まにまにころころ[182]ふんわり中国の古典(論語・その45)政治の本質とはそれぞれが自身の役割を理解して務めを果たすこと
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

投稿:  著者:



◇やるべきこと やってはいけないこと

コロこと川合です。新コロナに水害にと、気の重くなるようなニュースが続く中、今度は、NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』にも出演されていた、というか、あれにもこれにも出演されていた超人気俳優の、三浦春馬さんが亡くなられたり。

特別な思い入れのなかった私ですら大変なショックで、ニュース速報で一報を知ってからずっと悶々としていますので、ファンや関係者、ご家族ご友人など近しい方々の胸の内たるや想像もつきません。

報道では自ら命を絶たれたようだとのことですが、今はただ静かに祈りつつ、お悔やみを申し上げます。





自死にも色々ありますが、私は、基本的には病気の一種だと考えています。

治療法も日々研究されています。早期発見、早期治療が大事だと思いますので、ご自身や身の回りで、なんとなくでも徴候のようなものを感じられた場合は、ひとまず相談窓口に問い合わせてみましょう。

適切な治療が受けられるかどうか、まだまだ運次第な面もかなりありますが、厚生労働省が相談窓口の一覧を公開しています。

・厚生労働省 自殺対策 > 電話相談
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/soudan_tel.html


電話相談窓口の一覧ですが、各団体のサイトではSNSやチャットで受けてくれる窓口を持っているところもあるようです。

対応する相手も人間なので、いい相手に巡り会えるかは運次第というのが、まあ今後の課題といったところでしょうか。もう少し研究と技術が進めば、こういう相談の一次窓口は、いわゆるAIのほうが向いている気もしますけどね。

また、自死については、最近何かと話題の世界保健機関(WHO)がメディアに向けて、報道ガイドラインを作成しています。こちらも厚生労働省のサイトに日本語のものがあります。

・厚生労働省 メディア関係者に向けた自殺対策推進のための手引き
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/who_tebiki.html


メディア向けのガイドラインなどは、報道関係者だけが知っておけばいいなんて、20年前ならそうだったかも知れませんが、ソーシャルメディアなんて言葉さえ陳腐になりつつある令和の時代、我々みんなメディア関係者みたいなもんです。

以下に転載しますので、この機会に一緒に一読しましょう。

「自殺対策を推進するためにメディア関係者に知ってもらいたい基礎知識(2017年版)日本語版」より
https://www.mhlw.go.jp/content/000526937.pdf


<ここから引用>

自殺に関する責任ある報道:
すぐわかる手引(クイック・レファレンス・ガイド)

○やるべきこと

・どこに支援を求めるかについて正しい情報を提供すること

・自殺と自殺対策についての正しい情報を、自殺についての迷信を拡散しないようにしながら、人々への啓発を行うこと

・日常生活のストレス要因または自殺念慮への対処法や支援を受ける方法について報道すること

・有名人の自殺を報道する際には、特に注意すること

・自殺により遺された家族や友人にインタビューをするときは、慎重を期すること

・メディア関係者自身が、自殺による影響を受ける可能性があることを認識すること

○やってはいけないこと

・自殺の報道記事を目立つように配置しないこと。また報道を過度に繰り返さないこと

・自殺をセンセーショナルに表現する言葉、よくある普通のこととみなす言葉を使わないこと、自殺を前向きな問題解決策の一つであるかのように紹介しないこと

・自殺に用いた手段について明確に表現しないこと

・自殺が発生した現場や場所の詳細を伝えないこと

・センセーショナルな見出しを使わないこと

・写真、ビデオ映像、デジタルメディアへのリンクなどは用いないこと

<引用ここまで>

効果は測定しようもありませんが、よくできているガイドラインだと思います。

テレビやニュース記事を見ると、このガイドラインがまるで意識されていない気がすることもあって、重ねて残念な気持ちになりますけども。

いわゆる先進国の中で日本は自殺率が高い、なんて話もそれこそマスメディアで見聞きしたりするのに、自殺対策推進の一環で作られた報道ガイドラインが、そのマスメディアで無視されていては、ねえ。

ここのところ、ちょっと気にはされつつあるのかな、とも思いますので、改善を期待しつつ、個人レベルで気をつけるところから始めましょうか。

ガイドラインをきちんと意識してるんじゃないかな、というケースもあります。

例えば、試しにYahoo!JAPANを開いてみてください。衝撃的なニュースの割には、さほど目立たない気がしませんか? おそらく配慮の結果じゃないかと思います。一報からまだ2日目。テレビでもガンガン取り上げていそうなのに。

今回の件に関する記事をひとつ開いてみたところ、相談窓口を紹介するリンクもありました。確証はありませんが、Yahoo!って、こういうところはきちんと対応する企業である印象がありますので、おそらくは。

話は横道に逸れますけども、「ガイドライン」を作る時、このように
・やるべきこと
・やってはいけないこと
を書き出して共有、周知することがポイントです。それだけでもいいくらい。

特に、「やってはいけないこと」をいつでも参照できる形で用意しましょう。

個人でももちろんそうですが、特に企業ですね。ソーシャルメディアの活用をしている、しようとしている方は、もし現状用意していなければ、今からでも「やってはいけないことリスト」だけでも作っておきましょう。

また、テレワークがにわかにブームとなっていますが、セキュリティに関する「やってはいけないことリスト」もぜひ。

企業で、これから作ろうかという場合、ワークショップのような形でみんなで時間をとって一緒に作るようにすると、周知にも繋がるんで一石二鳥です。


◆政治の本質とは

ここから話を無理やり本題に寄せますが、『論語』ってその内容の多くが、ある種「君子ガイドライン」的だったりします。

君子として「やるべきこと」「やってはいけないこと」が書かれている。

もちろん、ストレートにそういった構成になっているわけではありませんが、そういった視点で再編集してみるのも面白いかも知れませんね。

ということで、本題に移りましょう。


◎──巻第六「顔淵第十二」十

・だいたいの意味
子張が徳を高くし惑いをはっきりさせるということについて尋ねた。

孔子先生は仰った。
忠と信を主として、義へ移っていくのが、徳を高くすることになる。ある人を愛したらその生を欲して、憎むことになれば死を欲する。元は生きて欲しいと思っていながら、こんどは死を望むという、それは惑いだ。

──巻第六「顔淵第十二」十について

「崇徳弁惑」(徳をたかくし、惑いをわきまえん)という成語があったそうで、子張はその意味の深いところを孔子先生に尋ねたんですね。

徳を高めるということについては、まず忠と信を第一に考え、それを元にして義の心を醸成していく、と。

惑いのほうは、ちょっと分かりにくいというか、具体的に過ぎるというか。

愛する人がいたとして、愛しているうちはその人が生きることを望んでいて、それが何かをきっかけに憎む気持ちに変わると、一転して死を望んだりする。一度は愛して生を望みながら、改めて死を望むというのは、惑いだ、と。

えらい例を持ってくるな、孔子先生。

でもまあ、惑いに違いはない。

これほど極端な話はともかくとして、評価が変わったんだから、対応も変わるのは自然なことですよね。

別に惑いについての良し悪しは、孔子先生も、元の成語も、言ってません。

成語では、惑いについて明確に認識することを求めているだけです、おそらく。

孔子先生は、惑いというのがどういうものを指すのかを教えただけ。

あるものに対する評価や対応の変化、ブレが惑いだと。

孔子先生の、愛した人の生を望んだり死を望んだりという例えは、どうしても男女の関係を想像してしまいますが、男女関係に限ったことではないですね。

これは史実ではなく創作ですが、中国の大河ドラマ『孔子』(原題:孔子春秋)では、陽虎と少正卯という何かと孔子先生に害をなす奴が出てくるんですが、ふたりは孔子先生の幼なじみなんですよ。(人物は実在、幼なじみ設定が創作)

そのふたりに対して、孔子先生はまさに惑いをみせます。果てに殺し合いへと。

今、Amazonプライムビデオで無料配信されているので、見てみてください。

陽虎は論語でも以前、間接的に出てきていますし、先の方でまた出てきます。そこでは陽貨となっていますが、陽虎のことです。章タイトルになっています。


◎──巻第六「顔淵第十二」十一

・だいたいの意味
斉の景公が孔子先生に政治というものについて尋ねた。

孔子先生がこたえて仰った。
君、君たり。臣、臣たり。父、父たり。子、子たり、と。

景公が言った。
善いことですね。本当に、もし君が君たらず、臣が臣たらず、父が父たらず、子が子たらずば、穀物があったとしても私はどうしてこれを食べられようか。

──巻第六「顔淵第十二」十一について

君主は君主として、臣下は臣下として、父は父として、子は子としてそれぞれ分をわきまえて、それぞれの本分に尽力するように務めるようにするのが政治の本質ですよと、孔子先生。

で、景公なんですが、ダメ君主と言われてまして。ここでは孔子先生の言葉を受けて理解したような反応をしていますが、なるほどそれぞれが務めを果たすことがないと、穀物を納めさせてもおいしく食べられないってもんだ、というような、なんかちょっとズレたことを言い出します。まあ、そういう人です。

景公はさておいて、それぞれが自身の役割を理解して務めを果たすこと、上の者は、そうできる土壌を作ること、確かに大事ですね。

君臣、父子というところだけを見ると前時代的な話と受け止めそうですけど、自分に課せられた社会的役割をきちんと考えて認識し、務めを果たそうとすることって、果たせるかどうかは別として、大事だと思いますし、そうできる場を作ろうとすることも大事だと思います。


◎──巻第六「顔淵第十二」十二

・だいたいの意味
孔子先生が仰った。
ひと言を聞いただけで訴訟事をさばけるのは、由(子路)だね。子路は承諾を先延ばしにすることはなかった。

──巻第六「顔淵第十二」十二について

子路はすばやく意志決定できる人だったと。

上の、二行目は孔子先生の言葉、三行目は編集者の付言と言われています。


◎──巻第六「顔淵第十二」十三

・だいたいの意味
孔子先生が仰った。
訴訟事を聴くことについては、私も一般人と同じだ。(でも私は)訴訟事そのものを無くしたい。

──巻第六「顔淵第十二」十三について

私は子路のように訴訟事を即決でさばいていくことなんてできないよ、そこは普通の人と同じだよ。でも私は、訴訟事自体をなくしたいと考えているよ、と。

孔子先生が優れているのは、スキルじゃなくて、志なんですね。

これはある意味で、弟子も我々も、勇気づけられる話かもしれません。

超絶スキルを身につけろって言われると困りますが、高い志を持ってものごとを考えなさいと言われれば、そうあろうと意識することは誰でも可能ですから。

実現の難易度は同じくらい高くても。


◎──巻第六「顔淵第十二」十四

・だいたいの意味
子張が政治について尋ねた。

孔子先生は仰った。
位に就けば飽きて疎かにせず、何かを実行する際は忠の心をもって行いなさい。

──巻第六「顔淵第十二」十四について

景公に続いて、子張も政治というものについて尋ねています。子張には比較的、具体的なアドバイスになっていますね。

景公には、分をわきまえろ、本分を尽くせ、と、嫌味も含んでいたのかなと。

今日二度目の登場となる忠ですが、改めて、忠というのは、相手に対して真心を尽くすことです。


◎──巻第六「顔淵第十二」十五

・だいたいの意味
孔子先生は仰った。ひろく教養を学び、それを礼をもって引き締めれば、道に背くようなことにはならないだろう。

──巻第六「顔淵第十二」十五について

以前に読んだ「雍也第六」二十七と、ほぼまるまる同じ文です。ま、大事なことなので二回言いましたってことにしておきましょう。


◎──今回はここまで。

色んな事が起こって大変ですが、こんな経験は二度とすることないでしょう。

二度としたくもないでしょうけど。起こってることはもうしかたないですし、経験として受け止め、おなかいっぱいですが消化して、血肉にしましょ。

ラスボス級の相手ですけど、なんとか倒してレベルアップしましょう。


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
https://www.facebook.com/korowan

https://www.facebook.com/caputllc