[1618] 夢見るだけの男たち

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1618    2004/10/15.Fri.14:00発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 18275部
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         <問題ありでも強引に使ってみる>

■映画と夜と音楽と…(231)
 夢見るだけの男たち
 十河 進

■Workforce of a Freelance(3)
 FileMakerにまつわる昔話
 新居雅行



■映画と夜と音楽と…(231) 
夢見るだけの男たち

十河 進
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●詩人たちは映像詩をめざす

この間から昔の詩人の作品集を引っ張り出してきて読んでいる。僕が中学生か
ら高校生にかけての頃、詩がブームだったのか、角川書店、新潮社、河出書房
などから詩の全集が刊行され人気を博していた。今ではとても考えられない。

島崎藤村、高村光太郎、萩原朔太郎、西条八十、室生犀星、佐藤春夫、西脇順
三郎、金子光晴、草野心平などの作品集を僕は買った。現代詩に目覚めるのは
高校の後半の頃で、友人から勧められた山本太郎(北原白秋の甥)や長田弘を
読んだからだった。その後、田村隆一や鮎川信夫など「荒地」派の正統的な詩
も読み始めた。

戦前の詩人の中で未だに人気が高いのが中原中也だろうか。無頼な生活、30歳
で死んでしまう短い人生、小林秀雄との女を巡る関係など、日本のランボウみ
たいなイメージもあり、天寿をまっとうした高村光太郎や金子光晴より神秘性
を感じるのかもしれない。

昔、「眠れ蜜」という映画があった。1976年12月初旬に小さな映画館で封切ら
れた自主映画に近い作品である。監督は岩佐寿弥。脚本を書いたのは当時はま
だ若く新進気鋭の詩人として評価されていた佐々木幹郎である。

詩人は映像表現に関心が強いのか、NHKのテレビカメラマンをしていた鈴木志
郎康を筆頭に、清水哲夫を含め佐々木幹郎などで映像グループを作っていたは
ずだ。清水哲夫さんには、当時、僕が編集部に在籍していた「小型映画」とい
う月刊誌に映像エッセイを連載してもらっていた。

鈴木志郎康は「明るい農村」という番組を担当していたが、それとは別にプラ
イベートフィルムを撮っていて「僕は今日、『明るい農村』の取材にいった」
というナレーションと共に豚の群が写されていたのを見た記憶がある。「小型
映画」という月刊誌は、そういった映画を積極的に紹介していたから、「眠れ
蜜」も鈴木志郎康の映像日誌のようなフィルムもかなり詳しく記事にした。

余談だが、鈴木志郎康、天沢退二郎、吉増剛造、金井美恵子など、大学に入っ
た頃の僕の興味の対象は、訳のわからない詩を書く「凶区」派を中心とした詩
人たちに移っていた。僕は鈴木志郎康風の訳のわからない前衛詩を書こうと試
みた。しかし、その時にわかったのは「訳のわからないことを書くのはむずか
しい」ということだった。

だから、余計に鈴木志郎康さんの詩に憧れていたのだが、就職して会社の小部
屋で鈴木志郎康さんの16ミリフィルムを一緒に見た時、憧れの詩人が普通のお
っさんだったことに少しがっかりしたことを想い出す。

「眠れ蜜」の方は週刊誌などでも取り上げられた。話題の中心は根岸とし江や
吉行和子といったプロの役者と一緒に長谷川泰子が出演していたことだった。
僕も久しぶりにその名を聞き「まだ生きていたんだ」と感慨に耽った。泰子は
中原中也より二歳上だったから、当時、71歳になっていたはずだ。

大正14年(1925年)、20歳の長谷川泰子と18歳の中也は共に上京し同棲する。
その後、中也は小林秀雄と知り合い友人となるが、泰子は中也を棄て小林秀雄
のもとに去る。彼女が小林秀雄と別れた後、中也は再び求愛したが拒絶され煩
悶する。

中也の多くの詩は、この泰子との関係の中で生まれた。ある意味では、長谷川
泰子は中原中也にとって、創造の女神(ミューズ)だったのかもしれない。

●中也にオマージュを捧げた映画

見栄を張って訳のわからない現代詩ばかりを読んでいた大学生だった頃の僕は
「中原中也が好き」などとは口が裂けても言えなかった。中原中也などは「婦
女子の読むもの」であってセンチメンタリズムが耐えられない、と僕の仲間た
ちは軽蔑していた。

しかし、僕は「帰郷」という詩の最後のフレーズ「あゝ おまへはなにをして
来たのだと…… 吹き来る風が私に云ふ」を秘かに愛唱していた。それは中也
の代表的な詩句で、小林秀雄の筆による石碑が彼の故郷である山口県湯田町に
建っている。

もうひとつ僕が好きだったのは「汚れつちまった悲しみに……」である。中也
の作品群の中で最も有名な詩で、つかこうへいの「飛竜伝」から舛田利雄監督
の「無頼」まで、様々な作品で引用されてきた。「汚れつちまつた悲しみ」と
いう言葉が何度もリフレインされ、一度で覚えてしまう詩である。

  汚れつちまつた悲しみは
  なにのぞむなくねがふなく
  汚れつちまつた悲しみは
  倦怠のうちに死を夢む

僕はその三段めが特に好きになり、よく口ずさんでいた。舛田利雄が初めて生
み出した人斬り五郎こと藤川五郎の第一作「『無頼』より 大幹部」のラスト
の斬り込みシーンを見た時、僕は「ああ、ここにも中也が…」と思ったものだ。

キャバレーのステージで青江三奈が「上海帰りのリル」を歌い始める。音はそ
の歌だけだ。ドスを抱えた五郎が現れ、悪辣な組長を追う。ヤクザたちが五郎
を追う。逃げる組長、追う五郎、その背景には「汚れてしまった悲しみ」とい
うタイトルの映画の看板が見えている。

1927年生まれの舛田利雄が11歳の時に中也は30歳で死んでいる。舛田利雄にと
って、中也は同時代の現代詩人だったのである。中也は不遇の中で死んだよう
なイメージがあるが、生前から作品は評価されていた。思春期の舛田利雄が愛
読していたとしても不思議ではない。

舛田利雄の代表作と言えば「赤い波止場」「錆びたナイフ」「赤いハンカチ」
という石原裕次郎と組んだ名作があり、日活時代の後半には「紅の流れ星」と
いう渡哲也と組んだ異色作がある。初期の小林旭とは「女を忘れろ」「完全な
遊戯」を作っている。

日活専属時代に53本の作品を監督したが、どれも水準以上だった。その中でも
僕が特別に好きなのは「太陽への脱出」だった。彼はその映画の中でも中也へ
オマージュを捧げている。

●裕次郎が初めて死んだ映画

「太陽への脱出」は石原裕次郎がそれまでのイメージを壊そうとした異色の作
品である。相手役は浅丘ルリ子ではなく、地味な新劇女優の岩崎加根子を使っ
た。そして、最後に裕次郎は壮烈な死を遂げる。それは裕次郎が日活の銀幕の
中で迎える初めての死だった。

制作されたのは1962年。まだベトナム戦争にアメリカが本格的に参戦していな
かった頃だが、その時代にこの映画はインドシナの内戦を舞台にした。タイト
ルバックではドキュメンタリー風のインドシナの戦争が写され、ファーストシ
ーンで、二谷英明が演じる新聞記者が日本の軍需産業を告発するキャンペーン
をデスクに提案する。

劇団民藝は日活に全面協力していたが、日共系劇団らしくこの映画では特に民
藝の役者たちの熱演が目立った。デスクを演じるのは鈴木瑞穂である。デスク
の全面的な支持を得て調査を始めた二谷英明は、ある重工業の企業がインドシ
ナに社員を派遣し製造した武器を秘かに売買していることを知り、インドシナ
へ渡る。

そこまでに十分近くが費やされ、観客は一体いつ裕次郎が登場するのかと焦ら
される。そして、東南アジアのある都市のナイトクラブのステージ、スポット
ライトを浴び真っ白に飛んだ画面にひとりの男が登場する。彼はクラブの支配
人で客たちに挨拶をする。もちろん英語だ。その声は裕次郎である。

次の場面では、裕次郎がいきなり機関銃を撃つ。試し撃ちだ。裕次郎は武器商
人、いわゆる「死の商人」と呼ばれる存在である。二谷は彼こそが日本の企業
から派遣された男なのだと確信しつけまわすが、裕次郎は英語しか喋らず日本
人であることを否定する。

そこまでに、すでに二十分ほどが経過している。二谷の追及をかわした裕次郎
は、広壮な自宅に戻りピアノの前に腰を降ろす。手を慣らすように軽く鍵盤を
叩く。歌い始める。日本語の歌だ。初めて裕次郎が日本語を口にする。その歌
を聴いて僕は驚いた。

  ホラホラ これが僕の骨

間違いなく裕次郎はそう歌った。メロディをつけて…。それは中也の「骨」と
いう詩だった。

  ホラホラ、これが僕の骨だ、
  生きていた時の苦労にみちた
  あのけがらはしい肉を破って、
  しらじらと雨に洗はれ
  ヌツクと出た、骨の尖。

「太陽への脱出」の裕次郎はパセティックにデスペレートに生き、壮烈に死ん
でいく。初めて彼が日本語で歌った「骨」は、そんな主人公の運命を暗示する
ようだった。

舛田利雄が生み出す主人公には、いつも悲しみがつきまとった。死んで埋めら
れた自らの骨を見ているような悲しみだ。彼らは純粋で美しい何かを希求しな
がら汚れてしまった悲しみしか得られない。しかし、彼らは夢見ることをやめ
ようとはしない。

  あゝ それにしてもそれにしても
  ゆめみるだけの 男にならうとはおもはなかつた!

そう嘆きながらも、夢見ることをやめなかった中也のように…

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
台風の翌日、ジョアン・ジルベルトのコンサートを聴きにいきました。東京国
際フォーラムの巨大なAホール。一体、何千人入るのか。それでも満席。ジル
ベルトの要望で空調は切られてしまいました。暑かったけど、よかったです。
隣に若くて礼儀正しい女性が座ったのも含めて…

デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html

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■Workforce of a Freelance(3)
FileMakerにまつわる昔話-1

新居雅行
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あえて英語でFileMakerと書こう。正確には、ファイルメーカーPro Ver.6まで
は「ファイルメーカー」であり、Ver.7からはFileMakerと書くのが正しい表記
だ。Pro版以前は、「ファイルメーカーII」でもあるわけだが、日本語版が発
売される前は「FileMaker II」だったわけだ。その日本語版が出る以前の話を
してみたい。筆者とFileMakerの付き合い始めということになる。

●FileMaker、出会いは20年の歴史の4年目だったか…

以前の茂田さんのコラムにもあったように、2004年8月末に、アリゾナ州フェ
ニックスで、FileMaker Developer Conference 2004、通称「DevCon 2004」が
開催された。3日間、テクニカルなセッションやら、パーティやらと朝から晩
までFileMaker漬け状態になるイベントである。

筆者は今年初めて参加ということもあって、前日のPre-conferenceのセミナー
まで出てしまった。技術的な内容やいろいろなことを含めて有意義に過ごした
ことは言うまでもない。DevConの基調講演では、FileMakerの20年の歴史とい
うことで、最初のバージョンを作ったメンバーのうち2人が登場して、当時の
写真を見ながら懐かしむという趣旨であった。その話を聞きながら、筆者の昔
話を思い出してしまった。

筆者がFileMakerを使い始めたのは、相当前の話で、たぶん、1988年くらいだ
ったと思う。確か、FileMaker IIだっと思っていたけど、年表を見るとFile
Maker Plusということになる。記憶なんて不確かなものだ…。FileMakerのマ
ニュアルはハードカバーだった。上司に頼んで貸してもらって、千代田線の通
勤の行き帰りでマニュアルをいっしょうけんめい読んだのを覚えている。

当時のMacの大きな特徴は、アメリカで発売されたソフトでも、なんとか日本
語が使えるということだった。MS-DOSが主流のPCの世界では、そういった芸当
はあり得ない話であったわけだ。MS-DOSユーザはアメリカで話題のソフトを使
うのに日本語化されるまで何年も待たないといけないというのが常識であった。

英語ソフトなのに日本語が使えるというのは、Macのシステム自体がうまく作
られていることや、英語フォントでも文字コードが日本語なら日本語が出ると
いう仕組みなど、いくつかの要因で実現していたものである。Mac OS Xになっ
てLucidaのようなUnicodeフォントだと、Unicodeあるから当然だとは言え、英
語も日本語もOKになったけど、System 7以降、フォントが言語依存するように
なってしまったことも、もはや懐かしく思い出してしまう。ともかく、88年当
時はなんとなくうまく日本語が表示されていた時代だ。漢字Talk 6と呼んでい
たシステムを使っていた。

●今も昔もFileMakerのコンセプトは変わらない

さて、20年の歴史を誇るFileMakerはオリジナルはNutshellというDOS向けのア
プリケーションである。開発はNashoba Systemsだ。80年代前半は、アプリケ
ーションソフトの黎明期でもあり、そうした中で新しいコンセプトが次々と実
現されていった時代でもある。

ドラマチックな話としては、70年代末のVisiCalcを受け、Microsoftが対抗す
べくMultiplanを開発、さらにそれを凌駕する1-2-3が登場し、Microsoftが起
死回生をかけてExcelを開発するといった表計算のドラマがよく取り上げられ
ている(宣伝で申し訳ないが、「Excelのカラクリ」という書籍で取り上げて
いる)。

Excelのカラクリ
http://www.gihyo.co.jp/books/syoseki.php/4-7741-1884-2

一方、データベースソフトという意味でも、この時期は注目できるが、8ビッ
ト時代からあるdBASEやR:BASEといったプロダクツがあったが、DevConのセッ
ションを聞く限りでは、今で言えば個人情報管理的なカテゴリでNutshellを売
り出していたようで、データベースの世界も今とは市場環境が違っていたよう
に思われる(ちなみに、R:BASEは今も販売されている)。

Nashobaの製品はLeading Edge社がディストリビュートしていたが、Macintosh
のリリースにあわせてNutshellを対応させたものの、LE社が扱いをしなかった
ため、別の会社を通じて85年よりFileMakerとして販売を開始した。ここから
数えて、今年は20年目ということである。

DevCon 2004での元Nashobaの彼らによると、FileMaker初期版は「ほとんどバ
グがなかった」と話していたほど、かなりの自信作であることが伺える。その
後、Macintosh Plusに合わせて、FileMaker Plusとバージョンアップした(今
で言えば「iなんたら」ってネーミングするようなもの)。

そして、88年にFileMaker 4をリリースした頃にクラリス社によってFileMaker
という製品が買収されることになる。そして、直後にFileMaker IIがクラリス
よりリリースされる。記憶が定かでないが、確かFileMaker 4とFileMaker II
にほとんど違いはないものだったと思う。

History of FileMaker
http://en.wikipedia.org/wiki/FileMaker
(ちなみに、英語ではあるが、FileMakerの歴史はあちこちにサイトがある。
ググってね)

Macを使い始めていた筆者にとって、FileMakerは衝撃的だった…。こんな簡単
かつ柔軟なのかと。FileMaker IIも、今のFileMaker Pro 7も、コンセプトの
大半は共通だ。テーブルを定義し、そしてフォームで自由に見せるコンセプト
は当時とさほど変わらない。

一方、日本のユーザが使っていたデータベースと言えば、管理工学研究所の桐、
ないしはアスキーのTHE CARDってあたりだったかと記憶する。リレーショナル
データベースだったら桐、カード型データベース(あぁ、もはや死語だね)は
THE CARDであった。FileMaker IIは「カード型」と称することになる。

●日本語に問題ありでも強引に使ってみる

FileMakerの歴史は興味あるところでもあるが、本題からそれるので簡単に言
えば、後のFileMaker Proでリレーショナルデータベース、Windows対応を行い、
受託開発やより大きな市場への足がかりを作る。さらに、インターネットによ
ってパソコンユーザ層に大きな変化が生じ、FileMakerのような使い勝手がよ
り求められるようになり、さらに上昇を続けて今日に至るというのが大きな流
れだ。

しかしである、80年代末、はっきり言って、カード型データベースはおもちゃ
としかみられていない風潮もあった。たかだか名刺管理しかできないだろうと
いうことなのだろう。当時、ユーザは盛んにMac vs MS-DOS論争をやっていた
が、後に4th Dimensionが出るまではFileMaker vs 桐/THE CARDの様相を示し
ていたのである。

ただ、FileMakerは圧倒的に不利だった。なぜなら、まだシステムソフトが日
本語版を発売する前のことになるわけで、日本語表示は可能だったにしても、
実は日本語の検索ができなかったのである。Macのシステムは、記録して表示
というあたりはうまく2バイトでも処理していた訳だが、検索処理となるとア
プリケーション内部のことになり、まかないきれなかった。

もっとも、「ふりがなをローマ字で記録して」などという、ずっこけそうな解
決法もあったわけだが(笑)、検索できないと名刺管理もできない…。なかな
か悩ましいところだ。

そうは言ってもとにかくMacを使いたかった当時、さまざまな強引な手を考え
る。そのときに、自分の名刺管理データベースをFileMaker IIで作り始めたの
だが、そのデータベースファイルはいまだにFileMaker Pro 7で使っている。

つまり、1988年5月6日の日付で最初に入れた1レコード目の人は、今も1レコー
ド目に見えていたりする。きっともう、その会社の方ではないだろうなと思い
つつも、消すこともないので、そのままにしている。

日本語版が出るまでは、いろいろ考えて、ふりがなの1文字目を入力するフィ
ールドを作った。そして、それでソートをしてフォームを工夫したり、あるい
は日本語でも1文字で完全一致でひらがなかカタカナならうまくいったのか?
ちょっと記憶が定かではないが、今風で言えば「運用でカバーする」をなんと
かやっていたのである。

あまりに強引な手法のため、このメソッドは隣の机にすら広がりはしなかった
が、ともかく部署の中では早くから名刺を電子化していた部類に入るだろう。
何百レコードくらいまではなんとか強引に名刺管理はでき、その後日本語版が
出たので安心して使えるようになったのである。        (つづく)

【にい・まさゆき】msyk@msyk.net
トレーナー、コンサルタント、デベロッパー、そしてライターと、あれこれこ
なすフリーランス。JeditX 1.0がリリースされた。やっぱり気になるエディタ
の機能アップだ。AppleScript対応がまだなので、完全移行は無理だが、原稿
書きには使い始めている。スピードはCocoa対応の犠牲になっている感じだけ
ど、ドロワで文字数がリアルタイムで出るのはいいかも。また、Unicodeテキ
ストが安心して作れるようになった点は大きい。
自分のサイト:http://msyk.net/


<応募受付中のプレゼント>
『デザインの極道論』#1616号。締切は10月20日(水)14時。

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■編集後記(10/15)
・特に20代の若いクリエイターと、その予備軍の学生から注目度が高いショー
トフィルムフェスティバル「RESFEST」が明日開かれるが、広報不足のようで
参加者があまり多くなく、このままでは非常にもったいないことになりそう、
という情報が入ったのでお知らせする。
【日時】10月16日(土)13:00~17:00
【会場】多摩美術大学 八王子校舎レクチャー棟 Aホール(東京都八王子市鑓
水2-1723)
【内容】レスフェスの名作集(全60分)を六本木バージン以上の高品質で上映
/トークゲストが、あの「おっすトン子ちゃん」で有名なタナカカツキ氏と、
箭内さんの本でおなじみのアジールデザイン・佐藤直樹氏/キヤノンEOSのレ
ンズ交換可能な、新DVカメラ・XL2もさわれます。企画は盛り沢山、もちろん
全て無料。東京ではこの多摩美大開催のみです。
【申し込み】workshop@resfest.jp 件名を「レスフェストカレッジツアー申
込」住所・氏名・電話番号・学校名(職業)を記入の上、メールで申込む。
【問い合わせ】RESFEST Japan Tour事務局<www.resfest.jp>03-3406-8835 
「RESFEST」のムービー作品が一挙に見れる素晴らしいチャンスである。明日
は八王子に結集だ! 天気も良さそうだし。           (柴田)

・部分日蝕を見逃した。前日に人に「あるぞ~」と連絡したというのに。でも
夕方に母親から電話をもらい、二重の虹は見られた。母親は家族に電話を入れ
たあと、他の人にも伝えたくて、歩いていた見知らぬ小学生らに話すと、子供
たちは喜んで「おばさんありがとう」と言ったあと「虹うれしいうれしいきれ
いきれい」と大きな声で歌いながら歩いていたらしい。半円がきっちり見える
(180度の)綺麗な虹だったよ~。            (hammer.mule)

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発行   デジタルクリエイターズ <http://www.dgcr.com/>

編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 
リニューアル  8月サンタ
アシスト    鴨田麻衣子

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