[5079] 帰らぬ猫を恋うる作家◇ゲームビジュアルの原画

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《29年ぶりに判明した衝撃の事実》

■日々の泡[040]
 帰らぬ猫を恋うる作家
 【サラサーテの盤/内田百□】
 十河 進

■グラフィック薄氷大魔王[669]
 ゲームビジュアルの原画
 吉井 宏





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■日々の泡[040]
帰らぬ猫を恋うる作家
【サラサーテの盤/内田百□】

十河 進
https://bn.dgcr.com/archives/20200909110200.html

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(□は門構えの中に月 うちだひゃっけん)

もう一年前になる。台風が去った翌朝、いつものように利根川へ散歩にいくと、いつもと変わらぬ水量だったのに、翌朝、同じように土手を登って驚嘆した。目の前まで泥水が押し寄せていた。田圃も農道も橋も、すべてが水没している。

驚いて道を引き返し、反対側から猫の一家が暮らす場所へいけるルートに変更した。自宅にいるときは毎朝、利根川の猫たちに会いにいっているのだ。四年ほど前、三匹の子猫が棄てられ、棄てられた畑の持ち主のリリー・フランキーに似たおじさんが、ブツブツ言いながらも面倒を見ている。

おじさんは猫小屋を建て、毎朝、猫たちに缶詰を与えていたが、一匹が車に轢かれて死に、残った二匹は雄雌だったので一年ほど後に四匹の子猫が生まれた。その後、ボランティアさんによって六匹の猫たちは不妊手術を受け、耳をカットされた桜猫になった。僕も安心して餌を与えられる地域猫になったのだ。

やがて、近くに住んでいた一家が引っ越すときに置き去りにされたアメリカン・ショートヘアが加わり、今では七匹の猫たちが暮らしている。実家にいっている三、四ヶ月の間、僕は猫たちと会えないのだが、父猫と母猫とは四年を超すつきあいだし、子猫ももう生まれて二年になり、中の二匹は懐いて僕の姿を見るとニャオニャオと鳴きながら足下にすり寄ってくる。

その猫たちの小屋もおじさんの畑も、完全に水没していた。僕は猫たちを呼んだけれど、一匹も出てこない。しばらく待っていたが、たぶん高台に逃げているのだろうと思って、その日は帰った。翌朝、再び利根川へいくと少し水は引いていたが、まだ猫の小屋のところは水没していた。

しかし、高台の雑木林の中から茶色のフサフサの毛をした子が出てきて、僕の足に体をすり付ける。しばらくすると母猫と父猫、それと警戒心の強いハチワレの子も出てきた。茶色のアメリカン・ショートヘアも無事だった。誰かが新しい餌皿と水差しを用意していた。僕はアカと呼ばれる茶色のフサフサの毛の子を抱き上げた。

猫好きの作家は多いが、内田百□の猫好きも有名だ。師匠の夏目漱石にならって「彼ハ猫デアル」という短編も書いている。これはノラと名付けることになる猫が、百□先生の家に住み着くまでのいきさつを書いているのだけれど、そのノラがいなくなり、帰らぬノラに対する思いを綴った「ノラや」という文章は、愛猫家の気持ちを見事に描いている。

内田百□はつつましやかな生き方が魅力的で、作品より人物の方がよく知られているかもしれない。黒澤明監督も内田百□を主人公にして、「まあだだよ」(1993年)という映画を撮った。松村達雄が飄々とした感じで、内田百□(百鬼園とも称した)を演じ、香川香子が上品な奥さんを演じた。

「まあだだよ」を見るとよくわかるが、百□先生の生き方は「清貧」そのものである。もちろん、名を知られた作家だから貧乏というのでもないだろうが、狭い家で奥さんと猫と共につつましやかに暮らし、好きな原稿を書いている。羨ましいような生き方ではある。もちろん、映画の中にも猫は登場した。

その内田百□が原作者としてはクレジットされていないが、間違いなく百□先生の「サラサーテの盤」という短編を映画化したのが、鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」(1980年)だ。公開当時、「『サラサーテの盤』に着想を得て」という風にパンフレットには書かれていたと思う。権利関係の問題で、原作としなかったのだろうか。

当時、僕は八ミリ専門誌「小型映画」編集部にいて、日大芸術学部でシナリオを教えていた鬼頭麟兵先生の連載を担当していたのだけれど、「サラサーテの盤」を読んだことを話すと、「それ読みたいな」というので新潮社版「内田百□・中堪助・坪田譲治集」を先生に貸したことがある。当時、百□先生の本は入手しにくかったのだ。

「サラサーテの盤」を読んだ鬼頭先生は、「あれは、まぎれもなく原作ですね。それをきちんと表記しないのは、いかがなものでしょうか」と言った。確かに「ツィゴイネルワイゼン」は映画的に大きく膨らませているが、ベースは「サラサーテの盤」にすべて書かれていた。

もちろん僕は「ツィゴイネルワイゼン」を見て圧倒されたし、凄い映画だと今も感服している。しかし、映画を見て理解できなかったことなども、「サラサーテの盤」を読んでよくわかったことがある。「サラサーテの盤」は随筆のような書き方ではあるけれど、一種の怪談話である。

冒頭、屋根の棟の天辺で小さな固い音がして、瓦の上を小石が転がっていると思った語り手は「ころころと云ふ音が次第に速くなつて庇に近づいた瞬間、はつとして身ぶるひがした。庇を辿つて庭の土に落ちたと思つたら、落ちた音を聞くか聞かないかに総身の毛が一本立ちになる様な気が」するのである。

----物音を聞いて向こうから襖を開けた家内が、あつと云った。「まつさをな顔をして、どうしたのです」

これは、映画の中でも使われたイメージである。その後、亡くなった同僚の中砂と暮らしていたおふさという女性が、中砂の六つになる遺児きみを連れてやってくる。次第に物語が進むと、このおふさときみがこの世の存在ではないような気がしてくるのだ。

----いつもの通りの時間におふささんがやつて来て、薄暗い玄関の土間に起つた。何だかぞつとする気持であつた。

「ツィゴイネルワイゼン」のシナリオを書いたのは、田中陽造である。「陽炎座」「セーラー服と機関銃」など、当時、大活躍だった。よく、「サラサーテの盤」を見つけたものだと思う。1967年、僕が高校生のときに買った新潮社版「日本文学全集・内田百□・中堪助・坪田譲治集」の中に「サラサーテの盤」は収録されていたのだが、実は十四年後に「ツィゴイネルワイゼン」を見てから読んだのだった。


【そごう・すすむ】
ブログ「映画がなければ----」
http://sogo1951.cocolog-nifty.com/

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■グラフィック薄氷大魔王[669]
ゲームビジュアルの原画

吉井 宏
https://bn.dgcr.com/archives/20200909110100.html

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「行方不明のキービジュアル原画を救え! バンナム社員が立ち上がった“ゲームの顔”の発掘と保存」
https://bit.ly/2QRbNS1


同じ講演をまとめた別記事。

『[CEDEC 2020]キービジュアルの原画は……えっ、捨てた!? 手書き原画の発掘と保存,そして価値を伝えるバンダイナムコのセッションをレポート』
https://bit.ly/3h61rZt


記事を見て、上京直後の1991年にバスケットのゲームのイラストを描いたことを思い出した。サミー工業の「ダンクスター」というゲーム。

キャンバスボードにリキテックスで描いた原画は、ちゃんと返却された(当時お世話になったスタジオハードの関連会社、超音速さんからの仕事でした)。

原画
http://www.yoshii.com/dgcr/dunkstar-IMG_2729

チラシ
http://www.yoshii.com/dgcr/dunkstar1991-flier

イラストがチラシや広告になったのは知ってるけど、ファミコンとネオジオとPCエンジンの区別もつかない僕的には、そのゲームがどんなものだったかほぼ不明。検索したところ……。

衝撃の事実が!!!

発売されなかったんだそう!! 知らんかった。29年ぶりに判明w


1991年1月頃にやった仕事だった。東京に出てきて4か月、説明パースや図の仕事や前事務所からの継続仕事を除けば、初めて僕的に本領発揮できるイラスト仕事だった。

ちょうど遊びに来た地元の友達に「上半身脱いでポーズ取ってくれ」って資料写真まで撮って、フルパワーで描いたのになあ。

その約一年後、テニスゲームのイラストを描いた。ハドソンの「パワーテニス」。こちらは無事リリースされたらしい。Macを入れて4〜5か月、Painterで描き始めて2か月くらい。仕事に使ったごく最初期のもの。
http://www.yoshii.com/dgcr/powertennis1992

パッケージ、こういう風だったんだ。画像Bのイラスト、僕が描いたのかなあ。記憶ないし画像データもないけど、表現や色の感じから、僕が描いたような気もする。
https://bit.ly/3h3nCPR


ロゴも作りかけたらしく、ボツ案のAIデータを発見。しかし、最終的には元々あったロゴが使われたような気がする。
http://www.yoshii.com/dgcr/powertennis_logo

ついでに思い出した件。「桃太郎伝説」の派生ゲームのひとつ、「桃太郎電劇」のロゴ。「桃太郎」は元ロゴを活かし、「電劇」だけ勘亭流の写植を打ってもらって、紙焼きで大きく伸ばして、ロットリングで周囲の線を描いた。
http://www.yoshii.com/dgcr/momotaroudenngeki-logo

これがそのまま正式なロゴとして使われたのか、何か間に合わせの版下だったのか、ずっと謎だった。パッケージを見ると、僕が作ったやつに見えるな。
https://amzn.to/2R0PqJX


ところで、「イラストの原画の所有権はイラストレーターにある。原画紛失はとんでもない補償額になる」的な話は、ずいぶん後にならないと知られてなかったかも。

もちろん原画の扱いは個々の契約にもよるし、当時のゲーム業界では原画ごと著作権買取りが一般的だったそう(以前、気になって関係者に問い合わせたことある)。

昔、某所のロッカーに大量の未返却原画が、グチャグチャビリビリに詰め込まれてたの見たことある。請求があれば返却しなくもないけど、基本的には使用済み版下みたいなものだったんだろう。マンガ原画も似たような扱いだったと聞く。

僕はデザイン事務所時代から原画にこだわりがあったので、しつこく言って返却してもらってた。原画を送るのが不安で、自腹で複写してポジを納品したことまである。アナログ時代の原画はスーツケース一個分くらい残ってる。デジタルになってからは、原画の扱いについては無関心になってたなあ。

アニメでも、原画や大量の関連資料が廃棄されてることが話題になったりする。今は資源ゴミか産業廃棄物にしか見えない資料でも、半世紀後に文化的に貴重な資産になるかもしれない。

マンガ博物館構想とかあったけど、国立の巨大倉庫を作って、会社や個人で処分に困る資料や原画はそこへ送ればいいみたいにしたらどうかな?(すぐ閲覧できちゃマズイものもあるだろうから、「30年間は封印」とか条件つけてもいいし)。


【吉井 宏/イラストレーター】
HP  http://www.yoshii.com

Blog http://yoshii-blog.blogspot.com/


日曜21時は「半沢直樹」、深夜0時10分からは「未来少年コナン」デジタルリマスター版。両方ともめちゃくちゃ楽しみにしてるのだが、実は決まった時間にテレビの前にスタンバイするのが苦手。

仕事や制作など、今やってることから離れなきゃいけないのがイヤなのだ。日曜の夜は、やりたいことと、二つのテレビ番組に心を引き裂かれて、ザワザワするw

普段見るのは夕食時間のニュースからの流れで、7〜8時台の「チコちゃんに叱られる」とか「ナニコレ珍百景」くらい。奥さんが見てるのを通りがかりに覗いたり、お茶の時間にちょっと見たりはあるけど。

今やってる「半沢直樹」の前に、能動的に毎週欠かさず見てた番組って、7年前の「リーガルハイ」(2013年の第2期)だもん。。一日に二つの番組を見る予定が決まってるのは、月曜21時「ビートたけしのTVタックル」と深夜の「鶴瓶上岡パペポTV」がやってた頃以来の約22年ぶり。

じゃあ録画して見れば? ってのもあるけど、いつでも見れるならいつまでも見ないのはよくわかってる。そもそも録画機器がない。昔のビデオデッキはあるけど、前々回の引越しの時からケーブルを接続するのが面倒で、12年以上そのままになってる。動くか不明。

◯所属してるパリのエージェントCostume3piecesの毎年恒例の展覧会、今年は新型コロナの影響で、バーチャルで開催(9月末まで)。仮想ギャラリーで33名のアーティストの作品が見れます。今回のテーマは「小屋(cabanes)」。僕は回して見れる3D作品を出してます。
https://www.costume3pieces.com/cabanes/


○吉井宏デザインのスワロフスキー

・三猿 Three Wise Monkeys
https://bit.ly/2LYOX8X


・幸運の象 LUCKY ELEPHANTS
https://bit.ly/30RQrqV



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編集後記(09/09)

●偏屈BOOK案内:高橋洋一「ファクトに基づき、普遍を見出す 世界の正しい捉え方」

「量子コンピュータの脅威」なんて大見出しに魅了される。意味はわからないけどカッコイイから触れてみる。子供の頃からそういう性質。そもそも「量子コンピュータ」の「量子」ってなんだ。量子の性質は量子力学で習う。何でも知っている高橋先生でさえ、「かなりの難物で、東大の理系でも数学・物理学系以外の学生では理解できないのも珍しくない」という代物らしい。

文科省のサイトでは「量子とは、粒子と波の性質をあわせ持った、とても小さな物質やエネルギーの単位のことです。物質を形作っている原子そのものや、原子を形作っているさらに小さな電子・中性子・陽子といったものが代表選手です」と文学的に表現されているが、さっぱりわからない。理系の理論の中でも非常にハードルが高い。結局、数式表現しないと本質に辿り着かない。

筆者は「言語」を三種類に分けて捉える。まず人文科学の言語、これは一般の人が話すとき、書くときに用いる。この言語では的確に説明しきれない事物がある。量子もその類い。二つ目は自然科学の言語で、筆者の理解では数学もここに含まれる。アインシュタインの相対性理論を、人文科学の言語で説明するのは至難の業である。ところが数式を使えば一発で説明ができる。

数学の能力を持った者同士であれば、言葉の壁はないので、世界共通の普遍的知識として共有できる。三つ目は社会科学の言語で、会計や経済理論などのこと。筆者はこの三言語を使い分ける。究極的に小さなコンピュータの従うべき物理法則を量子力学という。量子を基礎にすれば莫大な同時並行処理計算が可能になる。この技術が実現すれば、暗号理論はたちどころに解かれてしまう。

なぜなら、暗号理論の基礎は「因数分解に時間がかかる」という「経験的事実」に基づくからだ。量子コンピュータの脅威とは、現行のインターネット上での金融取引を無防備同然の危機にさらすことができるという点であり、実際に市場ではグーグルの量子コンピュータ試作機の成果に反応し、仮想通貨の価格は急落した。因数分解か〜、数学がわたしの天敵になったのはこいつのせいだ。

グーグルの発表に対しIBMは「そもそもグーグルは現代のスパコンの能力を最大限には活用していない。量子超越性は証明されていない」と反論している。量子コンピュータの先陣争いは、これからさらに熾烈になる。すごい時代になってきた。ビジネスの現場をコンピュータに支配されたくなければ、人間も自然科学の言語(数学)能力やリテラシーをもっと磨かなければならない。

「正しいこと」を堂々と主張するのは、それなりに骨の折れることだという。ファクトとそこから論理的に導かれる解を示しているだけなのに、相手が反論できない状況になると、まるで筆者が一方的に攻撃しているような印章を与えてしまうことがある。「いじわる」「嫌なヤツ」と、陰口や人格攻撃を受けることは度々。自爆した相手に恨まれる損な役割を続ける。お疲れ様。(柴田)

高橋洋一「ファクトに基づき、普遍を見出す 世界の正しい捉え方」2020 KADOKWA
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4046045663/dgcrcom-22/



●冷凍庫(の話題から離れてしまったが)続き。たくさん買い込んでしまい、肩にずっしりと重みを感じながら帰宅。暑い中、重い荷物を持ちながら歩くのは、何の苦行かと。

スーパーの力のひとつが、そのお店で作られるお惣菜。近所のと味比べをしてみたよ。

『国産小麦のやわらかフランス 十穀くるみ5枚スライス』は、他の窯焼きパスコとまとめて買っていて(次にいつ行くかわからないから)、開封したものを常温で保管してたら、雨続きで、このパンだけ綺麗なライムグリーンに変化。カビてしまって、身体にいいんだなぁと思ったさ。勧めてくれた人が、これだけを推していた理由は保存料関係だったのかも。

で、この苦行が楽しかったものだから、今までネット記事やテレビで見てもスルーしていた「業務スーパー」にまで出かけてみたよ。続く。(hammer.mule)