[5071] 受験生並みの猛勉強の夏

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《私の仕事は研究することだ》

 ■Otakuワールドへようこそ![335]
 受験生並みの猛勉強の夏
 GrowHair
 



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■Otakuワールドへようこそ![335]
受験生並みの猛勉強の夏

GrowHair
https://bn.dgcr.com/archives/20200828110100.html

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いつも読んでいただきまして、ありがとうございます。諸事情ありまして、今回をもってデジクリのレギュラー・ライターから、いったん降りることにしました。

理由は、私自身の興味が移りつつあり、一般的に共有可能な領域から乖離してきていることと、やるべきことが加速的に増えてきていて、原稿を書く時間を確保するのが物理的に難しくなってきたことです。

●もともと、オタク文化をゆがみなく描写する狙いだった

隔週金曜日に枠をもらって、レギュラーとしてここに書き始めたのは、2005年3月でした。当初、主な狙いは、オタク文化をゆがみなく描写したい、という点にありました。

私は、趣味領域においてですが、いわゆる「カメコ」(カメラ小僧)として、コスプレイヤーの写真をよく撮っていました。

コミケにも行き、みずから個人撮影を企画して撮ることもあり、また、メイド喫茶などで、漫画やアニメに詳しい人たちと交流することもよくあり、オタク文化のリアルな姿を間近に見ていました。

私からみえているオタクは、世間によくありがちな、出世したいとか、金持ちになりたいとか、クリスマスにはデートだとか、体型やファッションに気を配ってカッコよく見られたいといった俗な価値観を見向きもせず、好きな漫画やアニメに徹底的にのめり込み、膨大な知識を蓄え、語りだしたら止まらなくなる、たいへん魅力ある人たちに映っていました。

ところが、世間一般からみたオタクのイメージは、社交性がない、友達がいない、屋内で一人で過ごすのを好み、無口で性格が暗い、社会不適応、下手すりゃ犯罪者予備軍、よくても珍獣、ぐらいの位置づけでした。それは、実態から、かなりかけ離れていました。

まあ、持ち上げるほどではないにせよ、ありのままの姿を描写することで、世間のイメージどおりのオタクなんて、そうそういないぞ、ということを訴えたかったわけです。

ところが、ちょうどその時期、にわかにオタク・ブームが沸き起こりました。映画『電車男』が出たり、オタク文化評論本がどどどっと出版されたり。

私がレポートしようと思っていたオタクの実態が、テレビなどのメジャーなメディアで伝えられるようになり、私にとっては、書くことがなくなってしまいました。

なので、しょうがないから、私自身をオタクの一員と見立てることで、結局、私が、その時、その時に興味をもったことについて、まあ、それなりにオタクっぽく、無駄に細部にこだわった表現をもって、語ってきたというわけです。

●意識の謎に興味が移っていった

いつごろから、どういうきっかけでかは、もうぜんぜん思い出せないのですが、意識の謎に興味をもつようになりました。目が覚めたら意識があるというのは、夜になると星が見えるとか、蛇口をひねると水が出るとかと同じくらい、日常的なことで、そうあるのがあたりまえのことです。

いまさら疑問に思う余地なんて、何もないように思えるかもしれませんが。しかし、そのようにあたりまえに意識があるということが、実は、ものすごーく不思議なことだったのだと気づいてしまいました。

そこらへんを飛んでいる光は、いろいろな波長がまぜこぜになっています。ある物体の表面にいろいろな波長の光が当たると、特定の範囲の波長の光を重点的に吸収し、残りの波長の光を反射するため、その物体表面からわれわれの目に飛び込んでくる光の波長の分布には偏りが生じています。これが、現実に起きていることです。

その物体表面が赤く見えるというのは、われわれが脳内でやっていることです。物体に色がついているわけではないのです。光の波長とは、サインカーブの山から山まで、あるいは谷から谷までの一周期分の長さです。

その長さが700nm(※)であることと、それが赤く見えることとは関係ないはずです。誰がそう決めたんでしょ? どうして、この赤という色に見えるんでしょ? 不思議じゃないですか?

※ナノメートル 1ミリメートルの百万分の1

さて、意識の不思議に気づくとどうなるかというと、とりあえず、ぼーっとします。あると思っていた土台が、実はなくて、底が抜けていることに気がついた、みたいな足もとのおぼつかない、不安な気持ちになります。

なんでみんなは平気で、特に疑問に思うことなく、ふつうに生きていけちゃうんだろう、と不思議に思えてきます。

同じことで悶絶している人はきっといるはずだと思い、それっぽい本を見つけては読み漁りました。やはり、ばかでかい問いがそこにありました。問いの核心にあるのは「意識のハードプロブレム」でした。人類は、まだ、誰も正解にたどり着けていないのでした。

これがもし、哲学の問題として、何百年も前から、いろいろな賢人が出てきては、いろいろな説を唱えたって話で終わっていたら、私は、「ああ、やっぱりね」ってことで、考えるのを保留にして、放置していたかもしれません。

しかし、数十年ほど前から、生きた状態の脳の活動を計測する手段が整いはじめ、脳のメカニズムについて、急速に解明が進んできました。脳の解明が進んで、意識の謎がいっそう深まったとも言えるのですが。

しかし、意識の問題が、哲学的にあれこれ思い悩む段階から、科学で解明すべき問題として、科学の研究対象の俎上に上がりつつある段階に進んできているとも言えるわけです。

新たな知見が、ガンガン得られていて、動きが激しい。脳科学と人工知能のクロスオーバー領域は、いま、いちばん熱いのではないかと私にはみえています。

いろいろなことが急速に解明されてきているとはいえ、問いは問いでおそろしく深遠であり、私からみた感覚では、正解にたどり着くまでの道のりは、まだまだ長そうです。ざっと300年くらいはかかるのではないかと。しかし、正解が知りたくてたまらない。がんばって、あと300年生きよう。

じゃあ、みずから意識研究に取り組んでみてはどうかという考えが浮かばなくはないけれど、そこは、最初っから、あきらめています。これは、天才にしか突破できない壁なのです。下手の考え、休むに似たり。

自力でなんとかしようとするよりも、正解の一番近くにいる人は誰かなー、ってことで、意識研究に取り組んでいる、超絶頭のいい学者先生たちの講演を聴講するなどして、考えを理解しようとするほうが近道です。天才ウォッチ。

もし正解を聞いたら、「そんなとこかよ! そりゃ、なかなか思いつかないわけだ!」と反応しそうな、ものすごーく意外なところに転がっているような気がします。

意識の謎には、付随的な問いとして、「人工物に意識を宿らせることは可能か」というのがあります。そこにちゃんと答えるには、ああだこうだと思索的にやったのではだめで、意識が宿る条件が何かを、きっちりと数理的に記述しないとなりません。

現段階でも、数式で表現された意識の仮説というのは、いくつか提唱されています。まあ、それらのうちのどれかの近辺に正解があるという感じはあんまりしないですけど。

しかし、正解を聞いたときに驚くことができるためには、理解できないことには話になりません。なので、私としては、上がってきた仮説は、すべてきっちりと理解しておきたい、と思っています。

思うだけで、これ、実際にやろうとなると、非常にたいへんです。例えば、ジュリオ・トノーニ氏は「統合情報理論(Integrated Information Theory; IIT)」を提唱しています。また、カール・フリストン氏は「自由エネルギー原理(Free Energy Principle; FEP)」を提唱しています。どちらも基礎にあるのは情報理論です。

確率密度関数に対して、情報の量を表す指標に、エントロピー、カルバック・ライブラー情報量、相互情報量などがあり、どれも、確率pに対して、p log(p)のディメンジョンをもつ量です。

その基礎ができていても、その先がかなり難物です。ふたつの仮説は、金井良太氏(株式会社アラヤ代表取締役)が講演で紹介したことで私は知ったのですが、金井氏自身が理解するのにそうそう苦労したと言っています。

FEPを理解するのに、何をどういう順番で勉強すればいいのか、誰も教えてくれなかったけど、自力でがんばって分かったのは、「EM アルゴリズム」と「変分ベイズ」を、この順で勉強しておくとよいとのことです。

IITについては、大泉匡史氏(東京大学准教授)が、かつて、ウィスコンシン大学でトノーニ氏と一緒に意識の研究をしていたので、非常に詳しいです。

IITでは、意識の本質は情報の統合性にあるとしていて、情報の統合性のよさを表す指標として、Φという量を定義しています。甘利俊一氏(理化学研究所栄誉研究員)の創設した「情報幾何学」の観点からΦを捉えなおすと、多様体上の1点から部分多様体に下ろした垂線の足までの距離として、再解釈できることを大泉氏が発見し、甘利氏と共著論文を発表しています。

この情報多様体というのが、これまためっぽう難解で。確率密度関数を入れておくのに適した多様体を定義するのに、フィッシャー計量を導入し、さらに二種類の接続を導入しています。

このあたりの理論をちゃんと理解しようとして勉強すると、誰がやっても苦労します。私自身が七転八倒の末に、ある程度理解できてきたことを平易な表現に置き換えて、概略だけでも味見できるよう、一般の人々向けに解説すれば、ラクができると大喜びしていただけるかと思ったのですが、世の中の人々って、案外、そうでもないみたいなんですね。

あと、意識の仮説として、圏論を基礎に置いたものが出てきています。土谷尚嗣氏(モナシュ大学准教授)と西郷甲矢人氏(長浜バイオ大学)による共著論文が2019年に発表されています。

圏論とは、抽象化された矢印の数学とも言うべき理論です。対象から対象への矢印が射であり、対象と射とで圏が構成され、圏から圏への矢印が関手であり、関手から関手への矢印が自然変換であり、そこまで行くと、米田の補題が言え
ます。つまり、矢印のなす構造が階層化されていて、まあ、難解な理論です。

意識は、これまで科学の言葉でちゃんと定義できてはいませんでした。土谷氏・西郷氏の論によれば、圏論を用いることで、意識がちゃんと定義できるようになり、やっと正式に、科学の俎上に載せられるようになった、と主張しています。いやぁ、どうなんでしょ。辛辣な反論が山ほどぶつけ返されています。

また、株式会社アラヤからも、意識の新理論が最近、提唱されたようです。ほかにも、コホネン氏の提唱した「自己組織化マップ(Self-Organizing Map)」の理論なども気になっています。

現時点で提唱されている意識の仮説をちゃんと理解しておこう、と思っただけなのに、勉強すべきことが山ほどあります。ちょっと、たまらんことになっています。「勉強すべきこと」という名の巨大な山を目の前にして、圧倒感に押しつぶされそうになりながらも、端っこのほうから、そりそりそりそりとかじっていく生活をしています。

自分としては、自然な流れをたどってきたつもりなのですが、気がついてみると、一般の人々が暮らしている世界からは、ずいぶんかけ離れた世界に住み始めているような感じがしてきています。精神的な山ごもりというか。

●夏休みは、こっそりお仕事

8月8日(土)から16日(日)まで9日間、仕事が夏休みでした。この間、何をして過ごしていたかというと、出社はしてませんが、一日も欠かすことなく、毎日12時間ぐらい、こそこそと仕事してました。

いったいどんなブラック企業にお勤めなんじゃい、と思われるかもしれません。そんなことはまったくなく。会社からは、仕事して過ごせなんて、一言も言われていません。自主的にやったことです。なので、バレたらきっと叱られるので、ぜひ内緒でよろしく。

せっかく時間があるのに、1秒でもほかのことに使うのがもったいなく、これ以外に選択肢が考えられない感じです。夏休みの前後も、週に一回しか出社してなく、生活パターンはあんまり変わらないわけですが。

意識の基礎理論を勉強して過ごすには、いくら時間があっても足りず、そこをどうやって捻出しようかというのが悩みの種でした。いっそのこと、それを仕事にできないだろうか。情報理論を勉強したら、それを一般のビッグデータを処理する手法に適用し、なんか、脳的な、ハイレベルな情報構造化処理ができないだろうか。

そんなテーマに取り組みたいんです、と約一年がかりで会社を説得し、ようやくゴーサインをもらえました。本社機構に呼び戻してもらうことができ、晴れて、私の仕事は研究することだ、となりました。

生きている時間の100%を自分の興味を追うことに使えて、予算までつけてもらえるという、一般のサラリーマンでは、そうなかなか得られない、恵まれた環境下に置いてもらえています。さすがは、従業員4万人、年商1.5兆円の大企業です。ここをがんばらなくて、どうするよ?

それに、特許は、もし同案の発明が複数あったら、一日でも先に出願したほうへ、全権利が付与されます。それもあって、のんびりやっているわけにはいかないのです。

新型コロナに関して、世間では、もうそんなに恐くなくなっただろうってことで、リアル飲み会を再開している人たちもいて、私にもお誘いが来るのですが、私自身はまだ用心を解いてなく、リアルで人に会うことは、まだ自分に解禁していません。かなり純粋な引きこもり生活をエンジョイしています。

アイザック・ニュートンが物理学で大きな発見をしたのも、ペスト禍で田舎に引っ込んでいる 18か月の間においてだったといいますし。私も、この純粋引きこもり生活のおかげで頭が冴え冴えで、非常に張りのある孤独生活を楽しんでいます。自分としては、たいへんよい状態に置かれていると認識しています。ある意味、究極のオタクとも言えます。

●そういうわけで執筆時間がなくなりました

デジクリに原稿を書く時間というのが、どうがんばっても、物理的に捻出不可能な状態になってきています。なので、前進のためにはしかたないと割り切って、レギュラーライターを降りたいと思います。

自分にとって、考えを、ある程度まとまった形で表現する機会というのがそんなに多くなく、デジクリは貴重な場でした。

今後、もし書くなら、読者をまったく意識する必要なく、自分用のメモとして、不定期に何か書いて、放り上げておけるような場があるといいかな、とは思っています。

公開はしておくので、もし興味のある人がいれば、どうぞ自由に読んでください、と、投げっぱなしにできるような場。

たとえば、noteなどはどうかな、と思っているのですが、現段階ではまだ何も準備していません。書いてる時間がいつ取れるか、今のところ、まったく見通しが立ってないですし。もし、書くなら、またGrowHairの名前で書こうと思うので、見つけてください。

♪脳内BGM:小林旭『昔の名前で出ています』


【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
http://www.growhair-jk.com/



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編集後記(08/28)

●さようなら、GrowHair/セーラー服おじさん。ありがとう、小林秀章さん。

【GrowHair】写真を趣味として楽しむサラリーマン、41歳。そう名乗ってデジクリに初登場したのは、1502号(2004年4月6日)だった。いまから16年も前だ。そのとき掲載されたのは「青山ぼちぼち歩き」
https://bn.dgcr.com/archives/20040406140400.html


当初は「デジクリトーク」という、冠タイトルのないゲスト的なポジションであったが、1716号(2005年3月24日)からレギュラー筆者になって「Otaku ワールドへようこそ!」というタイトルがついた。それが335回も続いた。そして今回の336回が最後になる。「番外編」もいくつかあるから、実際はもっと多い。長いこと、ありがとうございました。

「GrowHairの記事一覧」はデジクリのサイトにある。すごい分量である。一覧タイトルを見ただけで、小林さんの興味、関心のバラエティの豊かさに驚くだろう。
https://bn.dgcr.com/archives/GrowHair/


映画を見に行った感想が「70点」の一言、みたいなやつ。たたっ斬ったろかいっ! ……と心の中では言ってみる。

これは、[15]私も十河さんと同じように自問するときがある ~「映画がなくては生きていけない」を読んで の中にあった。いやはや面白い。読み始めたら仕事にならん。

[100]回目は記念特別バカ企画「レイヤーがカメコを撮る」。その中の一節。小林さんのおちゃらけ編集部観。

言わずもがなのことを言っておくと、編集部の忍耐力のおかげというのもありまして。「ケバヤシめ、また下ネタかいっ。よくもデジクリの品位を下げおって」と苦虫噛みつぶしモードの柴田さんに、「これぐらいだいじょーぶじゃないですかぁ」と明るくなだめすかす濱村さんという構図。

こうして、デジクリにおける「いやん、これより下はダメなのよライン」をだましだましずるずると押し下げてきたという、せめぎ合いの歴史が水面下で展開していたというわけです。

[200]回目は「イノベーションを起こせるエンジニアとは?」。ここでは。

私は所属部署が移って以来、2年半ばかり、上から任命されたわけでもないのに、みずから進んで、ぶらぶらと過ごしてきた。自慢じゃないが、会社には一銭たりとも貢献していない。そろそろ麻婆春雨をアウトプットしないと、首のあたりがすーすーするぞ。

[300]回目は「意識をめぐるクネクネは続く」である。次第に学術的に傾斜。

意識意識意識意識とずーーーっと言い続けていたら、クネクネ仲間が寄ってきた、この感覚はたまらなくいいですね。

……というわけで、バックナンバーを読み始めたら、おもしろいからやめどきがわからなくなる。わたしもときどき、いま読んでいる本の書評もどきを書こうとしたとき、この本の発行は数年前だから、既に掲載済みではないかと心配になりチェックすることがある。それがビンゴのとき、ホッとするような残念のような。自分のことを、昔はやっぱりバカだったと思い、昔のほうが利口だったとも思う。どっちも正解だろうが、確実に物忘れは増えた。(柴田)


●GrowHairさん、長い間ありがとうございました(涙)。また時々帰ってきてくださいっ! そうなんですよね、読み始めると止まらない。

「ローゼンメイデン」は、麻生さんよりGrowHairさんの印象が強いです。コミケ、70年代アイドル、人形、英語、カメラ、海外のオタク界隈……そして最近の意識の謎。

カメコという単語も初めて知ったり、新しい世界を教わりました。活動メモを見て、なんて活動的な人なんだと思ったりもしました。そういや、セーラー服おじさんとはお会いしたことないんだなぁ……。(hammer.mule)