日々の泡[038]酒井和歌子さんへのオマージュ【深川安楽亭/山本周五郎】
── 十河 進 ──

投稿:  著者:


講談社の「週刊現代」が夏の合併号で「酒井和歌子に夢中になった時代」という特集を組むというので、僕のところにもコメント依頼があり、電話取材を受けた。確かに僕は酒井和歌子ファンだけど、どこから知ったのだろう。

確かめたら、十五年近く前に「命棄ててもいいほどの清純さ」というコラムを書いていた。僕の「映画がなければ生きていけない2003-2006」に収められているが、「週刊現代」の編集者は「日刊デジタルクリエイターズ」のアーカイブで読んだという。

ネット社会だと思う。特集のテーマが決まった後、編集者はネット検索をしてみたのだろう。僕も試しに「酒井和歌子」などのキーワードで検索してみたが、なかなか僕のコラムは出てこない。結局、僕の名前を入れないとヒットしなかった。




さて、そのコラムで僕は「めぐりあい」(1968年)と「いのち・ぼうにふろう」を取り上げている。「めぐりあい」は酒井和歌子の初主演映画で、彼女は十八歳。ファンサービスで白い水着姿を見せてくれる。初めてのキスシーンもある。

「めぐりあい」は、一九六八年の春休みに公開になった。僕は高校二年から三年になるところだった。主題歌を荒木一郎が歌っていて、タイトルデザインを和田誠が担当していた。公開当時、僕は和田誠が何者なのか、まったく知らなかった。

電話取材では最も印象に残っているシーンとして、僕は「めぐりあい」の中の土砂降りの雨の中、斜めになったダンプの荷台でのキスシーンを挙げた。たぶん、酒井和歌子にとっても初めてのキスシーンだったはずだ。ミニスカートが濡れて肌にくっつき、白い太股が露わになっていたことも思い出す。

しかし、昔も今も酒井和歌子は「性的なもの」から最も遠い存在だと思う。「聖なる存在」であり「清純さ」を体現する存在として酒井和歌子はこの世に生まれたと、十六歳からずっと僕は思っている。そのことを「いのち・ぼうにふろう」に託して書いた。

「いのち・ぼうにふろう」は、山本周五郎の小説「深川安楽亭」を小林正樹監督が映画化したものだ。俳優座が制作し、仲代達矢、佐藤慶、近藤洋介、岸田森などが無法者たちを演じた。安楽亭の娘を人気絶頂の栗原小巻が演じている。

深川安楽亭は無法者たちが集まる店で、町方も手出しができない。亭主と無法者たちは密輸に手を染めている。ある夜、仏の与兵衛(佐藤慶)が岡場所で地まわりに半殺しになっていた手代(山本圭)を助けて連れ帰る。無法者たちは手代の話を訊く。

手代には、幼い頃から言い交わした娘(酒井和歌子)がいた。ある日、娘がやってきて、身売りされることになったと言われる。手代は矢も盾もたまらず、店の金に手をつけて娘の家へいくが、すでに娘は女衒に連れられていった後だった。手代は娘を捜して岡場所にいき、男たちに半殺しにあったのだ。

無法者たちは、若い恋人たちのために立ち上がる。娘を苦界から救おうとする。罠かもしれない密輸仕事に出かけ、身請けの金を作ろうとする。男たちが命を棄ててもいいと思うほどの「聖なる存在」として、酒井和歌子が演じた「おきわ」は登場しなければならない。

「いのち・ぼうにふろう」で、ずっと登場するのは栗原小巻だ。酒井和歌子が出てくるシーンは少ない。無法者たちは「おきわ」に会うこともなく、死んでいく。手代の話の中に出てくる娘の姿を胸に描いて、御用提灯の群の中に飛び込んでいく。

無法者たちが「いのち・ぼうにふってもいい」と思わせるだけの「清純さ」がなければ、観客たちを説得することはできない。二十歳を過ぎたばかりの酒井和歌子にはそれがあった。ラストシーンは、深川安楽亭に向かって祈りを捧げる酒井和歌子なのである。

「深川安楽亭」は山本周五郎の短編だが、一時期、彼の小説はずいぶん映画化されたものだ。黒澤明だって「椿三十郎」「赤ひげ」「どですかでん」を撮っている。テレビでの映像化作品も多い。僕は、中村吉右衛門が主人公を演じた「ながい坂」をよく憶えている。

僕が初めて読んだ山本周五郎作品は「赤ひげ診療譚」だった。一九六五年の春休みのことだ。僕は十三歳、中学一年から二年になるところだった。なぜよく憶えているかというと、春休みの宿題の作文を「春休みの読書」と題して提出し、それが校内誌に掲載されたからである。

初めて自分の文章が活字になったのだ。その中で僕は「赤ひげ診療譚」とロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」を読んだことを書いている。もっとも、「ジャン・クリストフ」は長大な小説のために第一部しか読めなかったので、それを正直に書いた。

僕が「赤ひげ診療譚」を読もうと思ったきっかけは、黒澤明監督が映画化しているというニュースを見たからである。その映画で期待の新人・内藤洋子が出演することも話題になっていた。人気絶頂だった「若大将」こと加山雄三の相手役ということだった。

そんなミーハーな動機で読み始めたのだが、「赤ひげ診療譚」を読んだために僕は山本周五郎の愛読者となった。以来、「さぶ」「ながい坂」「青べか物語」など、忘れられない作品に出合った。中年を過ぎて読み返したとき「説教臭い作家だなあ」とは思ったが、それでも感動の涙が落ちた。

数多い山本周五郎原作の映画化作品の中でも僕が好きなのは、川島雄三監督の「青べか物語」(1962年)と「いのち・ぼうにふろう」である。ちなみに、「週刊現代」の酒井和歌子特集は、きっとご本人も目を通すのだろうなあ。つまり、僕のコメントも読まれてしまうわけですね。

週刊現代 2020年8月8日・15日号
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B08DPQZZJ8/dgcrcom-22/



【そごう・すすむ】
ブログ「映画がなければ----」
http://sogo1951.cocolog-nifty.com/

「映画がなければ生きていけない」シリーズ全6巻発売中
https://www.amazon.co.jp/%E5%8D%81%E6%B2%B3-%E9%80%B2/e/B00CZ0X7AS/dgcrcom-22/