[1669] 知らん仏より知っとる鬼

投稿:  著者:  読了時間:23分(本文:約11,000文字)


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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1669    2005/01/14.Fri.14:00発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 18279部
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      <僕には「仁義なき戦い」は青春映画に見えた>

■映画と夜と音楽と…(241)
 知らん仏より知っとる鬼
 十河 進

■Workforce of a Freelance(7)
 年が明けて、厄年も明けて
 新居雅行

■イベント案内
 サーティファイグランプリ2005



■映画と夜と音楽と…(241)
知らん仏より知っとる鬼

十河 進
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●人生で必要なことはすべて『仁義なき戦い』から学べるか

去年の暮れに書店の棚を見ていたら「人生で必要なことはすべて『仁義なき戦
い』から学んだ」という本を見付けた。帯に印刷されていた「善人に学ぶより、
悪人から学ぶ方が多い」というキャッチフレーズにも苦笑が浮かぶ。

「仁義なき戦い」は出てくるのがみんなヤクザで人殺しで、善人なんてひとり
もいない話だ。しかし、僕も「人生で必要なことはすべて」とまでは言わない
が「仁義なき戦い」には多くのことを学んだ。

1972年のことだった。その年、「ゴッドファーザー」が大評判になり日本でも
ヒットした。そのヒットにあやかろうと東映は実録ヤクザ路線を企画し、飯干
晃一が週刊サンケイに連載していた「仁義なき戦い」に白羽の矢を立てた。広
島ヤクザ戦争を生き延びた美能組組長・美能幸三が刑務所で書いた手記を元に
したノンフィクション・ノベルである。

1973年の正月に封切りになった「仁義なき戦い」は終戦直後の呉市を舞台に暴
力でのしあがっていく若者たちを描いた。若者たちはやがて老獪な山守組長に
謀られ、ひとり、またひとりと破滅していく。山守を筆頭に若者たちのキャラ
クターもそれぞれ面白くて、人間というものを学ぶ格好の教科書になる。

主人公は広能昌三(菅原文太)だが、彼も正当性を与えられているわけではな
い。大勢のヤクザの中のひとりである。山守組の若頭になる坂井鉄也(松方弘
樹)は、さすがに風格を醸し出していてカッコいい。後に山守を凌ぐ勢力にな
り、権力者の孤独を広能に告白するシーンは実にうまい。

山守にくっついて最後まで生き延びる卑怯未練、臆病、卑劣という形容詞がす
べて当てはまるような役をやったのが槇原こと田中邦衛である。田中邦衛の代
表作は青大将と槇原政吉だと僕は思う。小心で卑劣で臆病で、どことなく憎め
ないキャラクターをやらせると田中邦衛は絶品だった。

山守組の若衆が集まって対立する組に殴り込みをかけようと話し合いをする場
面がある。ひとりは「わしゃ、このところ、躯の調子が悪うて、いっても働け
るかどうか…」と逃げをうち、ひとりは「わしゃ、他にも手がある思うんじゃ
が…」と言い、「どんな手な」と問い詰められて絶句する。

その時、突然、槇原が片腕で両目を覆ってわあわあ泣き出すのだ。「どしたん
なら」と聞かれると「わしゃ、死ぬゆうて問題じゃないが、女房がよう、腹に
子がおって、これからのこと思うたら可哀想で、可哀想で…」と涙ながらに訴
える。呆れた若杉寛(梅宮辰夫)が「もうええ、こんなはいかんでええ」と言
うと、槇原はさっさと「失礼します」と帰ってしまうのである。

こういう実際にいそうなキャラクターを典型として描いたから「仁義なき戦い」
からは「人生に必要なすべてのこと」を学べるのだと思う。特に第三部「代理
戦争」と第四部「頂上作戦」に到っては「人間喜劇」とも言いたくなる群衆劇
になり、様々な登場人物が人生を教えてくれる。社会の仕組み、人間が作った
組織というものの本質、そんなものが見えてくる。

名セリフもふんだんにあり、特に僕は「知らん仏より、知っとる鬼じゃ」とい
う第三部のセリフにはずいぶんと助けられたものだ。山守を広島の組の跡目に
担がざるを得なくなった広能のボヤキである。この映画を見て以来、三十年以
上になるけれど、僕は人生の岐路に立った時にはこのセリフを思い出す。

●「したいことが自由にできる組」を作る夢

──「仁義なき戦い」を見たか。「人斬り与太 狂犬三兄弟」を超えてるよ。
深作の代表作になるぜ。

1973年1月末のある日、久しぶりに出た大学の教室で会ったTクンが言った。T
クンとは映画の趣味が合い、よくふたりで映画を見にいったものだった。

その一年ほど前には、中野公会堂で開催された「日活ニューアクション特集上
映」から始めて池袋人生坐のオールナイト五本立てを見て、そのまま新宿テア
トルで三本立てを見るという暴挙も経験した。36時間、ふたりで映画を見続け
たのである。

──「ゴッドファーザー」や「バラキ」の真似なんだろ、実録とか言ってるけ
ど、と僕は答えた。

──全然、違うよ。「人斬り与太 狂犬三兄弟」より深作のアクション演出が
過激になっていて凄いよ。手持ちカメラがブレまくってるのに凄い迫力なんだ。
それに、山守親分の金子信雄がいい。田中邦衛が突然泣き出すシーンもいい。
音楽がいい。とにかくいい。いいから見ろ。

そこまで絶賛するTクンの言葉に促されて僕は「仁義なき戦い」を見にいった。
ただし、僕はTクンが前の年に見て絶賛していた「人斬り与太 狂犬三兄弟」
はそれほど評価していなかった。

菅原文太、三谷昇、田中邦衛の三人が凶暴な狂犬のようなチンピラを演じてい
たが、僕には彼らの暴力が理解できなかった。彼らの苛立ちが何に向かってい
るのか、なぜ、それほど凶暴無惨に生きなければならないのかがわからなかっ
たのだ。

深作欣二は後にまさに狂犬のような実在したヤクザを主人公に「仁義の墓場」
を作る。その主人公にも僕はまったく感情移入できなかったけれど、彼が誰彼
見境なくふるう暴力が生まれてくる源のようなもの、人間の業のようなものを
感じることはできた。同時に、暴力でしか自己を表現できない人間もいるのだ
と僕は知った。

だが、「仁義なき戦い」は暴力そのものを描いた映画ではなかった。確かに主
人公は何人も人を殺すし、大勢の人間が無惨に死んでいく。だが、広能昌三が
犯す殺人は組織的必要からのものだ。国家レベルに置き換えれば、戦争と同じ
である。ヤクザの争いが戦争にたとえられるのは間違っていない。

僕には「仁義なき戦い」は青春映画に見えた。敗戦で希望を失った若者たちは
山守という親分を担いでヤクザの世界でのしあがる夢を持つ。しかし、組が成
長するに従って仲間たちに権力争いが起こり、老獪な山守の策謀にのせられ、
ひとり、またひとりと死んでいく。

山守に造反し仲間たちを殺してトップの座に着いた坂井鉄也は、出所したきた
広能に言う。

──わしらが最初に考えた「したいことが自由にできる組」を作るんじゃ。

だが、そんなきれいごとは通用しない。坂井鉄也も山守の奸計に陥れられて死
んでいく。ひとり残った広能は、かつて夢を共有した仲間たちの想いを背負っ
て、たったひとりヤクザ社会のタテマエに楯を突く…。

●暴力の世界に見出した夢

戦争という大きな暴力を経験した十代の若者たちが、焼け跡闇市の時代をどん
な想いで生き抜いたのか、僕にはわからない。しかし、彼らが暴力の世界に何
らかの夢を見出したのは理解できた。組を作り上げていく過程の溌剌とした想
いも伝わった。たとえそれが対立する組長を暗殺することであったとしてもで
ある。

だが長い年月は若者たちの想いを変化させる。親分と呼ばれるようになると、
自分の地位に汲々とする。保身に走る。失うものがなかった若い時期には死刑
覚悟で相手の組長を殺しにいった人間も守るべきものが増え、そんなもののた
めに昔の仲間さえ裏切る。死に追いやる。

それが、かつて同じ夢を抱いていた自分を見捨てるのと同じことなのだ、かつ
ての自分自身を殺すのだと気付かずに…。

そんな抒情性や情念のようなものが「仁義なき戦い」には描かれている。それ
は、おそらくシナリオを書いた笠原和夫の想いの発露だ。笠原和夫の抒情性は
第四部のラストシーンで明確に現れる。まるで「さらば友よ」のラストシーン
のように男と男の情感漂う名場面だった。

窓から雪が吹き込む裁判所の廊下のベンチに広能が座っている。裸足の雪駄ば
きに寒さが身に沁みる。その前をコートを肩に掛けた男が通り過ぎ足を止める。
広能昌三が見上げると、かつての仲間であり広島ヤクザ戦争と呼ばれた凄絶な
権力闘争を戦った宿敵の武田明(小林旭)である。

──昌三、何年うたれたんなら。
──前のと合わせて七年四カ月じゃ。
──ちょっとした殺人刑と一緒じゃのう。

そんな会話が交わされ、武田は並んでベンチに腰を降ろす。武田は山守組長な
どの裁判結果を教え、今後は政治結社にでもならなければやっていけないとつ
ぶやく。

──それもええがの、わしらの時代は仕舞いで。18年も経って口も肥えて、こ
う寒さがこたえるようになってはなあ。

広能がそう言うと武田はうなずき「昌三、辛抱せいや」と声をかけて去る。
第一部から第四部までのシナリオを書いた笠原和夫は、このシーンで「仁義な
き戦い」を終わらせたつもりだった。会社の意向で「もう一作」という話にな
ったが笠原和夫が降りたために第五部は笑える場面がなくなり、深作欣二監督
のアクション演出だけが目立つ余裕のない作品になった。

笠原和夫は終戦時に18歳、深作欣二は15歳だった。以前、「バトル・ロワイア
ル」について書いた時に「国のために敵を殺せ」と15歳まで教育されてきた深
作の想いが「バトル・ロワイアル」には出ていると僕は断言したけれど、「仁
義なき戦い」の若者たちには笠原和夫と深作欣二の想いが間違いなく反映され
ている。

とりわけ笠原和夫の想いは強かったのだろう。完成試写が行われた時、笠原和
夫は「怒りのあまり席を蹴って立ち上がり、二階の企画室に閉じこもってしま
った」という。笠原和夫は「敗戦時の三歳の違いは大きい」と語っている。し
かし、彼らの息子の世代である僕には笠原和夫がシナリオに込めた想いと深作
欣二が映像化する時に込めた想いの違いはわからなかった。

2003年1月12日、深作欣二は帰らぬ人となった。それは「仁義なき戦い」の第
一作目が封切られた日からちょうど30年めのことである。深作の死より一月前
の2002年12月12日、笠原和夫は一足先に旅立っていた。

戦後60年、彼らのような敗戦を体験した世代がどんどん死んでいく。だが、彼
らは明確な想いを遺した。「仁義なき戦い」は決して古びることなく、今も日
本映画史の中で燦然と輝いている。ヤクザという特殊な社会と人間を徹底して
描いたがゆえに普遍的な人間の姿が捉えられているからだろう。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
シューマッハのもの凄い額の寄付に驚き、F1てやっぱり巨大なマーケットなの
ねと思ってしまう。松井の5000万円の寄付にも感動し、こういうニュースを聞
くと「世の中、まだまだ捨てたものではない」と思う。

デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html

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■Workforce of a Freelance(7)
年が明けて、厄年も明けて

新居雅行
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中年になってくると年を数えるのがいやになるが、一方で厄年だけは早々に過
ぎてもらいたいと思ったりもする。2005年になって、筆者は後厄から抜け出し
た。男の42歳が大厄だそうで、筆者にとってはもはや過去のものだ。この厄年
は現代に残る「迷信」の一つとしても有名である。果たして、厄年は迷信なの
だろうか?

●偶然だろうと思いながらもやっぱり本当?

インターネットであれこれと厄年について調べても、あまり根拠らしい根拠は
見られない。もともとは、平安時代の陰陽道から来ているということはどこも
述べていて、現在のように女33歳、男42歳が大厄であるということが成立した
のは江戸時代だということが分かっている。

この数字を「さんざん」「しに」という言葉にかけたものだといったドライな
説明も見られる一方で、男性の場合は癌の発見率が高い年齢といった統計的事
実を述べている場合もある。

信じるか信じないかはさておいて、だいたいそれなりの年齢になってくると、
体は衰えると同時に、仕事の上でも責任ある立場になるなどストレス要因も増
える。そういったダメージが、ちょうど男の場合は40過ぎたくらいにくるって
ことだろうという結論になって何となく納得するものである。なんとなく、科
学的な説明のにおいがしなくもない。

もちろん、医学的には何ら根拠はないと思う。何かの統計的な現象がたまたま
33歳とか42歳にピークがある場合もあるだろうが、それを根拠にしたら、毎年
厄年になるに違いない。むしろ心理的な意味では、何か悪いことがあったとき
に自分の責任ではないと思いたいということが大きいと思う。不摂生をして健
康を害し、そして病気に倒れたとき、「やっぱり厄年なんだよな」と言えば、
言い訳になってしまいそうな感じがする。こうして、迷信は脈々と残るのだろ
う。

●厄年の前倒しかな

筆者も実はあんまり厄年という日付時刻型データは信じていないが、厄年とい
うステータスは存在すると思っている。どんな仕事をしているかによるが、た
とえばスポーツ選手の場合は通常は30くらいを境に体力の衰えから能力の維持
が大変になるということになるのではないだろうか。

しかしながら、そういう若い段階で能力のピークを迎える仕事をしている人よ
りも、通常の勤め人の方が世間にはよっぽど多い。そういう職種を総合すれば、
たとえば、営業でものを売り歩き、イベントでかけずり回り…ということを体
力で乗り切れるのはだいたい35くらいまでであることは多くの人が認めるとこ
ろだろう。個人差はあるだろうけど、そのあたりにビジネス人としての体力仕
事のピークがあると考えられる。

体力の低下を素直に受け入れ、そこから仕事のやり方を多くの人は微妙に変え
ることになる。いや、言い換えれば変えざるを得なくなるのだ。しかし、それ
に気づくのに、人は時間がかかる。特に、突っ走ってきた人、自信過剰な人ほ
ど「加齢による体力の低下」は認めたくないみたいだ。

そういう筆者も、今思うと、5~6年前に体と相談することを怠った時期がある。
解説書を量産するという仕事パターンに、ある意味疲れと疑問を持った時期、
ちょうどインターネットが世間に浸透し始めていた。これからの出版は電子化
されたものだろうということで、Mac開発者向けのニュースレターを事実上一
人で切り盛りするという企画を考えて推進させたのである。なるべく今までの
書籍執筆の仕事は断りつつ、そちらに集中すればいいだろうと考えた。

MJR(Macintosh Java Report)を98年にスタートし、これをパイロットプロジ
ェクトとして、MDOnline(Macintosh Developer Online)を99年からスタート
させた。

意欲的なビジネス展開のつもりだったが、体力的にはきつかった。MDOnlineは、
当初週に3日のつもり、つまり2日に1通のつもりが、すぐに日刊になる。フォ
ローすべき内容はそれでもまかないきれないし、存在感を高めるには日刊とい
う路線を全面に出したかった。予算が全然ないので、タダ同然な値段で何人か
の人に記事はたのみつつも、そちらについてはあまり無理をお願いできないの
で、がんばって記事を毎日書き続けた。

そのときは会社に勤めていたので、不安定でもそれなりの収入がないとやっぱ
りまずい。予算なしでは厳しい面もあるが、とにかく執筆配信から販売までを
一人でやることで切り抜けるつもりだった。

ところが、2001年の米国のテロ事件の直後、筆者もとうとう倒れてしまった。
よく「倒れる」と表現されるが、自分がどんな形でいつ倒れるかなんて誰にも
分からない。筆者の場合は、消化器系統の不備だったのだが、原因が分からず
けっこうつらかった…。

ただ、前兆はあった。MDOnlineを始める前に、何度か同じような症状になって
2週間近く寝込んだことがあったが、なんとか自然治癒した。しかし、2001年
はそうならなかった。徹底的に検査をして、やっと原因が分かり、命に別状は
ないもののストレス要因が強いことが説明される。

その後、一時期休刊していたMDOnlineをなんとか立て直すつもりが、例によっ
て景気は急速に冷え込み、厳しい自体になる。そして、翌年、会社都合での解
雇の機会に、いろいろ尽力いただいた方もいらっしゃったのだが、廃刊するこ
とにしたのだ。

●要は試される時期?

2001年は筆者にとっては前厄のさらに前の年であるが、厄年が迫っていること
はもちろん気になっていた。ともかく、こういう年齢になるとあれこれ体が言
うことを聞かなくなるのであるが、単に病気になるだけなら、直ってしまうと
すぐに忘れてしまうのではないだろうか。

だけど、「体調の悪化」と「ほとんど厄年」のAND条件は、体調が戻った後も
引っかかりを残した。そうした気持ちを残しつつも、MDOnlineは続けたいと思
うも、分量をまとめるのではなく、質を上げるべきかなどと考えつつも、ニュ
ースから解説記事に比重を移す考えでいたところだった。そこで解雇である。
「これは、もうやめなさいという天のお告げか」とやっぱり思ってしまう。フ
リーで続けるにはあまりに儲からない仕事だったのである。解雇後、1ヶ月で
廃刊にした。

大病をすると人間変わるとも言われているが、その割にはころりと忘れて不摂
生にいそしむ人もまずまずいるところだ。厄年がそういう人たちへのクスリに
なるほどのものではないとしても、人に振り返る機会と心のひっかかりを与え
る。言い換えれば、他からの意見を心から受け入れられるかを試しているので
はないだろうか。

多くの人は、自分は自分の力で生きていると信じており、それはそれでいいだ
ろう。だけども、実際には社会の中で多くの人に支えられて生きている。しか
しながら、それなりな実績を積むと、「自分が…」ということに興味は移り、
そして「自分の…」にフォーカスする。そんなところに病気が襲う。自力で復
活したと思いたいところだが、何で復活したかはどうでもいい。「実は厄年な
んだ」という迷信ベースの場にたっている自分を見て、自分の力ではどうしよ
うもないことがあるという事実を実感できるかどうかだ。

もちろん、そうした気持ちにもっと若くしてなる人もいるだろうが、そういう
人の中にはむしろ突っ走るという経験に至っていない人もいるのかもしれない。
突っ走って前のめりに倒れたとき、どこを見るか? 立ち上がって周りを見る
ことができるかどうか試されている。それに気づく最後の機会が「厄年」なの
である。ここを超えると、もっと変わることが難しくなる(みたいだ)。

お祓いをすることが「受け入れる」ことにつながる人もいて、それはそれでい
いだろう。神仏に頼るというのは自分以外の存在への重要なアプローチであり、
理屈抜きで対応できる。お祓いをしてもらうと親が安心するぞと諭してくれた
人もいる。なるほど。みんなどこかで何かを試されている。でも、何をすべき
かは自分で考えないといけない。

【にい・まさゆき】msyk@msyk.net
トレーナー、コンサルタント、デベロッパー、そしてライターと、あれこれこ
なすフリーランス。久しぶりに電話を買い替えた。結局は京ポンにしたのだが、
Macでモバイルも視野に入れるとあいかわらずPHSである。といいつつも、アド
レス帳やブックマークの整理は思わずWindowsでやってしまった。

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■イベント案内
サーティファイグランプリ2005
<http://www.sikaku.gr.jp/gp/gp2005.html>
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株式会社サーティファイの主催。クリエイターを目指す人々の技能を発揮する
場を提供し、デジタル社会における人材育成に貢献することを目的としてのコ
ンテスト。テーマは問わない。学生・社会人、団体(グループ)・個人を問わ
ず応募可能。但しプロを除く。応募部門は、デジタルアート(静止画)部門、
デジタルムービー部門、Webコンテンツ部門。各部門にて、最優秀賞、優秀賞、
奨励賞を選出する。応募締切は2月6日。

<応募受付中のプレゼント>
 『Shade Graphic Parts Design』 本誌 1666号(1/20 14時締切)
以下は姉妹紙「写真を楽しむ生活」にて受付中のプレゼント
 「本格レッスン! デジタル絵画」#527号(1/20 14時締切)


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■編集後記(1/14)
・「おもしろくてためになる」とは、昔の少年雑誌のキャッチフレーズだった
と思うが、そういうイベントに参加したいし、イベントを主催する側にもなり
たい。かつてはそんなおもしろいイベントがあった。MdNコンファレンスとか、
初期のシーボルトセミナーズ東京とか、JPCセミナーとか。富士五湖のどこか
で行われたMコンでは講師に招かれて、当時やっていたオンラインマガジンの
「WONDER-J」を披露したことを覚えている。お祭り騒ぎがじつに楽しかった。
そして、なんといっても一番おもしろかったのは1996年から1998年にかけて
「日本語の文字と組版を考える会」の運営に参加したことだった。隔月のセミ
ナーに毎回100名を超える参加者を集め、内容は喧嘩腰のときもあって、とて
も刺激的だった。まさに主催者冥利に尽きる日々だった。そういったおもしろ
いことを、また手がけられるチャンスが巡ってきた。それが、富士ゼロックス
とのジョイントイベント「クリエイターズ・テーブル」だ。第1回目は、カラ
ーマネジメントについて、過激で多彩な啓蒙活動を続けるMD研究会から、上原
ゼンジ氏、庄司正幸氏、東陽一氏、マスター郡司氏を迎えての、トークとパネ
ルディスカッションのイベントだ。芸達者な彼らのこと、必ずや「おもしろく
てためになる」はずだ。なぜか、女性の参加申し込みが目立つのも特徴だ。MD
はそんなにもてるのか、クヤシイ。参加申し込みはお急ぎ下さい。 (柴田)

・10月に買ったばかりの外付DVDドライブを修理に出している。買ってすぐは
DVD-RAMを何枚か焼いていたのだが、年末に映像編集しDVDに焼こうとしたらマ
ウントしない。外付対応していないことを知らないまま、iDVDで作業してしま
ったので、焼けないのはiDVDだからかと思っていたのだが、焼けていたはずの
DVD-RAMもマウントしないし、プロファイラにさえ出てこない。DVDドライブ付
属ソフトでも焼けないし、ケーブルを変えたり、OSを別パーテーションにイン
ストールしなおしたり、アクセス権修復したが駄目。電源は入っているし読み
込み動作はするし異常ランプはつかないし、デイジーチェーンさせた外付HDD
は認識したのでおかしいなと。落下や持ち運びもなかったのに何故だ。年末年
始はサポートが休みなので休み明けに連絡してすぐに送付したのだが、連絡が
ないまま一週間。気になって電話したら、サポート側でもマウントしないので
すぐに修理にまわし、ボードを取り替えることになっているとのこと。/使い
たいデータもあったのでDVD-RAMがマウントしないのは痛い。LAN対応HDDにも
保存していたので、そこから引っ張ろうとしたら、目の前でデータが消えてい
く……。ハードディスクの寿命か? LAN対応HDDはターミナルでも消せないデ
ータがあったりしていまいち。分解してハードディスクだけ使おうか。/てな
ことで仕事が進まなーい。               (hammer.mule)
http://www.century.co.jp/products/suto/kd2535ful.html  必要かもな

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発行   デジタルクリエイターズ <http://www.dgcr.com/>

編集長     柴田忠男 
デスク     濱村和恵 
アソシエーツ  神田敏晶 
リニューアル  8月サンタ
アシスト    鴨田麻衣子

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