日々の泡[040]帰らぬ猫を恋うる作家【サラサーテの盤/内田百□】
── 十河 進 ──

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(□は門構えの中に月 うちだひゃっけん)

もう一年前になる。台風が去った翌朝、いつものように利根川へ散歩にいくと、いつもと変わらぬ水量だったのに、翌朝、同じように土手を登って驚嘆した。目の前まで泥水が押し寄せていた。田圃も農道も橋も、すべてが水没している。

驚いて道を引き返し、反対側から猫の一家が暮らす場所へいけるルートに変更した。自宅にいるときは毎朝、利根川の猫たちに会いにいっているのだ。四年ほど前、三匹の子猫が棄てられ、棄てられた畑の持ち主のリリー・フランキーに似たおじさんが、ブツブツ言いながらも面倒を見ている。

おじさんは猫小屋を建て、毎朝、猫たちに缶詰を与えていたが、一匹が車に轢かれて死に、残った二匹は雄雌だったので一年ほど後に四匹の子猫が生まれた。その後、ボランティアさんによって六匹の猫たちは不妊手術を受け、耳をカットされた桜猫になった。僕も安心して餌を与えられる地域猫になったのだ。





やがて、近くに住んでいた一家が引っ越すときに置き去りにされたアメリカン・ショートヘアが加わり、今では七匹の猫たちが暮らしている。実家にいっている三、四ヶ月の間、僕は猫たちと会えないのだが、父猫と母猫とは四年を超すつきあいだし、子猫ももう生まれて二年になり、中の二匹は懐いて僕の姿を見るとニャオニャオと鳴きながら足下にすり寄ってくる。

その猫たちの小屋もおじさんの畑も、完全に水没していた。僕は猫たちを呼んだけれど、一匹も出てこない。しばらく待っていたが、たぶん高台に逃げているのだろうと思って、その日は帰った。翌朝、再び利根川へいくと少し水は引いていたが、まだ猫の小屋のところは水没していた。

しかし、高台の雑木林の中から茶色のフサフサの毛をした子が出てきて、僕の足に体をすり付ける。しばらくすると母猫と父猫、それと警戒心の強いハチワレの子も出てきた。茶色のアメリカン・ショートヘアも無事だった。誰かが新しい餌皿と水差しを用意していた。僕はアカと呼ばれる茶色のフサフサの毛の子を抱き上げた。

猫好きの作家は多いが、内田百□の猫好きも有名だ。師匠の夏目漱石にならって「彼ハ猫デアル」という短編も書いている。これはノラと名付けることになる猫が、百□先生の家に住み着くまでのいきさつを書いているのだけれど、そのノラがいなくなり、帰らぬノラに対する思いを綴った「ノラや」という文章は、愛猫家の気持ちを見事に描いている。

内田百□はつつましやかな生き方が魅力的で、作品より人物の方がよく知られているかもしれない。黒澤明監督も内田百□を主人公にして、「まあだだよ」(1993年)という映画を撮った。松村達雄が飄々とした感じで、内田百□(百鬼園とも称した)を演じ、香川香子が上品な奥さんを演じた。

「まあだだよ」を見るとよくわかるが、百□先生の生き方は「清貧」そのものである。もちろん、名を知られた作家だから貧乏というのでもないだろうが、狭い家で奥さんと猫と共につつましやかに暮らし、好きな原稿を書いている。羨ましいような生き方ではある。もちろん、映画の中にも猫は登場した。

その内田百□が原作者としてはクレジットされていないが、間違いなく百□先生の「サラサーテの盤」という短編を映画化したのが、鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」(1980年)だ。公開当時、「『サラサーテの盤』に着想を得て」という風にパンフレットには書かれていたと思う。権利関係の問題で、原作としなかったのだろうか。

当時、僕は八ミリ専門誌「小型映画」編集部にいて、日大芸術学部でシナリオを教えていた鬼頭麟兵先生の連載を担当していたのだけれど、「サラサーテの盤」を読んだことを話すと、「それ読みたいな」というので新潮社版「内田百□・中堪助・坪田譲治集」を先生に貸したことがある。当時、百□先生の本は入手しにくかったのだ。

「サラサーテの盤」を読んだ鬼頭先生は、「あれは、まぎれもなく原作ですね。それをきちんと表記しないのは、いかがなものでしょうか」と言った。確かに「ツィゴイネルワイゼン」は映画的に大きく膨らませているが、ベースは「サラサーテの盤」にすべて書かれていた。

もちろん僕は「ツィゴイネルワイゼン」を見て圧倒されたし、凄い映画だと今も感服している。しかし、映画を見て理解できなかったことなども、「サラサーテの盤」を読んでよくわかったことがある。「サラサーテの盤」は随筆のような書き方ではあるけれど、一種の怪談話である。

冒頭、屋根の棟の天辺で小さな固い音がして、瓦の上を小石が転がっていると思った語り手は「ころころと云ふ音が次第に速くなつて庇に近づいた瞬間、はつとして身ぶるひがした。庇を辿つて庭の土に落ちたと思つたら、落ちた音を聞くか聞かないかに総身の毛が一本立ちになる様な気が」するのである。

----物音を聞いて向こうから襖を開けた家内が、あつと云った。「まつさをな顔をして、どうしたのです」

これは、映画の中でも使われたイメージである。その後、亡くなった同僚の中砂と暮らしていたおふさという女性が、中砂の六つになる遺児きみを連れてやってくる。次第に物語が進むと、このおふさときみがこの世の存在ではないような気がしてくるのだ。

----いつもの通りの時間におふささんがやつて来て、薄暗い玄関の土間に起つた。何だかぞつとする気持であつた。

「ツィゴイネルワイゼン」のシナリオを書いたのは、田中陽造である。「陽炎座」「セーラー服と機関銃」など、当時、大活躍だった。よく、「サラサーテの盤」を見つけたものだと思う。1967年、僕が高校生のときに買った新潮社版「日本文学全集・内田百□・中堪助・坪田譲治集」の中に「サラサーテの盤」は収録されていたのだが、実は十四年後に「ツィゴイネルワイゼン」を見てから読んだのだった。


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