地域に生まれ育ったのだ。それこそ、ネタの宝庫ではないですか。

ボクに「興味を抱くな」と言う方が無茶である(笑)


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com